OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

まし

2015年04月07日 | 日記
春先の一日たっぷりの書のワークショップは宋時代がテーマだった。
北宋といえば、まず、蘇軾、黄庭堅である。
そんな方々を近くに臨書し続けるワークショップであった。
その時、一日たっぷりあったのに、ちょっと言い忘れたことがあった。

主宰者の方とそんなやりとりをしていたら、桜と笛と抹茶と…五感を開くような一日ワークショップに先だって、少し枕をつくれ、ということで、

春宵一刻直千金

と何枚か書いたうちの一枚を持参して、言い忘れたことをしゃべった。

最後は、床の間に、壁を傷めないように弱いテープで直ばりである。
表装はおろか、半切の安い紙は折れおれのままである。

春の宵の一時一時は、大金にも何物にもかえがたいほどだ。
花に清らかな香りあれば、月はおぼろにかすみている。
あずまやから聴こえてきた歌声や笛の音はいつしかなくなって、
中庭で娘たちが興じていたブランコも今は夜のなかにひっそりと垂れ下がっているばかり。

蘇軾「春夜」の起句「シュンショウ イッコク あたい センキン」は、そこでは意外に知られていなかった詩句であったが、
その日は、小雨ながら、軒先から落ちる雨音さえも自然の一部となって、雲龍さんの笛に導かれるように、二十数名の方々と自然界の一部になって共鳴した感じであった。

オレオレの流行る時代、折れおれでも曲がって貼ってある春の宵の方がまだいいだろう。


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