OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

年賀状

2014年12月04日 | 書道・筆文字
年賀状は、もともと、年始の挨拶に伺うところを、飛脚によって、書状をしたためたものをその代わりにしたところから始まるらしいが、明治になってから西洋を何でも真似した日本は郵便事業に、カードをいれる。はがきの誕生である。江戸時代からある端書という言葉は、郵便使用のカードとして、郵便はがき、と。葉書といういい方は、椿の葉に似た大型のタラヨウという肉厚の常緑樹に字を書いたから、というが、この葉は、釘みたいなもので書けば、その傷となったところが浮き出て分かりやすい。もっとも、平安の昔から梶の葉に七夕には字を書いたなどの類もある。

さて。

年賀状は、もともと年始に書いたから「昨年中は…」と書けた。
戦後、お年玉付き年賀はがきの大ヒットで、郵便局は大忙しに。そして、前もって書いておけば、元旦に届けるサービスを始めた。
すると、12月中に来年を想定し、「昨年中は…」と書くようになった。
それが、私だけでなく相当数、違和感を感じて、その文言は使用頻度が徐々に減っていった、と思ってるがいかが。

さて、さて。

いつの間にか、手書きは激減し、業者に頼むことも減って、今は自分でオリジナル年賀状、というよりは、PC用のかんたん年賀状ソフトを買って、好きなものを取り込んで作成する方も当たり前になった。

そう、そのPC用の年賀ソフトは一時より勢いは無くなったように思えるが、まだまだ店頭に各社競って多く並ぶ。
それも11月、10月と年々早く店頭に並ぶ。
その元版を書いたり描く作家たちは、5月6月あたりに仕事を受けるのが多いかな。

そう、わたしもご縁あって、ある出版社のPC版年賀ソフトの筆文字を書いていた時期が長くありました。
毎年書いていくうちに自分で飽きて、絵を描いたり…、編集部の代わりに新しい企画を考えたり…。

でも、あれは、書に限らないかもしれないのですが、そう、プロの仕事はいらない、と思えること多々。
それっぽければ済む。上手い必要もないのがPC賀状。

そして、そんな煩雑さから解放されて久しい中、久々に、年賀状関連の依頼があった。

さて、さて、さて、である。

聞けばこのPC簡単プリンター処理時代に、シルクスクリーンを使って、丁寧な年賀印刷をしてきたある工房は、年々、先の事情もあってか、仕事が減ってきて、年賀印刷は止めることにしたが、どうしても、という長い付き合いのお客さんがいて、引き受けた、という。
そこにはキンアカのバックに、金泥で干支の筆文字が毎年入っていて、その代表の先代であるお父さんが筆を執っていたという。

以前の見本をみせてもらうと、書家の上手さではないが、気骨のあるいい字である。

ここで私は、そのシルクスクリーン印刷年賀状の依頼人にとって、この時代に敢えて、その工房に依頼する年賀状は、通常の印刷や、家庭のプリンターでは、味気なく、その深みを感じているからであると感じると同時に、その、なんのてらいもなく自然に書かれている干支の筆文字を見続けてきて、そのイメージが年賀の清新な気分を伝えつづけていると思い、その文字の気分は引き継がなければいけない、と筆を執った。

書いていくうちに、ちょっと、しゃれた字にしようとしたり、書体も変えてみたり、してしまうのは、書家のかなしいサガ。

けっきょく、先代の俤のままに書いた字を喜んで選んでもらった。
今回の私の仕事は、個性というより、その思いに付き添う仕事。
そういう仕事ができてよかった、と思う。

選ぶ方に恵まれて、書家冥利。
満足できる小さな小さな仕事だった。
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