祖母の一番下の妹は、おっとりとして品のある美人だった。
だれがいったか「松山小町」。
こういうのはだいたいあてにならないものであるが。
いまは八十も半ばであるが、その俤はある。
もっとも私が知るその人の若かりしときは、30代後半から40代前半、こども4人の母親であるが。
その長年連れ添ったおじさんが亡くなって、お通夜にいったのである。91歳で大往生である。
おじさんは、がんこおやじであったが、親戚思いの人情の厚い人で、私もこどものように接していただいた。
その子どもたちは、父の従兄弟にあたるが、年齢は私との方が近かったので、私の従兄弟のような感覚である。
その祖母の兄弟の子どもで、私の従兄弟のような家がもう一件あり、その長男は書家である。
親戚の集まりでは決まって「まともな書家とまともじゃない書家」という私である。
亡くなったおじさんの孫娘は、松山小町の系列に入る。
3年前に結婚したが、彼が結婚を申し込みする際その家に来て、床の間の書をみて緊張した、という供養の席での話しになった。
孫娘も、二人のどちらが書いたか知らないらしく、夫婦でその時のことを思い出しながら、横に並んだ私たちに「どちらが…」と訊く。
もちろん、まともな方である。わたしは新築されたその家にさえいっていない。
まともな方は、最近までハーレーまで趣味で保有していて、余裕である。
お弟子さんも多いし、会の中心にいる。
教えていても、辞める人は少ないという。
どうして、ときくと、いっしょうけんめい教えているからだという。
まじめに長年取り組んできた成果である。
私もまじめに取り組んできたつもりだが、その取り組みは、まともじゃない一本の道につながる。
今のところ、軌道修正をするつもりはない。
だれがいったか「松山小町」。
こういうのはだいたいあてにならないものであるが。
いまは八十も半ばであるが、その俤はある。
もっとも私が知るその人の若かりしときは、30代後半から40代前半、こども4人の母親であるが。
その長年連れ添ったおじさんが亡くなって、お通夜にいったのである。91歳で大往生である。
おじさんは、がんこおやじであったが、親戚思いの人情の厚い人で、私もこどものように接していただいた。
その子どもたちは、父の従兄弟にあたるが、年齢は私との方が近かったので、私の従兄弟のような感覚である。
その祖母の兄弟の子どもで、私の従兄弟のような家がもう一件あり、その長男は書家である。
親戚の集まりでは決まって「まともな書家とまともじゃない書家」という私である。
亡くなったおじさんの孫娘は、松山小町の系列に入る。
3年前に結婚したが、彼が結婚を申し込みする際その家に来て、床の間の書をみて緊張した、という供養の席での話しになった。
孫娘も、二人のどちらが書いたか知らないらしく、夫婦でその時のことを思い出しながら、横に並んだ私たちに「どちらが…」と訊く。
もちろん、まともな方である。わたしは新築されたその家にさえいっていない。
まともな方は、最近までハーレーまで趣味で保有していて、余裕である。
お弟子さんも多いし、会の中心にいる。
教えていても、辞める人は少ないという。
どうして、ときくと、いっしょうけんめい教えているからだという。
まじめに長年取り組んできた成果である。
私もまじめに取り組んできたつもりだが、その取り組みは、まともじゃない一本の道につながる。
今のところ、軌道修正をするつもりはない。
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