広告の裏側も透けて見える時代になって、言葉ひとつも、そのまま信用できない時代になって久しい。いや、まつりごとの世界では、ずーとそうなのかもしれない。
言葉とは、もともと神に誓う語である。説文解字にある通り、「誠」でなくてはならない。せめて、文化の世界では、今もそうありたい。
そんななか、言葉に強い学生を育てる。という、とある私立高校の車内広告を時々目にして、気になっていた。
正確には覚えてないが、言葉は感性を育て、ひらめきを生む、みたいなことが書いてある一行のコピーである。
私自身は言葉に強いわけではないが、それを実感として受けてめていた。
とある進路説明会に、愚妻の指示のもと、いやいや父と、いやいや息子は、自転車で出掛けて行った。
進路説明会に伺う恰好ではなく、私はほぼジョギング、息子はチャラチャラの恰好のままで、会場前で、「進路相談会の会場に入るのですか?」みたいな案内を受けてから会場入りとなる。
学校案内資料をもらい、アリバイづくりに成功した親子は、適当でぶらぶらするのみである。
そうこうしているうちに、そういえばあの広告の、たしか友人の息子が卒業した高校、のブースが目に入り、空いていたので、
「ちょっと雑談になりますが…」と声をかけると、感じのいいおじさまと若い女の先生である。
まったく雑談しながら、「広告がいい」という話しになったら、その先生のコピーであった。国語の先生で教頭先生であった。
言葉を愛せる人だと思った。女の先生は美人であった。
そのうち息子も合流。偏差値と仲の悪い息子は一言「偏差値はどのくらいですか?」と逆説的なまともな一言でしめる。
それにしても、教育は人である、と思う。
生きる喜び、を学べ。
言葉とは、もともと神に誓う語である。説文解字にある通り、「誠」でなくてはならない。せめて、文化の世界では、今もそうありたい。
そんななか、言葉に強い学生を育てる。という、とある私立高校の車内広告を時々目にして、気になっていた。
正確には覚えてないが、言葉は感性を育て、ひらめきを生む、みたいなことが書いてある一行のコピーである。
私自身は言葉に強いわけではないが、それを実感として受けてめていた。
とある進路説明会に、愚妻の指示のもと、いやいや父と、いやいや息子は、自転車で出掛けて行った。
進路説明会に伺う恰好ではなく、私はほぼジョギング、息子はチャラチャラの恰好のままで、会場前で、「進路相談会の会場に入るのですか?」みたいな案内を受けてから会場入りとなる。
学校案内資料をもらい、アリバイづくりに成功した親子は、適当でぶらぶらするのみである。
そうこうしているうちに、そういえばあの広告の、たしか友人の息子が卒業した高校、のブースが目に入り、空いていたので、
「ちょっと雑談になりますが…」と声をかけると、感じのいいおじさまと若い女の先生である。
まったく雑談しながら、「広告がいい」という話しになったら、その先生のコピーであった。国語の先生で教頭先生であった。
言葉を愛せる人だと思った。女の先生は美人であった。
そのうち息子も合流。偏差値と仲の悪い息子は一言「偏差値はどのくらいですか?」と逆説的なまともな一言でしめる。
それにしても、教育は人である、と思う。
生きる喜び、を学べ。
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