つい最近にブータン王国のワンチュク国王が来日していた事がニュースなどで大々的に取上げられていましたが、ブータンと言えば、金銭的・物質的な豊かさを現す国民総生産【Gross National Product(GNP)】による豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさを現す国民総幸福量【Gross National Happiness(GNH)】に重点を置いている国として知られています。
この為故意的に経済的発展を抑えながらきているようで、国営放送が始まったのが世界でも一番遅い1999年の事だったそうです。
国民総幸福量とは具体的にどういう事だろうか?と思い、実はここ数日かけて色々な資料を集めてみました。
国民総幸福量の概念とは?
『目的と手段を混同してはいけない。経済成長自体が国家の目標であってはならない。目標はただひとつ、国民の幸せに尽きる。経済成長は幸せを求めるために必要な数多い手段のうちのひとつでしかない。そして、富の増加が幸福に直接つながると考えるのは間違いである。・・・』※「選択」5月号「ブータン発「国民総幸福量」という価値観」より抜粋
そして、そもそもどのようにこのGNHを数値化しているのか?お金や物ではなく、精神的な豊かさをどう測定しているのか?といいますと…、
『2年ごとに聞き取り調査を実施し、人口67万人のうち、合計72項目の指標に1人あたり5時間の面談を行い、8000人のデータを集める。これを数値化して、歴年変化や地域ごとの特徴、年齢層の違いを把握する。国内総生産(GDP)が個人消費や設備投資から成り立つように、GNHは 1.心理的幸福、2.健康、3.教育、4.文化、5.環境、6.コミュニティー、7.良い統治、8.生活水準、9.自分の時間の使い方の9つの構成要素がある。GDPで計測できない項目の代表例として、心理的幸福が挙げられる。この場合は正・負の感情(正の感情が 1.寛容、2.満足、3.慈愛、負の感情が 1.怒り、2.不満、3.嫉妬)を心に抱いた頻度を地域別に聞き、国民の感情を示す地図を作るという。どの地域のどんな立場の人が怒っているか、慈愛に満ちているのか、一目でわかるという。』※Wikipedia国民総幸福量概要より抜粋
更にこの考え方の根底には、チベット仏教の利他心があるという。つまり生きとし生けるもの全てに対して思いやりと愛情を持って接する事であり、これは、全ては相互的に依存しあって生きていると言う事を自覚する事でもあるという。
どうすれば他者を苦しみから救うことができるのか、どうすればよりよい心の平安が得られるのかを考え、自らが行動する。そうして得られた他者の幸せはやがて自らの喜びとなってはね反ってくるそうなのです。
そう思うと、昨今の経済というのは、お金だけが先走っていて、肝心の人間というのがそこに存在しないように見えます。経済もそもそも人間あってのものであり、そう考えるとお金も大切な物の中の一つではあるけれど、お金では買えないものは沢山あります。
日本とブータン、どちらで暮らすのが幸せなのか?というと、当然経済力ある日本が豊かなのだから、日本で暮らすのが幸せなのだ!と思う方が多数いるのでしょうが…、しかし年間3万人もの人が自殺している日本というのが、そもそも幸せなのでしょうか?そして今の原発政府の在り方を見ると、
いきなりブータンの人々のような生活はできないにしても、今のこの経済一辺倒な世界だからこそ、どこもかしこも経済的な行き詰まりを感じているわけで、それはもう限界に来ているのだと思います。
その又一方で先の311の震災より、仕事主義から家族主義へと転換する人々が非常に多くなったようです。以前は仕事に命を捧げ、仕事一辺倒で生きてきた人々が震災に遭って以来、家族との絆をより大切にするようになったといわれています。これはつまりはこの国民総幸福論にも繋がっているわけで、国は相も変わらず経済一辺倒ですが、我々国民レベルでは個々が徐々に今の在り方の問題に気が付いてきているのではないか?と思います。
いずれにもしても全てはバランスが大切なわけで、そこから考えると世界の1%の人口が世界の99%の資産を所有しているというのもそもそも問題なわけで…、これが今アメリカを中心として大きなムーブメントを起こしている問題でもあります。
暮らしていくのには勿論お金は不可欠であるわけですが、お金があるだけでは幸せとは言えませんし、また幸せになる為には先ず他人を幸せにしたいという考えが必要なのではないでしょうか?
自分自身も含め、今後の日本の展望を考えるに当たっては考えなければならない重要な課題だと思います。
この為故意的に経済的発展を抑えながらきているようで、国営放送が始まったのが世界でも一番遅い1999年の事だったそうです。
国民総幸福量とは具体的にどういう事だろうか?と思い、実はここ数日かけて色々な資料を集めてみました。
国民総幸福量の概念とは?
『目的と手段を混同してはいけない。経済成長自体が国家の目標であってはならない。目標はただひとつ、国民の幸せに尽きる。経済成長は幸せを求めるために必要な数多い手段のうちのひとつでしかない。そして、富の増加が幸福に直接つながると考えるのは間違いである。・・・』※「選択」5月号「ブータン発「国民総幸福量」という価値観」より抜粋
そして、そもそもどのようにこのGNHを数値化しているのか?お金や物ではなく、精神的な豊かさをどう測定しているのか?といいますと…、
『2年ごとに聞き取り調査を実施し、人口67万人のうち、合計72項目の指標に1人あたり5時間の面談を行い、8000人のデータを集める。これを数値化して、歴年変化や地域ごとの特徴、年齢層の違いを把握する。国内総生産(GDP)が個人消費や設備投資から成り立つように、GNHは 1.心理的幸福、2.健康、3.教育、4.文化、5.環境、6.コミュニティー、7.良い統治、8.生活水準、9.自分の時間の使い方の9つの構成要素がある。GDPで計測できない項目の代表例として、心理的幸福が挙げられる。この場合は正・負の感情(正の感情が 1.寛容、2.満足、3.慈愛、負の感情が 1.怒り、2.不満、3.嫉妬)を心に抱いた頻度を地域別に聞き、国民の感情を示す地図を作るという。どの地域のどんな立場の人が怒っているか、慈愛に満ちているのか、一目でわかるという。』※Wikipedia国民総幸福量概要より抜粋
更にこの考え方の根底には、チベット仏教の利他心があるという。つまり生きとし生けるもの全てに対して思いやりと愛情を持って接する事であり、これは、全ては相互的に依存しあって生きていると言う事を自覚する事でもあるという。
どうすれば他者を苦しみから救うことができるのか、どうすればよりよい心の平安が得られるのかを考え、自らが行動する。そうして得られた他者の幸せはやがて自らの喜びとなってはね反ってくるそうなのです。
そう思うと、昨今の経済というのは、お金だけが先走っていて、肝心の人間というのがそこに存在しないように見えます。経済もそもそも人間あってのものであり、そう考えるとお金も大切な物の中の一つではあるけれど、お金では買えないものは沢山あります。
日本とブータン、どちらで暮らすのが幸せなのか?というと、当然経済力ある日本が豊かなのだから、日本で暮らすのが幸せなのだ!と思う方が多数いるのでしょうが…、しかし年間3万人もの人が自殺している日本というのが、そもそも幸せなのでしょうか?そして今の原発政府の在り方を見ると、
いきなりブータンの人々のような生活はできないにしても、今のこの経済一辺倒な世界だからこそ、どこもかしこも経済的な行き詰まりを感じているわけで、それはもう限界に来ているのだと思います。
その又一方で先の311の震災より、仕事主義から家族主義へと転換する人々が非常に多くなったようです。以前は仕事に命を捧げ、仕事一辺倒で生きてきた人々が震災に遭って以来、家族との絆をより大切にするようになったといわれています。これはつまりはこの国民総幸福論にも繋がっているわけで、国は相も変わらず経済一辺倒ですが、我々国民レベルでは個々が徐々に今の在り方の問題に気が付いてきているのではないか?と思います。
いずれにもしても全てはバランスが大切なわけで、そこから考えると世界の1%の人口が世界の99%の資産を所有しているというのもそもそも問題なわけで…、これが今アメリカを中心として大きなムーブメントを起こしている問題でもあります。
暮らしていくのには勿論お金は不可欠であるわけですが、お金があるだけでは幸せとは言えませんし、また幸せになる為には先ず他人を幸せにしたいという考えが必要なのではないでしょうか?
自分自身も含め、今後の日本の展望を考えるに当たっては考えなければならない重要な課題だと思います。