播磨灘のメモ帳。

時空を超えて、播磨灘の周辺を徘徊する
姫路の市川のほとりに住む
豆石煌、豆石光と、市川のカッパのメモ帳です。火山豆・

奥東京湾~~~謎の究明に向けて。

2024年07月14日 | 縄文海進のその後・地理
奥東京湾。

  はじめに、おことわり。
  このブログを書いている、姫路・市川のカッパは、
  関東のことはホトンド知らない。千葉県にもミッキーに会いに行ったぐらいで
  東京も都心付近しか行ったことがない。
  いわゆる、土地勘は全くない。   で、 まあ、ええかげんな話です。
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縄文海進の特にピーク時(+4m)、東京湾の海水が、
埼玉県のさいたま市(浦和付近)、
更にナント群馬県近くまで、侵入していたとされる。

・霞ヶ浦・利根川方面の、古鬼怒湾もあるが、今回これには触れない。
・荒川水系.・旧利根川水系方面の奥東京湾を調べたい。

その地図は、「縄文海進 東京 画像」など検索すればよく似た地図が、いっぱい出てくる。
その地図には、大きく分けて次の2種類があると思われる。

 ①貝塚の分布、その近辺の地質調査などを元とした作図。
   (東木龍七、1923年)を元とするもの。
 ②JAXA海抜上昇シミュレーター、など。
   (①に似た状態にシミュレートしたものーーーー+約9m~15m??) 

縄文海進はピークでも、  +約4,0mだとされるのに。。。。
これが一番の謎だと思います。

これを調べる、その前に、、、
(1)東京湾の入り口の三浦半島の海蝕崖について、
   海蝕崖の高さは最高、ほぼ22m、
   その上部にも 洞穴があるらしい。
   (学生時代に物見遊山で行ったが単なる観光のみ。)
   大地震1回で、約2,0m?隆起。
    関東大震災(1923年)の時、+2m?隆起。
    元禄地震 (1703年)の時、+1.5m?隆起。
   
   海蝕洞穴(上)8m---6000~5000年前
       (中)6m---5000~4000年前
       (下)4m---4000~2000年前

   原因は、フィリピン海プレートが下に潜り込む為と、言われています。
   一番上の洞穴は、2500年前?縄文時代・後期のモノとも云われています。
   下末吉海進(+10m)(12万5000年前)によるモノでは、無いですね。

つぎに、
(2)大森貝塚について、、(東海道線の線路の上方)
    大森駅の標高は、  海抜 8m?
   大森貝塚遺跡庭園   海抜10m 
   縄文人は、どこで暮らし、当時の海岸線は具体的に、どこ??

(3)武蔵野台地海蝕崖    JR山手線・京浜東北線(特に上野~日暮里~田端~)に沿って、
   ・京浜東北線の線路の標高を調べてみた。  
   ・縄文海進ピーク時の具体的な海岸線がどこなのかは分からないが、
    電車は、海蝕崖の下に沿って走ると云われている。

   大森8m、品川4m、新橋3m、浜松町4m、東京4m~

   ~上野9m、鶯谷8m、日暮里17m、西日暮里18m~

   ~田端9m、王子8m、赤羽6m、大宮11m。

   日暮里付近は他より高いが、だいたい、海抜8mを通っている。ほぼ水平ですね。
   武蔵野台地の上には、関東ローム層があり、6000年間には崖下に堆積したことでしょう。

(4)埼玉県の貝塚の現在の標高。(てきとーに選んでみた)

    ・黒浜貝塚 (蓮田市)   14m。
    ・上福岡貝塚(ふじみ野市) 16m。 
    ・水子貝塚 (富士見市)  16m。
    ・真福寺貝塚(さいたま市) 12m。
    ・小谷場貝塚(さいたま市) 10m。
    
    いずれも、少し高い所のようです?
    生活圏より少し高い丘の上を、ゴミ捨て場(貝塚)にしたのでしょうか?

    その付近の現在の川の標高は、約8m?
    浦和駅の標高は、      15m。
    戸田市役所、         4m。

(5)群馬県の貝塚
    ・離山貝塚 (板倉町)     17m。(近年、整備されたようです)
    ・寺西貝塚 (板倉町海老瀬)  14m。
    近辺の渡良瀬遊水池の現在の標高 14m。   
   
   #付近のボーリング調査によって、地下13m?に海成層がある。という。
    貝塚の下、13mの断崖絶壁の下に海があった、とのこと?。
    リアス式海岸だった???
    その後、6000年間で、約13m堆積!!(谷底に13m堆積は、理解できる?)

    奥東京湾(埼玉県東部全域?)が、6000年間で、海抜4m以下が
      陸地(13m~4m)になった!!!?


(6)茨城県の貝塚
    ・陸平貝塚       26m。  
    ・上高津貝塚      25m。

  随分高いところにあるようです。 そうでもないか!!?
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  戸田市付近の荒川水系の、現在の標高は、4mぐらいでしょうか?
  やはり当時、この付近まで、海が入ったのは確実でしょう。
  
  そして、その後、平地に積もった堆積層は。。。。??その量は??

  埼玉県の地盤が現在と同じだったとすると、
    6000年前、
埼玉県が海の中だったことが、ふしぎです。理解できません!!!

    7000年前~6,000年前、埼玉県は、霞ヶ浦状態!!!

    いや否、はじめ、 グランドキャニオン状態
       ⇒海進で、 英虞湾状態
       ⇒海退のあと、堆積。。。

    その後、地盤隆起も、? 


埼玉の海は、だれが埋めた? (この6000年間で、)

     利根川?江戸川?荒川?
     いや、富士山!!?

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    縄文クロネコ宅急便が、、、、、<---すべての理論がぶっこわれる!

    地産地消!!ーーーやはり、これですよ。
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     謎だぁ!!
     

参考;地学者列伝
    篤学の士 東木龍七の貝塚の配置による地形変化の
         解明から独自の地誌学提唱まで  (石山洋) (ネット)


   

             家島・西島の謎の巨石、探究班
                   姫路 市川のカッパ 記。




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