播磨灘のメモ帳。

時空を超えて、播磨灘の周辺を徘徊する
姫路の市川のほとりに住む
豆石煌、豆石光と、市川のカッパのメモ帳です。火山豆・

・・⑫の3.弓月ヶ岳と、龍王山(その3)

2009年02月11日 | 大和
<(その1)の再度の記載です。(理由は前記)>

つづき・・・
7.弓月君(ゆづきのきみ)。
「弓月の君」は、
・「日本書紀」では、応神天皇16年、百済から、120県の人を率いて、
       帰化したという。新羅に妨げられ、加羅にとどまり数年後に渡来。
・「新撰姓氏録」では、秦の始皇帝の5世の孫。(時代が合わない)。
・五胡十六国時代の前秦(394年滅亡)の王族が
       朝鮮半島経由で日本に渡来した、という説。
秦氏の祖先の渡来人。

8.渡来人。
1、秦氏。(はた)氏。
「日本書紀」応神天皇14年に「この年、弓月の君、百済より来帰り。」
 ・百済ではなく、新羅の豪族だったとされる。
 ・弓月君は127県の人々(3~4万人?)を率いて北九州に上陸。
 ・秦氏として、京都などに。養蚕・機織・醸造・土木などの技術。

2、東漢氏。(やまとのあや)氏。
5世紀末、百済から、阿知使主(あちおみ)を始祖とする。
 ・製鉄・機織・土器など。のぼり窯(1000℃)で須恵器の生産。

3、西漢氏。(かわちのあや)氏。
6世紀前半の渡来?。東漢氏ともども朝鮮南部の加羅の安羅国からとも。

4、東文氏。(やまとのふみ)氏。
・文氏。は、文筆業を。日本に漢字を伝える?。

5、西文氏。(かわちのふみ)氏。
・応神天皇の時、百済から渡来した王仁(わに)を始祖とする。
・「王仁」は、日本に「論語」などを伝えた。河内国古市郡古市郷に居住とか。
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◎ カッパ。(特別出場)  (゜へ゜)
カッパの鳴き声を、ご存知でしょうか?
 「ひょ~!ひょう!」と鳴くそうです。または「ひょうz」「ひょうg」とも鳴くとか。???
「クゥ」、「クゥ」と鳴くのも居るそうです。
カッパのことを「ひょうすべ」とも言うそうです。兵主部??・・
相撲が大好き、・・・


    ⇒播磨灘のカッパ を検索してみて!!  ヨロシク、 (゜へ゜)  <(_ _)>
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以上、「弓月」からの関連・妄想を、メモした。      兵庫 姫路・豆石煌。

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