<弓月ヶ岳と、龍王山(その1)の再記です>
つづき・・・
2.穴師川。
穴師川(現在の巻向川)
巻向川は奈良県道50号線に沿って、西に流れ、箸墓古墳の南を下り、
初瀬川に合流。
その流れの、北に龍王山。南に巻向山。
3.穴師坐兵主神社。
①穴師大兵主神社(元から現在の地点。下社。)
②穴師坐兵主神社(元は上社。弓月岳にあった)
③巻向坐若御魂神社(元は、巻向山にあった。)
以上の三社の神々を合祀するという。
兵主神は、武の神。
県道50号線は、一番古くからの、東国からヤマトへの入り口。
ここを守り、武の神が鎮まる。
4.兵主神。
「兵主神」は、兵主神社の御祭神。
大和の穴師坐兵主神社をはじめ、19社(21座)。
その分布は、但馬国を中心に山陰道に多く集中する。
「兵主神」の由来は、中国の山東地方に祀られていた神とする説。
・「史記」
黄帝と最後まで戦った諸侯・シユウとされ、漢の高祖も祀ったという。
5.兵主神社。
①許野乃兵主神社。鳥取県岩美町富浦。
②穴師坐兵主神社。奈良県桜井市穴師---ご神体は、日矛(天日槍)とされる。
③射盾兵主神社。 兵庫県姫路市総社本町(=播磨国総社)。
6.アメノヒボコ。
記紀・播磨国風土記に見える帰化人伝説の人名。新羅の王子とされる。
古事記-----応神天皇の段。
日本書紀----垂仁天皇3年の条。
播磨国風土記--神嶋( 家島群島 )および、揖保の里の条。
日本に渡来し、筑紫から舟で瀬戸内海を通る経路で、播磨に上陸、
淡路、摂津、近江、敦賀。その後・・・・
船に乗って⇒但馬の出石。出石神社(豊岡市)に鎮まる。
田道間守(たじまもり)や、神功皇后の祖先。
日光感生型の伝説。
大陸系のシャーマニズム的宗儀。
⇒ヤマトの宮廷におけるミタマフリの神楽に。
つづく・・・・・ 豆石煌 記。
つづき・・・
2.穴師川。
穴師川(現在の巻向川)
巻向川は奈良県道50号線に沿って、西に流れ、箸墓古墳の南を下り、
初瀬川に合流。
その流れの、北に龍王山。南に巻向山。
3.穴師坐兵主神社。
①穴師大兵主神社(元から現在の地点。下社。)
②穴師坐兵主神社(元は上社。弓月岳にあった)
③巻向坐若御魂神社(元は、巻向山にあった。)
以上の三社の神々を合祀するという。
兵主神は、武の神。
県道50号線は、一番古くからの、東国からヤマトへの入り口。
ここを守り、武の神が鎮まる。
4.兵主神。
「兵主神」は、兵主神社の御祭神。
大和の穴師坐兵主神社をはじめ、19社(21座)。
その分布は、但馬国を中心に山陰道に多く集中する。
「兵主神」の由来は、中国の山東地方に祀られていた神とする説。
・「史記」
黄帝と最後まで戦った諸侯・シユウとされ、漢の高祖も祀ったという。
5.兵主神社。
①許野乃兵主神社。鳥取県岩美町富浦。
②穴師坐兵主神社。奈良県桜井市穴師---ご神体は、日矛(天日槍)とされる。
③射盾兵主神社。 兵庫県姫路市総社本町(=播磨国総社)。
6.アメノヒボコ。
記紀・播磨国風土記に見える帰化人伝説の人名。新羅の王子とされる。
古事記-----応神天皇の段。
日本書紀----垂仁天皇3年の条。
播磨国風土記--神嶋( 家島群島 )および、揖保の里の条。
日本に渡来し、筑紫から舟で瀬戸内海を通る経路で、播磨に上陸、
淡路、摂津、近江、敦賀。その後・・・・
船に乗って⇒但馬の出石。出石神社(豊岡市)に鎮まる。
田道間守(たじまもり)や、神功皇后の祖先。
日光感生型の伝説。
大陸系のシャーマニズム的宗儀。
⇒ヤマトの宮廷におけるミタマフリの神楽に。
つづく・・・・・ 豆石煌 記。
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