ある忍者からの謎の手紙。
1、はじめに。
『情報は発信するところに集まる』とは、HP【理科教師日記】のオーナーの
楠田先生のキャッチコピーである。
まったく同感。
ブログ趣味の私のところへも、いまだにヨク分からないが、どこかのカッパさんから、
「天の原 ふりさけ見れば 播磨なる 五色の塚に 出でし星かも」の、
訳のワカラナイ歌の情報が送られてきた。
これを解明すべく、いろいろ思案した結果が、わたくしめの
先の「五色塚」や「風水」関係の記事につながった。
2、忍者からの手紙。
それ以前の、今から8年ほど前、わたしがブログを始めたころ、
ドロンパという名前の忍者から、ある戦国武将の機密文書を受けとった。
この忍者ドロンポさんは、なンでも、姫路城に住み城内図書館の方からやって来て、
とちゅうに播但線京口駅前・東ロータリーをぐるぐる回って、
私のほうへ来たとか言っていた。
この忍者の密書・戦国武将の怪文が、また、ヨク分からない!!
いまだに真意がワカラナイ!
3、戦国武将の怪文?。
その戦国武将とは、ーーー今川了俊。1371年。
この忍者の密書(すなわちsengoku武将の怪文)をここに一般に公開する。
(これは、sengoku38とは異なり、@@@@@法違反にはならないと思う。)
みんなで考えよう!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『
三、「みとのまぐわい」の振舞いと恋の丸のこと
清水・金崎などうち過ぐるに、それより南にあたりたる所を
問ひしかば、飾磨が里と言ふ。
徒歩路(かちぢ)は少し隔てたれども、川波の海に出でたる
けしき、遥かに見渡され、なにとなくおもしろし。
また、いささか行き過ぎて、川のほとり近く、石の塚一つ侍り。
これは神のいます所なりけり。出雲路の社の御前に見ゆる
物の型ども、一つ、二つ侍りしを、「なにぞ」と尋ねしかば、
「この道を、初めて通る旅人は、高きも卑しきも、
必ずこれを取り持ちて、石の塚をめぐりて後、
男女のふるまひのまねをして通ること 」と申ししか、
いと、かたはらいたきわざにてなむ、侍りしかな。
まことや、この神の本社は、ほど近き所の海の中に立ち給ひたるが、
「かやうにまなび(真似をする)侍るたびごとに、
御社のゆるぎ侍る」となむ申すめり。
あらたなること(霊験あらたか)なるべし。
伝へ聞く 神代の みとのまぐはひを
うつす誓ひの ほども かしこし(賢し)
( 注! みとのまぐはひーーーいざなぎ・いざなみの国生み神話のセックス)
ここをば、磯ざきとも 磯の渡 とも言ふにこそ。
旅なれば とけても 寝ぬを 春の夜の
磯の渡の 遠くもあるかな
それよりこなたに恋の丸(たつの市揖西町小犬丸?)といふ里 一村侍べる。
いかなる人の物思ふとて、名乗りにし侍りつらむとおぼえて、
いとをかしく侍りき。
夢とても 妹やは 見ゆる 旅衣
紐だに とかぬ 恋のまろねに
かかる所の名を聞き侍るに、まづ、思ひ出づる方の侍るかな。 』
==================================以上。
このあと、今川了俊は、今の岡山県へ・・・
◎「清水・金崎」は、明石の、か?
◎「飾磨が里」は、山陽電車飾磨か?・姫路か?
どこのこと??
「姫路」ならば、京口駅 付近かも??
◎「石の塚」は、「道辻の祠」「道辻の社」などとも云ったらしい。
(・・・昼着堂跡=日月社=ひるつきのやしろ、との関係は??)
◎「ほど近きところの海の中」とは??
◎「御社がゆるぐ」とは・・・⇒「 ゆするの山 」???
◎「磯の渡」とは・・・何処?
なんのこっちゃ????
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◎参考図書
「道行きぶり」(道ゆきぶり)(今川了俊)(応安4:1371年)【中世日記紀行集】より、
◎参考?資料
「京口駅前東ロータリー」(ネット)
「男明神 女明神」(ネット)---ご検索を!
「文化財見学シリーズ」24--『城東地区』をたずねて(姫路市)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◎「ゆするの山」--①姫路(「ゆするの山 姫路」 ご検索を!)
この「ゆするの山」は、麻生山(あさおやま)らしい。
豆石煌の生まれたところ。
(このブログのプロフィール見てね。)
②家島(「ゆするの山 家島」 ご検索を!)
家島神社の杜のこと、らしい。
#どういう関係があるのか、無いのか、私たちにも、ワカラナイ!!!
姫路・豆石煌&豆石光 記。
1、はじめに。
『情報は発信するところに集まる』とは、HP【理科教師日記】のオーナーの
楠田先生のキャッチコピーである。
まったく同感。
ブログ趣味の私のところへも、いまだにヨク分からないが、どこかのカッパさんから、
「天の原 ふりさけ見れば 播磨なる 五色の塚に 出でし星かも」の、
訳のワカラナイ歌の情報が送られてきた。
これを解明すべく、いろいろ思案した結果が、わたくしめの
先の「五色塚」や「風水」関係の記事につながった。
2、忍者からの手紙。
それ以前の、今から8年ほど前、わたしがブログを始めたころ、
ドロンパという名前の忍者から、ある戦国武将の機密文書を受けとった。
この忍者ドロンポさんは、なンでも、姫路城に住み城内図書館の方からやって来て、
とちゅうに播但線京口駅前・東ロータリーをぐるぐる回って、
私のほうへ来たとか言っていた。
この忍者の密書・戦国武将の怪文が、また、ヨク分からない!!
いまだに真意がワカラナイ!
3、戦国武将の怪文?。
その戦国武将とは、ーーー今川了俊。1371年。
この忍者の密書(すなわちsengoku武将の怪文)をここに一般に公開する。
(これは、sengoku38とは異なり、@@@@@法違反にはならないと思う。)
みんなで考えよう!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『
三、「みとのまぐわい」の振舞いと恋の丸のこと
清水・金崎などうち過ぐるに、それより南にあたりたる所を
問ひしかば、飾磨が里と言ふ。
徒歩路(かちぢ)は少し隔てたれども、川波の海に出でたる
けしき、遥かに見渡され、なにとなくおもしろし。
また、いささか行き過ぎて、川のほとり近く、石の塚一つ侍り。
これは神のいます所なりけり。出雲路の社の御前に見ゆる
物の型ども、一つ、二つ侍りしを、「なにぞ」と尋ねしかば、
「この道を、初めて通る旅人は、高きも卑しきも、
必ずこれを取り持ちて、石の塚をめぐりて後、
男女のふるまひのまねをして通ること 」と申ししか、
いと、かたはらいたきわざにてなむ、侍りしかな。
まことや、この神の本社は、ほど近き所の海の中に立ち給ひたるが、
「かやうにまなび(真似をする)侍るたびごとに、
御社のゆるぎ侍る」となむ申すめり。
あらたなること(霊験あらたか)なるべし。
伝へ聞く 神代の みとのまぐはひを
うつす誓ひの ほども かしこし(賢し)
( 注! みとのまぐはひーーーいざなぎ・いざなみの国生み神話のセックス)
ここをば、磯ざきとも 磯の渡 とも言ふにこそ。
旅なれば とけても 寝ぬを 春の夜の
磯の渡の 遠くもあるかな
それよりこなたに恋の丸(たつの市揖西町小犬丸?)といふ里 一村侍べる。
いかなる人の物思ふとて、名乗りにし侍りつらむとおぼえて、
いとをかしく侍りき。
夢とても 妹やは 見ゆる 旅衣
紐だに とかぬ 恋のまろねに
かかる所の名を聞き侍るに、まづ、思ひ出づる方の侍るかな。 』
==================================以上。
このあと、今川了俊は、今の岡山県へ・・・
◎「清水・金崎」は、明石の、か?
◎「飾磨が里」は、山陽電車飾磨か?・姫路か?
どこのこと??
「姫路」ならば、京口駅 付近かも??
◎「石の塚」は、「道辻の祠」「道辻の社」などとも云ったらしい。
(・・・昼着堂跡=日月社=ひるつきのやしろ、との関係は??)
◎「ほど近きところの海の中」とは??
◎「御社がゆるぐ」とは・・・⇒「 ゆするの山 」???
◎「磯の渡」とは・・・何処?
なんのこっちゃ????
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◎参考図書
「道行きぶり」(道ゆきぶり)(今川了俊)(応安4:1371年)【中世日記紀行集】より、
◎参考?資料
「京口駅前東ロータリー」(ネット)
「男明神 女明神」(ネット)---ご検索を!
「文化財見学シリーズ」24--『城東地区』をたずねて(姫路市)
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◎「ゆするの山」--①姫路(「ゆするの山 姫路」 ご検索を!)
この「ゆするの山」は、麻生山(あさおやま)らしい。
豆石煌の生まれたところ。
(このブログのプロフィール見てね。)
②家島(「ゆするの山 家島」 ご検索を!)
家島神社の杜のこと、らしい。
#どういう関係があるのか、無いのか、私たちにも、ワカラナイ!!!
姫路・豆石煌&豆石光 記。
この川は「飾磨が里」のコトであるから、今の市川でしょうね。
それに万葉集に『わたつみの海に出でたる飾磨川 絶えむ日にこそ あが恋やまめ』(15巻―3605)があります。
当時の市川の本流は、今より西、姫路市役所付近、野田川かも?という説もあり、
そのような光景は、花田中学校付近の天満神社あたりからなら見えそうですネ。勿論、断定は出来ません。
それから「川のほとり」は今なら「川のほとりの美術館」のある水上の付近でしょうか??
◎播但線:野里~京口ふきんが??!!