写真は、秋分の日の頃の播磨灘の落日。姫路港(飾磨港)沖から西望。(家島航路にて)
・落日は、ほぼ真西。赤穂御崎方面か。あるいは唐の都・長安の方向か。
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伝説・廣峯神社。
「吉備真備」きびのまきびの お・は・な・し。
奈良時代、朝廷は役人や学者、僧などを遣唐使として、難波津から瀬戸内海を通り、
唐の国への使いとして派遣し、政治、宗教、文化などを学ばせていました。
奈良の大仏さまが建立された天平の頃、吉備真備(まきび)は、
ときの天皇(聖武・孝謙)に信任され、二度にわたり、20年あまりの長い間
留学生として、また遣唐副使として、唐に渡りました。
~~~~~~~~~~~~~~
天平勝宝六年(754年)の1月のある日、真備は大役を果たし、僧・鑑真らと共に、
瀬戸内海を東へ東へと進み、都へ向かっていました。
船べりに立って真備は、美しい瀬戸の島々をぼんやりと眺めていました。
すると、従者たちが驚いた様子で船の上で騒ぎ出しましたので、
真備も従者たちの指差す方を見ますと、はるか北の山の頂きに妙な光がさしていました。
それは、いままでに見たこともない、あやしげな霊光だったのです。
遣唐使の一行は、飾磨の津に船を着け、光の輝く峰をさして北へ進みました。
真備たちは、唐の国から持ち帰った牛頭天王(ごずてんのう)を奉じ、
平野(ひらの)の谷から険しい白幣山(広峰山の山頂)へ森をかきわけ登って行きました。
すると、どうでしょう。さっきまでの妙な光は消えて、天から、
「われはスサノウの尊である。汝らよく聞け。
この播磨は、われが治めているのだ。
いま、汝が持っている牛頭天王をこの地に われと一緒に祀るがよい。」
という声が聞こえてきました。
真備たち一行の者は、その神々しさに、すっかり恐れ入り、
「私たちは、もうすぐ都に帰りますから必ず、御帝に申し伝え、
ここに立派な祠を建てお祀りいたします。」と答えました。
ひれ伏していた真備が頭を上げますと、スサノウの姿は何処にもありませんでした。
奈良・平城京に帰りつき、天皇に、この出来事を申し上げ、
のち、白幣山に祠を建立し、スサノウと牛頭天王とをお祀りいたしました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
これが、「廣峯神社」のおこりです。
吉備真備が奉納した「廣峯神社」には、のちに人々が真備の徳をたたえ、
白幣山に、吉備真備は今もお祀りされています。
◎吉備真備ーーー本名・下道真吉備(695~775)。 のちに右大臣へ。
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参考図書:『郷土の民話 中播編』
(兵庫県学校厚生会)1972年(昭47年)。
『ひめじ 明治のかたりべ集』(上巻)
(姫路市老人のための明るいまち推進協議会)昭和54年。
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◎「飾磨港 地図z」の地図もご覧下さいネ。よろしく~。
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姫路・豆石煌 記。
・落日は、ほぼ真西。赤穂御崎方面か。あるいは唐の都・長安の方向か。
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伝説・廣峯神社。
「吉備真備」きびのまきびの お・は・な・し。
奈良時代、朝廷は役人や学者、僧などを遣唐使として、難波津から瀬戸内海を通り、
唐の国への使いとして派遣し、政治、宗教、文化などを学ばせていました。
奈良の大仏さまが建立された天平の頃、吉備真備(まきび)は、
ときの天皇(聖武・孝謙)に信任され、二度にわたり、20年あまりの長い間
留学生として、また遣唐副使として、唐に渡りました。
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天平勝宝六年(754年)の1月のある日、真備は大役を果たし、僧・鑑真らと共に、
瀬戸内海を東へ東へと進み、都へ向かっていました。
船べりに立って真備は、美しい瀬戸の島々をぼんやりと眺めていました。
すると、従者たちが驚いた様子で船の上で騒ぎ出しましたので、
真備も従者たちの指差す方を見ますと、はるか北の山の頂きに妙な光がさしていました。
それは、いままでに見たこともない、あやしげな霊光だったのです。
遣唐使の一行は、飾磨の津に船を着け、光の輝く峰をさして北へ進みました。
真備たちは、唐の国から持ち帰った牛頭天王(ごずてんのう)を奉じ、
平野(ひらの)の谷から険しい白幣山(広峰山の山頂)へ森をかきわけ登って行きました。
すると、どうでしょう。さっきまでの妙な光は消えて、天から、
「われはスサノウの尊である。汝らよく聞け。
この播磨は、われが治めているのだ。
いま、汝が持っている牛頭天王をこの地に われと一緒に祀るがよい。」
という声が聞こえてきました。
真備たち一行の者は、その神々しさに、すっかり恐れ入り、
「私たちは、もうすぐ都に帰りますから必ず、御帝に申し伝え、
ここに立派な祠を建てお祀りいたします。」と答えました。
ひれ伏していた真備が頭を上げますと、スサノウの姿は何処にもありませんでした。
奈良・平城京に帰りつき、天皇に、この出来事を申し上げ、
のち、白幣山に祠を建立し、スサノウと牛頭天王とをお祀りいたしました。
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これが、「廣峯神社」のおこりです。
吉備真備が奉納した「廣峯神社」には、のちに人々が真備の徳をたたえ、
白幣山に、吉備真備は今もお祀りされています。
◎吉備真備ーーー本名・下道真吉備(695~775)。 のちに右大臣へ。
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参考図書:『郷土の民話 中播編』
(兵庫県学校厚生会)1972年(昭47年)。
『ひめじ 明治のかたりべ集』(上巻)
(姫路市老人のための明るいまち推進協議会)昭和54年。
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◎「飾磨港 地図z」の地図もご覧下さいネ。よろしく~。
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姫路・豆石煌 記。
天文現象?
UFO?
天体?星?
科学的に解明出来たらイイですね。
飾磨の津から廣峯神社の白幣山の方向、
これは、これまた 『北23度東』 の方向ですね。
謎です。 科学的解明を!!!