当ブログの、「風水シリーズ」 の もくじ。
「風水ー 1」--姫路バイパスの、夏至の日の、日の入り。
「風水ー 2」--風水都市・姫路を思案する。
「風水ー 3」--姫路城下町と、その周辺。
「風水ー 4」--姫路市役所周辺・飾磨の屯倉(みやけ)。
◎-----姫路、飾磨の思案橋。
「風水ー 5」--「津田の細江」から廣峯神社。
◎-----思案橋から広峰山。
◎--ー--伝説「吉備真備(きびのまきび)」播磨灘。
「風水ー 6」--ふしぎな中央南北幹線。
「風水ー 7」--姫路・明治時代の地図。
「風水ー 8」--播磨の条里制の方向について。
「風水ー 9」--姫路の条坊制の方向について---この記事。
追記⇒「風水ー10」--揖保郡の条坊制の方向について。 ↓
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<風水シリーズ・第9報>。
姫路の条坊制の方向・『北23度東』を思案する。
姫路の条坊制の方向・『北23度東』は何によるものか?
これについて、イロイロ 想像してみたい。
「歴史地理学」との関係は・・・・
そして、条里の基線はドコ、なになのか?・・・・
姫路の条坊制は、第「一坊」は、海辺から始まり、北へ順に「二坊」、「三坊」・・・・そして、
広峰山の山すそが第「十五坊」だと言われている。海から始まるそうだ。
1、海岸線との関係。
大きく捉えると、当時の海岸線と、ほぼ平行のようであるが、具体的に
当時の汀線が何処なのかは不明。
飾磨の内陸部の沿岸砂洲?(縄文海進・弥生の海退の時の?)との関係は興味深い。
2、広峰山との関係。
広峰山の山裾は、結構イレギュラーであり、また、その付近に条坊制と平行な道は、
現在認めない。(京都の北大路や、北山通りのような・・)
3、川の流れとの関係。
◎播磨の古代の三つの郡を流れる川、
すなわち、「播磨国風土記」の揖保郡の揖保川、飾磨郡の市川、加古郡の加古川、の
中流部から河口部への方向について、調べてみた。
中流部ーーー中国自動車道と川との交点。
河口部ーーー浜国道(国道250号線)と川との交点。として、
揖保川 揖保郡。
山崎IC付近~~新中川橋(姫路・たつの市境)--北3度西。揖保郡の条里方向と同一。
市川 飾磨郡。
福崎IC付近~~永世橋(姫路市妻鹿)----北23度東。飾磨郡の条里方向と同一。
飾磨大橋(野田川河口)が市川の旧流路?
加古川 加古郡。・印南郡?
滝野社IC付近~~相生橋(高砂・加古川市境)--北40度東。加古郡の条里方向と同一。
≪ 偶然?にもウマク合わせることが出来た! ≫ (ホンマかいなぁ?!)
4、日の出の方向との関係。
日の出の方向との関係については、三宅宏氏の 『条里 日の出と方位』(ネット上)に詳しい報告がある。「条里 条里遺跡 条里遺構」をご検索を!
姫路のものもある。( 姫路市の条里(日の出と方位)9 )
大いに参考とさせて戴いた。
しかし、加古川市のは無い。 日の出の太陽が、東45度南まで行かないから・・?・
姫路市のは、「大寒」の日の日の出だと言う。 ううむ・・・
◎どこであっても、東±約30度までなら、年に2回、その方向の日の出は有り得る。さて・・・
5、「中地(ちゅうじ)」は中心地?ーーーー姫路バイパスの「中地ランプ」。
前にも[風水ー1]などで述べたよう、中地の東・西・南・北は、それぞれ、
東ーーー姫路バイパス
西ーーー苫編山 山あて。
南ーーー津田
北ーーー広峰山(最高部)山あて。 と、なる。
中地は、その中心に位置する。ーーーー『播磨・長越遺跡』(姫路市飯田)に近い。
6、北天の夜空との関係。ーーー姫路の吉備真備の伝説のご霊光を科学したい。
①超新星爆発? 未知との遭遇!!
②彗星?
③ペルセウス座流星群 本日(8月13日)ピーク!! 真夏の夜の夢。(彗星の置き土産?)
時刻により、姫路(中地付近)では、広峰山の上空方向か?(北東方向。)
④北極星は、書写山の方向。 おおまかに。(中地付近では?)
⑤ドゥーベ(北斗の一番明るい星)は広峰山を西から東へ、撫でるように?(季節は冬:1月)
ドゥーベは、別名、「天枢星」。
◎ まったくの ご霊光。
◎前記の「吉備真備の伝説」のご霊光は、??? 何だったのだろうか?
『吉備真備の伝説』⇒( 吉備真備 伝説 姫路 )をご検索ください。
7、その他の説。
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結局、
以上記した色々なコト柄から、姫路の条坊制の方向性の決定には、
やはり、水の流れ、すなわち土地の高低、言葉を変えるなら自然地理・地形が一番大きく
関与したのであろうと、私は思う。
そして、いちばん知りたい「基線」は、まだ、分からない。
「風水」と言う言葉には、自然地理と云う意味も含まれると、ドコかで聞いたような気がする。
そして、ヤッパリよく分からないところが、「風水」の魅力なのではなかろうか?
結論は、まだ、出せないでいる。
姫路・豆石光 記。
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そして、
◎ カッパ説 (市川のカッパのトンデモ説) は、・・・・
◎ それにしても、暑い!!
カッパは、暑さで ダウン。
豆石も、ダウン!
◎ すみません・・・ m(__)m。
そのご、カッパが、行方不明になっちゃって・・・
ウラを取らないと、書けません。
---コウナイの石探究班---
平成22年夏、めちゃ暑い盛夏、 豆石光 記。
↓ 下のコメント、見てね!!
市川のカッパの「トンデモ説」?
ちがいます。
あれは、「林田川のカッパさん」の説です。
「女明神ライン」と「姫路の条坊制」とが同じ方向。
九坊と十坊?のラインが龍野町、旧山陽道。
桜山・桜峠を西に越えると太市。そして女明神。
こっちが、姫路城の姫山。日女道丘。
・・ってヤツでしょ。
その地図は、
『女明神 地図z』を検索、で出ますョ。
『日女道 地図z』だったかなァ。
しかし、いま、何処に居るン?
「林田川のカッパさん」のお説だったんですね。
播磨国風土記では、「日女道丘」の語源は「蚕(ひめ)」に因ることになってます。
しかし、ナンで「蚕」が「ひめ」か?
それに、「琴」や「鹿」、「犬」や「?」が天?から落ちるのは、竜巻ぐらいでしょう。播磨は気候は穏やかな地です。トルネード?は神話ですよネ。
ですが、思っただけで何も広がっていません(^^ゞ
姫路の条坊制の方向・『北23度東』
は、当時に信じられていた『南北線』『東西線』(現在測定されている東西南北とはずれていた)に沿って作られたのではないでしょうか?
天の御柱と・・・。
というのは豆石さんのことですね(^^ゞ
お久しぶりです。
『北23度東』は、市川の流れの水上。すなわち水上・砥堀の方向。おおまかに北の方。
日本の星座は、よくわかりません。
「コウナイの石=天の御柱」は、家島ではむかし昔から言われていたようですョ。
上野忠彦先生が、本になさいました。
そのあと(ねっと)で、ぎゃあぎゃあは、豆石とカッパかな?姫路城の忍者・ドロンパさんもいましたネ。
『無責忍者 ドロンパ』でしたね。
あのころは姫路城に忍者は、まだほとんど居なかったような・・・
あれから、8年ですか。まだ8年ですか。
長いような、短いような・・・感無量!!
中津市姫路町の町割りの方位方向は、北23度東。
愛着、愛着!
ーーーーー
いやいや、
もっと古代からの条里制にもとづくモノなのか?
播磨の条里制と、同一方向!!?。
いやいや、
中津市の条里制は、播磨のとは、180度回転か?
偶然! 偶然!!? ?? ?