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38億71歳

2012-02-24 15:09:55 | 愛媛新聞より
 四季録(西山 慶尚・文芸誌「海流」同人)

 地球上に生物が出現したのは38億年前だと言われている。

一口に38億年と言うが、38億という数は膨大でなかなかピンとこない。

そこで、一つの例えをしてみよう。

 いま、1秒間に1回の割合で数え続けたして、38億に達するにはどれだけ時間がかかるだろうか。

答えはは120年だ。昼夜ぶっ通しで休みなく数え続けて120年かかる。

 さて、この地球上には何百万という生物の種が生息している。

しかし、最初からこれだけの種が生息していたかというと、そうではなく、太古の昔、海の中で発生した

原始的な微生物が今日のような多様な種に進化したものだと考えられている。

38億年という歳月は、これだけの進化が起こるのに必要な時間であったのだろう。

 この進化論が正しいとすると、ちょっと変わったものの見方ができる。

例えば、筆者の年齢だ。

筆者は71歳だが、これは生まれてからの年数である。

ところが、筆者は両親のDNAを引き継いでおり、その両親はまた両親のDNAを引き継いでいる。

こうして次々に遡っていくと、結局、筆者は38億年前に出現した原始的な微生物のDNAを連綿として引き継いでいることになり、

もしこの生命の鎖の途中のどこかで切れたとすると、今日の筆者は存在しないはずである。

 そうすると、筆者の生物としての年齢は、生まれてからこのかたまでの年数71歳に、

原始生物からの進化に要した年数38億年をプラスして38億71歳ということになる。

ただし、71歳の端数は誤差の範囲なので、あまり拘る必要はない。

 これではまるで妖怪だが、何も筆者だけが妖怪だというわけではない。

読者の皆さんを含め、この地球上に生きとし生けるものすべてが38億年余にわたる生命の鎖を引き継いできているのです。

 そう考えると、たとえ虫けら一匹、雑草一本にしても、皆それぞれかけがえのない存在だということに気がつく。

人の命はもちろんのこと、生きものの命を絶つことは、38億年という気の遠くなるような時間を

永らえてきた生命の鎖を断つことであり、だからこそ許されないのだと、と。

                         愛媛新聞より


 気の遠くなるような時間の末に存在している私という存在。

たいして生きてる意味も見出せずにいるけど・・・生きてるだけで奇跡?って考えると

何かしら意味を持って存在しているのかな~~?

遠い遠い昔からやってきたのだと・・なんだかワクワクしながら読みました。


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