「身の丈」で豊かに暮らす ⑦ 辰巳 渚
「カネは天下の回りもの」と言います。自分の家計だけを見ると、
給料として入ってきたお金が一方的に出て行くように見えます。
まるで底の穴から水が漏れるバケツに、せっせと水を入れて底を
突かないように頑張っている感じです。
ところが世の中全体で見ると、自分のところから出て行ったお金は、
また自分に戻ってくることに気付きます。
例えば光熱費。電気代として支払ったお金は電力会社に行って、
設備費や人件費に回り、電気が生産されて再びわたしたちの家庭に
供給されます。
あるいは、Aブランドの洋服を買ったお金は、その服飾メーカーに
届き、またすてきな服を作る資金となります。
「わたし」はその後、Aブランド服を買わなくても、別の誰かが
Aブランドの服を買うでしょう。その「わたし」は、誰かがBブランドの
服を買ったことで、次にBブランドの服を買うことができるわけです。
つまり、直接自分のところに商品として戻ってこなくても、
世の中全体では持ちつ持たれつで、つじつまが合っているのです。
お金を払うとは、欲しい商品を手に入れるだけのことではありません。
お金を払った相手に対し「いい商品を作ってくれてありがとう。
これからもいい物を作ってね」と支援する気持ちを、具体的な行動で
示すことなのです。
ある友人は、ある映画監督が書いた本を、図書館で借りるのではなく
書店買うと言っていました。一回しか読まなくても、自分が払ったお金は
その監督のところに行くはずだ、その監督の映画が大好きだから
応援したいんだ、と言います。
遠い外国でできた野菜を買うのではなく地元の農家が作った野菜を買う、
少し高価でも原料や工程に配慮が行き届いた商品を買うなど、考え方次第で
いろいろなお金の使い方ができるでしょう。
最近では、このような考え方に基づく「フェアトレード」という仕組みが
あります。発展途上国の生産者を支援するための仕組みです。
実は、物を買うということは、わたしたちにできる身の丈の社会貢献なのです。
遠い国から、入ってきた野菜が安く、日本国内で採れた野菜の値段が
高くなっている。いつも不思議に思う。
安い労働力を求め、発展途上国へと出て行く国内産業。
以前、発展途上国に仕事を作って、我々が安いものを手に入れられる。
これは良いことなのではないかと、考えていました。
でも、安い商品を作るために・・。
もし、虐げられている人がいるとしたら、どうでしょうか?
コーヒー豆やカカオなど、生産国ではひどい労働に耐える人たちも
いるのだそうです。
私のお金は、「フェアトレード」の商品に使いたいと思うのです。
(人の命や暮らしを犠牲にして作るようなものを、使いたくない。
そう思う人たちが、いろいろなしくみを試みています。
作る人たちがどんな弱い立場の人であっても、買い叩いたりせず、
その仕事で家族の暮らしが成り立つようにする取り組みを、
「フェアトレード」と呼んでいます。公正な貿易(取り引き)と
訳すことができます。
「フェアトレード」では、「材料を買うお金のない生産者には
前払いをする」「いいものをつくるための技術協力をする」など
配慮がされています。
「チャリティーよりもフェアトレードを」「援助ではなく、手仕事での
自立を支援し、お買い物で世界の市民をつなごう」と呼びかけています。
(世界から貧しさをなくす30の方法・フェアトレードから、
フェアが当たり前の社会に・・より))
私の買い物が、少しでも役にたつように!
小さな試みが、たくさん集まって大きなものになれば・・と思う。
「カネは天下の回りもの」と言います。自分の家計だけを見ると、
給料として入ってきたお金が一方的に出て行くように見えます。
まるで底の穴から水が漏れるバケツに、せっせと水を入れて底を
突かないように頑張っている感じです。
ところが世の中全体で見ると、自分のところから出て行ったお金は、
また自分に戻ってくることに気付きます。
例えば光熱費。電気代として支払ったお金は電力会社に行って、
設備費や人件費に回り、電気が生産されて再びわたしたちの家庭に
供給されます。
あるいは、Aブランドの洋服を買ったお金は、その服飾メーカーに
届き、またすてきな服を作る資金となります。
「わたし」はその後、Aブランド服を買わなくても、別の誰かが
Aブランドの服を買うでしょう。その「わたし」は、誰かがBブランドの
服を買ったことで、次にBブランドの服を買うことができるわけです。
つまり、直接自分のところに商品として戻ってこなくても、
世の中全体では持ちつ持たれつで、つじつまが合っているのです。
お金を払うとは、欲しい商品を手に入れるだけのことではありません。
お金を払った相手に対し「いい商品を作ってくれてありがとう。
これからもいい物を作ってね」と支援する気持ちを、具体的な行動で
示すことなのです。
ある友人は、ある映画監督が書いた本を、図書館で借りるのではなく
書店買うと言っていました。一回しか読まなくても、自分が払ったお金は
その監督のところに行くはずだ、その監督の映画が大好きだから
応援したいんだ、と言います。
遠い外国でできた野菜を買うのではなく地元の農家が作った野菜を買う、
少し高価でも原料や工程に配慮が行き届いた商品を買うなど、考え方次第で
いろいろなお金の使い方ができるでしょう。
最近では、このような考え方に基づく「フェアトレード」という仕組みが
あります。発展途上国の生産者を支援するための仕組みです。
実は、物を買うということは、わたしたちにできる身の丈の社会貢献なのです。
遠い国から、入ってきた野菜が安く、日本国内で採れた野菜の値段が
高くなっている。いつも不思議に思う。
安い労働力を求め、発展途上国へと出て行く国内産業。
以前、発展途上国に仕事を作って、我々が安いものを手に入れられる。
これは良いことなのではないかと、考えていました。
でも、安い商品を作るために・・。
もし、虐げられている人がいるとしたら、どうでしょうか?
コーヒー豆やカカオなど、生産国ではひどい労働に耐える人たちも
いるのだそうです。
私のお金は、「フェアトレード」の商品に使いたいと思うのです。
(人の命や暮らしを犠牲にして作るようなものを、使いたくない。
そう思う人たちが、いろいろなしくみを試みています。
作る人たちがどんな弱い立場の人であっても、買い叩いたりせず、
その仕事で家族の暮らしが成り立つようにする取り組みを、
「フェアトレード」と呼んでいます。公正な貿易(取り引き)と
訳すことができます。
「フェアトレード」では、「材料を買うお金のない生産者には
前払いをする」「いいものをつくるための技術協力をする」など
配慮がされています。
「チャリティーよりもフェアトレードを」「援助ではなく、手仕事での
自立を支援し、お買い物で世界の市民をつなごう」と呼びかけています。
(世界から貧しさをなくす30の方法・フェアトレードから、
フェアが当たり前の社会に・・より))
私の買い物が、少しでも役にたつように!
小さな試みが、たくさん集まって大きなものになれば・・と思う。