昨日、梅雨入りの発表がありましたとても早いですね
雨と曇りの日々が始まります。気持ちだけは晴れといきたいところだけど
で、楽しみな紫陽花の花が咲くのを待っています。紫陽花は好きな花なので、越して来たときに植えたのですけど、枯らしてしまいました。
風と陽射しが原因だと思います。
5本を鉢植えに植え替えて様子を見ていたのですけど、ラッキー(^o^)5本とも元気に芽をだして、3本には花芽もできました
この丈夫さも紫陽花の好きな理由
雨と曇りの日々が始まります。気持ちだけは晴れといきたいところだけど
で、楽しみな紫陽花の花が咲くのを待っています。紫陽花は好きな花なので、越して来たときに植えたのですけど、枯らしてしまいました。
風と陽射しが原因だと思います。
5本を鉢植えに植え替えて様子を見ていたのですけど、ラッキー(^o^)5本とも元気に芽をだして、3本には花芽もできました
この丈夫さも紫陽花の好きな理由
WWF50周年号
7・認証制度を作り普及する
90年代に入ると、「資源の持続可能な利用」の実現がいっそう求められるようになり、
WWFも「認証制度」の制定と普及に取り組み始めます。環境に配慮した木材生産を認証する「FSC」、
持続可能な漁業で獲られた水産物を示す「MSC」。WWFはこれらの認証制度の設計に携わり、
設立を支援してきました。FSCの発足は1993年、MSCは1997年です。
2002年には、PSPO(持続可能なパームオイルの円卓会議)の設立にも参加しました。
パームオイル(ヤシ油)生産のために、天然林が次々とアブラヤシのプランテーションに変わっていくのを食い止めるためです。
2005年には「持続可能な大豆」の生産をめざすRTRS(責任ある大豆に関する円卓会議)の設立も支援しています。
2003年には、「ゴールドスタンダード」も立ち上げました。先進国が、途上国で温室効果ガス削減プロジェクトを行う場合、
それが持続可能な開発にも貢献しているかどうかチェックする基準です。
現在は、産業界に対し、こうした認証制度や基準を積極的に取り入れ、環境に配慮した「責任ある調達」を実現するように求めています。
8・国境を越えた協力体制を作る
自然保護が必要だという意識が広がりを見せ、環境保全のための国際ルールも作られている今だからこそ、
必要なことがあります。それは複数の国にまたがる生態系を守るために、関係諸国が協力する体制づくりです。
1999年、WWFは、内戦、密輸、違法伐採、希少金属の盗掘などの問題を抱えるアフリカ、コンゴ盆地の関係5カ国を集めた「ヤウンデ会議」を開催しました。
その結果、協力してコンゴ盆地の森林保全と持続可能な管理を実行するとした「ヤウンデ宣言」が採択され、
これまでに10%以上の森林が保護下に入り、4万5,000平方キロがFSC認証を取得する成果が生まれています。
2009年には、クロアチア政府とハンガリー政府、そしてWWFの3者により、両国の国境を流れるドゥラバ川とムーラ川に沿って、
63万ヘクタールの保護区を作るという約束が交わされました。
これをきっかけとして、現在、オーストリア、スロベニア、セルビアを加えた5カ国による保護区設立の話が実現に向けて進んでいます。
WWF創設者の一人、ピーター・スコットは、こんな言葉を残しています。「私たちは、守りたいという願うすべての生物を
救えるわけではないかもしれない。でも何もしないよりは遥かに多くの生物を救えるだろう」。
この半世紀、解決策を一つ見つけると、また次の課題が現れるという繰り返しの中で、WWFは、持てる人材と予算と経験を使って、
最善の策は何かを探し、実行してきました。あきらめずに、一つ一つ成果を積み上げていくこと。
創設者の意志を今もなお、世界中のWWFによって受け継がれ、実践されています。
WWFマガジンより
ほんとにすばらしい取り組みですね。
いろんな国、いろんな人種、いろんな言語、いろんな宗教。
考え方も人それぞれの中で、自然と生物のためにできることは何かと試行錯誤しながらの50年だったと思います。
これからも苦難の取り組みが多くあるのだと思います。WWFの活躍に期待しています。
動物大好きで、獣医になりたいなんて夢見たこともあったのに、挫折ばかりを繰り返す私には頭の下がる思いでいます。
野生生物と人間が共存共栄できる環境が実現することを望んでいます。
WWFのみなさん、頑張ってください。
天地明察・・四文字熟語、考えるになんてややこそうな題名。
長男がかなり前から「おもしろいから読んでみな」って勧めてくれていたのですけど、
なんだか難しそうな題名にしり込みしてました。
なにしろ目が見えにくく、すぐに疲れるから読書は難しくなってる私には、
難解そうな小説は敬遠してきました。
でも、仕事を辞めて時間はたっぷり。
どれっと、手に取って読んでみると、青春小説の若若しく瑞々しい明るい文章が流れていました。
一つの事に取り組んで、成就してゆく。ほんとに痛快青春小説と言っていいものだと思いました。
冲方 丁(うぶかた とう)って読むらしい。作者の名前です。
私はなじみのない名です。
作者紹介
1996年、大学在学中に「黒い季節」で第1回スニーカー大賞を受賞しデビュー。
以後、小説を刊行しつつ、ゲーム、コミックス原作、アニメ制作と活動の場を広げ、
複数のメディアを横断するクリエーターとして独自の地位を確立する。
2003年『マルドゥック・スクランブル』で第24回日本SF大賞を受賞。
他著書に『微睡みのセフィロト』『ばいばい、アース』『テスタメントシュビーゲル』などがあり、
2010年、初の時代小説『天地明察』で第31回吉川英治文学新人賞を受賞、
同書は2010年本屋大賞でも1位を獲得した。
この本屋大賞1位に惹かれて長男は購入したようです。
暦の改革に生涯を捧げた若者の話です。若者の持つ強さ、弱さ、迷いなどを
しっかりと描きながら、それでもまっしぐらに暦の改革に突き進む姿を描いています。
ほんとに素敵な若者をワクワクしながら読みました。
かなりの時間を費やしましたけど、きっと天地明察という難しいと思われた文章よりも
読みやすかったことが、時間をかけても読み上げることができた要因でしょう。
それに昔の人は、今に比べれば短命でしょうに、その時間の流れをゆっくりと待つ姿勢にはびっくりします。
暦の改革など、もちろん一朝一夕にはいかない事業を根気よく10年、20年のサイクルでやり遂げていくのです。
ほんとに結果ばかりを求める私には、とても真似は出来ない心情ですね。
私にも、この根気よさとゆるぎない信念があれば・・・人生が変わっていたのかもなんてね。
若者頑張れ~~って気分です。読んでみると焦っていけないって、挫折してもやり直せるんだって思わせてくれますよ。
WWF50周年号より
5・国際条約を効果的なものにする
1970年代は、国際社会が環境におおきな関心を寄せた時代です。一番のきっかけは1972年、
ストックホルムで開かれた「国連人間環境会議」。
環境をテーマにした、世界初の各国首脳級の会合です。3年後には、湿地の保全をめざす「ラムサール条約」、
希少な野生生物の国際取引を規制する「ワシントン条約」、「世界遺産条約」など次々と発効(実際に効力を発揮し始めること)しました。
ラムサール条約は、WWFが長年、制定をめざしてきたものです。湿地を利用する渡り鳥は、国境を越えて行き来します。
そのため、国際的な保全ルールが必要だからです。
湿地の保護と「賢い利用」を目的に掲げたラムサール条約は、やがて世界のスタンダードとなる「持続可能な利用」の考え方を
実践する先駆的存在となりました。
ワシントン条約もまた、WWFの活動と関係の深いものです。交通網が発達し、世界が狭くなるにつれて、
野生生物の利用が飛躍的に拡大する中、過剰な利用が絶滅を引き起こすのを防ぐには、国際的な仕組みが必要です。
WWFとIUCNは1976年、ワシントン条約がしっかりと機能するよう、条約に違反した取引を監視・調査する組織「TRAFFIC(Trade Records
Analysis of Fauna and Frola in Commerce)」を発足させました。
1993年に発効した生物多様性条約や1994年に発効した機構変動枠組条約に対しても、WWFは、条約が作られる際にも、
また発効後にも、自然保護に真に力を発揮するものとなるよう提案や要望を続けています。
6・人と暮らしを共に自然を守る
WWFがこの50年間で、実際に学んできた最も大きなこと。それは、必ず地域の人々の理解と参加を得る、ということです。
自然を守ろうとすると、ある程度、開発などを規制せねばならない場面が出てきます。
保護すべき野生生物が畑を荒らすこともあります。自然と隣り合わせで暮らす人々の生命や生業を守り、
自然保護への理解を得ることができなければ、結局、保護活動は失敗してしまうのです。
WWFがギリシャのザキントス島でアカウミガメの保全活動を始めた当初は「海岸の開発ができなくなる」と地元から非難を浴びました。
しかし、ウミガメを、その生息に影響しない範囲で観光にも活かせるようにした結果、現在は地域の財産として保全されるようになりました。
また、中国やチュニジアでは、森林伐採などが制限される保護区周辺の住民の生活手段として、養蜂の導入を行っています。
人と動物のあつれき(ゾウ、トラ、オオカミ、クマなど作物を荒らし、逆に殺されたりする問題)という課題もあります。
WWFは、人里への侵入を防ぐ電気柵や緩衝地帯を設けたり、野生生物から家畜が襲われないようにするイヌやロバを導入するなどの
対処療法を進めると同時に、根本的な解決策として野生生物の生息地を増やすことにも取り組んでいます。
WWFマガジンより
日本の里山は野生生物と人里との緩衝地帯として役立っていたのでは・・思われています。
最近のクマやイノシシの人里への侵入は、この里山の荒廃にあるのではとか言われていますよね。
山の神、海の神など八百万の神々を信仰してきた日本人の文化は、きっと世界を救うと思う
言いすぎかな
でも私はすべての命に感謝をして食事の時に「いただきます」と言う文化を愛しています。
WWF50周年号より
3絶滅寸前の動物を増やし、野生復帰させる
野生生物が減ってきた場合には、まずは生息環境を確保し、自然の中で増えるよう、仕向けることが原則です。
しかし、時には、それでは間に合わない場合もあります。アラビアオリックスは、まさにそのケースでした。
すらりと伸びる二本の角を持つアラビアオリックスは、ハンティングの格好の獲物とされ、
1961年には50頭以下にまで減っていました。
そこでWWFは、アラビアオリックスを捕獲して安全な場所に移すため、野生から3頭を捕獲。
動物園で飼育さていたものを加えた9頭を手厚い保護下に置きました。
その間も狩猟は止まず、1972年、ついに野生のものは絶滅。
しかし8年後、保護下でふえたオリックスを再びオマーンの地に放すことができたのです。
その後、サウジアラビア、イスラエルなどでも野生復帰が行われ、1996年には450頭まで回復しました。
ところが1999年、WWFは苦い思いをかみしめることとなります。
アラビアオリックスが、わずか3年で100頭に減っていることが判明したのです。
主な原因は私設動物園へ売るための密猟。さらに保護を強化しなければならないこの時に、オマーン政府は保護区の縮小を発表。
せっかく登録されたいた世界自然遺産からも削除されてしまいました。
現在、飼育下にいるアラビアオリックスを、再び野生復帰させるめどは立っていません。
それでも、この一連の経験は、その後のシロサイ、シフゾウ、モウコノウマなどの野生復帰に活かされ、成果を生んでいます。
保護活動が功を奏して個体数が増えてくると、次なる課題も出てきます。新たな生息地を確保し、そこへ移入する必要性です。
野生生物にはそれぞれ、適度な生息密度があり、それより増えると、生態系のバランスが崩れるおそれがあるからです。
ただし、移入先は、原則、かつてその動物が生息していた地域である必要がありますし、移入による周囲の環境への影響も慎重に検討しなければなりません。
2011年、WWFはネパールのチトワン国立公園に、野生のトラを移送する試みを支援しました。
ジャワ島のウジュン・クーロン国立公園でも、個体数が増えてきたジャワサイの移送の可能性を検討しています。
4野生動物や自然環境を調べる
WWFは設立以来「科学的な根拠に基づいて行動する」ことを基本姿勢としてきました。
まず調査を行い、それに基づいて発言してはじめて、説得力を持つことができるからです。
調査は、保護計画を立てるための土台でもあります。1966年に南米で実施したアンデスグマの調査は、
WWFが最初に手がけた野生生物調査の一つです。個体群のサイズ、分布、生態、生息状況、絶滅の危険度など多くの情報が得られ、
その後の保護計画のベースとなりました。
また、開発などの危機が迫ったとき、計画の見直しを求めるためにも調査は重要です。
日本の石垣島にある白保海域で、サンゴ礁を埋め立てて空港を建設する計画が持ち上がった時も、
WWFは石垣島全域と、白保海域のサンゴ礁を緊急に調査。世界的にも貴重なサンゴ礁の存在を明らかにしました。
この結果は、計画の疑問視する声の高まりを後押しし、空港建設予定地の変更につながりました。
現在は陸上部で新空港建設が進んでいますが、この工事がサンゴ礁に影響を与えないか、WWFはモニタリング調査を続けています。
WWFマガジンより
WWF50周年号より
1自然保護の資金を集める
IUCN(国際自然保護連合)には世界中の科学者などから専門的な知識が集まっていましたし、
野生生物の調査の経験も豊富でした。
しかし、どんな優れた保護計画が立てられても、それを実行する「資金」がなければどうしょうもありません。
WWF(IUCNの資金援助のために設立された姉妹組織として設立された)は、
設立から3年の間に約190万ドル(当時の相場換算で6億8400万)を集め、IUCNの支援を開始しました。
ひとくちに「自然保護}といっても、起きている問題や危機の瀕している生態系、それをとりまく社会の事情は、
地域ごとに異なっています。
そのため、それぞれの場所に詳しい知識を持つ人や、地域の関係者が中心になって保護活動を行うのが最も効果的だとWWFでは考えています。
地元の団体や研究者、時には途上国の政府にも活動資金を助成するほか、実際に現場へも生き、調査をし、
必要な保護策を考え、軌道に乗るまで一緒に活動して、各地に自然保護を根付かせていく、というWWFの活動スタイルは、
発足当初から始まり、そして現在にも受け継がれています。
2保護区を作り、機能させる
活動資金の調達に加え、WWFが活動初期から取り組んだのは「保護区」の新設・拡大・管理強化でした。
まだ野生生物を守る法規制がほとんどなく、持続可能な利用という考え方も普及していなかった当時、保護区の整備は急務でした。
1964年。多くの渡り鳥の飛来地で、絶滅のおそれの高いスペインカタシロワシやイベリアオオヤマネコの生息地でもある
イベリア半島の大湿原ラス・マリスマスに、埋め立て計画が持ち上がりました。
WWFは各地から募金を募り、約6500ヘクタールを購入(3分の1はスペイン政府が出資)。
この保護区は現在、規模を拡大してドニャーナ国立公園となり、世界自然遺産にも登録されています。
ただ、土地を買うほどまとまった資金を確保するには簡単なことではありません。
また、保護区というのは、設立するだけではだめで、密猟や無謀な開発が行われないよう、設立後にしっかり管理することこそが重要です。
そのため、WWFは多くに場合、科学的な調査に基づいて保護区を設立するように政府に求めると同時に、
保護の担い手となるレンジャーの教育や、パトロールに必要な機材の調達、保護区のネットワーク化などに資金を振り向けています。
これまでWWFが設立を支援した保護区は、エリオピアのシミエン国立公園(1969年)、ペルーのマヌー国立公園(1973年)、
ネパールのシェイ・ポクスンド国立公園(1985年)、スマトラ島のテッソニロ国立公園(2004年)など、大小100カ所以上にのぼります。
現在では、自然を手つかずで守るより、持続可能な形で利用し、共存を図るという考え方が主流になっており、
WWFも、その必要性を認めています。しかし、保護区が不要になったわけではありません。
今後ますます人間の勢力が拡大すると予測されるだけ、保護が優先される場所も確保していかなければ、環境を保っていくことは難しいでしょう。
WWFマガジンより
とべ動物園 2011/5/15
昨日は動物園に行ってきました。
最近は動物園も工夫されていて、楽しいところになっていますね。
動物たちを近くに感じて、ワクワクした気分にしてくれます。
ペンギン舎は泳いでいる姿も見れて、ほんとにテンションが上がりました。
動物たちを見てると癒されますね。
昨日は動物園に行ってきました。
最近は動物園も工夫されていて、楽しいところになっていますね。
動物たちを近くに感じて、ワクワクした気分にしてくれます。
ペンギン舎は泳いでいる姿も見れて、ほんとにテンションが上がりました。
動物たちを見てると癒されますね。
金曜日から来ていた娘と孫娘が制作。
これって昨年に沖縄に出かけた時にお土産に買って帰った紙のクラフトシーサー
やっと、やっと出来上がった。
二つ買ってきたのですけど、昨年はぜんぜん喜んでくれなくて
作り始めたものの飽きたらしく、出来上がることなくパーツを紛失。
そのままゴミ箱に行ってしまいました。
でも
今回は見事に出来上がったので、うれしかったです
これって昨年に沖縄に出かけた時にお土産に買って帰った紙のクラフトシーサー
やっと、やっと出来上がった。
二つ買ってきたのですけど、昨年はぜんぜん喜んでくれなくて
作り始めたものの飽きたらしく、出来上がることなくパーツを紛失。
そのままゴミ箱に行ってしまいました。
でも
今回は見事に出来上がったので、うれしかったです
空へ
空を飛ぶ・・小さい頃にはよくみた夢です。
空の上から自分の家や友達の家をみている自分が泳ぐように空にいました。
そう、鳥のように飛んでる自分の夢を見ていました。
空を飛ぶ・・小さい頃にはよくみた夢です。
空の上から自分の家や友達の家をみている自分が泳ぐように空にいました。
そう、鳥のように飛んでる自分の夢を見ていました。