金田博美

「祖父に逢いに行く」フィリピン慰霊巡拝団に参加して
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2022年2月3日 日記 パソコンが来た・・

2022-02-03 18:53:34 | Weblog
2022年2月3日

林芙美子の放浪記を午前中少し読む。

昼から価格コム経由で注文していたDELLディスクトップパソコンとディスプレイが届く。

さっさそく封を開けてセットアップ後、オフィス2021をインストールする。

画面が23.5インチなのでこの日記をワードで打っているが、「表示→ズーム→文字幅を基準」に設定すると、笑ってしまうくらい文字が大きすぎる。

MicrosoftとGoogleのアカウントを設定すれば、どのパソコンを開いても同じ画面なので楽だ。便利な世の中になったものだ。

☆彡関係ないけど 村上春樹 
➣国境の南、太陽の西より
・部屋の空気が少しずつ薄くなるみたいに、私の中で、生きていたいという気持ちがだんだん少なくなっていくの。そういうときは、死んではしまう事なんて、たいしてむつかしいことじゃないの。



2022年2月3日 (21年10月27日の日記より抜粋・・)

2022-02-03 11:05:15 | Weblog
2021年10月27日(水)晴れ

今子供の頃、大丸がシーモールに入る前下関駅の西側出口前に単独で大丸デパートとして建っていた頃、両親に連れられて行った記憶がある。

屋上には簡易な遊園地があり、モノレールのような乗り物が一部屋上の端を通過して怖かった。

屋上のすぐ下の階か、遊園地の一部部分かははっきりと覚えてないが、ペットショップがありゲージの中の動物を見ながら歩いていくといつの間にか遊園地に繋がっていたと。

まだ時々屋上の簡易な遊園地の記憶が夕焼け染められた遊具などと一緒に夢に出ることがある。

大丸の階段の踊り場には、噴水型の上部の透明なお椀の中にオレンジ・ジュースが噴水のように吹き出す自販機があり、どうしても飲みたくて寝転んで駄々をこねていた記憶がうっすらとある。

今は駐車場になっているが私が子供のころの懐かしい記憶や夕焼けの記憶がこの駐車場の空中の目に見えないどこかに存在していて、懐かしい記憶として残り、夢の中に何度も訪れてくる。

長府にも今の美術館付近に遊園地があり、坂になっていて途中に、ソフトボールを飛ばすピッチングマシーンのようなもので、前にある動物の看板を倒すケームを覚えている。

大丸デパートにはもっと小さな射撃ゲームがあり自販機のような大きさで窓が開いていてミニチア版のライフル銃手で窓の中を左右に移動する動物やインデアンに小さな丸がついていて、そこに当たると倒れるというものもあった。

弾は出ないのだが左右に行き来する的に正確に合わせて引き金を引かないと倒れないが、コツがわかれば高い確率で倒すことができた。

☆彡関係ないけど 村上春樹
 ➣国境の南、太陽の西より

・僕の中にあった何かが消えて、途絶えてしまったのだ。音もなく、そして決定的に。

・まるで壁に書かれた大きな文字を読み上げるような声だった。



2022年2月2日

2022-02-03 10:38:25 | Weblog
2022年2月

2日(水)曇り 

10時歯科にて右上奥歯の継続治療。

新しい機械で治療することになり、少し痛くなるとの事で麻酔注射をされる。

麻酔注射をしたので痛くないのか、痛くはないけど用心のために注射をされたのかはわからなかったが、全く痛くはなかった。

私は高血圧なので歯科治療の前後に血圧を測るのだが上が150を超えていた。血圧の薬を飲むのを少しの間、やめていたからだろう。

特に冬は血管が収縮して、血圧が高くなるので薬は毎日飲むように心がけよう。

午後から晴れてきたので、下の畑にじゃがいもを二畝200個植える。

作業後、寒くなったのでマルチは後日覆うことにする。

プリンターの接続を有線から無線ランに変更していたら、スキャナーが取り込めなくなり、再度有線設定に変更する。

プリンターとのい戦いで、じゃがいもを植えるのと同じ空しい時間を費やす。ああ・・。


夕方、向田邦子さんの弟が書いた「姉貴の尻尾」を読む。

飛行機事故で亡くなった向田邦子さんの遺体を現地で荼毘にふし、遺骨と帰った方だ。

向田さんについて書かれた本はいくつもあるが、現地での遺体の確認、荼毘にふして帰国までのことを書かれたものはないので、現地での情報の錯綜、混乱、文化の違いも含め怒りの感情を押さえつけ懸命に事を進めた内容に胸が痛む。


夜、林芙美子「放浪記」を読み始める。

下関で生まれたと書かれている。

北九州市ことも書かれて私の生活圏に触れられているのがうれしい。

文体も見事で日記形式で斬新だ。

☆彡関係ないけど 村上春樹 
➣国境の南、太陽の西より
・目にする風景はいくらか色を取り戻し、月の表面を歩いているような頼りない感覚もだんだん治まってきたようだった。重力が微妙に変化して、自分の体にしっかりとしがみついているものが少しずつ、ひとつひとつ引きちぎられていくのを、僕はまるで他人の身に起こっている出来事をガラス越しに見ているようにぼんやりと感じていた。

【向田邦子さん】