富士と女優

美しいものを見て感性を潤いたいな。

今日の富士山

2023-12-10 13:56:12 | Weblog

今日も快晴ー💡

早朝、大谷翔平選手の来期からの新所属チームが

ドジャースに決まったというニュースが飛び込んできた。

10年で7億ドル約1,015億円で契約だって。ワケわからん金額だ

 

富士山検定
  模擬問題(文化・生活編)

   第5問 太宰治が、天下茶屋滞在の様子を書いた小説は?

    ①富嶽百景 ②人間失格 ③斜陽 ④女生徒






   ……………………………………………………………………………………


    正解 ①の富嶽百景

   太宰治(「富士には、月見草がよく似合ふ」の名フレーズ)
   太宰治(ダザイオサム)(1909~1948)は、青森県で大地主・津島源衛門の
   六男として生まれる。本名は津島修治(シュウジ)。
   東京帝国大学(現・東京大学)中退。学生時代から作家を目指し、17歳
   の頃から作品を発表。井伏鱒二(イブセ マスジ)の指導を受ける。
   1935(昭和10)年『逆行』が第1回芥川賞候補となる。
   1948(昭和23)年玉川上水で入水自殺。
   『斜陽』や『人間失格』に代表される厭世的な作品で名高いが、太宰が30
   歳の時に出版された『富嶽百景(フガクヒャッケイ)』は、それらの作品とは
   趣きを異にする。
   1938(昭和13)年初秋、太宰は東京での喧騒と不調に終わった縁談から
   心を新たにするために、師である井伏鱒二を頼り、富士を望む御坂峠の天下
   茶屋に「思ひをあらたにする覚悟で」おもむく。しかし最初はその景色を
   「これは、まるで、風呂屋のペンキ絵だ」と嘆くのだが、天下茶屋の女将
   やその娘、地元の人々との触れ合い、さらに井伏の紹介で見合いをすること
   になる美知子との出会いにより、心に変化が生まれていく。
   『富嶽百景』は、滞在中の心境をユーモアを含んだ表現で表した作品。
   太宰が滞在した御坂峠(ミサカトウゲ)の天下茶屋は、今も営業を続けている。
   太宰治が滞在した頃から3代目にあたる現在の建物は、2階に太宰が滞在
   した部屋を復元し、当時使用した机や火鉢、『富嶽百景』や『斜陽』など
   の初版本を展示した「太宰治記念館」を併設している。



  ………
   「いいねぇ、富士は、やっぱり、いいとこあるねえ、よくやってるなあ。」
   富士には、かなわないと思った。念々と動く自分の愛憎が恥づかしく、富士
   は、やつぱり偉い、と思つた。よくやつてる、と思つた。

   三三七六米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふ
   のか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの
   月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。

   その翌る日に、山を下りた。まづ、甲府の安宿に一泊して、そのあくる朝、
   安宿の廊下の汚い欄干いよりかかり、富士を見ていると、甲府の富士は、
   山々のうしろから、三分の一ほど顔を出しゐる。酸漿(ホホヅキ)に似てゐた。

                  1943(昭和18)年 「富嶽百景」より……

     
 〔富士山検定公式テキスト〕富士山検定協会著2006年発行から

コメント
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