(引用文)
無地の鶯茶(うぐいすちゃ)色のネクタイを捜して歩いたがなかなか見つからない。 東京という所も存外不便な所である。 このごろ石油ランプを探し歩いている。 神田や銀座はもちろん、板橋界隈(かいわい)も探したが、座敷用のランプは見つからない。 東京という所は存外不便な所である。 東京市民がみんな石油ランプを要求するような時期が、いつかはまためぐって来そうに思われてしかたがない。 (大正十二年七月、渋柿)
(『柿の種』への追記) 大正十二年七月一日発行の「渋柿」にこれが掲載されてから、ちょうど二か月後に関東大震災が起こって、東京じゅうの電燈が役に立たなくなった。これも不思議な回りあわせであった。
(大正十二年七月号掲載文を読んで)
最近はどうか分らぬが、田舎で流行の最先端の柄はなかなか売れる物ではなかった。
逆に、都会で流行遅れの柄を探し出すのは困難であろう。それは成程、当然である。
原価がタダであっても売れない商品を店頭に並べておくのは、機会のロスに繋がる。
そして、流行は廻るものだと考える人はいるかも知れないが、マユツバものである。
たとえ、原始時代を楽しむ流行がやってきたとしても、それは現代の原始であろう。
つまり、原始時代を文明社会で楽しみたいのであって、原始に戻りたいのではない。
仮に、人間社会が破滅しても生き残った人間が文化を活用することは明白であろう。