(引用文)
親類のTが八つになる男の子を連れて年始に来た。 古い昔の教導団出身の彼は、中学校の体操教師で、男の子ばかり九人養っている。 宅(うち)へ行って見ると、畳も建具も、実に手のつけ所のないほどに破れ損じているのである。 挨拶がすんで、屠蘇(とそ)が出て、しばらく話しているうちに、その子はつかつかと縁側へ立って行った、と思うといきなりそこの柱へ抱きついて、見る間に頂上までよじ上ってしまった。 Tがあわててしかると、するするとすべり落ちて、Tの横の座蒲団(ざぶとん)の上にきちんとすわって、袴(はかま)のひざを合わせた上へ、だいぶひびの切れた両手を正しくついて、そうして知らん顔をしているのであった。 しきりに言い訳をするTを気の毒とは思いながらも、私は愉快な、心からの笑い声が咽喉からせり上げて来るのを防ぎかねた。 貧しくてもにぎやかな家庭で、八人の兄弟の間に自由にほがらかに活溌に育って来たこの子の身の上を、これとは反対に実に静かでさびしかった自分の幼時の生活に思い比べて、少しうらやましいような気もするのであった。 (大正十年一月、渋柿)
(大正十年一月号掲載文を読んで)
規範に従うことが道徳的な生活だと杓子定規に憶えて育ったなら…。
そんな人が社会をリードする立場について、社会を引っ張ったなら、
高学歴を身につけた者ほど、決められた規則を杓子定規に遵守する。
彼は最早、他にもっと優れた考え方は無いかと考えることをしない。
社会が住み良くなって欲しいと願う事を知らず、現状維持に努める。
寺田虎彦のこの文に、現代の予兆が既に表れ・見えていたのを知る。
男ばかりの九人兄弟のなかで過ごすと、やんちゃ坊主に育つだろう。
親がいかに修身教育を施したところで、男の子は元気に育つだろう。
だが、そんな教育を親・子・孫にと続けると知らず、染まっていく。
明治の修身教育の弊害が極まった時代が現代と言えるかも知れない。
そうして、そのような教育に手を貸してきたのが文化人と言えよう。
それゆえ、寺田虎彦さん。貴方は笑っている場合ではなかったのだ。
教導職:神官・僧侶などで人を教導するを職とするもの。明治初年~明治17年。