宮沢賢治は科学を愛した実践の詩人だ‥ナンノコッチャ?
科学の定義・詩人の定義にアナタは関心がおありだろうか?
賢治は花巻農学校で教鞭をとり、生徒に農業を教えていた
新しい時代に合う科学的・合理的な農業を生徒に教えてた
農業を科学的な営みにしなければならないと常に考えてた
ついには教鞭を捨てて農民とともに生きていこうとしてた
そして志半ばで倒れたのだが‥賢治は理解されていたのか?
科学的な感覚を農家に定着させなければならないと考えた
今なら誰でも科学の必要性を感じ・理解している積もりだ
それを実践したのが宮沢賢治だがその原動力は何だったか?
それは詩心だったと言えるが詩心は科学を生かす原動力だ
科学だけでも詩心だけでも人は元気元気で生きていけない
科学的発想がなければ賢治を護ることなんか出来はしない
詩心がなければ賢治を護ろうという情熱は生まれてこない
それでじっさい、賢治が冒涜されているとしたら大問題だ
だれも賢治の名誉を守ろうとする者がいなければ大問題だ
そして今、賢治は無能者扱いされている現実がある。
私には情熱はあるツモリでも情熱を支える科学力があるか?
科学力が不足するならどこかで借りて来なければならない
なあに、詩人でなくてもいい、詩人ならもっといい理屈だ
タイミング良く私の前に見えた影‥その正体は入沢康夫氏
入沢氏が詩人かどうか、会ったことがない私には分らない
ともあれ氏の科学性は承知しているから借りることにした
科学はそれだけでは役に立たないのは誰でも知っていよう
科学は与えられた素材を使って理論的に証明づける学問だ
科学の役割は正誤を理論づけることに尽きると私は考える
悲しいことに氏が出した素材を生かそうとする動きはない
科学を生かすも腐らすも、その役目は科学でなく心なのだ
善い心を詩心と私は考えているが詩心は詩人のなかにある
すなわち、入沢康夫氏の科学性を活用し生かすのが詩人だ
ところがこれまで入沢氏の蔭に隠れる関係者ばかりだった
数ある賢治のファンクラブは科学者の蔭に隠れようとした
私にはそう思われてならない
人間が科学に責任を負わせ、人間としての務めを忘れたら?
そのような主体者の姿勢で果して正しいと言えるだろうか?
主体者は人間であり、科学は人間に貢献する道具の筈だろ?
賢治ファンを名のる者が科学者入沢氏にオンブに抱っこか?
ということで、
次から入沢康夫氏の科学性に触れてまいりたい。
科学の定義・詩人の定義にアナタは関心がおありだろうか?
賢治は花巻農学校で教鞭をとり、生徒に農業を教えていた
新しい時代に合う科学的・合理的な農業を生徒に教えてた
農業を科学的な営みにしなければならないと常に考えてた
ついには教鞭を捨てて農民とともに生きていこうとしてた
そして志半ばで倒れたのだが‥賢治は理解されていたのか?
科学的な感覚を農家に定着させなければならないと考えた
今なら誰でも科学の必要性を感じ・理解している積もりだ
それを実践したのが宮沢賢治だがその原動力は何だったか?
それは詩心だったと言えるが詩心は科学を生かす原動力だ
科学だけでも詩心だけでも人は元気元気で生きていけない
科学的発想がなければ賢治を護ることなんか出来はしない
詩心がなければ賢治を護ろうという情熱は生まれてこない
それでじっさい、賢治が冒涜されているとしたら大問題だ
だれも賢治の名誉を守ろうとする者がいなければ大問題だ
そして今、賢治は無能者扱いされている現実がある。
私には情熱はあるツモリでも情熱を支える科学力があるか?
科学力が不足するならどこかで借りて来なければならない
なあに、詩人でなくてもいい、詩人ならもっといい理屈だ
タイミング良く私の前に見えた影‥その正体は入沢康夫氏
入沢氏が詩人かどうか、会ったことがない私には分らない
ともあれ氏の科学性は承知しているから借りることにした
科学はそれだけでは役に立たないのは誰でも知っていよう
科学は与えられた素材を使って理論的に証明づける学問だ
科学の役割は正誤を理論づけることに尽きると私は考える
悲しいことに氏が出した素材を生かそうとする動きはない
科学を生かすも腐らすも、その役目は科学でなく心なのだ
善い心を詩心と私は考えているが詩心は詩人のなかにある
すなわち、入沢康夫氏の科学性を活用し生かすのが詩人だ
ところがこれまで入沢氏の蔭に隠れる関係者ばかりだった
数ある賢治のファンクラブは科学者の蔭に隠れようとした
私にはそう思われてならない
人間が科学に責任を負わせ、人間としての務めを忘れたら?
そのような主体者の姿勢で果して正しいと言えるだろうか?
主体者は人間であり、科学は人間に貢献する道具の筈だろ?
賢治ファンを名のる者が科学者入沢氏にオンブに抱っこか?
ということで、
次から入沢康夫氏の科学性に触れてまいりたい。