daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

心が伝わる宇宙

2014年09月07日 | (転載・記事)  総 合
英語で綴ってて感じますけど、英語と俳句はそっくりですね!?
ほら!日本語と英語では表記が異なるじゃありませんか。判らない?
それでは日本語で綴る場合はどう違うか…大概は次のとおりですよ。

英語で文章を綴ってて感じますけど、英語と俳句はそっくりですね!?

日本語の文章には「文章を」が入りますけど、英語では入りません。
上記の「綴って」のフレーズに既に「文章を」は含まれていますよ。
だけど、日本語の文章では手取り・足取りして読み手を導いていく。

手取り・足取りして同じことを繰りかえし伝える日本の文章・文化。
美しい・綺麗・淑やか・魅力的・爽やかな…似た修飾語が多いのね。
とっても・いっぱい・たくさん・もっともっと…語彙が豊富ですね。

けれどもこんなに多くてはとっても十七文字の俳句に収まらないよ。
それで芭蕉によって考え出された『取り合わせ』『切れ字』の宇宙。
俳句の十七文字の小さな世界に、宇宙の広さのスペースを置いたの。

芭蕉が提唱した『取り合わせ』今は二句一章として部分公開中です。
芭蕉が秘密にすべしとした俳句の秘密ですけど、もう公開して好い。
その訳は既に述べたとおりで、端的には「俳句は詩」だからですよ。

即ち、その俳句を生んだ松尾芭蕉を俳聖とするのは当然のことです。
実に俳句は「古池や」の句に宇宙の空間を作った事に始まっている。
そして宇宙空間への入り口は「取り合わせ」のつなぎ目「切れ字」です。

*古池や蛙飛こむ水のおと

「蛙飛こむ水のおと」で「古池」を想像するも「一物仕立て」ではない。

「蛙飛こむ水のおと」で「山吹」を想像するも好い、何を描くのも好い。
古池の句は「取り合わせ」の上五と中七下五の間に大宇宙を置いた。
芭蕉は想像した古池を取り合わせた…さて描くのは貴方の自由です。

*石山の石より白し秋の風

「石山の石より白し」で「秋風」を想像するも「一物仕立て」ではない。

仮に前部の節を英訳する:It is white than stone in ISIYAMA.
仮に後部の節を英訳する:The wind is blowing in the autumn.
二節のフレーズから自由に貴方のイメージのままを宇宙に描きます。

俳句の宇宙と「読み手」の心の宇宙はジョイントされて繋がっている。
「古池」であれ「石山」であれ、描き手は読み手の「あなた」です。
一句になった「古池」「石山」を二次元・三次元・四次元…好みで描く。

この「好みで描き」そして楽しむことが、俳句の生命なのでしょう。
だれでもが口ずさみ、心にしっくりくる俳句が素敵な俳句でしょう。
難しい理屈を捏ね回すのでなく、すんなり心に入ってくる句がいい。

芭蕉の俳句はそんな風に仲間と楽しめる形になっていると思います。
十七文字・季語・切れ字・取り合わせ・一物仕立て等の約束はある。
大らかに詠い、仲間と大らかに競いあい、あそぶ「蛙」の姿が見える。


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