daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

便法(1)

2011年08月06日 | 社会問題を考える

このサイトでは『便法』という言葉を採用することにします。
便法は、辞書に寄れば『当面の間に合わせの法』という意味です。
もっともっと法論で認知・使用されるべきであろう言葉に思えます。

法はあらゆる人のあらゆる場面・社会・時間・時代に関わってくる。
それほど無数の分野・方面で関わり合っているのが法なのですが、
只、なんでも過分に有るように見えると混乱する私たち人間らしい。

実際、法は人々が後ずさりしたくなるように難しく見えてきたらしい。
それに追打ちをかけて素人に法は判らないと言ってきた法曹関係。
ちょっとした質問をしても、煙に巻く答が返ってきたのも事実でした。

こうして法への庶民の口出しは封ぜられ、門戸も開かれなかった。
法学者による法の独占が長年続いたのが日本の実態に違いない。
インターネットでみた数年前の法学界はまったく荒んでいたのです。

法を語るに見せて現実は、彼らは詭弁を吐いて得々していました。
よそ者に内部事情を見られては一大事とばかりに、躍起にみえた。
詭弁の遣い手の立ち位置は邪悪の側ですし、それは当然ですね。

詭弁の遣い手が法律を編み出したと解れば、闇は晴れるのです。
その法律で国民と社会を支配するのを、『法の支配』と言うらしい。
人間を支配する思想を『覇権思想』というとは、すでに述べました。

覇権思想は人権・人間の尊厳を真っ向から否定するものでしょう。
法の支配の思想は正義でなく邪悪側。もはや法曹界に言葉は無い。
これでは今までの日本は民主主義でなかったことは明らかです。

さて、
こう述べてきて日本の法律をどうすべきだろうか?
魑魅魍魎が狂い弄んだ法律として廃棄する考えかたもあるけど、
ここは市民のセンスを生かして、「便法」として一括りしておきたい。

今日を生き延びるためには殺人を認める日本国民の一人なれば、
今日を生きる悪知恵としての法律・詭弁を「便法」に仕分けしたい。
已むを得ぬ憂き世なれば、水清くして魚棲まずをも受入れるべしか。

自由を手に入れても餌をあてがわれるペットに憬れる日本人かも。
ノラ猫・野良犬の死に様を見せられて、一人立ちに恐れを抱くのか。
ペット志向に染まり切った人たちを哀れに思う心を失いたくない。

平和憲法をプレゼントしてもらいながら、宝の持ち腐れ状態でした。
日本と同じように自由をプレゼントしてもらったのは南ア共和国。
身から出た錆、自業自得に違いなくても、行き倒れはいけません。


そういうことですから日本は、根本から換えなければならない。
「便法」の対語には言わずと知れた清き水が入るのでしょうなあ。


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