「田毎の月」を調べたお陰で、沢山の歌碑や句碑を検索できました。
長野県内収録文学碑一覧
文学に積極的に取り組んでいる土地柄が窺える長野県人のようです。
こうした一覧から、今回少しだけど「月」の句をピックアップしました。
まず、次に詠われた句の「月」は花の「脇役」でしかありません。
しばらくは花の上なる月夜かな 芭蕉
芭蕉は眩いばかりに輝く月光に照らされた夜景の美しさを詠んだ。
句意は、咲き誇る夜桜の美しさに引き留められて見惚れているよ。
次下の三人はいずれも有季定型派ゆえに「月」は秋を詠むことになります。
名月や何所に居ても人の邪魔 一茶
名月に照らされて隠れる所が無くなった切なさが伝わってきます。
邪魔者扱いされ、虐められている人は堪らなく淋しく辛いのです。
おもかげや姥(おば)ひとり泣く月の友 芭蕉
満月を観て芭蕉は姥捨山の哀しい伝説を思い浮かべたのでしょう。
山に捨てられて一人ぼっち淋しく泣いている老女が見えたのです。
月影や四門四宗も只一つ 芭蕉
この句は月光に照らされた善光寺の寺院に感じた気持ちを詠った。
夜寒とて人はねぢむく月見かな 河井曽良
芭蕉の弟子、奥の細道に同行した曽良は長野県諏訪の生れでした。
肌寒の月見で、背を丸め・首をすくめて眺める様子が窺われます。
実際、直前の四句は「秋の月」を詠っている句に間違いありません。
ところが、長野県の句碑の説明書きには「田毎の月」を謳っている。
それなら「田毎の月」とは、秋季の月を意味しているのでしょうか。
だけど「田毎の月」の写真は何れも田植シーズンの水田が写ってる。
これは、どういう意図の下に紛らわしい表現になったのでしょうか。
於多福姉としても、紛らわしい表現になった根拠を推察してみます。
1)芭蕉の生きた時代、秋の棚田には水が張られていたに違いない。
芭蕉は「田毎の月」を観る旅の途次、近江で句を詠んでいます。
それは蛍が舞う頃でした…長野には秋の頃に着いたと思いたい。
このほたる田ごとの月とくらべ見ん 芭蕉
2)水が張られている秋の棚田は今、どこかに存在するに違いない。
何の根拠もありませんが、観光用に水を張ってるかも知れない。
3)季節に拘らない「無季俳句」が長野県中に浸透しているのかも。
自由律俳句を提唱した井泉水の句碑も長野県に見つかりました。
月は一つ田毎の月の空にあり 井泉水
4)「田毎の月」を【春の季】として歳時記に載せたい。
「無季俳句」「自由律俳句」等を詠むのは個人の自由でしょう。
ただし、俳句は基本的に有季・定型・五七五の韻律詩でしょう。
それなら、「田毎の月」が春か夏の季として公認されれば好い。
さて、
長野県人の「田毎の月」の「季」の意識はどうなっているのですか。
句碑は有っても「季語」について、大らかだけで良いのでしょうか。
県民に前向きに取り組む意欲はあっても、指導者の意識は重要です。
ネットで検索する限り、今も曖昧のまま捨て置かれているようです。
長野県の棚田に思うのは、
『田毎の月』の季の扱い…何らかの対応が必要に思えてなりません。