daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

杉田久女・考(2)

2014年09月12日 | 俳人 - 鑑賞
(これは過去記事を再編集したものです)

杉田久女がモチーフになった小説「菊枕」(松本清張作)
以下に「菊枕」に観た私が感じるままの久女像を述べた。
「青色文字」の文は「菊枕」からの引用です。

美校出であれば相当な芸術家になれると思った錯覚のはなはだしさは彼女に似ず愚かである。事実、彼は授業に熱心であった。中学校の先生ながら絵の教師としては最良を志したのである。しかしこれはぬいの気に入るところではなかった。ぬいは圭助が展覧会の出品一枚描こうとしないのを不満とした。

世間の評価を判断基準とする人は多いし、久女もそれは同様で
久女が基底に置いた理想の男性像の基準は偉大に想っていた父。
久女がみた父は安心できる存在で、偉大な父をみて育った娘が
夫に望むものは父親に似た男性像になるのではないだろうか。
久女の父は高級官僚であり、赴任した先々で威厳に満ちていて
周囲に威圧感を与えていたと考えたら分りやすい。
久女の父がこうと言えば周囲の人たち全ては整然として父が示
した方向へ進む、いわゆる官僚世界の秩序が私には想像できる。
官僚の父親は同じく官僚の世界から娘の婿を得ようと考えるの
が私には普通に想えるが、その縁がなければそれに代わる世界
で娘婿を探そうとするだろう。それで恐らく久女は父親の知己
の息子との縁を結ぶに至ったと考えることになる。
親同士の関係は子供同士の関係にまで強い影を落としたと理解
したとき、私には久女の父と知己の関係がみえてきた気がした。
無視できない精神的な圧力を夫・宇内が感じたなら、妻・久女
に対する彼の一連の言動・姿勢となって顕れて当然である故に
夫は妻に対して遠慮がちになるだろう。そしてまた遠慮勝ちに
見える宇内の態度が久女には男らしく映らなくて、父親とは逆
の頼りない男の妻になってしまった不覚・不幸に見舞われる。
宇内が断固として久女を諌め、そして妻が夫の言葉に威厳を感
じたなら逆らわない久女だったろうし、己の言い分の無理を知
ったなら誇り高い性格ゆえに久女は夫に随ったに違いない。
夫が理路整然とせず、断固として拒否せず、その場をやり過す
ことに追われてノラリクラリして見えたとき、妻の信頼を失う。
久女はやり場のない不満、行き場のない絶望感に囚われて呼吸
困難に陥いるだろう。健康な人はその不健康な空間から脱出を
試みるのは当然で、ある人は暴れ、ある人は泣き、家出したり
閉じ籠ったりと脱出の手段は人それぞれでしょう。芸術に関心
が高かった久女は閉塞状況を脱け出す路で俳句を見つけた。

ぬいも彼を客に引きあわそうとはしなかった。彼も客に合うことを好まない。やむなく家の中で顔を合わす時は、ちょっと頭を下げる程度であった。

決して穢されてならない世界・久女の聖域。そこへの出入りを
許されるのは芸術の仲間だけであり、好い加減な姿勢で聖域が
踏みつけられるのは久女でなくても耐えられないだろう。それ
が夫というだけで侵入を許される筈なく、夫・宇内は拒まれた。
久女の大切な句作の営みであれば他人にも大切に扱ってほしい
だろうし、意に添わない者は近寄らせるのも厭だったと想える。
初めの宇内への期待が大きかった分、反動は極端に過ぎたかも
知れず、裏切りみたいな意識が働いたかもしれない。そうなら
夫に対する久女の物言いに言いしれぬ澱のような空気が感じら
れたかも知れない。そこにいてはならない影を見つけたときは
あなたならそれにどう反応したり・対応しようとするだろうか?

初めて瀬川楓声が九州に来たのは、大正六年ごろであったろうか。『筑紫野』社同人あげて歓迎したが、楓声が福岡滞在中の三日間、ぬいは毎日朝から晩まで傍に詰めていた。句会とか吟行とかが毎日つづいていたのである。この時、ぬいの楓声に対する態度は、他人から見ていささか含嬌にすぎたという。

時代の風潮に合わなければ、人はとんでもない噂を流し、流さ
れるということは考えられる。一般に通じる久女の言動に触れ
て、彼女が特別変っている人格者だとは誰も思わないでしょう。
清張のこの文節から久女を貶めるなら、それは現代の女性を罵
ってハシタナイと言っているに等しく、しかも罵っていること
に己で気づかないならその人は文学の嗜みがないと解釈できる。
菊枕のこの文はそういったことに鋭い洞察力をもっていた清張
の戯れが看て取れて、読者で遊ぶ清張のこれはエスプリなのか?
もっと言えば菊枕は久女を悪く書いてあると受けとめたがる人
についてはどう理解したら良いだろうか。菊枕のどこに久女の
悪口が書かれているというのか、それがとんと分らない私です。
じっさい、無い袖は振れないが私の心にない考えは顕れようが
なく、それとは逆に柳が幽霊に見えるのは心の中に隠れる感覚
が清張の菊枕を縁として顕れたことになる。
菊枕は久女の悪口なんかではないから幽霊に怯えてはならない、
清張はそう囁いているように私には思えてならない。推理小説
に長けた清張は幽霊を見せる仕掛けを楽しんていたに違いない。
その点、久女は芸術に関して人を悪く誤解させる性癖の持合わ
せはなかったと私は考えている。

ぬいは俳誌『コスモス』に投句しはじめた。『コスモス』が天下に雲霞のごとき読者を持ち、その主催者宮萩栴堂が当代随一の俳匠であることは、俳句に縁のない者でも知っている。楓声が栴堂門下の逸足だから『コスモス』への投句は彼がすすめたのであろう。
ぬいの句は『コスモス』の婦人欄に出はじめた。大正六年秋、栴堂選の雑詠に初めてぬいのものが一句載った。ぬいはその句を短冊にかいて床懸けにし、神酒を供えて祝った。

既に触れたが「他人から見ていささか含嬌にすぎ」るのは現代
日本人一般には通じるとしても、ここでとやかく騒ぐのはそう
いった方々に任せたい。菊枕はそうでなく、久女は俳句を其れ
ほどまで大切に想って接していたと菊枕は述べているのです。
それほど俳句を大切にするぬいが次にとる行動は最高の舞台を
言霊に用意して舞ってあげたいと考える。この最高の舞台とは
『コスモス』であると信じて疑わないぬい、彼女は眠る間をも
惜しんで修行に一所懸命に励む。そしてその立派に舞ったぬい
の句に松本清張は神酒を供えて祝わせてあげている。ぬいの句
は単に言葉の切り貼りでなく言霊である、清張はそう理解した
のだろう。これで久女の俳句への想いは具体的になった。松本
清張が久女にみた真実もすこしは理解できたつもり。それゆえ
菊枕に関してこれ以上述べる意味は感じないが、強いて付け加
えるなら、清張のように久女を良く理解しようとしたのは誰だ
ろうか。私が知る限りでは「万緑やわが額にある鉄格子」かな。
この句は橋本多佳子が久女を見舞ったときの句らしい。
久女は宇内の手で鉄格子に閉じ込められます。久女の父が元気
で庇護が得られたなら、愛する父が久女を鉄格子に入れるまい。
そう考えたとき、実家で休養をとった高村智恵子と杉田久女の
姿が重なり被さって私の心には止めどなく涙が溢れてならない。
実家の経済援助を受けられなくなった智恵子はお荷物にされた
ようで(私の思い込みでも)それがとても悔しくてならなかった。

それにしても親の代からの繋がりの重さで久女につれない態度
をとれない夫・宇内だったように思える。ただし虚子に誌面で
咎められるようになっては「久女に非はない」と言いたくても
夫は妻の体面をこれ以上傷つけないためにも、家の対面を守る
ためにも、自分の対面を守るためにも、妻を拘束したのだろう。
それはとても残念なことに思えてならない。他の句会で俳句を
続けることなど考えられない久女、権威との巧みな交渉を覚え
る気なく、結局心を囚われ・のたうち・苦しむことになったが
家を捨てられない久女は身までも拘束されることになった。

松本清張は真実を暴くのに長けた人物という読後感!


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