(引用文)
寝入りぎわの夢現(ゆめうつつ)の境に、眼の前に長い梯子(はしご)のようなものが現われる。 梯子の下に自分がいて、これから登ろうとして見上げているのか、それとも、梯子の上にいて、これから降りようとしているのか、どう考えてもわからない。 (大正十年七月、渋柿)
(大正十年七月号掲載文を読んで)
「夢判断」とか「夢のお告げ」あるいは「夢占い」と言う。
いかなる人であっても、どうやら、夢見は気になるらしい。
旧約聖書の中にも夢に現われてお告げする神が載っている。
つまり、洋の東西を問わず、今昔を問わず、という事です。
夢を語るのであれば、どうせなら前向きに語っていきたい。
疲れた時に見る夢は悲観的で、恐怖を伴うと思っています。
元気な時に見る夢は積極的で、明るく希望に満ちています。
寝入り端なら、きっと悲喜いずれにも進める段階なのです。
さて登るべしか、それとも降りるべしか、答は見えている。
どうして好いか判らずに、迷いに迷っている事はあります。
朝になれば解決している事もあり、時間を要する事もある。
ことわざには『窮すれば通ず』と言うのですが、寅彦は如何。