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daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

エリート

2011年06月19日 | 詩心
この記事は【普通って?】から続いています。


ここでは間違っているエリート意識を気楽に語ってみます。

次下は【普通って?】で述べた『普通』の意味(4)です。

(4)エリートでない凡庸のレベルを「普通」と表現します。


そうすると、

選ばれた少数の優れた人々=エリートという思想があるんだ。

この思想が国家単位になると「選民思想」になるに違いない。

選民思想は「神国日本、イスラエル」という言葉が象徴する。

選民思想が社会の中に蔓延るときは「エリート意識」になる。

このエリート意識は健全だろうか。それとも不健全だろうか。



私は健全な庶民感覚の人間=市民であると自負していますが、

犬や猫・猿・豚等に対してエリート意識を持ったことがない。

即ち、健全な庶民はエリート意識をもたないと実感している。

そして能力に少々秀でた人物に対して畏敬の念を持っている。

或いは人一倍努力する人間を恐れ敬うのが健全な庶民である。



それならエリート意識を持つ連中はどんなレベルなのだろう。

俺は偉い、私は尊敬されるべき等と踏ん反り返りたい連中か。

国会議員も高級官僚も大企業経営者だから偉い訳ではないし、

嘘つき、脱税する、欲の皮は突っ張ってる連中は大勢いるが、

賢いように見えない。賢さの証明もできない愚か者に見える。



このように理論づけてきて、エリートは愚か者に見えてくる。

なんの根拠もなく偉ぶりたいだけのマヌケ面が浮かんでくる。

このマヌケ人間は果して、人間の尊厳を解っているだろうか。

他国と仲よく平和に共存共栄を図る知恵を発揮しただろうか。

そうでなければやはり、エリートは欲深いマヌケに違いない。



頭の悪い人間はエリートの一員になりたいと思うに違いない。

エリートになって地球を荒らして得意顔をしたいに違いない。

真に賢い人は己の地球を荒らそうなどと思いもしないだろう。

然るに愚か者のエリートは人間嫌いで大量殺人も行ってきた。

これではエリートを生産する大学は存在しないほうがマシだ。



さて、この凶悪なエリート、存在しないほうが良いエリート、

どなたか弁護できるだろうか?存在価値を見出せるだろうか?

弁護しないあなたの内心は、エリートを殺したいに違いない。

健全な庶民感覚の私は言いたい。愚かなエリートも人間です。

人間に害をなすだけのエリートも正しく教育し直すべき…と。



健全な庶民感覚だけが真に平和を願い、平和を築いていける。

エリートなんてモノは詭弁が生んだ幻想・たわ言・マヤカシ。

柳の木が幽霊に見えるような、取るに足りないエリートです。

政治は庶民の手に取り返すべきです。元々、人間は庶民です。

人間を支配したい輩。邪悪が絵を描いたエリート幽霊でした。



人間には庶民しかいない。庶民の中には健全な庶民が優れる。

こう理解したとき、普通の健康な感覚の人間が大事なのです。

当然、普通の健康な感覚の釈迦は庶民のなかに生きたのです。

普通の健康な感覚のキリストは庶民を友として生きたのです。

ムハンマドは庶民の暮しが成立つように政治を敷いたのです。



釈迦は人間じゃないなどと言う者はエリート幽霊の生みの親。

キリストは人間じゃないという者はエリート幽霊の生みの親。

ムハンマドもエリート意識など持たず、庶民を友としていた。

二十一世紀の現代に、正常な人間にエリート意識は必要ない。

普通の人が普通に使う正しい言葉に「エリート」は不要です。



庶民は人民と訳しても良いし、人間と訳しても良いと思う。

私が好きなリンカーンが使った言葉を紹介します。


 人民の人民による人民のための政治


 【government of the people, by the people, for the people.】




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