この記事は【普通って?】から続いています。
ここでは間違っているエリート意識を気楽に語ってみます。
次下は【普通って?】で述べた『普通』の意味(4)です。
(4)エリートでない凡庸のレベルを「普通」と表現します。
そうすると、
選ばれた少数の優れた人々=エリートという思想があるんだ。
この思想が国家単位になると「選民思想」になるに違いない。
選民思想は「神国日本、イスラエル」という言葉が象徴する。
選民思想が社会の中に蔓延るときは「エリート意識」になる。
このエリート意識は健全だろうか。それとも不健全だろうか。
私は健全な庶民感覚の人間=市民であると自負していますが、
犬や猫・猿・豚等に対してエリート意識を持ったことがない。
即ち、健全な庶民はエリート意識をもたないと実感している。
そして能力に少々秀でた人物に対して畏敬の念を持っている。
或いは人一倍努力する人間を恐れ敬うのが健全な庶民である。
それならエリート意識を持つ連中はどんなレベルなのだろう。
俺は偉い、私は尊敬されるべき等と踏ん反り返りたい連中か。
国会議員も高級官僚も大企業経営者だから偉い訳ではないし、
嘘つき、脱税する、欲の皮は突っ張ってる連中は大勢いるが、
賢いように見えない。賢さの証明もできない愚か者に見える。
このように理論づけてきて、エリートは愚か者に見えてくる。
なんの根拠もなく偉ぶりたいだけのマヌケ面が浮かんでくる。
このマヌケ人間は果して、人間の尊厳を解っているだろうか。
他国と仲よく平和に共存共栄を図る知恵を発揮しただろうか。
そうでなければやはり、エリートは欲深いマヌケに違いない。
頭の悪い人間はエリートの一員になりたいと思うに違いない。
エリートになって地球を荒らして得意顔をしたいに違いない。
真に賢い人は己の地球を荒らそうなどと思いもしないだろう。
然るに愚か者のエリートは人間嫌いで大量殺人も行ってきた。
これではエリートを生産する大学は存在しないほうがマシだ。
さて、この凶悪なエリート、存在しないほうが良いエリート、
どなたか弁護できるだろうか?存在価値を見出せるだろうか?
弁護しないあなたの内心は、エリートを殺したいに違いない。
健全な庶民感覚の私は言いたい。愚かなエリートも人間です。
人間に害をなすだけのエリートも正しく教育し直すべき…と。
健全な庶民感覚だけが真に平和を願い、平和を築いていける。
エリートなんてモノは詭弁が生んだ幻想・たわ言・マヤカシ。
柳の木が幽霊に見えるような、取るに足りないエリートです。
政治は庶民の手に取り返すべきです。元々、人間は庶民です。
人間を支配したい輩。邪悪が絵を描いたエリート幽霊でした。
人間には庶民しかいない。庶民の中には健全な庶民が優れる。
こう理解したとき、普通の健康な感覚の人間が大事なのです。
当然、普通の健康な感覚の釈迦は庶民のなかに生きたのです。
普通の健康な感覚のキリストは庶民を友として生きたのです。
ムハンマドは庶民の暮しが成立つように政治を敷いたのです。
釈迦は人間じゃないなどと言う者はエリート幽霊の生みの親。
キリストは人間じゃないという者はエリート幽霊の生みの親。
ムハンマドもエリート意識など持たず、庶民を友としていた。
二十一世紀の現代に、正常な人間にエリート意識は必要ない。
普通の人が普通に使う正しい言葉に「エリート」は不要です。
庶民は人民と訳しても良いし、人間と訳しても良いと思う。
私が好きなリンカーンが使った言葉を紹介します。
人民の人民による人民のための政治
【government of the people, by the people, for the people.】
ここでは間違っているエリート意識を気楽に語ってみます。
次下は【普通って?】で述べた『普通』の意味(4)です。
(4)エリートでない凡庸のレベルを「普通」と表現します。
そうすると、
選ばれた少数の優れた人々=エリートという思想があるんだ。
この思想が国家単位になると「選民思想」になるに違いない。
選民思想は「神国日本、イスラエル」という言葉が象徴する。
選民思想が社会の中に蔓延るときは「エリート意識」になる。
このエリート意識は健全だろうか。それとも不健全だろうか。
私は健全な庶民感覚の人間=市民であると自負していますが、
犬や猫・猿・豚等に対してエリート意識を持ったことがない。
即ち、健全な庶民はエリート意識をもたないと実感している。
そして能力に少々秀でた人物に対して畏敬の念を持っている。
或いは人一倍努力する人間を恐れ敬うのが健全な庶民である。
それならエリート意識を持つ連中はどんなレベルなのだろう。
俺は偉い、私は尊敬されるべき等と踏ん反り返りたい連中か。
国会議員も高級官僚も大企業経営者だから偉い訳ではないし、
嘘つき、脱税する、欲の皮は突っ張ってる連中は大勢いるが、
賢いように見えない。賢さの証明もできない愚か者に見える。
このように理論づけてきて、エリートは愚か者に見えてくる。
なんの根拠もなく偉ぶりたいだけのマヌケ面が浮かんでくる。
このマヌケ人間は果して、人間の尊厳を解っているだろうか。
他国と仲よく平和に共存共栄を図る知恵を発揮しただろうか。
そうでなければやはり、エリートは欲深いマヌケに違いない。
頭の悪い人間はエリートの一員になりたいと思うに違いない。
エリートになって地球を荒らして得意顔をしたいに違いない。
真に賢い人は己の地球を荒らそうなどと思いもしないだろう。
然るに愚か者のエリートは人間嫌いで大量殺人も行ってきた。
これではエリートを生産する大学は存在しないほうがマシだ。
さて、この凶悪なエリート、存在しないほうが良いエリート、
どなたか弁護できるだろうか?存在価値を見出せるだろうか?
弁護しないあなたの内心は、エリートを殺したいに違いない。
健全な庶民感覚の私は言いたい。愚かなエリートも人間です。
人間に害をなすだけのエリートも正しく教育し直すべき…と。
健全な庶民感覚だけが真に平和を願い、平和を築いていける。
エリートなんてモノは詭弁が生んだ幻想・たわ言・マヤカシ。
柳の木が幽霊に見えるような、取るに足りないエリートです。
政治は庶民の手に取り返すべきです。元々、人間は庶民です。
人間を支配したい輩。邪悪が絵を描いたエリート幽霊でした。
人間には庶民しかいない。庶民の中には健全な庶民が優れる。
こう理解したとき、普通の健康な感覚の人間が大事なのです。
当然、普通の健康な感覚の釈迦は庶民のなかに生きたのです。
普通の健康な感覚のキリストは庶民を友として生きたのです。
ムハンマドは庶民の暮しが成立つように政治を敷いたのです。
釈迦は人間じゃないなどと言う者はエリート幽霊の生みの親。
キリストは人間じゃないという者はエリート幽霊の生みの親。
ムハンマドもエリート意識など持たず、庶民を友としていた。
二十一世紀の現代に、正常な人間にエリート意識は必要ない。
普通の人が普通に使う正しい言葉に「エリート」は不要です。
庶民は人民と訳しても良いし、人間と訳しても良いと思う。
私が好きなリンカーンが使った言葉を紹介します。
人民の人民による人民のための政治
【government of the people, by the people, for the people.】