俳句は詩か、詩でないか?
これの格好の素材が次のフレーズ・五七五
味噌汁におとすいやしさ寒卵 草間時彦
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(ある程度は述べたので、それについてはクリックして戴きたい)
この五七五を詩と見なすなら、ヘイトスピーチはどうなんだ?
ヘイトスピーチは詩でないし、その伝で言えばこれは詩でない。
ヘイトスピーチは詩でないと何故言えるのか?
お考えになったことはあなたはお有りだろうか?
いやしくも詩人を名のるほどなら考えた人だし、
考えたことがなければあなたは五七五の制作者。
それを俳句と呼んでも実質は宣伝コピーの類いだろ?
そして清水哲男氏がヘイトスピーチをも俳句と見做すのは勝手?
‥そうかも知れないが、それは勿体ないこと。
そしてそれならこそ私の俳句は違うと書いておくことになる。
それにしても出発点の五七五のままで停まっていて好いのか?
ま、これは私の考えであり、私の俳句は詩の空に高めたい。
味噌汁におとすいやしさ寒卵
このフレーズのどこにも悦びや希望は観られない
自嘲のフレーズ五七五は詩でないのは否定できまい。
(さて本題はここから)
無季や自由律は詩と云えないから私は俳句と見做さない
詩の条件は悦びを詠い、未来を視野に入れた希望溢れるもの
その意味では有季でも無季でも自由律でも詩と限らないが‥
まっすぐな道でさみしい 山頭火
このフレーズは真理の一部を述べている、
だからと云って詩だろうか、否否、詩ではない。
これが詩なら呪い文句も詩と云わねばならぬよ。
ついてくる犬よおまへも宿なしか 山頭火
これもヘイトスピーチの類いです。例えば次、
日本人、お前は宿なし、地獄往き
これを俳句とあなたは言うか?
こんなフレーズ、あなたはちっとも嬉しくないだろ?
犬なら好いか?他者なら遠まわしなら言っても好いか?
己が言われて好い気がしなければ他者に言ってはいけないよ。
有季俳句には表の面があり、表の面はヨソ様を向く面、
ヨソ様に向ける面は苦虫を噛んでいてはいけない、
もちろん嘘っぱちで騙す心は駄目に決まっている、
人様には自分の佳い面をみせて差上げるのが礼儀、
ゆえに私は私の真心を以ってこうして書くことが最善の礼儀。
所得てたちかへりくるあきつかな 括絲子
拙句を例に言うと、
表の面は季語に則るのは当たり前だろうな。
季語は「あきつ」、季語「蜻蛉」として読むのは常識だろう。
蜻蛉と読んで「詩」になっているだろうか‥だろうな。
季語に則らない解釈する人もいる‥いわゆる「裏読み」だ。
裏読みでは「あきつ」を自由に解釈することになる。
蜻蛉・秋津・安芸津・秋津島・蜻蛉島‥
裏読みするとき五七五に別の意味が表われる。
裏読みするとき、人は己の境涯で理解するだろう、
だから「ありがとう」に反発する人だっている‥いやはや
「いやいや、オレは嘆き節でいくんだ」はあなたの勝手。
ともあれ、表の面は礼儀正しくがいちばん良いに違いない
ひと様に失礼のない心遣いで悦びをもたらす詩が最善だろ?