daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

杉田久女・考(1)

2014年09月12日 | 俳人 - 鑑賞

田辺聖子・著『花衣ぬぐやまつわる…』の読後感

杉田久女は橋本多佳子には俳句の師匠で気になる存在
それで私は久女の正しい資料を読みたいと思ったのですが
幸いにも田辺聖子氏の著書を知って読むことができました
そこに私が想っていた久女観が裏づけてあった気がした

この本『花衣ぬぐやまつわる…』で知ったのだが
親の実家は長野県松本市、久女自身は鹿児島市の生れだった
田辺聖子の長野県人観は鋭敏でとても印象に残りました
五年の歳月を費やして丹念に仕上げた田辺聖子の貴重な著作
摘まみ読みしただけで、いずれじっくり読みたいと思った

書名:花衣ぬぐやまつわる…

私なりに感じた部分を下記に抜き書きした

(青色文字は著作からの引用)
習作時代に久女は、夫と娘を題材にして詠んでいる。大正六年から七年にかけて…。

  まろ寝して熱ある子かな秋の暮      久女

  六つなるは父の布団にねせてけり     久女

夫・宇内も、この頃の久女の句にやさしく詠まれている


  うかぬ顔して帰り来ぬ秋の暮        久女

  昼食たべに帰り来る夫日永かな      久女   昼食:ひる

  獺にもとられず小鮎釣り来し夫をかし   久女   獺 :うそ

  葱植うる夫に移しぬ廁の灯         久女

こののち久女が夫を詠むことは少なくなり、あっても「夫をかし」にこめられたような緩みは流れていない。入れ替って出てくるのは、強烈なナルシシズムである。話に聞き「ホトトギス」で想像するばかりだった虚子があらわれる。虚子はこのとき四十四歳の男ざかり、晩年の温容とひとあじちがって、頬の線も引きしまり、眼が鋭いようである。自分に可能性があるということを発見するのは、久女にとっては人生観が染めかえられるほどの快い衝撃である。


 花衣ぬぐやまつわる紐いろ/\      久女



積極的な女性に多くの男性は近代女性を感じ観る
飛びまわる小鳥を可愛く想って手に入れたい男
手に入れられるものなら願いは何でも聞くだろう
それが世間の男であれば宇内も虚子も例外でない

久女と異なり、宇内は世間の歩みに合せたい男
釣った獲物をどうして自由にしようと思うものか
生簀の久女には役割りを務めてほしい夫・宇内だ
だが久女はリード紐の圏外に出ようと動きまわる

虚子も世間の常識を呼吸し、商う経営者でした
結社「ホトトギス」を順調に運営したい経営者
しかも俳句のリード役も務めなければならない
この状況のなかで虚子の奇妙な言動は露われた


それにしても
結社のリーダーと師匠が別々なら良かったと思う
虚子に代れる経営者か、句会の師匠を勤める人物
だがそれは俳句の性質上、無理なことに思われる
子規が託した「ホトトギス」を守る虚子は有能だ

師匠を超えない弟子を大勢抱えていても詰らない
虚子は常から一人立ちするよう弟子を導いてきた
優秀な弟子は巣立ち、師匠は弟子に負けられない
俳句は言霊の力量を互いに発揮しあう芸術だろう

久女がいるとホトトギスはどうなるかと悩む虚子
経営者としての虚子は何よりも尊敬する私である
つまり経営者なら、私もまた久女を切っただろう
久女を残す場合は結社を誰かに委ねねばなるまい

そう考える私は経営に関心ないから、久女を取る
気の合う仲間がいてくれたら私ならそれで十分だ
仲間と切磋琢磨して、後世に残る名句を詠みたい
俳句の目的は人それぞれ、私は私、虚子は虚子。

現実の世間は句会を大きくしたい人が少なくない
そして積極的な久女は自身が進化する道を選んだ
台所俳句を久女に進めたのは尊敬する師・虚子だ
師の指導に忠実であろうと努めた久女に違いない

久女は被写体・素材を家族や己から師匠・同輩へ
家族や自分を詠み、師匠を詠み、句友をも詠んだ
師匠に忠実な久女は今や経営者に悩みの種となる
久女の積極的な作句活動を受入れられない経営者

前に進みたい人は信号待ちさえも苦痛に想うのか
のんべんだらりの子弟関係でなく真剣勝負したい
経営者・虚子は社会常識に合せ、世間に合せたい
虚子が悪いとか久女が頑張りすぎた訳ではない

ライフスタイルの違いで両者は合わないのであり
あなたは頑張り過ぎだとも言えない経営者だろう
客に説教する商売人は倒産の憂き目に遭うからね
経営者が客と喧嘩するなら…徹底的につぶすだろ?

敵を潰さなきゃ店がつぶれる…倫理はまた別だ
久女は喧嘩してる積りはなくても、虚子には喧嘩
久女は素直な弟子…だが経営者・虚子には憎い仇
喧嘩は戦争と同じように笑いながら殺すんだな

久女の不幸は、夫・宇内が虚子の側に付いたこと
宇内がいなければ宇内を喧嘩に引込めない訳です
なにせ久女を鉄格子に閉じ込めたのは夫・宇内だ
有能は経営者は政治家で、戦略・謀略の使い手だ

憐れむべきお人好しの久女は敵の正体を知らない
お嬢さま育ちなら社会常識も政治も知らないだろ?
敵の罠に入っていって『なんでなの~?』の久女?
虚子にはホトトギスを護る義務があったからねえ。


私はこの宿になんの予備知識もなかった。全国の宿をよく知っている人が(その人も実際には泊ったことがないようである)あそこへいくなら、この宿、と名をあげてくれたので予約したのだ。名山とか名酒、名湯、などと同じように、名宿、というのもあるようで、私が今までいったそういうところは、宿の料理がよかったり、大浴場が粋を凝らしてあったり、宿のおかみさんなり、女中さんなりの人あしらいが物なれていて洗練されていたりするのであった。くどすぎず、口ずくなになりすぎず、宿の説明をしたり、たのしいPRをして客の弾みごころをいっそう、そそり立ててくれる、そういうゆきとどいた扱いをするのだが、この宿のおかみさんはセーターにスカート、ハイソックスにつっかけ、という姿で、私が外へ出るのかと一瞬おどろいてまごまごしているのを笑うように、<こっちです>と短くいうのである。といって決してつっけんどんでも意地わるでもないのだが。


都会に住む人には接客サービスは洗練されていて当然で
しかも21世紀の今は全国一律のサービスが常識だろう
全国チェーンのフランチャイズのノウハウは素晴しいし
全国どこで食べても、どの店の応答も些かの違いはない
それにしても洗練されたサービス、真心って一体なんだ?

ともあれ、一行は信州らしい一意の持成しを受けられた
まだまだ都会ずれしてない店は多かったかも知れません
そのころ‥田辺聖子氏が松本を訪ねたのは1980年ごろか
余りに大阪らしい御一行さま‥に恐縮したのだと思うが
久女は結局善く理解されたのだから、結果オーライかな


杉田久女が、信州に関係ふかいとは思いもそめぬことだった。久女の父の赤堀廉蔵は、松本市の出身だったのである。関西人の常として私も信州に強い思い入れがある。その気候といい風物といい、肌と心を洗われるような気がする。これは関西の、猥雑で如才ない、狎れ狎れしい雰囲気で育ったものでないと、理解してもらえないかもしれない。古い歴史の血のよどんだ関西の風土はなまあたたかい体臭にむれている。懶惰・放逸をそそのかす居心地よさ、けちで欲深で破廉恥で、そのくせ陽気で闊達で俊敏で、親切なような薄情なような……。


けちで欲深で破廉恥で‥親切なような薄情なような‥
歯に衣着せて誤魔化す売文屋が多い現代において、この
田辺聖子氏のような臆する所のない物言いの小気味良さ
しかも判りやすくて私は大好きでたまらない。
田辺聖子氏には宿屋の女将の好さや、久女の純真な内面
が見えるのでしょう。お上手な扱いに慣れた田辺聖子氏、
大阪で揉まれて育ってベンチャラは嫌いではあるまい…。

私は例えば宮沢賢治の作品に触れて、農民が食べられる
物は何でも食べなければ生きられなかった事情を察する。
他人の食べ残しや黴の生えた餅も食べさせていただいて、
そうして今も生きていられる私ですからね。笑。
それゆえ田辺聖子氏のフレーズにも大いに共感できる。

トップを目指す杉田久女の気持ちはよく理解できるし、
虚子が子規に委ねられた結社を防衛するのも理解できる
他人を押しのけても甘い汁を吸いたがる気持ちも分かる
分かるから彼らの悪行にも目もつむっていられるのだ
それで己が苦しむことになることも賢治同様に分かる

久女を受留め・自由にしてあげたら鬱病にならなかった
高村智恵子みたいに久女が鉄格子で死ぬことはなかった
だがその役目をいったい誰に果たせよと言えるだろうか
好かれて所帯を持った宇内も、尊敬された虚子も困る
好かれたからと責任をとらされては誰だって困るだろう

橋本多佳子はホトトギスを出るように久女に言っただろ?
いっしょに出て結社を作ろうと持ちかけて断られただろ?
鉄格子のなかに入ってしまってはもう誰も救いだせない
久女のこの性格は上流階級の環境で育まれたのだろうか
庶民としては生きられない久女だったのかも知れないな

俳句を楽しみ、生きることを楽しめたら久女は好かった
そうできなかった訳は知らないが、現にそうしなかった
人というものは煩悩に振回されて苦悩の淵におちるのか
裸で逃げだせば、俳句だけを目的に生きてたら‥と思う
名門「ホトトギス」で虚子を生涯の師と仰いだ久女かな。


そういう土地からくるとまさに信州は正反対の気がする。関西は山すらも稜線が丸みをおび、おだやかに瞑目しているようだが、信州の山の稜線は鋭く険しい。空気も人のハラワタも透明で、物がなしいほどまじめにみえる。
久女は絵心のあった人だけに、その作品にも視覚的な美しさがあるのだが、この文章なども、そのまま、水彩画のようである。
まだ絵の具の水も乾いていないような、ぬれぬれとした画面、それもその絵はどことなし、田舎の優等女学生のものしたもの、……というようなおもむきがある。稚拙や野暮というのでなしに、自然に対する素直な憧憬や畏怖が、無作為にあふれているといった感じである。久女の文章は、俳句にくらべると無技巧で素朴でゴツゴツしているが、それが好もしき信州を語るとき、いっそう言葉の角々が立って擦過熱を帯びたように熱っぽい。
久女は頭のいい女だったし、プライドも高かった。物かなしいほどのまじめさで、すべてに真摯だった。自分が正しいと思うことは率直に主張してはばからなかった。



凡人は芸術家になるよりも経営者になりたがるものかも
非凡な智恵子や久女の才能に御主人ではとても及ばない
煩悩の男にリード紐を渡した時点で芸術の道は絶たれる
それは悲しいけれど覆しようのない現実と言えそうです
卑弥呼といい、天照大神といい、女性が築いた土台でも
リード紐を男に渡した時は返すのを渋る男性に違いない。


そしてそういう人を前にしたときの世間の混乱と当惑がどんなものかを、想像したこともなかった。久女は誰にも追従しないし、とりまわしもしない。柔媚円滑、お愛想をいう文化圏の人ではない。口と腹と別、ということは絶えてない。久女が尊敬するといえば、全身全霊をあげて尊敬する、そういう人であったように思われる。悪気は
微塵もない。クダクダしい修飾語は省き、ただちに核心に入る会話をする。ある場合はそれが、繁文縟礼に馴れた人に衝撃と違和感を与えたのではないか。

久女が笑うとどこか凱歌のようにひびき、口を引きむすぶとキッとしてみえ、語尾は切って捨てるようにひびき、対する人をおびやかしたのではあるまいか。それが次第に齟齬と誤解を生み、久女は正確に理解されることが少なくなった……そんな気がする。

そういう人は、何もしないでも世間から仕返しを受けてしまう。漱石の「坊っちゃん」に出てくる中学生は、やや時代が古いけれども、少年の悪ふざけはいつの時代も同じようなものであろう。悪ふざけというより、ユーモアのかけらもない、いじめである。漱石が田舎者の、野暮でそのくせ執拗陰険な悪戯に腹を立てたように、久女もゆるせないのである。宇内のように取るに足らぬ些事だとわらえない。

いったい久女には、ちょっと被害者意識のつよい気味があるのだが、それはある種のカンというか、自分の居場所を測定する自衛本能のようなものが欠けていたらしく思われる。欠けているというか、装置が故障しているというか、すべて事実以上に増大されて受けとられるところがある。そこが漱石と久女の差異であろう。漱石は現実を突き離すことで自分を守り、久女は正面から四つに組んでまともに敵対してしまう。

この当時の家事の煩雑さを知らなくては久女の心労はわからない。朝起きると、かまどの下を焚きつけて御飯を炊く。七輪に火をおこして鉄瓶をかけ湯をわかし、味噌汁や惣菜をつくる。現代のように電気炊飯器、掃除機、洗濯機などないのだから、ハタキと箒掃除をする。着物の洗濯は解いて洗ってまた縫い直さねばならない。自転車も車もあるわけはないので、買物にゆくのも長みちを歩く。時間とエネルギーの大半を家庭経営に費やさなければならない。

無意識のうちに久女は父に頼っていたに違いない。久女は肉親離れのできていないところがあって、夫よりも実家に心寄せが篤い風がみえる。


  虚子嫌ひかな女嫌ひの単帯        久女


この句は、久女を解放させる存在の必要性を感じさせる
田辺聖子氏の文章を見ても懐の深い主人の存在を感じる
リード紐で久女を括ることなく、護る目的で使えばいい
高村光雲の息子は智恵子の才能を解放しなかったけれど
虚子に順じた宇内は妻・久女の才能を閉込め葬り去った

宇内に才能が無くて久女の足を引張った訳ではあるまい
時代に順じた生き方を良しとした夫・宇内だったのです
その当然の帰結として綱を引締め・動けなくしたのです

妻は夫を陰で支えるべしと考える高村光太郎の例がある
田辺聖子氏のように輝かせてあげたい夫もいるでしょう
妻を籠に入れるか、羽ばたかせるか、夫には二種類ある
久女と智恵子の共通の過ちは夫を正しく理解しなかった

  虚子嫌ひかな女嫌ひの単帯       久女

そもそも、
この句を正しく評価しない経営感覚を師匠と仰いだ過ち
それにしてもこの句を高く評価した記事を私は知らない
これが現代俳句界というなら、久女の悲劇は繰返される
私にはそのように思えてならない。


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