一応、仕事的なことを開始したので、そんな話をば。
まず、職場の名前はRBCAH(エールベーカー)といいます。
何度も書いてますが(笑)
Rééducation à Base Comunautaire des Aveugles et Handicapés
これを略したもの。
盲と肢体不自由者のための地域リハビリテーションセンター、となります。
その名の通り、目の不自由な患者さんと身体障害の患者さんがやってくるセンター。
センターの常勤職員は、一番のボスにあたるディレクター、
ナンバー2にあたるスーパーバイザーのガンサネ(外部機関とのやり取りなどを担当している様子)、
それに総合事務的なマダム、主に眼の患者さんを切り盛りしているマダム、
会計のベットラン、運転手のジョードー、
それにエデキネのジュリエンとアレクサンドル。
センターで働いている職員のほかに、普段は周辺地域で働いている職員もいます。
ここではアニマター(男性)/アニマトリス(女性)と呼ばれている職員達です。
周辺地域に家を持っていて、モト(=単車)で患者さんの家を巡回。
健康状態を聞いたり、服薬状況をチェックしたり、簡単なホームエクササイズをしたり、、
といったことをしているらしいです。
そして、月に一度、彼らがセンターに集合して会議をするのだとか。
明日、その会議が予定されています。
8月はバカンス時期だから、あんまり会議にならないんじゃないかな~と同僚は言ってたけど
様子伺いにはちょうどよい機会。
日本で準備しておいた録音機を片手にはりきって参加!!の予定。
ジュリエンとアレクサンドルが一番密に関わるパートナーになります。
ジュリエンはこの8月バカンスをとっているため、7月に任地訪問に来た時にしか話をしていません。
なので、彼の仕事の様子や、どんな経歴で現在にいたるのか、、などはまだよくわかっていません。
現在センターで一緒に働いているのはアレクサンドル。
彼はこの7月にブルキナ唯一のエデキネ養成校を卒業したばかりです。
キネ、エデキネという名称がわかりにくいので少し説明すると、
ブルキナでは理学療法士=キネ、と呼ばれています。
ブルキナ国内にはキネになるための学校がありません。
キネになるためには近隣諸国(セネガルやコートジボワール)にいって3年間の専門教育を受ける必要があります。
そのため、ブルキナ国内にはキネはほんの一握りしかいないのです。
ブルキナにあるのはエデキネ養成校。
エデキネ=理学療法助手。エデは英語のaide(エイド)=補佐という意味です。
1年間の専門教育をうけるとエデキネになることができます。
エデキネであってもブルキナでは貴重な存在。
アレクサンドルによると、今年の7月に卒業した彼の同期は、彼も含めて9名。
そのうち4人が首都のワガドゥグで、
2人はニジェールで、
残りの3名が地方都市に散って働いているんだとか。
養成校に行く前にアニマターとしてRBCAHで働いていたアレクサンドル。
新卒ながらも仕事はそつなくこなしている感じです。
そんなアレクサンドルの学校のノートを総ざらいに拝借して、、、
私もお勉強スタートー!!
見よ!!このフランス語だらけのノートを!!
(当たり前なんだけどね)

こんなのが200ページ以上もあるんすよ。。。
しかも、まだ借りてないノートもあるんすよ。。。
でも、これってすごくいい資料!!!
ノートに書いてあるものを電子化して、大まかにでも翻訳できれば。。。
ブルキナのエデキネの手の内が見えるようになれば、
リハビリ関係の後輩隊員にとっても、かなりメリットになるように思われます。
(現に今私が喉から手がでるほどその情報がほしいので)
2年間の活動計画の中で
このエデキネ養成校ノートを資料化する作業をぜひ加えたいと思っています。
(ディレクターや同僚たちと話し合いを持って必要性を理解してもらってからになりますが)
アレクサンドルの話を聞く限り、
図や写真・模型などといった資料が非常に不足しているブルキナ国内。
私の手持ちの資料を提供したりとか、
一緒に症例検討会をしたりとか、
はたまた、アニマター/アニマトリスの担当している地域のことを聞きとりしたりとか・・・。
ちょっと考えただけで、やりたいことが盛りだくさん!!
いやはや・・・
・・・・・
・・・・・
こーとーばぁー!!
これが不自由で全くもどかしいことこの上ありません。
まぁ、ゆっくりやってくしかないんでしょうけど。
同僚が本当に理解がある人たちなのが救いです。
2年のうちに、ゆっくり情報を共有していこう、とそう言ってくれるんです。
あぁ、もう本当マジで仕事頑張ろう。
言葉のハードルをさげること、それからお互いに情報共有して切磋琢磨していくこと。
後輩隊員の活動につながるような情報収集をしていくこと。etc・・・
日本に帰るとき、少しでもブルキナに何か残せたなって言えるように。
まず、職場の名前はRBCAH(エールベーカー)といいます。
何度も書いてますが(笑)
Rééducation à Base Comunautaire des Aveugles et Handicapés
これを略したもの。
盲と肢体不自由者のための地域リハビリテーションセンター、となります。
その名の通り、目の不自由な患者さんと身体障害の患者さんがやってくるセンター。
センターの常勤職員は、一番のボスにあたるディレクター、
ナンバー2にあたるスーパーバイザーのガンサネ(外部機関とのやり取りなどを担当している様子)、
それに総合事務的なマダム、主に眼の患者さんを切り盛りしているマダム、
会計のベットラン、運転手のジョードー、
それにエデキネのジュリエンとアレクサンドル。
センターで働いている職員のほかに、普段は周辺地域で働いている職員もいます。
ここではアニマター(男性)/アニマトリス(女性)と呼ばれている職員達です。
周辺地域に家を持っていて、モト(=単車)で患者さんの家を巡回。
健康状態を聞いたり、服薬状況をチェックしたり、簡単なホームエクササイズをしたり、、
といったことをしているらしいです。
そして、月に一度、彼らがセンターに集合して会議をするのだとか。
明日、その会議が予定されています。
8月はバカンス時期だから、あんまり会議にならないんじゃないかな~と同僚は言ってたけど
様子伺いにはちょうどよい機会。
日本で準備しておいた録音機を片手にはりきって参加!!の予定。
ジュリエンとアレクサンドルが一番密に関わるパートナーになります。
ジュリエンはこの8月バカンスをとっているため、7月に任地訪問に来た時にしか話をしていません。
なので、彼の仕事の様子や、どんな経歴で現在にいたるのか、、などはまだよくわかっていません。
現在センターで一緒に働いているのはアレクサンドル。
彼はこの7月にブルキナ唯一のエデキネ養成校を卒業したばかりです。
キネ、エデキネという名称がわかりにくいので少し説明すると、
ブルキナでは理学療法士=キネ、と呼ばれています。
ブルキナ国内にはキネになるための学校がありません。
キネになるためには近隣諸国(セネガルやコートジボワール)にいって3年間の専門教育を受ける必要があります。
そのため、ブルキナ国内にはキネはほんの一握りしかいないのです。
ブルキナにあるのはエデキネ養成校。
エデキネ=理学療法助手。エデは英語のaide(エイド)=補佐という意味です。
1年間の専門教育をうけるとエデキネになることができます。
エデキネであってもブルキナでは貴重な存在。
アレクサンドルによると、今年の7月に卒業した彼の同期は、彼も含めて9名。
そのうち4人が首都のワガドゥグで、
2人はニジェールで、
残りの3名が地方都市に散って働いているんだとか。
養成校に行く前にアニマターとしてRBCAHで働いていたアレクサンドル。
新卒ながらも仕事はそつなくこなしている感じです。
そんなアレクサンドルの学校のノートを総ざらいに拝借して、、、
私もお勉強スタートー!!
見よ!!このフランス語だらけのノートを!!
(当たり前なんだけどね)

こんなのが200ページ以上もあるんすよ。。。
しかも、まだ借りてないノートもあるんすよ。。。
でも、これってすごくいい資料!!!
ノートに書いてあるものを電子化して、大まかにでも翻訳できれば。。。
ブルキナのエデキネの手の内が見えるようになれば、
リハビリ関係の後輩隊員にとっても、かなりメリットになるように思われます。
(現に今私が喉から手がでるほどその情報がほしいので)
2年間の活動計画の中で
このエデキネ養成校ノートを資料化する作業をぜひ加えたいと思っています。
(ディレクターや同僚たちと話し合いを持って必要性を理解してもらってからになりますが)
アレクサンドルの話を聞く限り、
図や写真・模型などといった資料が非常に不足しているブルキナ国内。
私の手持ちの資料を提供したりとか、
一緒に症例検討会をしたりとか、
はたまた、アニマター/アニマトリスの担当している地域のことを聞きとりしたりとか・・・。
ちょっと考えただけで、やりたいことが盛りだくさん!!
いやはや・・・
・・・・・
・・・・・
こーとーばぁー!!
これが不自由で全くもどかしいことこの上ありません。
まぁ、ゆっくりやってくしかないんでしょうけど。
同僚が本当に理解がある人たちなのが救いです。
2年のうちに、ゆっくり情報を共有していこう、とそう言ってくれるんです。
あぁ、もう本当マジで仕事頑張ろう。
言葉のハードルをさげること、それからお互いに情報共有して切磋琢磨していくこと。
後輩隊員の活動につながるような情報収集をしていくこと。etc・・・
日本に帰るとき、少しでもブルキナに何か残せたなって言えるように。
「今日俺ら外で仕事あるから、一人残って」といわれて留守預かった日はさすがに緊張しましたが、なんとかぼちぼちやってます。
今晩からフランス語家庭教師の先生とのマンツーマン授業も開始!
お互いがんばりましょうね!!
課題のリストを見ると、「スゲェ~」ってうなってしまいました。
言葉の壁、おそらく、これは2年間最後までつきまとう(←経験談)。こればっかりは仕方がない。
でもあきらめずに、お互い、帰国の当日まで語学力がアップするように努力しませふ!