サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

提案が通らないの裏側にあるもの

2023年05月16日 21時15分06秒 | 管理者
「提案が通らない」「提案を上が潰す」という声をよく聞きます。

色々見ているとこんな感じに見えます。現実味の無い提案。事項ストーリーが見えない提案。
そもそも提案者本人が真剣に取り組むとは思えない提案は通りません。

しかし、最近思うのは、上司が優秀でない場合、やはり提案は通らないということ。
他部門が絡む提案は、提案を通さない。
自分が矢面に立つことを嫌うから。
情けない。

伝統的な大企業は、この習性からいつから脱皮できるのだろうか。

部下の提案に正論を唱えて否定する管理職 実は担当者時代に、、、、

2021年01月18日 22時29分11秒 | 管理者
部下の提案に正論を唱えて否定する管理職っています。

チャレンジ提案というものは、部下が今の何かを変えたいから提案をしているのです。
それを、これまでの価値基準や制度やルールで全否定する。

情けない。
本当は、提案した担当者が足りないところを管理職が補って、「支援するからやってみよう」という姿を見せるべきなのに。

担当者は正論を言われることに慣れると、「言わせとけ」と思って黙ります。反論するのも面倒。

一方で、管理職サイドでは「だれも改善しようとしない」とボヤく。

肝が小さいです。こういう管理職であればこそ、更なる「上」に挑んでみればよいのに。

無理ですかね。
この人が担当者時代にそういうことをやっていないので。

職場の改善が進まないのは、こういう管理職の存在というのは確かです。




シニアにやる気を出されては困る事情

2020年12月28日 16時13分47秒 | 管理者
日本の会社は、どこでも人手不足。新卒・中途の採用も難しく、シニアの活用・・・。

ホンネはどうでしょう。
シニア、もう少し正確に言うならば40代後半以上は、ほぼ全員切りたいらしい。

シニアにやる気を出されると、チャンスを失うのは20~30代の若手社員たち。
オジサンたちが肩で風切って社内を闊歩したら、若手はすごすごと引き下ががる。
だから、若手はいつまでたっても育たない。

それを見ている現役の部長・課長は苦々しく思う。

定年や役職定年でラインから外し、賃金も大幅ダウンして、シニアにはやる気を無くしてもらう方がよい。
いっそのこと消えてくれらもっとよい。それがホンネ。

しかし、いずれ今の部長・課長もそうなる。
低いモチベ―ションのまま、いずれ訪れるであろう70歳までの就労。居続けられる?

たいした仕事もなく、10年・15年も居座ることに耐えられる?

こんな管理職なら、ならないほうがお得かも

2017年02月06日 07時20分42秒 | 管理者
最近、「管理職になりたくない」という声をよく聞きますね。若い人は、今の管理職の大変さをみてそう思っているそうです。その姿勢について、「上昇志向がない」と思いたくなりますか。

最近、この考え方は、ひょっとしたらある意味で合理的ではないかと思うこともごさいます。

管理職になって、管理する部員ができた。肘掛椅子にも座れるようになった。会社によっては、一般社員とは別の場所で、大きいデスクも与えられる。

また、「おい、きみ」とは言うのか分かりませんが、「これ、やっといてくれないか」を連発できる。心の中では、「わたしも、管理職まできたかァ」と実は得々としている。

こういう面ではラクになる人もいます。

しかし、これは特に大企業で管理職を務めた人にいえることですが、退職して再就職しようと思ったら、案外、働けない。なぜか。再就職での対象は中小企業が多いのです。「これ、やっといてくれないか」とはいかない場合があります。

それよも、実務能力をもっていたほうが、はるかに再就職としては有利では。

管理職の方、「これ、やっといて」ではなく、「いっしょにやろう」くらいがよいです。

忙しくて無理? 本来は、そのビジネスのシステムを変えるのが管理職としての実務能力では? その仕事をせず、「一般社員の仕事までやるのはイヤ」で能力アップしますか?  

何よりも、一生懸命、働いている中小企業の方に失礼にあたらなければよいのですが。



「会議の長=職場の長」より、「会議の質問者=職場の長」は如何でしょうか。

2016年12月19日 21時40分37秒 | 管理者
「会議の長=職場の長」というケースは多いですね。多いというか当然なのかもしれませんが。この場合、部員は自由に意見が言い憎いですよね。いくら、「自由に意見を言ってよい」と言っても、上司と異なる意見を言うことは難しい。むろん、会議の決定は、その場の会議の長を務めた職場の長でいいのですが。
 「そんなことは私は大丈夫。部員の意見は聞きだせているから」と思っている職場の「長」の方がいたとしたら、少し考えてみてください。会議中、自分と同じ意見を言う部員に対しては、「ウンウン」と頷いたり、「そうだね」と言ったりしていませんか。一方で、自分とは異なる意見を言った部員に対しては、どこか面白くない気持になりますし、それは我慢していたとしても、表情には出ますよね。その表情を部員はみています。「長」が不満そうな顔していたら、「ああ、これは反対なんだな」と察知し、「長」とは異なる意見になりそうなものは言いだしにくくなります。そう思いませんか。「長」である皆さんだって、そうなのではありませんか。これまでの日本の会社では、それができない人の多くは、「上には上がりにくい」のですから。
 「会議の長=職場の長」がダメだとしたら、「司会=職場の長」はどうでしょうか。「それではみなさんやりましょう。自由に意見を言ってください」と軽快に開会を宣言したとしても、部員は、軽快なノリにハマって気楽に意見をいうでしょうか。この場合、私は、「長」の個人的な資質に依存すると思っています。上手にファシリテーションしているのかもしれません。部員間同士の問題ならば。しかし、部員間同士の問題で決着がつかない時、部員はどうするかというと、「長」に意見を求めるか、或は決定を委ねるかです。そうすると、「司会=職場の長」は、「意志決定=職場の長」にならざるを得ません。むろん、そのことを否定するつもりはありません。随所、随所に「長」としての判断を入れるのは当然でございます。しかし、その意思決定をした瞬間、解放されるのはその問題について考えなくて済んだ部員です。この場合、時間との戦いということを考えたとしたら、「長」が意思決定者として「君臨」するのは止むを得ないかもしれませんが。
 では、会議の時、「職場の長」はどうすればよいのか。発言してはまずいのか。そんなことはございません。最後、決めるのは自分であるということを考えると、自分の意思決定の確度を高めるために、良い方法がございます。それは、部員に対して質問をすることです。「それってどういう意味? よく知らないんだけれど」と返してみましょう。これですね。すごく微妙な表現で、次のように答えたらどう思いますか? 「何言ってるんだか分からない。なんだそれ」という言い方です。私は、この質問に対して、「分かろうとしないあなたが悪い」「理解できないアタマの回転がよくない」「現場知らず」と思っています。「長」自身が自分の思考回路にハマらない場合、「何言ってるんだか分からない。なんだそれ」と発言をする人はけっこういますね。表現を間違えると、部員を頭ごなしで否定することにもなるわけです。
 だからと言って、「へりくだれ」と言っているわけではありません。端的で的確な質問は、部員のアタマを整理することができ、その結果、わかりやすい意見がでることがございまかす。ある意味で、コーチングだと思います。「会議の質問者=職場の長」は如何でしょうか。