将棋で、14歳の少年が快進撃を続けています。この人の背景には、人工知能による将棋の影響が大きいです。
さて、ここから自問自答しています。自分の仕事における人工知能の活用について、考えたことがある人はどれくらいいるのでしょうか。
案外、少ない。取って代わられるかもしれない程度。
もっと、正面から見据えなければいけないと思います。
そうすれば、今から対処の使用がある。
そう思っています。
さて、ここから自問自答しています。自分の仕事における人工知能の活用について、考えたことがある人はどれくらいいるのでしょうか。
案外、少ない。取って代わられるかもしれない程度。
もっと、正面から見据えなければいけないと思います。
そうすれば、今から対処の使用がある。
そう思っています。
社員が自己啓発しないと嘆く人材開発部門は多いと思います。それは人材開発部門だけでなく、職場でも悩んでおられる。
アフターファイブの勉強を自己啓発ととらえるのではなく、会社の仕事で自ら学ぼうとして獲得したものを自己啓発として認めてあけてもいいのではないかと思います。如何でしょうか。
「スピード」「仕事に役立つ」の二つの視点がないと、なかなか自己啓発になりにくい。
「本を読む」という習慣がないのもひとつですね。面倒くさいから。
そうおもうと、幕末の大老・井伊直弼と言う人はすごい人です。彦根藩の第14子だから、どう考えても大老はおろか、藩主になんかなれっこない。
しかし、井伊直弼の自己啓発はすごかった。彼がかわいそうなのは、ある藩の世継ぎにということで、兄弟二人をつれていかれ、チャンスと思ったら、自分は失格だった。そんな生活を30代前半までやっていたのではないかと思います。チャンス到来。14人の男子のうち、他家に養子にはいったひと、早くして亡くなった人。なんと14子の直弼に彦根藩の藩主の座が転がり込んできた。さらに、幕末という政情から大老までになっていく。
自己啓発は、大事なんですね。チャンスは、備えのある人にだけ廻ってくる時代かもしれませんね。
アフターファイブの勉強を自己啓発ととらえるのではなく、会社の仕事で自ら学ぼうとして獲得したものを自己啓発として認めてあけてもいいのではないかと思います。如何でしょうか。
「スピード」「仕事に役立つ」の二つの視点がないと、なかなか自己啓発になりにくい。
「本を読む」という習慣がないのもひとつですね。面倒くさいから。
そうおもうと、幕末の大老・井伊直弼と言う人はすごい人です。彦根藩の第14子だから、どう考えても大老はおろか、藩主になんかなれっこない。
しかし、井伊直弼の自己啓発はすごかった。彼がかわいそうなのは、ある藩の世継ぎにということで、兄弟二人をつれていかれ、チャンスと思ったら、自分は失格だった。そんな生活を30代前半までやっていたのではないかと思います。チャンス到来。14人の男子のうち、他家に養子にはいったひと、早くして亡くなった人。なんと14子の直弼に彦根藩の藩主の座が転がり込んできた。さらに、幕末という政情から大老までになっていく。
自己啓発は、大事なんですね。チャンスは、備えのある人にだけ廻ってくる時代かもしれませんね。
心の修業は難しいです。この場合の「心の修業」とは、仕事をする姿勢のことをいいます。能力開発というと、仕事のスキルのことばかり。
それではいかんと言うので、研修部門は課題図書にこういうのを挙げますよね。
1.「7つの習慣」 コヴイ-
2.「人を動かす」カーネギー
3.「道をひらく」松下幸之助
読まれた方も多いと思います。
この選択について、とやかくいうつもりはありません。どの本も素晴らしい本です。
但し、「心の修業」というより、「心の栄養」という表現があいますね。
「心の栄養」を得て、鍛錬すること。そうですね。鍛錬するものが欲しいのですね。
比叡山の1000日修行のようなもの。。。。
ないな。。。
へこたれない心。最近では、これがまた「レジリエンス」とかカタカナ言葉の本が出てくる。
いいんですが、何かひとつ違うんですよね。
人材開発部門には、「精神の鍛錬」という軸を構築するアプローチがあってもいいような気がいたします。
それではいかんと言うので、研修部門は課題図書にこういうのを挙げますよね。
1.「7つの習慣」 コヴイ-
2.「人を動かす」カーネギー
3.「道をひらく」松下幸之助
読まれた方も多いと思います。
この選択について、とやかくいうつもりはありません。どの本も素晴らしい本です。
但し、「心の修業」というより、「心の栄養」という表現があいますね。
「心の栄養」を得て、鍛錬すること。そうですね。鍛錬するものが欲しいのですね。
比叡山の1000日修行のようなもの。。。。
ないな。。。
へこたれない心。最近では、これがまた「レジリエンス」とかカタカナ言葉の本が出てくる。
いいんですが、何かひとつ違うんですよね。
人材開発部門には、「精神の鍛錬」という軸を構築するアプローチがあってもいいような気がいたします。
読書の習慣は小学生の頃、身につくように先生方に「厳しく」しつけられました。しかし、外で遊びたい時期に、学校の授業以外に部屋の中で本を読むこと対して、「もったいないなあ、よいお天気なのに」と抵抗感があったのは正直な気持ちです。
読書には、三タイプあると思っています。
1.知る読書
言い換えるならば、学ぶための読書。これが最初にきて、よい思い出がないと、あとあと尾を引きます。これはくまなく全頁を読まねばなりません。
2.調べる読書。
これはある目的をもって本を探す。そして、その本の中に書いてあることで、これはと思うものを探す。よって、走り読みで構わない。
3.考える読書。
項番の1+2をやって、今度は、本と禅問答をするような読書。これはきつい。そもそも、本が答えを示してくれるような1や2の読みかたではありません。「本で考える」と言ってもいいかもしれません。
これ、どれがよいということはございません。1も2も3も大事ですが、1がおろそかにはて、2に走ると、今の大学生がやっているようなコピーペーストで論文を書き上げてしまうようになる。実は、その論文は、そんなに考えたわけでもないので、辻褄、ロジックが合っていないことがあるのですが、当事者はそれに気がついているのでしょうか。世の中にでたとき、いいことないのに。
できれば1⇒2⇒3がいいのですが。時間がかかるので不人気なのですね。
経営者の方で、案外、読書しない人います。もう、自分の経験値で充分やっていけると思っている自信家だから、評論家の言辞に耳を傾けるようなことはしない。そんなかんじです。では、経営者としての実績は???
どうなんでしょうね。
読書には、三タイプあると思っています。
1.知る読書
言い換えるならば、学ぶための読書。これが最初にきて、よい思い出がないと、あとあと尾を引きます。これはくまなく全頁を読まねばなりません。
2.調べる読書。
これはある目的をもって本を探す。そして、その本の中に書いてあることで、これはと思うものを探す。よって、走り読みで構わない。
3.考える読書。
項番の1+2をやって、今度は、本と禅問答をするような読書。これはきつい。そもそも、本が答えを示してくれるような1や2の読みかたではありません。「本で考える」と言ってもいいかもしれません。
これ、どれがよいということはございません。1も2も3も大事ですが、1がおろそかにはて、2に走ると、今の大学生がやっているようなコピーペーストで論文を書き上げてしまうようになる。実は、その論文は、そんなに考えたわけでもないので、辻褄、ロジックが合っていないことがあるのですが、当事者はそれに気がついているのでしょうか。世の中にでたとき、いいことないのに。
できれば1⇒2⇒3がいいのですが。時間がかかるので不人気なのですね。
経営者の方で、案外、読書しない人います。もう、自分の経験値で充分やっていけると思っている自信家だから、評論家の言辞に耳を傾けるようなことはしない。そんなかんじです。では、経営者としての実績は???
どうなんでしょうね。
この格言ほど、ひとによって見解の別れる格言もそう多くはないと思います。
夢物語と思う人。「それは努力不足だからでしょう。」と思う人。
「形を変えて実現する」というのが現実的な解。
しかし、個人の力ではどうにもならない場合もあります。
それは、人(組織を含む)、物、金、時間の要素がかかわる場合。つまり制約条件。
解は短期の目標と中期の目標と長期の目標。そんな無茶な。。。
短期目標:今の業務をレベルアップするテーマ
中期目標:三年後のありたい姿を目ざすテーマ
長期目標:会社の状況に関係なく進めるテーマ
「3件もできないよ」というお気持ちになるかもしれません。せめて1日・20分でもよいから。
1週間を短期4日、中期2日、長期1日でもよいのでトライしてみてはいかがでしょうか。
夢物語と思う人。「それは努力不足だからでしょう。」と思う人。
「形を変えて実現する」というのが現実的な解。
しかし、個人の力ではどうにもならない場合もあります。
それは、人(組織を含む)、物、金、時間の要素がかかわる場合。つまり制約条件。
解は短期の目標と中期の目標と長期の目標。そんな無茶な。。。
短期目標:今の業務をレベルアップするテーマ
中期目標:三年後のありたい姿を目ざすテーマ
長期目標:会社の状況に関係なく進めるテーマ
「3件もできないよ」というお気持ちになるかもしれません。せめて1日・20分でもよいから。
1週間を短期4日、中期2日、長期1日でもよいのでトライしてみてはいかがでしょうか。
「自分のセンスが悪い」と思って、書店に足を運ぶのですが、「これだ」というビジネス本との出会いがない。本の内容が「不作」なのではない。むしろ、よく考えられて作られていると思います。
多分、「あ~、これ何となく知っている」という気持ちが先に行ってしまい、手に取ってみようとしていない。
そして、「多分、それは自分の先入観だ。謙虚な姿勢にならないと」と思って向かおうと思うのだが、なかなか真剣に読もうという気持ちになれない。
本の購入額も減った。
ひとつだけ言えることがある。「本を読んで知る」のではなく、「本を読んで考える」に変わったこと。これは間違いない。
そうすると、考える時に必要な本はある程度そろっているので、改めて買う本はないことになる。それでも、気になる学者、コンサルタントの新著がでたときは、図書館で借りて確認し、どうしても必要なら買うか、書店で確認する。しかし、購入には迷うこともある。部屋が狭いのも問題だが。
その代り、「考える際に必要な本」というのは、積読にはならない。絶えず繰りかえして読む。
「思い出す」「関係性を再確認する」作業がどうしても必要になる。
気がつくと、ここ一、二年で、「これだ」というものはほとんどないという結果。ちょっと、自分の感性が鈍ったのではないかと思うことがあるが、いわゆる「新理論」でもない限り、そうそう飛びつきそうもない。
これは、本当に自問自答であり、正解かどうかもわからない。
多分、「あ~、これ何となく知っている」という気持ちが先に行ってしまい、手に取ってみようとしていない。
そして、「多分、それは自分の先入観だ。謙虚な姿勢にならないと」と思って向かおうと思うのだが、なかなか真剣に読もうという気持ちになれない。
本の購入額も減った。
ひとつだけ言えることがある。「本を読んで知る」のではなく、「本を読んで考える」に変わったこと。これは間違いない。
そうすると、考える時に必要な本はある程度そろっているので、改めて買う本はないことになる。それでも、気になる学者、コンサルタントの新著がでたときは、図書館で借りて確認し、どうしても必要なら買うか、書店で確認する。しかし、購入には迷うこともある。部屋が狭いのも問題だが。
その代り、「考える際に必要な本」というのは、積読にはならない。絶えず繰りかえして読む。
「思い出す」「関係性を再確認する」作業がどうしても必要になる。
気がつくと、ここ一、二年で、「これだ」というものはほとんどないという結果。ちょっと、自分の感性が鈍ったのではないかと思うことがあるが、いわゆる「新理論」でもない限り、そうそう飛びつきそうもない。
これは、本当に自問自答であり、正解かどうかもわからない。
予言というと、かなり前に「ノストラダムスの大予言」という本でしたっけ、流行したと聞きます。これはたしか、1550年頃にノストラダムスという占星術師が出した予言集で、1970~80年代の日本を相当騒がせたと聞いております。
そのような神業?的な予言ができるかどうかは別として、ある程度のデータがあれば、予測はできるとは思いませんか。
神業的な予言者には成れなくても、AIをはじめ、データアナリシスというツールを使えば、かなりの確度で、先を予測できるのではないかと思います。
さて、そのとき私たちには、弁解、或は「まさかそうなるとは」という表現が禁句になるのではないかと思っているのです。
これは、いまから訓練したほうがよいと思います。
訓練と言うのは、予測する訓練ではありません。
「まさかそうなるとは」という言葉で逃げることを止める訓練です。
「分かろうとすれば、分かったはず。なぜ、みようとしなかった?」と言われるときがくるのでは。
そして、その弁解もほとほどにしないとなぁと思っています。
そのような神業?的な予言ができるかどうかは別として、ある程度のデータがあれば、予測はできるとは思いませんか。
神業的な予言者には成れなくても、AIをはじめ、データアナリシスというツールを使えば、かなりの確度で、先を予測できるのではないかと思います。
さて、そのとき私たちには、弁解、或は「まさかそうなるとは」という表現が禁句になるのではないかと思っているのです。
これは、いまから訓練したほうがよいと思います。
訓練と言うのは、予測する訓練ではありません。
「まさかそうなるとは」という言葉で逃げることを止める訓練です。
「分かろうとすれば、分かったはず。なぜ、みようとしなかった?」と言われるときがくるのでは。
そして、その弁解もほとほどにしないとなぁと思っています。