サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

ご自身の癒しのためにペットを飼い、他人への配慮がない人。本当に優しい人なのでしょうか。

2023年05月15日 19時16分06秒 | 日記
ペット好きな人がいます。ペット好きな人は心が優しい人というのも度々聞いております。
否定はしません。

しかし吠え続けるペットには閉口します。ペットの飼い主は、我が子は動物だから仕方がないと思うのかな?
散歩をしていて、何度ワンワン吠えるのを聞いたことか。家の周りも。
犬がワンワンとうるさく、猫は静か?
いやいや、、、。放し飼いにして人の家で糞尿。なんと迷惑。

ご自身の癒しとしてペットを飼うのは自由ですが、もう少し他人への配慮をするべきでしょう。
マナーを教えられないのでしょうか。多分、個体差という問題はあるのでしょう。

いまペットブームです。とくに犬。
犬の寿命は15年程。新型コロナで飼う人が増えたそうですね。
あと13年の我慢?
犬にも痴呆があり、何れ直面するはず。痴呆だと気味の悪い吠え方をしますね。。

部屋を閉めれば過ごせるからいいのですが、何か釈然と致しません。







会社で改革者になってはいけない。もし、やるならば、、、。

2017年03月16日 07時14分02秒 | 日記
「改革者になってはいけない」「この会社では静かにしてたほうが得だ」世の中の会社で、そんな声を聞くことがございます。

司馬遼太郎の『花神』他では、吉田松陰→高杉晋作→大村益次郎の系譜を掲げ、思想家⇒革命家⇒制度を構築する官僚と言う流れを見ることができますが、三人とも非業の死を遂げます(高杉は病死ですが)。

ビジネス書で、盛んに勇ましい言葉が挙がりますが、それに乗っかって「さぁ、わたしも」なんていうのは止めた方がいいかも。特に、伝統的な会社、組織で動く会社では。。。

「それじゃ、会社がおかしくなるではないか」というご意見はわかります。
会社員として改革者を実践するならば、経営者の指示に基づくものでないと、安心してできません。

その際、経営者はひとりではないことを肝に銘じておくことです。
社長が賛成しても、他の役員が結託して社長を孤立させ、改革者を抹殺することがあります。とくに、サラリーマン社長なんて、風見鶏でなったような人もいます。まぁ、うまいのなんのって。表では改革者を煽てて適当に泳がせ、他の役員との関係や、改革が上手くいかなかったら「反逆者」のレッテルを貼り、脇に追いやる。

これくらいの芸当ができなければ、サラリーマン社長にはなれませんよ。

今の日本企業に改革は必要です。ならば、改革者が生き残るためにはどうするか。
それは、改革者に賛同する役員が指揮する部門で、小さな成功体験を重ねることです。
色々な役員がいるのに、そこをすっ飛ばして社長とやるのは愚です。

そして、仮に成功しても、その成功は自分の力であるということを言わないことです。
「手柄は人に譲れ」ですね。

勝負と実力は別物ですね

2017年03月15日 07時09分27秒 | 日記
どなたが語った言葉か忘れましたが、「世界一以外はすべて負け」という勝負師の名言を聞いたことがございます。

厳しいなあと思いつつ、「確かにそうだな」と思います。間違いなく、「町内〇〇大会」で勝って喜ぶなど、この勝負師にはありえないことでしょう。

勝負と実力は別物で、たとえ大差で勝ったとしても、実力差はあまりないことはよくあります。双方が、これを勘違いすると、これから先の組み立てが変わってまいります。

「勝って兜の緒を締めよ」というのは、勝つことで慢心を戒める言葉ですが、負けたほうにはなんて言ったらよいのでしょう。本当に月並で、名文句にはなりませんが、「負けても悲嘆にくれない。次の準備に備える」くらいですかね。

昔の話し。
戦いの上手な殿さま。彼が出ていくところ、連戦連勝だったが、気が付いたら再起できないくらいに負けていたという事例がございます。

実は、敵は「戦いを挑みつつ撤退する」ということを、全方位、各隊が分断してやるという戦略だったそうです。戦いの上手な殿さまは、「わたしが出陣すると連戦連勝だ」と得意満面だったのかもしれません。結果的には、その慢心と連戦による兵隊たちの蓄積した疲労。そこを満を持して攻められ大敗北を喫したと。

長期戦の潮目。そこを感じ取る力。そして準備。勝負と実力は別物と改めて思いました。




この方法は正しい。しかし誰もやらない。

2017年03月09日 18時40分06秒 | 日記
研修で、「なるほど、これは良い方法だ」と言って、それが職場や業務で展開されているのを見ることは少ないです。

これ、どこの会社でもそんなかんじですね。どうしてなんでしょう。

例をあげますと、PDCA。企業人なら、聞いたことある人多い。計画・実行・検証・是正。このサイクルを回すこと。

「やっているようには見えない」と言われています。

本当は、やっていないのではなく、中途半端に見えたのかも。

それには、PDCAのそれぞれの要素にはどういうものがあるのかを知って、それを実行することがキーかと思います。




分からない。このいじめ。対策は?

2017年03月08日 07時20分07秒 | 日記
「なんで、こんないじめがあるのか」 福島で被災した子供たちが、転校先の学校でいじめにあっているというニュース。信じられない。

いじめは、いまに始まったことではないです。昔だってあった。しかし、不幸に見まわれた子にいじめをするとは、いったいどういう気持ちからきているのだろう。しかし、、、、。

ニュースは、被害者の側から書かれることがあるため、子供たちの間で繰り広げられた出来事の真相・深層は分からない。

しかし、たとえどんな言い分があるにせよ、「この子をいじめるなんて」という思いに至らぬものか。

こんなとき、「親の顔が見たい」と言われるが、私は、いじめをした子の顔が見たい。できれば、その子の行動・発言を見てみたい。

これを正すには道徳教育だというのは、もちろん「そのとおり」と申し上げたいのですが、その「いじめ」についての構造やパターンがあるか。それとも単に突発性のものか。そこを突きつめたいですね。

道徳教育は大事です。心の教育。しかし、ここを追求していくと本当に改善するのか。
そこがわからないのです。

人によっても違うだろうし。一律で「これだ」ではないのかも。

ある放送局で、詐欺被害について啓発するコーナーがありますが、一向に詐欺被害は減りません。
効果が無いと申し上げているのではありません。これをしなかったら、もっとひどいことになっているでしょう。

柔道ではないのですが、合わせ技一本」の対策で、且つ、それぞれの「技」が連携して、人に応じて対応できるシステムだといいのですが。そこまできめ細かく対応するのは難しいのでしょうね。



「もはや、〇〇でない」は避けたい。

2017年03月07日 06時51分31秒 | 日記
「もはや戦後ではない」という言葉は御存じですか? これは、昭和33年の経済白書の冒頭に出てくる文句。

さしずめ、今だったら、どんな表現が合うのでしょう。

1.もはや「平和」ではない。   → テロ等、
2.もはや「一億総中流」ではない。→ 不問。
3.もはや「経済大国」ではない。 → 数々の経済統計
4.もはや「安全」ではない。   → 不問。

よしましょう。今日の「もはや、〇〇ではない」の当てはまる言葉は夢がないものばかり。

学生さんが「福利厚生」を会社選びにする気持ちは分かるような気がいたします。

しかし、福利厚生が第一位に挙がるようだと、もはや「会社」ではない。

あ~いかん、いかん。こんな愚痴ばかりでは。もはや「(自分が考えている)ブログ」ではない。



現在におけるバランスが、将来からみたら中途半端。そんな結果にしたくないものです。

2017年03月05日 09時04分16秒 | 日記
「歴史上、〇〇な人」〇〇というのは、二文字でなくてもいいのですが、もっと活躍できるのに、それができず残念だった人。色々いらっしゃいますが、ここでは好き・嫌いもあるので、固有名詞は挙げないでおきます。

「勝者から抹殺された有能な人。しかし、その有能な仕事が未来に役立っている」 そう言う人。

本人は、どんな思いでいるだろう。地下に眠る人は何も語ってくれないですが。

いまの日本の会社で、「未来に備えた仕事をする」ことが評価されているのでしょうか。
そもそも、だれがそれをやるのでしょうか。大手なら研究開発部門だが。そして、それは片手間ではないか。

目の前の仕事で青色吐息なのに、だれが先のことなど考えるのか。

非常にネグレクトな考え方ですね。しかし、これが現実ならば、淡い夢を抱いて失望したときが怖い。

「将来に向けた準備が常態化した状態の構築」とでもいいましょうか。これは重要ですね。

「これが問題だから正す」というのは、今の欠点を治すということですので、今日的対応です。

しかし、「将来のあるべき姿に対して、今何をする」というのは、未来志向です。

前者も後者も同時並行が望ましいのですが、色々なバランスを考えた対応がリアルなのでしょう。

このバランスがくせ者。その時点ではバランスでも、将来からふり返るとみたら中途半端に見える。そんな結果にしたくないものです。



「働き方改革」と別次元にある「働き方改革」をすでに実施している人の心理

2017年03月04日 07時59分12秒 | 日記
世の中、どこもかしくも「働き方改革」。長時間労働は大きな労働問題として扱われています。

これを今の70代以上の人に聞くと、「昔は〇〇時間の残業したが」とご指摘を頂くことがあります。

時間の長短だけで考えるのは難しいですが、確かにあの世代の人たちはよく長時間働いたと思います。

ニュースで「働き方改革」の話題が挙がるとき、だいたい東京の名のある会社が映像に出ます。これ、私からみて、「働き方改革」の現象をとらえるのに偏りがあると思います。
(ようやく、小学校の先生も取り上げてもらえるようになりましたが)

一方で、「ずっと前から『働き方改革』をやっているよ」という人もいます。別に時代の先端を行っているという自覚ではありません。「(付加価値が出ない仕事をしていると思われ)残業をするな」という指示がでているからです。

「モノづくり日本企業の危機」と言われていますが、技術レベルが上昇した発展途上国と戦う日本の製造にとって、世界レベルで高い賃金であれば、低価格に対抗するためにはコストカッターでいくという方向になりがち。日本のブルーカラーは世界一といわれて尊敬の念をもって見られてきましたが。

私が言いたいことは、上記のことではありません。。
「コストカットで残業もできない。その分、給料が減る」⇒「仕事の経験の蓄積に時間を要す」⇒「成長が鈍化する」⇒「昇格もしない」の悪循環にはまること。「会社は自分たちに三行半を突きつけた」と思うひとが増える。仕事へのモチベーションが下がり、会社への忠誠心が無くなり、「いるだけ」の気持ちになる。

そのひとたちは言うだろう。「何が働き方改革だ」と。


規制の観点ではなく、「なるほどね」と想わせる法律は守るようになるのでは。

2017年02月25日 07時53分09秒 | 日記
自転車に乗っていて、怖くなることありませんか。猛スピードの人。信号もない狭い交差点をすごい勢いで曲がる、或は直進する。ほとんど自殺的行為。とにかく、他人を巻きこまないでほしい。

これは自転車に限らず、自動車もそうですが、事故を起さない運転とは、交通ルールに則していることを再認識します。思わず、「よくできているなあ」と思うこともございます。

法律というものは、印象として「やってはいけない」という観点から規制された気持ちになるものですが、よくよく考えてみると「うまくできているなぁ」と思うことがございます。

どうなんでしょう。「あれもダメ」「これもダメ」という視点からではなく、「なるほどね視点」から法律を捉えてみたらどうでしょうか。そうすることで、法令遵守と言う気持ちが強くなるのではないでしょうか。




その仕事は何人で行う仕事ですか? 意外と難しい。例えば野球だったら・・・?

2017年02月24日 07時31分27秒 | 日記
ワールドベースボールクラシックがもうすぐ始まります。第1回、第2回と優勝しました。日本の野球は、どちらかというと守りを重視した野球です。攻撃は、次の塁を確実に取りに行く手堅い戦法。

日本のプロ野球が、世界で勝つための野球を考えた。米国やキューバのような力とスピードの野球とはちょっと違います。

野球の試合は何人でやるスポーツかという質問があれば、1チーム9人。両チームで18人と答えるのが普通です。

しかし、本当の試合はそうではありません。プロ野球ならベンチに入るのは28人だったかな。それに本当に試合で勝とうと思ったら、敵の監督、コーチの動きも気になります。監督、ヘッドコーチ、ピッチングコーチ、バッティングコーチ、守備・走塁コーチで5人。合計33人。両軍合わせて66人というかなり大所帯のスポーツになります。

勝つということは、そういうことを考えて臨んでいると思います。

WBC参加選手で剛速球を投げる若い投手が欠場しました。「痛い」と思うかもしれませんが、しかし、試合中は1人/66人です。66人の同行をみてどう戦うかです。

野球選手は、足が速い、ボールが早い。遠くまで飛ばすとか、そう言うことばかりが目立つスポーツですが、実は非常に多くの人が関わるスポーツですね。

さて、我々の仕事は、何人でやる仕事でしょうか。人が足りない? 

では、どういう役割を持った人が、どの時期に、何人必要か。

意外と答えるのが難しいのではないでしょうか。特に開発系は。。。








リソースを戦前と現代の企業で比較すると。。。

2017年02月20日 07時16分22秒 | 日記
連合艦隊司令長官・山本五十六は、戦況が悪くなるにつれ、自分がいる司令部を前線に持っていったそうです。

危険ですが、おそらく自ら前線に近い所でみて指揮しないと戦況がわからなかったのかと思います。また、東京の大本営に近くにいて、余計な指図を受けるくらいならと思ったのでないでしょうか。

「事件は会議室で起きているのではない。現場だ。」 ある映画の有名なセリフ。
現地から遠い東京の大本営が、ああでもない、こうでもないといったところで、戦況は好転しません。
物資の乏しい日本が、もはや勝てる見込みはなかったのです。

これを現代の会社でいうならば、リソースもないのにビジネスを営むことはできないということ。
では、リソースを要素別に分解してみます。
    ↓
人:どこでも人手不足。人材不足という説もありますが。⇒☓
物:財務諸表上は「持たざる経営」が評価される。そうではなく売れる物があるか否か。⇒△
金:大企業は内部留保は潤沢。中小企業はそうとはいえない。⇒〇~☓
情報:技術・ノウハウは、発展途上国も追いつき、ある分野では追い越されています。⇒△

「企業は人なり」と言う以上、ここが「☓」と言うのは痛いのですが、あとはまあまあか。

さて、人・物・金・情報を充分に持てなかったところが、山本五十六の悲劇でしょう。
人は☓。兵隊が少ない。物も☓。武器・弾薬、何と言っても食料がなかった。
金は持っていても日本に武器・弾薬を売る国はありませんから、☓。
情報は☓。ここはひどかった。

負けるべくして負けたのですね。そう思うと、現代の企業はまだまだ安心?

いやいや、人が☓だと、物・金・情報も怪しいものです。



銀河英雄伝説 すごいですね

2017年02月17日 07時27分01秒 | 日記
ご存じの方は、ご存じかと思いますが、「銀河英雄伝説」というアニメは面白い、というか勉強になります

今でもたまに見ますが、ここで交わされる会話が面白い。

それを事細かに紹介する事は致しませんが、なんといっても、、、

「勇敢な敵より、弱い見方が憎い」。

この語句がジャストか記憶が定かではないのですが、たしかこれと似たような表現で、ラインハルトが言っていたと思います。

これだけモノが分かる人たちがいて、絶えず戦争に突入するのは、ラインハルトがいたからでしょうか。イヤイヤいいながら、職業軍人として已む無く戦場に向かって、劣勢ながらも互角にまでもっていくヤン・ウェン・リーもすごい。

アニメだからいかようにも書ける? 確かにそうかもしれませんが、学ぶことは多かったですよ。






「近ごろの若い人は」は言ってはならない禁句とは思いませんか。

2017年02月16日 07時18分45秒 | 日記
古代エジプトの碑文を解読していたら、「近ごろの若い人は、、、」と言う内容が書いてあったという有名な逸話がございます。

この碑文から数えて何千年になるかわかりませんが、もし、「近ごろの若い人は」が本当にそうだとするならば、とっくに人類は滅んでいますよね。

今日、若い人を見ていると、「大変だなあ」「迷うよなあ」「無理ないなあ」と思います。

今の時代、こんなに混迷を極めた世界で、先を的確に見通すとか、夢を持つことの難しさを感じます。

若い人もそれは感じていて、「どうしていいのかわからない」と思っているようで、就活ではそれが如実にでていますね。特に文系は。

普通の若い人に比べて(本当は比べる意味はないのですが)、同年代のスポーツ選手が、世界で活躍して立派だと思うのは、まずい見方だと思います。

スポーツ選手は「好き」「(若い今だから)できる」「その後の進路についてある程度限定される」から、目標が定めやすい。しかし、活躍できる選手は当然限られているので、そこは普通の若い人と近い。(「普通の」と書くと、嫌気を感じる人がいたらすみません)

いってはいけないと思いませんか。「近ごろの若い人は」と言うセリフ。

では、なんていえばよいのか。

「協力するよ。一緒にやろう」です。




普通の人でも、リ-ダ-に近ければ昇格する。

2017年02月15日 06時59分55秒 | 日記
強硬路線を取っていたリーダーであるが故に、「内部が融和すぎて」、将来自滅するパターンがございます。強いリーダーは、近くにYESという人をそろえたほうが効率が良いですが、リーダー次第と言う組織になりますね。

強いリーダが散々部下に文句を言っていて、「文句を言われたこの人はもうダメか」と思ったら、実は昇格していたというのはよくあります。結局、平凡な部下でも、多少なりともバランス感覚というか風を読めれば、リーダに近い人が昇格するケースは多いものです。

そんな人事異動を見るたびに「タメな会社だ」と思うかもしれませんが、その程度の人が経営陣にいても潰れないとしたら、見事な会社だとは思いませんか。むろん皮肉です。

社長職を務める人で、人を信用しない性格を有する人、いうことを聞く平凡な人を役員につけます。そのほうが、自分より劣っていて、地位を脅かされることはないし、その辞令を受けた人も「こんな平凡な私でも役員になれた」と忠誠心は高まるでしょう。

そのツケは、次の世代、或は次の次の世代で確実に訪れます。そんなに遠い先の話しではない。そういう状況を嫌と言うほど見てきました。

これ、自浄作用はあるのでしょうか。いずれ外から市場が決める。そして、それは大きな犠牲を伴います。被害者はトップ層ではない人たち。

最近、しばしば考えます。「会社はだれのものか」と。


人材は、沈みゆく船から降りていく。

2017年02月11日 21時44分23秒 | 日記
英国(19世紀)⇒ 米国(20世紀)⇒ 日本(20世紀後半)⇒東南アジア他(21世紀)。モノづくりの系譜は、この流れを辿ってきています。

米国新大統領は、この流れを戻そうとしています。いかなる非難を浴びるにせよ、「雇用を生む」という政策は正しいです。しかし、ここには前提があります。

ある程度の品質をもったものは、どの国でも作ることができ、供給過剰になります。消費者がさほど高機能なものを求めていないと、需要<供給で、当然、価格は下がります。すると、賃金の高い企業は、コスト高で勝てません。よって、それを予期して新大統領は保護政策に走る。

農作物は世界の人口増加とともに、需要>供給となり、モノづくりで豊かになった発展途上国の購買力も加わり、超長期的には価格高騰に向かいます。米国はここにも活路を求めているかも。

モノづくりで発展途上国に追いつかれ、そして負けていく日本が外貨を稼げず、且つ食料自給率の低いことは、将来において致命的といえます。

そんなことはない。「日本にはまだまだ強い会社があるから」 それは幻想にしか思えません。

幕末、幕府の御用商人だった豪商は、幕府危うしと見ると、薩長に鞍替えしました。ビジネスとはそういうものです。

そもそも、グローバルというのは国境がないというもの。世界で通用する人材の育成はよいのですが、人材も欲があり、沈みゆく船から降りていきます。

企業から海外のMBAに派遣され、世界を見る。高度成長期と比べて今一つの日本企業。その旧態然とした体質に疑問を抱くが、自分一人でどうなるものでもない。

会社を辞めて新天地をもとめる。当然です。