The Society of Hormesis ホルミシス学会

STRUCTURED MICRONUTRIENT, US PAT/TH FDA (Med), JP FDA(Food)

がんと診断後、お金・仕事

2015-08-15 21:46:07 | がん

男は病気になると、周りに隠して1人で抱え込む

吉永小百合が姉で、笑福亭鶴瓶が弟。2010年公開の映画『おとうと』を記憶している人は多いはずだ。弟・鉄郎は旅役者を気取る風来坊。堅実な姉・吟子とは金に関する揉め事を境に連絡が途絶える。数年後、消息不明だった鉄郎が救急車で運ばれた報せが届く。吟子が駆けつけると、鉄郎の体はがんに侵され、全身に転移していた――。

体の不調を家族に相談できなかった鉄郎。彼は映画の中だけの極端なキャラクターだろうか。それが特殊な例ではないことをしめすデータがある。NPO法人HOPEプロジェクトが発表した「粒子家族時代のがんと暮らし・生活ニーズ調査」だ。がん経験者をおひとり様(一人暮らし)、プチおひとり様(親・兄妹同居)、おふたり様(親とは別居の夫婦)、家族の4グループに分け、アンケートを実施。この調査で、おひとり様ががんになった場合の厳しい現実があきらかになった。

図で告知を受けて最初に相談した相手を見ると、プチおひとり様は「実の親」、おふたり様と家族が「配偶者」の回答が多数を占めるなか、おひとり様のトップは「誰にも相談はしていない」。約2割にのぼった。

「その心境はよくわかる」と語るのは、がん患者支援に関わる一般社団法人グループ・ネクサス・ジャパン理事長・天野慎介さんだ。00年、27歳の天野さんは一人暮らし。多忙な職場で働いていた。声が出なくなったり、高熱を出すことがあり、念のため地元の病院で精密検査を受けると、血液のがんである悪性リンパ腫を告知された。

「予想もしてなかったので、頭は真っ白。医師にふたつしか質問できませんでした。ひとつは『仕事はどうなりますか』。解雇より仕事に穴を開けないかが不安でした。もうひとつは『家族に伝えないで治療を受けることはできますか』。知ったら悲しむし、負担もかける。できることなら知らない間に治せたらベストかなと……」

しかし医師は、抗がん剤治療は1人では難しいと返答。天野さんは悩み、家族に話すまでに1週間を要した。結局、母親は淡々と話を聞いて「病気になったものはしょうがない。治していこう」と受け止めてくれたという。

天野さんは病気を告白した例だが、男性は総じて相談を躊躇する傾向が強い。

「相談できる相手」をまとめたアンケートでは、女性のおひとり様は順に「友人」「兄弟姉妹」「恋人」だったのに対し、男性は「いない」がトップ。HOPEプロジェクト理事長・桜井なおみさんは、「女性はオープンだけど、男性は閉じこもりがち」と分析する。

「乳がんの患者会など、女性は集まる場がいっぱいあるのに、男性はほとんどない。相談会を開いても、参加者は少ないです。1人で抱え込んでしまうのでしょう。女性はその時期があっても、それから『私、困ってます!』と声を上げて動くんですけどね」

調査から浮かび上がってくるのは、おひとり様の男性患者が1人で悶々と悩んでいる状況である。そのように孤立しても、いいことはほとんどない。

「闘病中は免疫力が落ちて、風邪をひきやすくなる。1人でうなってると心底不安になりますし、僕が副作用で肺炎になったとき、1人で救急車を呼んだり、入院の準備をするのは本当に大変だった」(天野さん)

他人に相談すれば気がはれるし、同じ立場の患者から治療に関する有益な情報が入ってくる可能性も高い。その機会を自ら失ってしまっているのだ。

どうにもならない。がんになった途端、生活保護のケースも

おひとり様患者が直面する、もうひとつの大きな問題が「金銭」である。

治療費や薬代は、高額療養費制度があるため、天井知らずで払うことはない。自己負担限度額は所得が一般に区分される場合、1月に約8万円(8万100円+(医療費-26万7000円)×1%)が上限になる。しかし、懐を痛めるのが差額ベッド代だ。厚生労働省調査によれば、この平均額は1日約5800円。公的保険の対象外で還付もない。しかも、がんは術後も長く付き合うケースが多い。生活費を1人でまかないつつ、月8万円をコンスタントに払うのはなかなか厳しい。先進医療などを試したい場合、負担は倍増する。

さらに、闘病による収入減が患者を襲う。体力の低下や長期治療によってこれまで通りの仕事ができなくなり、勤務時間の短縮、休職、転職した結果、収入が落ちていくケースは多い。「がんと診断された後、収入が減った」と答えたおひとり様は61%。減った割合は、「無収入になった」が26%で、半減以下は20%もいた。

メーカー勤務の吉住小春さん(仮名)は、4年前、最前線で活躍していた40代後半に乳がんが発覚。抗がん剤治療を受けた後、外科手術、そして約1カ月半の休職中に放射線治療を受けた。復帰直後は駅の階段を手すりなしでは上れないなど体力の低下を感じたが、その後、順調に回復した彼女でも、収入減は避けられなかった。

「がんを治療しながら勤務するのは、会社に前例がなく、人事もどう扱っていいかわからない。勤務時間を減らす提案をしても認められませんでした。結局、体調を見ながらということで資料整理のような雑務に替わったんです。周りには病気について告知しなかったので、急にどうしたんだろうという目で見られましたね。その後、別部署に異動しましたけど、役職もなくなって給料は3割程度減。一度下がった給与を元に戻すのは難しいです」

吉住さんは40歳までに簡易保険を払い終わり、ほかにも保険に入っていたうえ堅実に貯金していたため、経済面で慌てることはなかった。しかし今後については「この年齢で転職するのは現実的ではないから、今の会社を辞めたら最後だなという恐怖は常につきまとっています」と不安を覗かせる。

罹患時、民間保険に入っていなかったおひとり様女性は9%と少ないが、男性は26%が無加入。結果、おひとり様男性の68%が、治療費などの経済的負担に「預貯金からの補填」で対処している(女性は31%)。切り崩し型生活を強いられ、経済的に困窮する患者は少なくない。天野さんも「僕が病気になったとき、人生設計は全くしてなかった。貯蓄は100万円もないのに、初回治療にかかったのは120万円。後で還付されるけれど、まず現金で払う必要があったので、親族から借りました。貸してくれなかったら、完全に干上がっています」と振り返る。

貯金も、保険もない。休職期間の収入は保証されず、各種出費にくわえて、前年度所得に基づいた税金も請求される。結果、治療費が払えず、いきなり生活保護という人もいるという。

「医療費は安くなるけれど、みんな嫌がります。プライド持って働いてきたのが、『何でがんになって生活保護受けなきゃいけないんだ?』と思う。でもお金はない。もう右にも左にも動けないんです」(桜井さん)

今や日本人の2人に1人はがんになる状況。罹病したときのため、おひとり様はどのような準備をすべきか。桜井さんは「がん医療はさらに高くなるので、貯蓄のない人は安いのでいいから保険は入っておくべき」と強調した。

「一時金で300万円もらえる保険に入れば、高額療養費制度で年間100万円かかるとしても、治療に3年通えるからクッションになる。1番しんどい時期は乗り切れるはず」

また、すでにがん保険に入っている人も見直すべきだという。

「昔の保険は入院日の日額計算が多いのに、最近の入院は数日。『保険金がもらえない』と泣いている人がたくさんいます。外来を保証している保険がいいでしょう」(天野さん)

そして収入を切らさない方法として、会社は絶対に辞めないこと。

「完璧でなくても、先につなげる意識で仕事する。実績ゼロから頑張ってそれでダメだったらいいじゃん、でいいと思います」(吉住さん)

孤立しないよう、人間関係のネットワークをつくっておくことも大事だ。1人で抱えないほうが精神的に楽だし、オープンに構えていれば情報を得ることもできる。周りに言えなければ、患者会や相談支援室に行く方法もある。

また友人や職場などの近い人間ががんになる可能性もある。そういう状況に対しても心構えを持っておきたい。

「がんは緩やかに治るもの、と理解してほしいですね。手術すれば治ったと思うかもしれませんが、最初は非常にきつい。僕の場合、普通に動けるのに1カ月、まあまあ働けるのに3カ月、治療前の体力まで戻るのに1年かかりました。治療が終わったのにまた休んでる、と思われたら使うほうも使われるほうも気まずいんです。それと理解がないのは辛いけれど、特別扱いも辛い。普通が1番です。今までと変わらず自分の居場所があると再確認できる。それが支えになります」(天野さん)

おひとり様のがんは、決して対岸の火事ではない。親と同居の独身者は親が亡くなれば1人だ。夫婦でも配偶者ががんに対する理解がなければ精神的には孤立する。誰もが潜在的なおひとり様ということを自覚するべきだ。『おとうと』の終盤では、いよいよ具合が悪くなった鉄郎を、吟子が見舞いに訪れる。鉄郎が「夜中に目が覚めるのが怖い。泊まってくれないか」と懇願すると、吟子は快諾する。しかし病気で大きな声を出せないから、目が覚めたら合図が送れるよう、2人は互いの手をピンクのリボンで結ぶ。我々の社会が必要としているのも、人と人をつなぐリボンであるに違いない。

http://president.jp/articles/-/11396?page=1


楽観的な脳

2015-08-15 19:06:30 | 健康

楽観的であること。それが成功の秘訣。しかし、楽観、悲観の性格はなぜ形づくられるのだろうか。オックスフォード感情神経科学センターを率いるエレーヌ・フォックス教授が2009年に発表した論文は、「セロトニン運搬遺伝子」の型が楽観・悲観を決めるのではと示唆するものだった。しかし、だとすれば、性格は生まれながらの遺伝子の型で決まってしまうのだろうか。
ここで意外な人物が、自らの遺伝子を調べてほしいと教授に申し出ることになる。マイケル・J・フォックス。成功の絶頂でパーキンソン病にかかっていることがわかり、再起不能か、と言われるなか、見事にカムバックをはたした「楽観主義」の持ち主だった。フォックス教授によるNHKEテレの「心と脳の白熱教室」のポイントをわかりやすく伝える予習シリーズ最終回は「あなたの性格は変えられるか」。(第4回の放送は、NHK Eテレで、8月14日(金)23時からの予定)

脳科学最前線:企業経営者にはサイコパスの気質がある!

 私は、脳内で感情や気分を安定させるはたらきをしているセロトニンという物質に着目しました。このセロトニンのレベルを保つ「セロトニン運搬遺伝子」は、人によって三つのタイプがあり、それが、楽観、悲観の性格を決めているのではないかという仮説をもって、このタイプと、その人が楽観的か悲観的かわかる認知バイアスとの関係を調べたのです。

■ 楽しい画像と怖い画像、最初に注視するのは? 

 認知バイアスというのは、画像をみせた時に、楽しげな楽観的な画像か、怖い悲観的な画像か、どちらに最初に注意を払うかによってわかります。

 その結果は、セロトニンという物質がより多く出るLL型を持っている人はポジティブな画像に引き寄せられ、発現量の低いSS型、SL型の人はネガティブな画像に引き寄せられるというものでした。

 やはり、セロトニン運搬遺伝子は「楽観性を生む遺伝子」と言えるのではないか。

 この研究結果は大いに人々の話題になり、マスコミにも取り上げられました。何しろ、性格を決める遺伝子があったかもしれないというのですから。

 この研究結果に、ある楽観主義の人物が興味を持って、私に連絡してきてくれました。

■ 悲観的な遺伝子の型が驚きの変化を見せる? 

 それは、俳優のマイケル・J・フォックス。彼はまさに不屈の楽天主義者です。ご存じの通り、マイケルは1980年代に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズで人気絶頂を極めていました。ところが、わずか28歳でパーキンソン病を発症し、人生のどん底へ突き落されたのです。

 しかし、彼は決してあきらめませんでした。粘り強く病気に相対し、苦境を逆手にとってパーキンソン病を抱える役柄で俳優復帰すると、今では自身の名を冠したTVシリーズに主演するほどの活躍を見せています。

 そんな彼が、自身の『救いがたき楽天家』というドキュメンタリーの制作にあたり、私にコンタクトしてきたというわけです。そして、マイケルの調査は、私の研究に思いもよらぬ進展をもたらしたのです。

 さて、私はマイケルに会い、彼の遺伝子を検査しました。そして、楽観的・悲観的、どちらの写真に注意をひきつけられるかをコンピュータ上で調べる「注意プローブテスト」で、彼の認知バイアスも計測しました。

 そこでの検査結果は意外なものでした。マイケルの遺伝子型は、悲観的なタイプに分類されるものだったのです。

 この矛盾をどう解釈したらいいのか。

 マイケルの遺伝子の型がきっかけになって、研究の見直しが進みました。すると悲観的と思われていた遺伝子の型は、実は外界の影響をうけやすい型にすぎないことがわかったのです。

 彼ら彼女らは、ネガティブな経験をすると確かに悲観的になるのですが、ポジティブな経験をすれば、より高い幸福を感じられます。逆境に打ちのめされやすい一方で、よいことからは最大の利益を引き出せるタイプだったのです。

マイケルは幼少時、ちょっと変わり者だと思われていました。しかし、彼の祖母はとても広い心で「マイケルは将来有名になるよ」と言って、マイケルを常に励ましてくれたのです。そのポジティブな環境に彼のセロトニン運搬遺伝子の型はよく反応したのではないか・・・つまり、遺伝子の型によって楽観・悲観は決まっているわけではない。性格は環境によって変えられるということです。

 私の研究室では、こうした環境を人工的につくり、性格を楽観的に変えていく方法を探っています。

■ 性格を楽観的に変える訓練とは

 ひとつの方法として、冒頭で説明をした画像をどんどんみせていく「注意プローブテスト」で意識的に、ポジティブな画像を見るように訓練をするというものがあります。そうすると、悲観的な人が楽観的にかわっていくという実験結果が得られました。

 デューク大学の研究では、心に浮かんだ考えや映像に「ラベルづけ」するだけで、脳の前頭前野を活性化させ、悲観脳の中枢である「扁桃体(へんとうたい)」を鎮められることがわかりました。脳スキャナーの中で被験者は、サメ、クモ、ヘビ、銃、ナイフ、爆発といった恐ろしい画像を見せられます。通常ならそれは恐怖の反応を呼び起こし、扁桃体が活性化します。

 しかし、それが人工のものか自然のものかを冷静に解釈するように求められていれば、扁桃体の活動は収まったのです。

 脳科学が日々明らかにしているこれらの知見は、わたしたちの日常にさまざまな示唆をあたえます。失敗したときのことを考えて、すべてがうまくいかないという人は、まず具体的に計画をたてることで、「ラベルづけ」と同様に、自分の挑戦をより客観的に見られるようになります。すると主観で悲観的にしか見えなかったものを、しだいに落ち着いて見ることができるようになります。

 さらに、本当の楽観主義の回でお話しましたように、「継続すること」は楽観主義を維持するためにとても大事なプロセスです。

 そうした「努力」をくりかえしながら、よい未来をつとめて思い描くことで、少しずつ性格もかわり、物事もうまくいくようになる。そう今日の脳科学は教えているのです。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150814-00080033-toyo-soci&p=1


炭水化物、脂質摂取過多

2015-08-15 12:42:58 | 食品

現代人はカロリー過多、炭水化物のとりすぎ、でも欧米人よりは野菜をとっているといったイメージをお持ちではないでしょうか。

でもそのイメージ、実は間違っているかもしれません。

今回は数字のデータを示しながら、日本人の食生活についての3つのイメージを改めて検証してみたいと思います。



1. 現代人はカロリーをとりすぎている・・・ウソ

「昔の日本人に比べて今の日本人はカロリーをとりすぎている」と思っている人は多いのではないでしょうか。確かに、お腹がポッコリでたメタボの人が増えたことを考えると、高カロリーな食事の結果だというふうに結びつけがちです。

実際、日本人のカロリー摂取量がどう変化しているかというと、

1946年・・・1,903kcal

1955年・・・2,104kcal

1975年・・・2,226kcal

2000年・・・1,904kcal

2012年・・・1,874kcal

(国民健康・栄養調査より)

戦後、わずか10年の間に急速に摂取カロリーが増えているのがわかります。その後、1975年をピークに減り続け、2012年ではなんと1,874kcal。これは戦後すぐの、まだ食料が十分になかった時代より少ないカロリーなのです。つまり、現代人は昔に比べてカロリー数で見ると減っていると言えます。



2. 現代人は炭水化物のとりすぎ・・・ウソ

近年、糖質制限というダイエット法が流行り、何かと悪者扱いを受けている”炭水化物”。人間はカロリーをたんぱく質、脂質、炭水化物の3つから得ていますが、この比率の変化を見てみましょう。

(順に、「たんぱく質」「脂質」「炭水化物」)

1946年・・・12.4% 7.0% 80.6%

1975年・・・14.6% 22.3% 59.2%

2012年・・・14.6% 26.2% 59.2%

(国民健康・栄養調査より)

これを見ると、昔に比べて食事中の炭水化物の占める割合は減っています。実際、炭水化物の主な供給源のひとつである米の摂取量は戦後、半分以下にまで低下しています。

一方、急激に増えたのが”脂質”の割合。現代人は炭水化物ではなく、脂質をとり過ぎていたのです。



3. 日本人はアメリカ人よりも健康的な食生活を送っている・・・ウソ?

アメリカ人の食生活といえば、分厚いステーキにフライドポテトにコーラ……日本人に比べてとても健康とは言えない食生活を送ってそうなイメージがあるのではないでしょうか。

一口に「健康的な食生活」といっても定義が難しいのですが、ひとつのデータをご紹介しましょう。それは「野菜の摂取量」です。

一日の平均野菜摂取量はアメリカ人が349.6gなのに対して日本人は290.9g。日本人の方が約50g(ミニサラダ一皿分)も少ないのです。ちなみにお隣りの中国は766.8g、韓国は584.6gと日本人の2倍、3倍の摂取量を誇っています。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141022-00004372-nkcareism-life