男は病気になると、周りに隠して1人で抱え込む
吉永小百合が姉で、笑福亭鶴瓶が弟。2010年公開の映画『おとうと』を記憶している人は多いはずだ。弟・鉄郎は旅役者を気取る風来坊。堅実な姉・吟子とは金に関する揉め事を境に連絡が途絶える。数年後、消息不明だった鉄郎が救急車で運ばれた報せが届く。吟子が駆けつけると、鉄郎の体はがんに侵され、全身に転移していた――。
体の不調を家族に相談できなかった鉄郎。彼は映画の中だけの極端なキャラクターだろうか。それが特殊な例ではないことをしめすデータがある。NPO法人HOPEプロジェクトが発表した「粒子家族時代のがんと暮らし・生活ニーズ調査」だ。がん経験者をおひとり様(一人暮らし)、プチおひとり様(親・兄妹同居)、おふたり様(親とは別居の夫婦)、家族の4グループに分け、アンケートを実施。この調査で、おひとり様ががんになった場合の厳しい現実があきらかになった。
図で告知を受けて最初に相談した相手を見ると、プチおひとり様は「実の親」、おふたり様と家族が「配偶者」の回答が多数を占めるなか、おひとり様のトップは「誰にも相談はしていない」。約2割にのぼった。
「その心境はよくわかる」と語るのは、がん患者支援に関わる一般社団法人グループ・ネクサス・ジャパン理事長・天野慎介さんだ。00年、27歳の天野さんは一人暮らし。多忙な職場で働いていた。声が出なくなったり、高熱を出すことがあり、念のため地元の病院で精密検査を受けると、血液のがんである悪性リンパ腫を告知された。
「予想もしてなかったので、頭は真っ白。医師にふたつしか質問できませんでした。ひとつは『仕事はどうなりますか』。解雇より仕事に穴を開けないかが不安でした。もうひとつは『家族に伝えないで治療を受けることはできますか』。知ったら悲しむし、負担もかける。できることなら知らない間に治せたらベストかなと……」
しかし医師は、抗がん剤治療は1人では難しいと返答。天野さんは悩み、家族に話すまでに1週間を要した。結局、母親は淡々と話を聞いて「病気になったものはしょうがない。治していこう」と受け止めてくれたという。
天野さんは病気を告白した例だが、男性は総じて相談を躊躇する傾向が強い。
「相談できる相手」をまとめたアンケートでは、女性のおひとり様は順に「友人」「兄弟姉妹」「恋人」だったのに対し、男性は「いない」がトップ。HOPEプロジェクト理事長・桜井なおみさんは、「女性はオープンだけど、男性は閉じこもりがち」と分析する。
「乳がんの患者会など、女性は集まる場がいっぱいあるのに、男性はほとんどない。相談会を開いても、参加者は少ないです。1人で抱え込んでしまうのでしょう。女性はその時期があっても、それから『私、困ってます!』と声を上げて動くんですけどね」
調査から浮かび上がってくるのは、おひとり様の男性患者が1人で悶々と悩んでいる状況である。そのように孤立しても、いいことはほとんどない。
「闘病中は免疫力が落ちて、風邪をひきやすくなる。1人でうなってると心底不安になりますし、僕が副作用で肺炎になったとき、1人で救急車を呼んだり、入院の準備をするのは本当に大変だった」(天野さん)
他人に相談すれば気がはれるし、同じ立場の患者から治療に関する有益な情報が入ってくる可能性も高い。その機会を自ら失ってしまっているのだ。
どうにもならない。がんになった途端、生活保護のケースも
おひとり様患者が直面する、もうひとつの大きな問題が「金銭」である。
治療費や薬代は、高額療養費制度があるため、天井知らずで払うことはない。自己負担限度額は所得が一般に区分される場合、1月に約8万円(8万100円+(医療費-26万7000円)×1%)が上限になる。しかし、懐を痛めるのが差額ベッド代だ。厚生労働省調査によれば、この平均額は1日約5800円。公的保険の対象外で還付もない。しかも、がんは術後も長く付き合うケースが多い。生活費を1人でまかないつつ、月8万円をコンスタントに払うのはなかなか厳しい。先進医療などを試したい場合、負担は倍増する。
さらに、闘病による収入減が患者を襲う。体力の低下や長期治療によってこれまで通りの仕事ができなくなり、勤務時間の短縮、休職、転職した結果、収入が落ちていくケースは多い。「がんと診断された後、収入が減った」と答えたおひとり様は61%。減った割合は、「無収入になった」が26%で、半減以下は20%もいた。
メーカー勤務の吉住小春さん(仮名)は、4年前、最前線で活躍していた40代後半に乳がんが発覚。抗がん剤治療を受けた後、外科手術、そして約1カ月半の休職中に放射線治療を受けた。復帰直後は駅の階段を手すりなしでは上れないなど体力の低下を感じたが、その後、順調に回復した彼女でも、収入減は避けられなかった。
「がんを治療しながら勤務するのは、会社に前例がなく、人事もどう扱っていいかわからない。勤務時間を減らす提案をしても認められませんでした。結局、体調を見ながらということで資料整理のような雑務に替わったんです。周りには病気について告知しなかったので、急にどうしたんだろうという目で見られましたね。その後、別部署に異動しましたけど、役職もなくなって給料は3割程度減。一度下がった給与を元に戻すのは難しいです」
吉住さんは40歳までに簡易保険を払い終わり、ほかにも保険に入っていたうえ堅実に貯金していたため、経済面で慌てることはなかった。しかし今後については「この年齢で転職するのは現実的ではないから、今の会社を辞めたら最後だなという恐怖は常につきまとっています」と不安を覗かせる。
罹患時、民間保険に入っていなかったおひとり様女性は9%と少ないが、男性は26%が無加入。結果、おひとり様男性の68%が、治療費などの経済的負担に「預貯金からの補填」で対処している(女性は31%)。切り崩し型生活を強いられ、経済的に困窮する患者は少なくない。天野さんも「僕が病気になったとき、人生設計は全くしてなかった。貯蓄は100万円もないのに、初回治療にかかったのは120万円。後で還付されるけれど、まず現金で払う必要があったので、親族から借りました。貸してくれなかったら、完全に干上がっています」と振り返る。
貯金も、保険もない。休職期間の収入は保証されず、各種出費にくわえて、前年度所得に基づいた税金も請求される。結果、治療費が払えず、いきなり生活保護という人もいるという。
「医療費は安くなるけれど、みんな嫌がります。プライド持って働いてきたのが、『何でがんになって生活保護受けなきゃいけないんだ?』と思う。でもお金はない。もう右にも左にも動けないんです」(桜井さん)
今や日本人の2人に1人はがんになる状況。罹病したときのため、おひとり様はどのような準備をすべきか。桜井さんは「がん医療はさらに高くなるので、貯蓄のない人は安いのでいいから保険は入っておくべき」と強調した。
「一時金で300万円もらえる保険に入れば、高額療養費制度で年間100万円かかるとしても、治療に3年通えるからクッションになる。1番しんどい時期は乗り切れるはず」
また、すでにがん保険に入っている人も見直すべきだという。
「昔の保険は入院日の日額計算が多いのに、最近の入院は数日。『保険金がもらえない』と泣いている人がたくさんいます。外来を保証している保険がいいでしょう」(天野さん)
そして収入を切らさない方法として、会社は絶対に辞めないこと。
「完璧でなくても、先につなげる意識で仕事する。実績ゼロから頑張ってそれでダメだったらいいじゃん、でいいと思います」(吉住さん)
孤立しないよう、人間関係のネットワークをつくっておくことも大事だ。1人で抱えないほうが精神的に楽だし、オープンに構えていれば情報を得ることもできる。周りに言えなければ、患者会や相談支援室に行く方法もある。
また友人や職場などの近い人間ががんになる可能性もある。そういう状況に対しても心構えを持っておきたい。
「がんは緩やかに治るもの、と理解してほしいですね。手術すれば治ったと思うかもしれませんが、最初は非常にきつい。僕の場合、普通に動けるのに1カ月、まあまあ働けるのに3カ月、治療前の体力まで戻るのに1年かかりました。治療が終わったのにまた休んでる、と思われたら使うほうも使われるほうも気まずいんです。それと理解がないのは辛いけれど、特別扱いも辛い。普通が1番です。今までと変わらず自分の居場所があると再確認できる。それが支えになります」(天野さん)
おひとり様のがんは、決して対岸の火事ではない。親と同居の独身者は親が亡くなれば1人だ。夫婦でも配偶者ががんに対する理解がなければ精神的には孤立する。誰もが潜在的なおひとり様ということを自覚するべきだ。『おとうと』の終盤では、いよいよ具合が悪くなった鉄郎を、吟子が見舞いに訪れる。鉄郎が「夜中に目が覚めるのが怖い。泊まってくれないか」と懇願すると、吟子は快諾する。しかし病気で大きな声を出せないから、目が覚めたら合図が送れるよう、2人は互いの手をピンクのリボンで結ぶ。我々の社会が必要としているのも、人と人をつなぐリボンであるに違いない。
http://president.jp/articles/-/11396?page=1