諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

栗の花 の風雅

2009-05-31 17:13:01 | 日記・エッセイ・コラム

    身近で見る 【 おくのほそ道 】-VOL・3

  芭蕉は、須賀川までやって、参りました。そうとう疲れたとみえます。此処に、4~5日逗留するのですが、この宿の傍らに、、大きな栗の木陰の奥のほうに、『世をいとう僧』が、住んでおりました。「橡拾う」と詠んだ西行法師もこんな深山生活していたかと、偲ばれ、次の詞を、書いて、句を詠んだ。・・ということであります。

  栗という文字は西の木と書きて 西方浄土に便りありと、行基菩薩の一生杖にも柱にも此の木を用ゐ給ふとかや。

  世の人の  見付けぬ花や  軒の栗

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    我が家の、軒の栗です。殆んど、手入れはしたことがありません。しかし、毎年よく花を咲かせます。長い穂状の花を、無数に付けます。栗の木は、一面にまっ白くなります。日の光に、輝いて結構な迫力があります。なんと形容したらいいのかわかりません・・・・。【雅ーー!】です。(★【雅】とは、モノに感じて『ギャァー!』と言葉を失う様を表す会意文字です。)    文才なし!は、こう言う時に、奥の手といきます。

    振鷺ここに飛ぶ  かの西雝せいよう・・・・・(途中は略す)

     簡なり簡なり    方ごとに萬舞を將おこな

  中国最古の詩歌集 『 詩 経 』 の一篇から、かなり乱暴ですが、必要なところだけの引用です。栗の花の様子が、将に、この歌詞の通りに感じられます。「はねうちかわしながら白鷺が舞い」ます。それは、 「 簡なり 簡なり 」=まことに勇壮な群舞であり、四方へ舞い進む。これは、祝言の舞で、舞手は、偉丈夫然たる男たちです。(白川 静先生の「詩経」より) 白色の万舞です。 ピッタリ!!です。

  俗世を捨て、栗の木陰の奥にヒッソリと棲む僧に、心を動かす、芭蕉の風雅・漂泊の世界から離れてしまいました。そして、ますます、離れます。

  栗の花の下で、カメラを持ってウロウロしながら、ふと気付きます。(『 アナタは気付くのが、いつだって遅いんですよ~・・・』 横あいの方で、ドナタかが、言ってます。マア、だいたい、その通りなんですが・・。) 「 この花のうち、どれが、イガイガの栗の実になるのかナ~?」 ▼ 植物図鑑で調べました。ナント、栗の花、乳白の長い穂状のものは、雄花で、その下部に、雌花は、総包に包まれいると、図解されているのです。不覚です!!。(大きい声は出しません。また、何か言われます。)

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  雌花です。なるほど、雄花の下部に、居るではありませんか。尾状花穂と呼ばれる雄花群の中ほどに、鎮座していました。雌花を取り囲むのは、勇壮な舞手 【偉丈夫然たる男】たちです。群舞しながら、虎視眈々と、狙っている様子です。しかし、強引に引き倒し、引き剥がし!!!・・・そんな、無体なことはいたしません。ただ、『ジイーッ』と見つめているのです。

  ここに誰をかこれ思う  西方の美人   かの美人は  西方の人なり

  このように、遥か西方を望み、美しき人を想い、踊るのです。

  栗の花は、虫媒花です。虫を惹き付ける手段は、あの独特な、甘ったるい生臭さのする匂いです。コバエや小さな甲虫が、雄花にもぐり込んでいました。『花よ蝶よ』のように、華やかではありません。実に地味な媒酌人ですが、しかし無事に婚儀は整います。【 かの 美 人 】は、子を宿します。月満ちて・・・。

  【♪  栗の実~食べては  思い~出す~~# 】  栗は、誠に優秀な食い物です。美味です。実に、縄文のむかしから、日本人の食生活をフォローしてまいりました。しかし、この続きは、栗の実を食べながら、ということにいたします。

  、風雅が、【詩経】に、その源があり、李白や杜甫の詩情の世界にも深く影響を与えていることは,言うまでもなでしょう。そして、当代の知識人である芭蕉が、それを、教養として自分のモノにしていたと言えるでしょう。(芭蕉の句には、唐詩風な響きを、感じさせるものが、いくつもがあります。)

   しかし、私は、いまここで、とうとう、芭蕉の意図した風雅の世界に至りませんでした。

 自然は、【不易】です。そして、日々【流行】してやまざる世界です。、栗は、毎年花を咲かせます。その生態の巧みさを、毎年演出するのです。驚きを、ただ感じるのみです。 私は、そこに、風雅を見ます。

  これで、なんとか振り出しへ・・・。草々

   ※ 追伸   近くに、一人者の老人が住んでいました。望んで、俗世を離れて生活してた訳ではありませんが、沢山の草木を愛でて、風流人を装っておりました。「独居老人」-この言葉あまり好きになれませんが、町役のひとが、時々訪問していました。「オレは、一人でカッテニヤルカライイんだ!」と、元気な声を張り上げておりました。しかし、認知症を発症して、施設に入れられてしまいました。2年前に亡くなり、家は解体されました。裏庭には、かなり巨木になった栗の木がありましたが、それも一緒に伐られてしまいました。

 

  

  

  

  

 

  

 

  

   


青梅・桑の実 懐かしき味・・・

2009-05-29 12:03:26 | 日記・エッセイ・コラム

  うれしきは  葉がくれ梅の  一つかな   杜 国

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  梅は、中国中部原産で、古代に渡来、万葉の時代には、花といえば、梅の花で、それを詠んだ歌が、実に多く、サクラを凌駕していたことは、よく知られるところです。しかし、ここでは、そういう難しいお話は、致しません。

  昭和30年前半頃までに、少年期を送った子供たちにとっては、【青い梅】は、オヤツでありました。農村部では、今日のような貨幣・消費経済も浸透しておらず、子供たちは、《オコズカイ》なんて、普段は、全くもっておりません。▼ 遊びが,ひとしきりして、腹がへったり、口寂しくなると、『 オメ~、ウチ行って、塩持ってこー! 』 なんて、年かさの子供が、命令します。 一番シッタッパが、家から、塩を、 こっそりと、手のひらに包んで、持ってきます。子供らは、その塩をつけて、梅の青い実を食べたものです。▼親や、近所のジイサンに見つかれば、大変です。「バカヤロー!!『青酸カリ』が、へーてるって、解ってるんか!死んじまうぞ。」 『青酸カリ』とは、少々オバーですが、事実、若い青梅には、青酸が、含まれいて、生食には適さないようです。

  「ワーー! スッペエや~!入梅になんねえと、ヤッパリ、駄目か。」  年かさは、知ったかぶりをします。それでも、2~3個は、食べます。それから、残った塩をよくなめます。そうすると、毒が、消えると信じておりました。その効あってか死んだ子供は、いませんでした。▼ちなみに、梅の実には、鉄分・カリュウム・ビタミンB2が、多く含まれていて、滋養豊かな果実だそうです。道理で、私どもの世代は、丈夫なのが、多い・・わけ!?

   続きまして・・・桑の実  桑イチゴ 〔季語は、カッコいいです。〕

   黒く又  赤し桑の実  なつかしき   素  十

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    【桑の実】。熟れると、黒紫色なって、甘い味がします。5月の此の頃では、野で遊ぶ子供らとって、ただで手に入る食い物といったら、この実くらいでした。それぞれが、熟した実が、たわわに付いた枝を折り取って、河原まで下りて行って、食べたものです。下手して、大人に見つかると、大いにしかられたもです。▼ 桑は、養蚕の盛んなここら辺では、何よりも大事な生産資源で、生活の糧を生み出す基、それを、荒らすのは、ご法度です。野に遊ぶ子供らの、原則は、自由気ままに、というよりは、まず、安全を確認することが第一でした。、それを、怠って見つかり、頭をこずかれても、自己責任です。

   当時 子供たちは、桑の実なんて、言いませんでした。【 ド・ド・メ 】※と言っておりました。たらふく食うと、口の中は、すっかりムラサキ色に、染まってしまいます。それで、結局は、大人たちに、ばれてしまうのですが、なにせ、現行犯でないので、「食いすぎんな^!」程度で、終わったものです。

  【 ドドメ 】は、調べましたところ、「土留め」です。昔は、土手の土砂が、流され崩れないように、桑を植えておいたようです。

   今では、あれ程、盛んであった養蚕も、衰退して、すっかり桑原も無くなりました。愛犬の散歩コースの土手に、二本の桑が、かなりの大木となって、生えております。椋鳥が、熟した【ドドメ】を 群をなし、甲高い声を発しながら、啄ばんでおります。

  時に感じて ・・・・ 鳥にも心を驚かす・・・。“ト ホ ホ~”と言う訳です。

    

  

  


オダマキ 妙なるか、艶なるか

2009-05-27 10:30:18 | 日記・エッセイ・コラム

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 【 オダマキ 】 苧環。 昔、麻糸を巻いた苧手巻に花の形が似ていることから、名付けられましたのは、よく知られるところです。

   毎年、この時期、庭木の間の小暗がりで、花を咲かせます。、接写し見ると、蕾の状態とはいえ、、後方ななめ上に、【距】を跳ね上げている様子は、、なんとも、いい色合いで、妙なるか、艶なるか、の感じいたします。何故かと聞かれても、マア、そう感じるのでとしか、答えようがありませんが・・。▼ 「 バック・シャン 」==《 後姿は、カッコイイのですが、前にまわると、イマイチ・・。》なんて、女性の方を表現する言葉がありました。最近、聞きません。マア、聞かない方が良いのですが・・。 ウカッリ 使って、聞こえでもしたら、大変なことになること請け合いです。▼ それにしても、オダマキの凛と肢体を伸ばした形は、後姿といいますか、横姿といいますか、カッコいいもです。背後を使った、この自己主張、この表現力は、他に類を見ません。まさに、造化の妙とでも、言うしかありません。

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  花は、開き始めました。「他人には、そう簡単に見せられませんヮ」。と言うわけでしょう。思わせぶりでしょうか、乙女の恥じらいでしょうか。ところで、乙女・オトメを万葉人は、【未・通・女・】と漢字を当てました。他国の発明の、この応用力!!、は、たいしたもんです。

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  開花しました。樫ぐねの間から、もれて来る朝日に向かい花弁を思いっきり広げ、そして、清涼な空気を、深ぶかと吸い込んでいます。【西洋オダマキ】とよばれている種類であります。アチラで、改良された園芸品種のようです。原種は、【ミヤマオダマキ】です。《、本州中部から北海道、サハリン、朝鮮半島北部の高山帯に自生する、》。(牧野植物図鑑より) ▼  『 洋行帰り 』とは、古い言葉です。欧米の空気を吸って帰国する。主義主張の仕方を十分に会得しております。当然、自分の意見を強く言いはったりいたします。そんな人を、揶揄(レッテル張り)した言葉ですが、グローバルな今日では、通用しません。しかし、【ミヤマオダマキ】の可憐ですが、こじんまりした花容に比べたら、この【セイヨウオダマキ】は、まさに、『洋行帰り』=『欧米化』です。素晴らしき容姿とその主張です。あまり目立たない所で咲くとは言え、立派なものです。花びらを、前方に押し広げ、【距】を後方へつっぱております。この自己主張!たいしたもんです。

 ◎  漢和辞典で【距】をひいてみました。

  【 距 】 ① おんおどりの足の後部に突起している爪。② 花のガクまたは花冠の基部が伸びたん管状ないし袋状の部分。

    【 動詞化 】した場合。けずめが生える。

  ▼ (例 ) 雌 鶏 化 為 雄   冠【 距】 而 鳴  ※訳 『 めんどりが、おんどりに変化し、とさかやけずめが生えて、時を告げる。 』 

 「 エ~~!!  ナニコレは~」。私をはじめ、世のオトウサン方は、現実に引き戻される【例】ではありませんか。「オダマキの素晴らしき容姿・・・・。感動した・・!」。なんて、言ってる場合ではありません。

  「 いつまで、パソコンで遊んでるんですか!モモタロウ〔愛犬の名前)が、待ってますよ。ウルサイから、サッサ散歩に行って来て下さい・・・!」

  「 ハイ  ワ カ  リ マ シ タ  !!」     本日は、これまで。


馬車引き馬と【ハエ】 のお話

2009-05-23 10:50:44 | 日記・エッセイ・コラム

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  # お馬の親子は  仲良しこよし  いつでも一緒に ホックリポクリ 歩く~#

  ▼ ほのぼのとした親子の情景を歌った、ご案内の童謡ですが、これからのお話は、この「 ホノ ボノ ・・」さとは、いささか趣を異にします。

     ある所に、馬の一家が、住んでおりました。両親の馬は、馬車引きの請負仕事をして、生計を立て、子馬を大切に育てていました。

  ある日のことでした。夏の初めにしては、暑い日でした。いつもの時刻になったも、両親は帰ってきません。日は、西の端に傾きかけてきました。子馬は、心配と心細さで、オロオロとしていました。

  太陽が、西の山なみの奥へ、沈みかけた頃になって、両親は、ヤット帰ってきました。何時もよりも、ずっと疲れた様子です。

  「 おかえりなさい。今日は、遅かったネ。ボク、心配してたんだョ~!。」

  「  ゴメンネ。心配かけさせて、でも、今日は、大変だったのよ 。」

  と母馬は言いました。まだ、体全体に汗が滲んでいました。

  「 本当に大変だったよ、。マア、お前も大きくなったときの勉強になるかもしれない。」、

  と父馬は、今日の出来事の一部始終を、子馬に、話して聞かせました。

    今日の仕事は、【乗合馬車引き】 でした。何時もは、麦や塩などの食品搬送でしたが、本日に限って、【 乗合 】の方に、『 空き 』があって、此の方が、少しばかり歩率もいいので、請け負って見ることにしました。配車係りの主任さんも、引き手の手配も付かず、困っているところだったので、直ぐに、話はまとまりました。

「 ひと山超えた隣の村までは、それほど、難儀するこもないはずだ。馬車は、四頭立て仕様だけど、何とかなるだろう。あそこまでは、林道整備も良くされていて、道はいい。カアサン、少し頑張って、帰りには、息子に土産でも買って帰ろうか・・。 」 

  乗合馬車は、出発しました。里山は、長閑なものです。乗客は、この里山の町の診療所へ来た高齢者、子供連れの女、熟年の巡礼〔足を痛めたよう)、数名でした。「 此のくらいなら、軽いもんだな、」 ポックリ ポックリ 軽快な足取りです。

  ところで、人生〔馬生かな)そう上手くいかないのが、相場というものです。鼻歌交じりは、つかの間のことでした。山坂にかかっても、快適に舗装された整備されたスーパー林道なので、比較的楽でした。しかし・・。 何と、快適舗装の林道の一部が、突然の地盤陥没で、この先は交通止めです。その場を監視していた道路整備局員の誘導で、旧道に回されました。しかし、しばらく、放置されていた旧道は、石ころが多く、登り坂も急で、しかも、森林整備事業が、途中で取りやめになっていたので、日かげひとつありません。二頭立てでは、とても登りきるものではありません。しかたなく、みんな降りて、歩くことになりました。

  「  汗はかくし、息は切れるし、イヤハヤ稼ぐッてきついもんだな。それにしても、あの【ハエ】の奴は、いい気なもんだったな~!」と父馬はいいました。

  一匹のハエが、馬車に乗り合わせておりました。と言っても、所謂、『 尻馬に載る 』で、勿論、無賃乗車です。だっまて乗って居ればまだしも、やがて、「 ブンブン 」 うなって飛び回り始めたのです。

  「 奴は、あれで、俺たちを励ましてつもりでいたんだ。ところかまわず、やたらに突っきまわす、。文字通り 【五月蝿い】ったらありゃしなかった。ナア、カアサン。」

  【ハエ】は、まるで指揮官です。たえず自分が、乗り物の集団を動かしているつもりなのです。行ったり,来たり、忙しそうにたちふるまいます。馬車が、ヤット動き始めれば、それは、自分の功績なのです。ハエは、行動しているのは、自分だけで、何もかも世話をしているつもりです。「汗グッショリの馬を助け、この困難を切り抜ける努力もしないで、ただ歩くばかりだ。」 と愚痴る。足を引きずって歩く巡礼が、なにやら経文を唱えている。「それが、この際、有効カネー!」 子供をあやして、女が歌う。「#  お馬のカアサン やさしいカアサン~#」「そんな歌何の励みにもならないよ。」 ハエは、耳元へ飛んで行って、がなりたてる。「高齢者だって、知恵くらいだせるだろう。」

 「 俺たちのさんざんの苦労の甲斐あって 」。馬車は、ブナの大木の木陰のある、峠の平坦地に辿りつくことが出来たた。「マア、俺たちの馬力もすてたもんじゃない。」 老人は、背中の汗を拭ってくれる。巡礼は、ペットボトルの水を口先にかけてくれる。子供は、買い物バッグからニンジンを取り出し、渇いた口に入れてくれる。とりあえずの 小休憩。「なのに、ハエの奴ときたら・・・・。 」

 「 サア,一段落で~す。ワタシが、骨を折ったおかげで、こんな涼しくて、しかも素晴らしい見晴らしの中で休めるので~す。これから、少し下れば、スーパー林道の快適な道路がまってますよ。ワタシ、皆さんが、汗拭いて、休んでいる間に、一飛びして、見てきました。馬をはじめ、乗客の方々、感謝してくださ~い。 べつに、謝礼までとは、もうしませんが・・・。」

    ※ このお話は、ラ・フォンテーヌの寓話 「乗合馬車とハエ」(巻7の8)をアレンジしたもです。次の文章は本文からの引用です。

  『 こんなふうに、せわしげな様子をして、あらゆるところに入り込んでくる人たちが居る。彼らは、いたるところで、居なくては成らない人間のつもりでいるが、いたるところで、うるさいだけの人間。追い払われるのが当然。』

  ▼ 2009年の現在、このハエのような存在の筆頭に、テレビの報道が挙げられる。素人目にも解るような、バイアスのかかったニュースを、一方的に垂れ流す。大騒ぎをする。M党代表の政治献金問題は、殆んどの局(此の辺りでは、BSを加えれば15局)が、全く同じ論調のアナウンスをする。しかも、リークされたネタi以上を含んでいないことは、明瞭なのに、恥ずることをしらない。「 説明責任が足りない!」の一本槍・ 殺し文句で飛び回る。レッテルを貼って稀代の悪党が仕上がる。J党にも、同じケースが、見えみえの場合でも、お得意の【調査報道】で、本気になって追っかけない。結局は、周りでブンブン言っているだけ。都合が悪い場合は、黙って見過ごす・・・・。▼ ゴールデン・タイムに「心に残る名場面集ー永久保存版」長たらしいタイトルの3時間特番、セコハン・フィルムのつなぎ合わせ、大袈裟なナレーションと、お笑いタレントのコメント・・・・エトセトラ・・E、T、C・・・。

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  お馬の親子は、クローバーを おなかイッパイ食べて、休みました。

  # 馬はだっまて  戦争に行った  馬はだっまて 大砲引いた~#

  # 馬は夢見た   田舎のことを  田んぼ耕す  夢見て死んだ~#

               「 馬 」 茶木 滋  ㍼15・12 (日本童話集より)

  こんな事にならないように、母馬は、子馬の寝顔を見つめながら、夜空の星に祈りました。