こども時分(じぶん)の 喰い過ぎで なすぎらいの
茄子ハウス栽培 専業農家主
夢 蔡
誠介さんは、昭和22年の生まれである。
野を駆け回った成長期は、敗戦後、間もなくでした。
農村部では、ほとんどが、「自給自足」的生活であった。
農作業は、人海戦術そのもであり、大人たちは忙しかった。
母親も、暗くなるまで、働き、それから食事の支度である。
母親は、屋敷前の畑での “ナス”作りがとくいであった。
夏から秋にかけては、三度三度、「茄子」が利用された。
煮物・漬け物・うどん汁の糧・焼きナス、などなど・・。
小学校の高学年ともなれば、農作業の手伝いであった。
家に帰ると、新聞紙に、”消し炭”で、
「沼下の畑にこい、」とか伝言されていた。
その横に、”にぎりめし”と”塩漬け小茄子”が置いてあった。
今や、農業は機械化され、農業資材も豊富になった。
誠介さんは、現在、茄子栽培用の温室ハウスを5棟もっている。
彼の茄子は、青果市場では、一級品の高値が付く。
しかし、誠介さんは、茄子を食べない。
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写真は、我が菜園の【 ナ ス 】である。
今年は、いま現在、”茄子木”の勢いが衰えない。
7月いっぱいの雨で、根が良く張ったせいかもしれない。
いまだによく生(な)っている。
ネットで、ナス・レシピを検索して、料理している。
夕餉のおかずが、一品助かっている。
世は、一応、平和なのである。
薩摩芋(さつまいも) 南瓜(かぼちゃ)嫌いの
人ありし
飢えを知りたる 世代 老い ゆく
夢 蔡
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