諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

四月尽

2014-04-30 16:03:29 | 日記・エッセイ・コラム

 “世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり” (「閑吟集」より) 
 「ちろりちろり」とは、瞬く間に過ぎ去ってしまうと言う意味合いで、常ならぬ世をユーモラスに表現いたしております。それにしても、時流の変化は早すぎます。なにか騙されれいるような感をぬぐえませんが、これは、なんとかの‘‘ひがみ‘‘でしょうか。
 また、陶 淵明に申せば、「歳月は人を待たず」であります。あっという間、四ヶ月が過ぎ去ってしまいます。

選ぶとは いかなることか 人の踏む 道のすきまに 生(お)ふほとけのざ  -夢蔡ー

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201404_008_2 ▲ 【ホ ト ケ ノ ザ】 花のつく葉を仏の蓮華座に見立てた名。(←春の七草の「ホトケノザ」は、キク科の「オニタビラコ」のこと)
 花の形は、「唇形花」という。可憐であり、いかにも愛くるしく、甘え誘っている感じが致します。春の小さい羽虫が迷わず花の奥へと導かれて行きます。

201404_013 ▲ 欧州・アジア・北アフリカの温帯から亜熱帯にかけて広く分布する。(←北アメリカには交易が盛んになってから帰化した。) 結構メジャーな草本なのである。
 日本では、本州から沖縄の田畑の畦・道ばたに生える
1~越年草。この近郊では、冬出荷のホウレン草専業農家に嫌われている。

ー【ホトケノザ】の成長戦略とは、ニッチ=すきま利用の戦略である。ーー
 他の植物が動き出す前に、活動を始める。1月の厳冬期でも、畑の畦などの南面傾斜地に花をつけ始め、3~4月に最盛期となる。
 ①春盛りの植物との競合をさける。②背丈を大きくしなくても,陽光を十分浴びられる。③多数の花を段階的に咲かせて時間差を利用する。そのうちいくつかは開花することなく、蕾のまま自家受粉で実を結び、危機管理する。④背の高いイネ科の植物が成長を始めるころには、種子をばら撒き休眠に入る。 
 この様に生存競争のためのコストをできるだけかけないで繁殖する知恵者なのである。
 

 ー 見習うべしである。ーー

春雷に 一瞬白き 竹むらの ざわめきたちて 四月尽きゆく ー夢蔡ー
  

              ーーーー<了>-----


晩春一日 白菜の花

2014-04-20 11:00:26 | 日記・エッセイ・コラム

 日が永いながいいとぬらりくらりかな  一茶

 時おりしも “穀雨”。 農作物を盛んに生長させる春の雨がシトシトとふっております。雑草群落も同時に勢いづいてまいりました。本来が“怠惰な性格"なもので、それなりに気になるのですが、一向に行動に移せません。
 春の雨は、
怠け者にとっては、言い訳なしで、漫然と日永を送ることがでます。結構なことであります。

採りはぐる 白菜茎だち 花満てり のこりものです どうぞちょうちょう  ー夢蔡ー

20140430_052_3▲ 「野菜作りが楽しいヨ~」と言う友人に急かされて、昨年10月に50株ほどを植えました。それなり結球いたしまして、鍋の季節に十分に堪能いたしました。
 それでも数株を採りはぐれ、三月に入りますと、花茎が立ち上がってしまいました。---

春景(しゅんけい)に 白菜の花 加わりて ー夢蔡ー

片付かぬもの また一つ増(ふ)え  ー阿羅峰ー

201404_049 ▲【 白 菜 】 英語で、[Nappa Cabbeg] (なっぱ キャベッジ) アブラナ科。原産国は中国で、華北のカブと華南のパクチョイ(チンゲンサイ)の交配によって誕生した。11世紀頃、<白菜>としての形になったと言われている。
 日本へは、明治になってから、日露戦争の出征兵士がその種を持ち帰り栽培したのが定着の始まり。今日では、冬の食卓には欠かせない主力の野菜である。

・・・もともと、アブラナ科の植物の源流は、トルコ・ウクライナ・ヨーロッパ東北部。紀元前2000年位から、“麦“の移動と共に中央アジア経由で中国へ入り、何種類ものアブラナ科の食用野菜としての進化する。

・・・我が畑で白菜に花を咲かせたのは初めてである。つまり、掲載した写真の<白菜の花>は、この畑地に至るまでに4000年かかったと言うことである。

・・・グローバリゼーションとは斯くの如しか・・・

菜の花や 折り合いつけて 生きて来し ー夢蔡

宙ぶらりんの 事も数々  ー無脳人ー

             狂歌的連歌にて--<了>--

 

 

 

 


ひと日の春景

2014-04-13 12:01:01 | 日記・エッセイ・コラム

 あふむけば 口いっぱいに はる日かな (成 美)  

 春の低気圧が南岸を通過した後、昨日までは、北風が強く吹いておりましたが、本日は、結構な日和となりました。

ふるさとは 殺し文句の 桜かな ー夢蔡ー

 鳶追いたつる 巣ごもり烏  ー群峰ー

201404_002 ▲ 【若宮稲荷】 通称オトカ山。何の変哲もない桜の風景です。 (注::オトカ・・御稲荷の音読み)
 しかし、この近郊で生まれ育った昭和の少年達(←団塊の世代ころまでの・・)にとっては、オトカ山は、“サンクチュアリ"=心の深層にこびりつく風景である。少年たちは、季節を問わず、野に出て遊ぶのが当たり前で、ここが、その時の集合基地であったのだ。
 ー 桜が満開のころ集まった少年たちは河原へ急いだ。春の行事の開始である。

ギヤマンの 欠片(かけら)で蟇(ひき)を 捌(さば)きたる 角ぐむ葦辺 杳(とお)き春の日 ー夢蔡ー

201404_045_3 ▲ コンクリートによる護岸工事されていなかった粕川の岸辺の淀みは蟇蛙(←オヒキといっていた)の産卵場所であった。産卵に夢中なオヒキを捕まえるのは簡単であった。
 オヒキを捌く道具は瀬戸物の欠片が便利であった。適当に湾曲があって、厚みも手になじんだ。
 捕まえたオヒキの喉もとにギャマン
(←カケラをこういっていた)を当てて切り裂いた。それから、一気に皮をはいだ。内臓を捨てて、流れで洗った。十数匹出来上がると家に持ち帰り、縄に通して物置の軒につるして陰干にした。
 カエルの乾物は、鶏のエサということになっていたが、かなりのモノは、爺さんのさんの酒の肴か、カレーの具になって食卓に上ったものだ。

ふるさとは 哭(な)けとごとくに 柳かな ー夢蔡

水清からず 魚(うお)生きにくし  ー琢 僕ー

 外来植物ゆえにニセアカシアが伐採され、ついでに桑の大樹が切られ、柳も切られてしまった。土手は見通しが良くなったが、生態系は貧相になった。それは、人間と自然との関係も貧相になるということである。

           ---、<了>----