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自死に思うこと 〜再掲〜

2019-02-13 23:31:16 | つれづれに思いつくまま

少し前、gooブログに「一年前の記事」が知らされる機能がついた。

大抵スルーしていたけれど、「自死」についてどんなこと記したんだろ…と、読んでみた。


以下…



先日の本、「精神病者 私宅監置の実況」から感じること…


「身体拘束」という事実を初めて知った。

亡くなった舅さんが、点滴を抜くので腕を固定されていたのが「身体拘束」だったとは知らなかった…
(身体拘束は高齢者介護施設では、よくあることのようだ)


勤務先クリニックで希死念慮のある患者さんが、ご家族の勧めもありご本人も納得して精神科病院に入院された。

間もなくクリニック受診され、改善されたと思っていたら、「家の方がマシ」と1日で退院されたとのこと。
希死念慮が消えたのか否かは分からないが、定期的に受診されている。

もしかしたら、身体拘束を受けたのかもしれない。


精神科病院での身体拘束や強制入院の実態を知るにつれ、希死念慮を持つことや、自死選択を止めるのはどういうことか…と考え始めた。

自死を勧めているわけではない。


身体拘束や入院による投薬量の増加で、死に至ってしまう精神病患者がいるのも事実のようだ。
そんな死に方をするくらいなら、自死を選んでもいいんじゃないか…という疑問が湧いてきた。
(アメリカでの強制入院の実態には目を覆いたくなった)


「自殺防止」の呼びかけがあるけれど、自殺されて困るのは誰なんだろう。
自殺をしたい人を止める権利が誰にあるのだろう。

繰り返すが、自死を勧めているわけではない。


私自身、希死念慮を持ち、消えてなくなりたい衝動に駆られながら過ごした時期がある。
自死に至らなかったのは、死ぬ勇気がなかったのと、一時的な衝動であることが認識されていたからに他ならない。


自死したいくらい、消えてなくなりたいくらい辛いんだ。
それが誰に分かってもらえるんだろう。


心理カウンセラーでありながら、紹介された本の内容を調べつつ、自らの無知を実感し、精神疾患や希死念慮への疑問が湧いてきた。


この世に生を受けた以上、誰にでも生きる意味がある筈だと感じている。
生き辛さを抱えて、死にたい気持ちになったのなら、誰かに相談してほしい。

誰でもみんな最後は死ぬのだけれど、「死ぬ為だけ」に生まれてきたんじゃない筈。
生きることの辛さを味わうことに、生まれてきた意味が隠れているんじゃないかと思う。


辛いんだろうけど…
苦しいんだろうけど…

やっぱり自死を選ぶ前に、誰かに相談してほしい。


…そんなことを感じている。






当時、勤めていた精神科のPSWさんから私宅監置の話を聴き本を借りて読んだ。
衝撃を受けたのを覚えている。

精神疾患について、漠然と分かったつもりになっていたことを恥じた。
その歴史や処遇、治療について調べた。

ここには記さないけれど、思うことは多々ある。



そして自死について。

1年経った今も、自死に対する思いは変わらない。


死ぬ前に…死ぬ覚悟と勇気があるのなら、思いを吐き出すことに使って欲しい。
話して欲しい。


保育士時代に、親が自死した子が「死んだら終わり」と言っていたが、死んでも終わらないのでは…と、思う私がいる。










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