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自死についての考察

2018-02-13 09:00:00 | 感じること・感じたこと



先日の本、「精神病者 私宅監置の実況」から感じること…


「身体拘束」という事実を初めて知った。

亡くなった舅さんが、点滴を抜くので腕を固定されていたのが「身体拘束」だったとは知らなかった…
(身体拘束は高齢者介護施設では、よくあることのようだ)




勤務先クリニックで希死念慮のある患者さんが、ご家族の勧めもありご本人も納得して精神科病院に入院された。

間もなくクリニック受診され、改善されたと思っていたら、「家の方がマシ」と1日で退院されたとのこと。
希死念慮が消えたのか否かは分からないが、定期的に受診されている。

もしかしたら、身体拘束を受けたのかもしれない。




精神科病院での身体拘束や強制入院の実態を知るにつれ、希死念慮を持つことや、自死選択を止めるのはどういうことか…と考え始めた。

自死を勧めているわけではない。


身体拘束や入院による投薬量の増加で、死に至ってしまう精神病患者がいるのも事実のようだ。
そんな死に方をするくらいなら、自死を選んでもいいんじゃないか…という疑問が湧いてきた。
(アメリカでの強制入院の実態には目を覆いたくなった)



「自殺防止」の呼びかけがあるけれど、自殺されて困るのは誰なんだろう。
自殺をしたい人を止める権利が誰にあるのだろう。

繰り返すが、自死を勧めているわけではない。



私自身、希死念慮を持ち、消えてなくなりたい衝動に駆られながら過ごした時期がある。
自死に至らなかったのは、死ぬ勇気がなかったのと、一時的な衝動であることが認識されていたからに他ならない。



自死したいくらい、消えてなくなりたいくらい辛いんだ。
それが誰に分かってもらえるんだろう。



「心理カウンセラー」でありながら、紹介された本の内容を調べつつ、自らの無知を実感し、精神疾患や希死念慮への疑問が湧いてきた。




この世に生を受けた以上、誰にでも生きる意味がある筈だと感じている。
生き辛さを抱えて、死にたい気持ちになったのなら、誰かに相談してほしい。

誰でもみんな最後は死ぬのだけれど、「死ぬ為だけ」に生まれてきたんじゃない筈。
生きることの辛さを味わうことに、生まれてきた意味が隠れているんじゃないかと思う。



辛いんだろうけど…苦しいんだろうけど…

やっぱり自死を選ぶ前に、誰かに相談してほしい。




…そんなことを感じている。




  
   (今朝は青空! ^^)



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