poliahuの旅日記

これまでに世界42ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

エチオピア篇 その3

2021年05月07日 | アフリカ
旅の終章です。下の地図中の②~④は旅の前半・中盤でまわった都市で、第3弾では➎と➊を訪れました。
また、後の下線部の数字とも対応しています。


4・5 ゴンダール ⇒ラリベラ (2012年8月1日)

明け方3時頃、何となく全身痒い気がして一度目が覚めた。一旦寝入ろうものなら、ちょっとやそっとでは起きない自分なのだが。
朝起きてチェックしたところ刺されてはいないようだったが、ノミかダニを疑った・・・
この記事を書くにあたり他の方のブログをいくつか読んでいたら、同じホテルに泊まったと思われる人も同様のことを記していた。気のせいじゃなかったのね 
このホテルのレストランは味が良く待たせずに出てきて、食べ始めると味はどうかと給仕さんがスマートに聞きに来てくれた。素晴らしいなと思っていただけに、ちょっぴり残念

9時前に離陸する飛行機に乗るため、ピックアップは早かった。ガイドのH君はおらず、昨日のドライバーさんと2人だけだった。が、彼も英語をしゃべる人だったので楽しい道中だった。例によって結婚してるか等聞かれたので答えつつ、もちろん質問返ししてやった(笑) 38歳で独身だそうです。家やら仕事やらとにかく大変で、それどころじゃないと言っていた。ベトナムはダナンのガイドさんもそんなこと言ってたなぁ・・・ふと思い出した。
搭乗口で日記を書きつつ空を見上げると、快晴 前々日のアクスム、前日のゴンダールともに一度も降られなかった。きっと予定通り飛行機は飛ぶだろう。・・・ということは、メケレに飛ぶ日だけたまたま運が悪かったのだろうか。いや、そう決めつけるのは短絡的すぎるのでは・・・暇に任せ、取りとめもない思考を巡らせるのだった

30分で到着したラリベラは、想像していたよりもずいぶん緑豊かな高原地帯だった。車窓から見る限り。

ガイドのGさんに連れられて、まずはホテルにチェックイン。さっそく観光かと思いきや、14時に迎えに来るという。2日間滞在するので時間を持て余しているのかと思ったが、観光客の多い時間帯を避けてくれたのだと後から知ることになった。

お部屋のベッドカバーには、ラリベラ式の十字架が刺繍されていた。思わずパシャリ

ホテルのレストランでランチをとった。エチオピア料理だけでなくベジタリアンなメニューも選べたので、即チョイス。
一見するとカレーに見えるが辛いわけではなく、野菜の旨味が前面に出た素朴な味わい。油っぽいのや辛いのが続くのは得意ではないので、とてもありがたかった


【ラリベラはかつてロハと呼ばれていた。12世紀、イスラム教徒の勢力拡大に伴ってエチオピアからエルサレムへ巡礼に出かけるのが難しくなった。衰えたアクスム王朝に代わって勃興したザグウェ王朝のラリベラ王はアクスムからロハに遷都し、第二のエルサレムを目指して12の教会群を築きあげ、この地は王にちなんで呼ばれるようになった。教会はすべて巨大な一枚岩を掘り抜いて造られており、エチオピア初の世界文化遺産として1978年に登録されている】

教会群はヨルダン川【本家エルサレムにちなんで命名されたもの】をはさんで第1グループと第2グループに大別される。この日は第1グループをまわった。
まずは聖救世主教会から。屋根を支える柱と柱の間から窓がのぞく。上の方の窓の形はアクスム様式。この新しい首都がアクスム王朝の文化を引き継いでいる証し。

例によって内部は薄暗い。窓からささやかに射し込む光が空間を神秘的に照らし出す。

この教会の隣にはmuseumがあって、羊皮紙に描かれた絵やイコンがたくさんあった。撮影禁止で、画像がなくて残念 なお、ガイドのGさんによると、3~4年後を目指して新しい博物館をつくる計画があるらしい。アクスムと同じ・・・エチオピアはこれから観光を推していこうとしてるんだろうなぁ~

2番目に訪れたのは聖十字架教会。前方の壁のような部分に掘り込まれている、とても小さな空間。お隣りの聖マリア教会の付属聖堂のような位置づけなのか?
中央にそびえる金属の柱は、保護のためにかけられている屋根を支えるもの。味気ないけど、守るためには仕方ない。

内部の天井を仰ぐと、ひそやかに十字架が彫られている。このさりげなさ

祈りを捧げる司祭さん。黄色い幕の向こうは至聖所で、一般人は立ち入れない。

聖十字架教会から眺める聖マリア教会。


次は聖マリア教会。下の写真で、中央の大きな建物(なお、右端の壁のような所が先ほどの聖十字架教会)。
壁に穿たれた窓にご注目あれ。3列のうち真ん中がイエス・キリスト、左右はイエスと同時に磔にされた盗賊を表すという。「救世主なら、自分自身と我々を救ってみせろよ」とイエスを罵った罪人ゲスタスは窓が少なく、ゲスタスをたしなめた罪人デュスマスは1つ多く窓を持つ。ん?? 通例では向かって左をデュスマスとするんじゃなかったっけ 逆のような気もするけど、ま、細かいことはいいか

件の窓の他にも、外壁を飾る十字架の形はバリエーションが豊富 一見 卍や×に見えるものも。



入口にはアクスム式のアーチが2つ。

入口上の彫刻を拡大すると・・・聖ゲオルギウスだった。

十字架が刻まれた柱の下には太鼓ケベロ。こんな光景が見られる教会は世界中でエチオピアだけ


内部の天井と壁には独特な色彩の壁画。抽象的な模様が圧倒的に目立つなか、わずかながらイエスにまつわる物語も描かれていた 
ほぼ天井と言ってもいいような高い場所の狭ーい空間にひっそりと息づく人物画。首を曲げ目を凝らしつつ、至福に浸ってしまった
【自分をエチオピアに連れ出した東方キリスト教美術の本曰く、非カルケドン派のエチオピア正教はキリストの人間性を軽視しその表現を嫌う。しかしこの教会にある壁画の題材は初期キリスト教時代に地中海地域で好まれたものであることから、この国のキリスト教に大きな影響を与えたもう一つの要素=シリアからやって来た9聖人がもたらした写本が引き継がれ人物画も描かれたと推察されている】
赤い十字架の下に描かれた、聖母のエリザベト訪問(小さくてごめんなさい・・・ズームしてもこんなサイズ。デジカメを新調して旅立つべきだったと後悔しても、後の祭り

聖家族のエジプト逃避。白いロバ(馬かも?)にまたがる聖母子を天使が導いている。

左端はサマリヤの女あるいはベタニアのマリア、そのすぐ右にイエス。残念ながら、中央部は剥ぎ取られてしまっている。

白い布が巻かれた柱には、人類の発祥と終末を象徴する壁画が描かれているという。どんな絵なのか、想像もつかない


次に聖ミカエル教会・聖ゴルゴダ教会へ向かう。点在する教会は複雑な隧道で結ばれていて、ガイドさんの導きがなければ到底たどり着けない

聖ゴルゴダ教会の窓は天使の羽のようなロマンチックなモチーフ。

こちらは聖ミカエル教会外壁の十字架。先ほどの聖マリア教会の意匠とも異なる。


聖ゴルゴダ教会は女人禁制のため、ガイドのGさんが代わりに撮ってくれた写真の自分を塗りつぶした。手前が聖ゴルゴダ教会、私のいる奥が聖ミカエル教会で、二つの教会は内部でつながっている。右の彫像は聖ゲオルギウス。

左側の彫像に近寄るとこんな感じ。

他にも3m級の彫像が見られる。先ほどの彫像といい、独特な風貌。そういえば、ここ以外のラリベラの教会では人物彫刻を見かけなかった。

こちらは聖ミカエル教会。幕の向こうに置かれている絵は、12世紀よりもかなり時代が下ったものと思われる。
個人的には、天井から下がる鳩に心魅かれた。ヨハネから洗礼を受けたイエスの頭上、と想像するのは考えすぎか。


聖ミカエル教会の出口。実はここで撮った写真が数枚残っている。ガイドのGさんはかなり写真にこだわる人で、背景に人が入ると何度でも撮り直す。もっと後ろへ下がれとか、指示も細かい。特にお願いしたわけではないのだが、自分の写った写真がラリベラではやたらと多く、(行程の厳しさゆえ撮ろうにもカメラを取り出せなかった)アブナ・イエマタ教会前後とは対照的となった。


この日最後は聖ゲオルギウス教会へ。第1・第2どちらのグループからも200m程離れているため、これまでの隧道とは異なる道中だった。
その途中で見かけた光景。典型的なエチオピア式の小屋の中で土産物として売る絵を描く司祭さん、その周りで聖書を音読する司祭志望の少年たちの声がこだまする。
国内有数の巡礼地であり観光地であるラリベラの、交錯する聖と俗を垣間見た気がした。


上から眺める聖ゲオルギウス教会。地中からのぞく正十字(一辺12m)が強烈な印象を与え、ラリベラで最も有名といっても過言ではないだろう。
【教会群の工事中に聖ゲオルギウスがラリベラ王の夢に現れ、自分の教会はどこか尋ねた。最も美しい教会を捧げるとラリベラ王は約束し、完成したという伝説がある】

近づいていくと、こんな感じ。角度によっては地中から突き出して見える。そして、アクスム式の窓がくっきり。


上から覗くとこんな感じ。淵の端に寄るのが恐ろしい高さ

逆に、下から淵を見上げたのがこちら。

内部に飾られていた聖ゲオルギウスの絵。そのまま撮ったらあまりにも暗かったため、フラッシュを使用した。


17時過ぎ、ホテルに帰着。
ラリベラの町を遠望。平地の少ない高原に、寄せ合うように家々が立ち並ぶ。アディスアベバから始まって、これまで巡ってきた5都市の中で最も標高が高い。
壮麗な教会群は地中に隠れているので、一見したところでは静かな山あいの町に思える・・・そのギャップがこの地の魅力なのだろう


ホテルに戻ってから、見晴らしのよいテラスでガイドのGさんと1時間ほど話し込んだ。
彼は38歳で、8歳を筆頭に3人の子供を持つ妻帯者。この村で生まれ、現在はこのホテルから徒歩圏内に住んでいるそうだ。アクスムのガイドさんやゴンダールのドライバーさんとは違うパターンだね。4人養うって・・・相当しっかりビジネスやって稼いでるんだろうなぁ。話しぶりは自信に溢れていて、でもそれが嫌味を感じさせない人柄。
こちらのことも当然聞かれ、私も弟も独身と言ったら、日本人は結婚したがらないのかって驚いてたなぁ。う~ん・・・確かに晩婚化が進む日本ではあるけど、私の場合は失敗したクチ。未婚と同じく扱われるのはおこがましいよなぁ

夕食はホテルにて、インジェラとワット(汁なしシチューの総称。この時は牛肉・玉ねぎ・トマトの炒め煮)。赤ワインはゴンダールでも飲んだGOUDER ポピュラーな銘柄なんだろうか。


5 ラリベラ (2012年8月2日)

この日は朝8時スタート。早くて正直とまどったが、観光客を避けるためのようだった。実際、第2グループの教会群で誰一人としてtouristsに出くわすことなく、貸切状態だった(笑)
雰囲気抜群の道を進み、教会へ向かう。


最初に聖アバ・リバノス教会へ。
どこからが屋根なのか不可分なほど、岩に一体化した印象。右がガイドのGさん。


次は聖エマニュエル教会。保護のため、第1グループと同様 屋根に覆われている。

内部に置かれていた絵。そう古くはなさそうだが、聖母子と三位一体それぞれ独特のタッチが目を引いた。



聖マルコリオス教会付近にて。

残念ながら、聖マルコリオス教会の外観は撮ってなかった 
しかし、個人的には第2グループで最も気に入った。薄暗いのが難だが、古い絵をたくさん見ることができたのだ。
かなり傷んではいるものの、壁に残るフレスコ画。フラッシュを使うのがためらわれ・・・目を凝らしてご覧ください。
【東方キリスト教美術の本には、壁画を持つラリベラの教会は2つと書かれていた。前日にいたく感激した聖マリア教会と、この教会のことだろう。他の教会の絵は掛けられたり置かれたりしていた。非カルケドン派ゆえ、人物画を直接描くのは避ける傾向にあったと推測する】


こちらは壁画ではない。850年ほど前に布に描かれたものという。

その一部に近づいてみた。ローマ兵に侮辱されるイエス。


最後に、聖ガブリエル教会・聖ラファエル教会(両者は内部でつながっている)へ向かう。
その道中にあったベツレヘム聖堂。かつては聖具庫だったという。


見えてきた教会への入口。

中に入って、振り返ったらこんな感じ。

この箱はかつて至聖所の中にあった聖櫃(タボットあるいはアークともいう)で、十戒が記された石板のレプリカを収めていた。新しい聖櫃がつくられるに及んで役目を終え、「表」へ出てきたというわけ。下のペットボトルには聖水が入っていて、信者は司祭さんに清めてもらえるらしい。信仰を持たない自分は何かしてもらえるはずもなく、通り過ぎるのみ

聖ラファエル教会・聖ガブリエル教会の表口。現在は手前に架けられた橋を渡って入ることができるが、橋のなかったかつてはたどり着くのが大変だったらしい。
ん?? 鐘の下がる向こうの扉に何か描かれている・・・

近づいてみると、聖母子と天使。素朴でいいなぁ~ 消えかかってるのもまた風情がある。カンペキに自分好み

なお、この表口の脇には「天国への道」なるものがある。下の写真、中央にある細くて急なのがそれ。ここを上ることができれば天国へ行けると信じられていたとか。
幅は50cmくらい、両側は崖・・・平均台得意な人でなきゃムリかも。天国へ入るのは大変なのね、やはし


結果的に前日の第1グループよりももっと複雑で細く暗い道を歩きまわった(「地獄の道」と言うそうだ)。が、なにせ空いていたのでスムーズに進み、ホテルに戻ったらまだ9時15分だった。
午後は郊外の教会に行く予定だったが、さすがに時間を持て余してホテルのテラスをブラついた。
餌を置いてあるのか、テラスでは鳥たちが囀っていた(ちなみに、丘の向こうの建物は有名なカフェらしい)。

私の様子を見かねたのか、ホテルマンと思われる人が目の前の丘まで歩いて行けるよ、と教えてくれた。
下の写真、平らに見える所までがホテルの敷地。私は敷地と外を隔てる門を抜けて少し下り、写真では切れている右上の丘にのぼっていった。庭(?)で作業をしていたホテルの従業員達から不思議な目で見られたものの、止められることはなかった。片道20分足らず、楽勝だった


その丘で3人の少年に出会った。木を植える手伝いをしているようだったが、休憩中とかで私に興味を持って近づいてきた。
最年長15歳の少年は綺麗な英語を話す。英語を練習したいと言い、質問に答えるから何でも聞いて、と積極的に話しかけてくる。日本の首都も、フランス・イギリス・イタリアのそれも即答した。歴史が好きなんだそうだ。思わず将来の夢をたずねたら、ツアーガイドになりたいんだって。
そうだろう、アブナ・イエマタのガイドと同じように才気を感じさせる。彼が諸々と闘って夢を実現することを心から願う
ちなみに、14歳の少年は優しい笑みをたたえて話を聞く子。10歳の子は瞳の奥に暗い光を宿しており、もはや外国人を見て無邪気に「ハロー」と笑わない。現実の厳しさを知っているんだろうな・・・

昼食は前日同様、ホテルのレストランにてベジタリアンから選んだ。米と野菜、大好物がここにある幸せ 旅立つ前は小麦と肉が続くのを覚悟していただけに、嬉しい誤算。エチオピアの食事は美味しいと大声で叫びたい もちろん自分が旅した範囲での話ではあるが。


15時半、ラリベラ郊外のナクタラブ教会に到着。岩の割れ目から覗くのがそれ。
規模は断然違うが、インドはアジャンタ石窟寺院をふと思い出した。

近づくと、こんな感じ。岩の隙間から十字架が存在をしっかりアピールしている。

中に入ると、前庭のような空間があった。

座る所に敷かれていた織物。同じような柄のタペストリーがゴンダールのホテルにも飾られてたなぁ・・・ポピュラーなんだろうか。

教会の中にあった、布に描かれた絵は750年くらい前のものという。
左下にご注目あれ。赤い馬にまたがるのはナクタラブ王【ラリベラ王の甥で、13世紀半ばにこの教会を建てた】。聖ジョージと似た構図だが、あちらは白い馬がシンボルだという。他の教会ではこれまで見なかった珍しい意匠、さすが縁の教会。


司祭さんが宝物を披露してくれた(人相が明瞭なので、塗りつぶして掲載する)。王冠をかぶり、手に持つクロスは向かって左がラリベラ式、右がゴンダール式。

司祭さんの背後にある棚に飾られていたイコン2つ。
中央上部に聖母子は定番のようだが、比べてみると全く同じというわけでもない。聖ジョージ、東方の三博士、十字架上のイエスなど共通するモチーフはあるものの。


こちらの十字架は人間の顔ほどの大きさがあり、人物線刻が施されていた。左右の出っ張った部分に小さく天使。中央は一見聖母子に見えるが、髪が長くないのでマリア様ではないような・・・とすると、父なる神と幼子イエスであって、上の飛び出した部分の聖霊と合わせて三位一体を表現しているのか
なお、非カルケドン派の信条にそぐわない人物線刻を施したクロスは比較的新しい作例という。

司祭さんは聖書も見せてくれた。
こちらはナクタラブ王か? 赤い馬だし、退治しているのが竜じゃないし・・・

大天使ミカエル。色合いからして、さっきのよりこちらの絵が古そう・・・

この教会は上からしたたり落ちてくる水を聖水としている。
頭上の岩を見上げて撮った画像、落下する水の雰囲気を感じていただけたなら幸いである

教会の出口にたたずむ履物整理係の少年。この教会に限らず、ラリベラの他の教会でもshoes keeperは散見された。


付属のmuseumでは宝物をガラスケースに展示してあった。
ん?? このイコン、さっきのより古いと感じるのは気のせいだろうか・・・

豆粒のような十二弟子。左端には、ゴンダールでも見かけたエチオピアの聖人アブナ・タクラマノット。
先ほどのような3面のイコンでは中央に据えられていた十二弟子よりも、この国で敬愛される三賢人や地元の聖人をフィーチャーしている。その自由な発想に惚れ惚れ

こちらの十字架は組み紐のデザインが目立つ。

ガラパゴス的で最も気になった展示品がこちら。中央に聖母子がうっすら浮かび上がる。これまで見てきたエチオピアのイコンとは全然タッチが違い、西洋のそれに近い気がする。何かの経緯があって他の国からもたらされたのだろうか・・・取りとめもなく妄想が広がっていくのだった


17時半、ホテルの近くまで戻って土産物屋をハシゴし、十字架モチーフのペンダントトップと、手持ちのクロスを探した。
1軒目はてんで高くて早々に出た。出ようとすると下げるぞと言われたけど、戻らなかった。
3軒目で気に入ったペンダントトップ(銅)は75ブル(¥1,335)。100ブル札を出したら、おつりが20ブルしかないと。じゃあいいよ、とO.Kしたら、買おうか迷ってやめた聖ゲオルギウス教会の絵葉書を付けてくれた。ハガキ1枚の相場が10ブルなので、サービスだぁ~ このお店で買ってよかった

この日もホテルのテラスでガイドのGさんと30分雑談した。
ラリベラはどうだったかと訊かれても、思いの丈を表現できない英語力の乏しさが恨めしい それでもともかく、ここで何がしか口にしなければ永久に彼には伝わらない・・・わずかなボキャブラリーを駆使しつつ、とても感動した、来てよかったと心から思っていると告げた。
彼は人間が好きだという。曰く、色々な人がいるけれども、国籍や民族や宗教や人種を超えて人間は平等なんだ、と。そして、様々な人に会えるからガイドをしているんだと熱く語ってくれた。日本人も含めて、これまでに様々な国の人を案内したそうだ。初日に出会うなり英語が得意ではないと伝えた私のために、終始スピードを手加減して喋ってくれたので、聞き取りやすくて本当にありがたかった。いい歳の大人が小学生レベルのセンテンスしか返せないにもかかわらず、決して馬鹿にせずじっくりと話を聞いてくれる優しさの根源は人間愛なんだな・・・。日本でも注目度の高まっているエチオピア、今後さらに観光客は増えていくだろう。Gさんのお仕事が益々繁盛することを願ってやまない

5・1 ラリベラ ⇒アディスアベバ (2012年8月3日)

この旅もいよいよ終わりが近づいてきた。ラリベラを発ち、帰国便の出るアディスアベバヘ向かう。
ラリベラからの便は離陸が1時間も早いという、これまでに経験したことのない状況。各地でガイドさんたちが頻繁にリコンフォームしていたことから、エチ〇ピア航空は変更が多いのだと思われる。
さて・・・アディスでの時間が増えた~と手放しでは喜べなかった自分。この変更が迎えのドライバー&ガイドに伝わっているのか甚だ不安だった
12時15分に着陸。離陸が早いのだから当然早く着く・・・初日に学んだので、空港の扉口まで行ってみたが、やはり来ていない。タクシー拾ってホテルへ行こうかと1週間前と同じことが頭をよぎるも、小さなホテルだからやめておこうと打ち消しつつ待つこと30分、ようやくお迎えが到着。ま、こんなことだろうと予想していたから怒りも焦りもない。
ガイドのFさん曰く、航空会社に3度電話して到着時刻を確認したところ、最初は13時、2度目は13時半、3度目に到着済みとの回答だったらしい。どーなってるんだろうと思うのは航空会社に対してであって、振りまわされたガイドさんとドライバーさんが気の毒。日本でこんなことがあったら怒る人続出だろーな。エチオピア人って辛抱強いなぁ

エチオピア最後の夜は外で楽しむことになっていたので、ランチはホテルでとった。初日の記憶からすると、ここのレストランはイケるのだ。
が、同宿と思われる人々は個性強め。ピラフが気に入らないらしくパンを出せと要求する欧米人、氷のように美しく無口なスラブ系と思われる長身の青年。黒人で英語を話す国籍不明の3人組は柄が悪いなと感じていたら、エレベーターが一緒になったタイミングで部屋番号を聞かれた もちろん無視、敢えて違う階でエレベーターを降りて階段で移動、事なきを得た。ホッ 

14時半、アディスアベバ大学内にある民俗学博物館へ(撮影不可だったので、画像は無し)。
素晴らしいイコンに壁画がたくさんあってテンション もっとじっくり見たかったけど、ガイドのFさんが若干イラついてる風だったので程々に切りあげた 郵便局に行きたいと言ってあったから、閉まる前にと気を揉んでいたのだろう。
なんと、郵便局へはカメラの持ち込みが禁止で、預けさせられた。あちこち旅してきたが、こんなの初めて
軍事的な意味があるのだろうか・・・所変わればルール変わるなぁ。返してもらって即SDカードを確認したところ無事、結果オーライではあった。
書き溜めたハガキたちは窓口の係員に渡した。アフリカの郵便事情はよく知らないが、ポストじゃないし首都からの投函だし、これで届かなかったら仕方ないと割り切るしかないな

夕食には時間が早すぎるため、17時前に一旦ホテルへ戻った。
その間に、車窓から目をつけていたスーパーへ行く。ホテルから徒歩1分の近さ。
食料品だけでなく家具も置くコンセプト不明の品ぞろえだったが、精肉に青果に冷凍食品と目で楽しめた。お目当てのアルコールもちゃんとあり、ワインも種類豊富に並んでいた。スーツケースに750mlが1本しか入らない空き状況だったので、あれこれ買えなかったのが残念 (ボトルを撮ってなくて、ごめんなさいm(_ _)m)

ガイドのFさん曰く、民族舞踊ショー&エチオピア料理を売りにする所がいくつかある中、一番いいお店に案内してもらった。確かに、色々な国からの観光客でいっぱいだった(見たところ中国人の団体はいたが、日本人は自分だけ)。かぶりつきの良い座席を用意してもらって、至れり尽くせり。あ・・・ブエノスアイレスのタンゲリアもこんな状況だったか。
ショーは前半が歌と演奏、後半がダンスだった。
バックバンドの笛の人が私に気づいて、“さくら さくら 野山も里も 見渡す限り・・・”と吹いてくれた。私1人にしか分からないだろうサービス、なんて贅沢ぅ
エチオピアの歌は明るい中にも一種哀切な響きを持っていて、耳に心地よく馴染んだ。

様々な民族衣装を着た男女が入れ代わり立ち代わり登場して、多種多様なダンスを披露してくれた。多民族国家ならでは。
中にはヒップホップと見紛うものもあり、激しいフロア技はエチオピアにルーツを持つんじゃないかと思うくらい。
ブレているのだらけで、まともな写真がほとんどない・・・ごめんなさい 一番マシなのがこれ。

最後は客席の中から選ばれた男女各1名が舞台に上がり、結婚式のダンスが始まった。新郎は中国人、新婦は欧米人、ダンサーはエチオピア人・・・「It’s a small world.」を地で行く。

2時間のあいだ、ガイドのFさんとポツポツ話した。彼の口癖は“O.K?”、センテンスの後に確認するように付ける。英語の先生をしていたというから、その名残なのかな。ビュッフェを取りに行くよう私に促しつつ、“I'm full,O.K?”だもんなぁ。私を一度ホテルへ送り返した後、帰宅して夕食をとったゆえだが、切り取って聞くと笑えるフレーズだよね いつものように聞かれなかったから私も尋ねなかったけど、左手に指輪してたなぁ。Fさんの分も料金を支払ってるはずだけど、ビュッフェよりも愛妻との食事をとったんだろうな(笑)
炭酸飲料だけ飲むFさんを横目に、ビールをすすりながらインジェラを食す自分であった。


1 アディスアベバ (⇒ドバイへ出国) (2012年8月4日)

明け方4時、階下のフロントが何やらうるさくて一度起こされた。1週間前に泊まった時はそんなことなかったので、運が悪かったのだろう。
安くても素晴らしい経験をしたことは多々あるが、このホテルの場合「値は値」と言うべきか・・・

16時過ぎの飛行機なので、半日時間があった。11時、Fさんが迎えに来てくれてエントット山へ(海抜3,000m)。アディスアベバが一望できるポイントである。雨だったら見られないと前夜Fさんが言っていたが、幸い降られなかった。
その後、山頂付近の聖マリア教会&付属museumへ。展望台よりもこちらからの眺めのほうが気に入ったので、載せる。

教会の中には入れなかったが、国旗カラー(緑・黄・赤)に塗られている外観に目を引かれた。屋根の上の十字架の形も面白い。

帰路、薪を運ぶロバに遭遇。実はこの山、オーストラリアから移植したユーカリが生い茂り、建築材や燃料として切り出されている。車で30分、それなりの距離だが女性や子供もここからマーケットまで運び、運搬代を稼ぐという。


エチオピア最後の食事はやはりインジェラ。土瓶のような器にワット(具)が入っている。
長方形のインジェラにワットをのせて巻いて食べるんだとFさんが教えてくれた。そっかぁ~ これまで、皿からはみ出すほど大きい円形のインジェラをちぎりながら食べてきたんだけど、そうじゃなかったのかー 思い返してみると、Fさん以外のガイドさんの前でインジェラ食べる機会なかったなぁ。我流でやり過ごしてきて、旅の最後に真実を知るとは中々面白い


最後は買い物タイム。
さくっとお土産のコーヒー豆を買った後、本屋へ。これまで訪れてきた教会の外観や壁画などの写真を載せたキリスト教美術の本を探していた。
が、その類の本は皆無だった 実はゴンダールのホテル敷地内の売店で見かけたのだが、90ドルという値段に迷いが生じてパスしていた。二匹目のドジョウを狙ったものの、撃沈 
う~ん、やっぱり一期一会だな。絶対欲しいならその場で入手しないと、永遠に機会を失うことがある・・・旅先では常々感じさせられる。
ちなみに、洋書として日本で巡り合うことをうっすら期待して帰国したものの、未だに手に入れることができず

さてさて、蛇足の極みだが書かずにはいられない。
ドバイまで飛んで乗り継ぎ、日本へ向かう私にエ〇レーツ航空の奇跡が ドバイまでの便、なぜだかビジネスクラスに変更となった。人生初の非エコノミー
離陸を待つ間にシャンパン(Bolli〇ger)。まさか帰国前に泡にありつけるとは 

温かいナッツをかじりつつ白ワイン(オルビエート) チキン胸肉にあわせて赤ワイン(トスカーナ)(グラスは写っていないが) 
お皿は陶器、ここが空の上とは信じがたい

フルーツにエスプレッソで締め。コーヒーカップももちろん陶器。
人生最初にして最後であろうシチュエーションを存分に享受したのだった

★ 終わりに ★

この記事を書くために備忘録を読み返してみて、ちょこまかとしたトラブルにいくつか見舞われていたことを思い出した。それまでは、メケレへの飛行機が遅れてマリアム・コルコル教会へ行けなかったくらいしかトラブルとして記憶していなかった。大金を奪われたとか命の危険を感じたとかのレベルでなければ、まぁいいやと思う自分はつくづくオメデタイ人間である。だからまた気ままに旅へ出られるのだろう

最後に、連れて帰ったクロスを紹介したい。ゴンダールの空港内のショップで入手した。ラリベラ(町・空港とも)よりも、多少なりとも安くて品ぞろえが豊富だったとは個人的な感想。
高さ30cm、材質は不明。ゴンダール式の十字架である。
ゴンダール式にこだわったわけではないが、人物線刻のあるクロスを欲したところ、彫る面積の大きいこの形へ必然的にたどり着いた。

表側の線刻がこちら。中央上部に聖母子。

裏側の線刻。中央上部に大天使ミカエル、左右にケルビム【ゴンダールのデブレ・ベルハン・セラシエ教会の天井を埋め尽くしていた、エチオピア式の首だけの天使】。

この記事を書いていて、エチオピア正教の美術が好きでたまらない自分にあらためて気づかされた。所々で表現がくどすぎる気もしている 
が、これをきっかけにエチオピア正教ひいてはエチオピアという国に興味を持ってくださる方が一人でもいらっしゃるとしたら、この上ない喜びである。

 おしまい 











































































































































 
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