まず初めに懺悔しておきたい。このシリーズはピンボケ画像がやたら多いし、暗い場所の彩度も悪い。2台前のデジカメで撮影しているため、大聖堂の壁や天井を写すにはズームの性能が耐えきれず、また明るさの感度も鈍い。それに加えて、画像の乏しいこと。食したものをほとんど撮っていないのはいつもながらとしても、訪れた各所で部分の撮影にとどまり全貌を撮っていない場所が多すぎる・・・
本来の美しさ・良さをうまく伝えられないのではと危惧しながらも、ひとつの参考になればと思いお送りするものである。
パリで「ザビエルの足跡を追う旅」に絡めて、ヨーロッパを訪れることになった。きっかけはもう忘れてしまったが、その頃の自分はラヴェンナでモザイクを見たいと熱望していた。
大学時代の友人Cちゃんは初イタリア旅で、フィレンツェをリクエスト。こうしてイタリア3泊・フランス4泊の旅が始まったのだった。
自分にとっては3回目のイタリア・2回目のフランスとなるので、タイトルに(3)と(2)を付している。
旅の前半では下の地図中の➊➋を訪れた(正確を期すならば 前半の最後(夜)にパリへ到着するのだが、マーキングは割愛した)。なお、後の下線部の数字とも対応している。
1 (アムステルダム)⇒フィレンツェ (2010年8月4日)
昼の11時半に成田を発った飛行機は、11時間ほどでアムステルダムに到着。乗り継ぎ時間1時間半でイタリア行きに搭乗した。
アムステルダムでの乗り継ぎは2度目になるが、オランダを観光したことはない。今回、空港のショップでアムステルダムのポストカードを1枚買った。
前回スペインに発った時は夕暮れで、窓から見たアムステルダムの水路がオレンジ色に映えてとても印象的だった。その後「アンネの日記」を再読したこともあり、自分にとっていつか訪れてみたい都市になった。アムステルダムを旅することがあれば、今日買ったハガキを友人に送ってみよう、なんて思いながら。
21時20分、フィレンツェに到着。日本では真夜中・・・ホテルに着いたら、もちろんバタンキュー
1・2 フィレンツェ ⇒ラヴェンナ (2010年8月5日)
この日はフィレンツェをある程度観光した後、列車でラヴェンナへ移動・宿泊することになっていた。なお、1日置いて再び同じホテルに戻ってくるため大きな荷物はフロントに預かってもらい、1泊に必要最小限のモノだけショルダーバッグに詰めて出かけた。
まずはウフィツィ美術館へ向かう。今さらだが、Cちゃんはかなりの美術フリークである。
ホテルからの道中、通り過ぎたサンタ・トリニタ教会のファサード。
美術館内で作品は撮っていない。月並みな感想になるが、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」「春」が印象に残った。
こちらは美術館から眺めたポンテ・ヴェッキオ【第二次大戦で破壊を免れた、この町最古の橋。現在は橋の上の両側に宝石店・金細工店が並んでいるが、かつては肉屋・八百屋などがひしめき ゴミが投げ捨てられたアルノ川は異臭を放っていた。16世紀末、フェルディナンド1世の命令で市場が撤去され、今日の姿になったという】。
こちらは美術館に隣接するヴェッキオ宮。人だかりを避けて上部のみを撮影したため、変なアングル
昼食はガイドブックを頼りに、シニョリーア広場近くのレストランにて。備忘録によると、トルテッリーニ&ラヴィオリ、サラダ、カプレーゼに赤ワインを注文したようだが、画像がなくてごめんなさい
食後、ドゥオモ一帯へ赴く。ドゥオモのファサード。
ファサードの脇から望むクーポラ(撮影は翌々日)。
お次は、ドゥオモのそばにある付属美術館へ。
晩年のミケランジェロが制作を放棄したまま亡くなった、バンディーニのピエタ【イエス・キリストの死を嘆き悲しむ像】。中央でイエスを抱えているのがミケランジェロという。
目に留まった彫刻。神が男性の脇腹から女性を創る場面。
ワイン樽の傍らで寝そべる人。つい共感してパシャリ
ドゥオモの南東から眺めるジョットの鐘楼(撮影は翌々日)。
ドゥオモの西正面にある洗礼堂へ。
こちらは八角形の美しいフォルムなのだが、全貌を撮っていなくて残念
ブロンズの扉は人々が触れたため、今や金色に輝く(観光客の顔がたくさん写っていたため、下部にモザイクをかけた)。
扉の上の彫刻(ヨハネから洗礼を受けるイエス・キリストと、天使)、オリジナルは先ほどのドゥオモ付属美術館にあった。
洗礼堂の天井は最後の審判のモザイク。ほんの少しでも八角形を感じ取ってもらえたなら幸いである。
洗礼堂の周辺。ガイドブックに載っていないものも佇まいが美しい。
このフレスコ画の色あせ具合・・・ため息が出る
時計を気にしながら鉄道駅へ向かう途中。教会でも何でもない、街なかのふとした場所にて。
100㎞北東のラヴェンナへは、ボローニャとリミニ経由で2時間余り。車内での暇つぶしにビール【ワインが圧倒的人気でビールはあまり飲まれていないイタリアだが、ペローニはその中で1~2位を争う。1846年、ロンバルディア州で設立されたメーカー】。
夕食はピッツェリアにて生ハムのメロン乗せ、シェフお任せピザにワインを頼んだようだが、これまた撮っていない。
2・1 ラヴェンナ ⇒フィレンツェ (2010年8月6日)
ラヴェンナは、見どころも鉄道駅もポポロ広場から半径500m以内に収まっている。唯一の例外、サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂を除いては【5世紀初め、西ローマ帝国のホノリウス帝がミラノからラヴェンナに遷都した当初、B.C.1世紀のアウグストゥスに遡る歴史を持つ港クラッセのそばに教会が多く築かれた。しかしその後、5㎞北のラヴェンナのほうが栄えて司教座も移動、クラッセ周辺の教会はほとんど廃れた】。
この日の夜には再びフィレンツェに戻ることになっていたので、まずは離れているクラッセ聖堂へ向かうことにした。往復はバスを使うので2回券を購入、€2也。
旅をしていて常々思うのだが、土地勘のない場所でバスに乗るのは難易度が高い。うかうかしていると、降りる場所を通り過ぎてしまう。ガイドブック情報によると、ラヴェンナから乗って15分ほどで大きな教会が見えたら次の停留所で降りる、とのこと・・・風景を楽しむといった平和的なのとは真逆のスタンスで車窓を見つめる私たちであった
なんとか無事にバスを降り、クラッセ聖堂と対面。下は、ファサードの90度横方向から撮影した外観【ここは第二次大戦中に攻撃・破壊を免れたという。高さ37.5mの鐘楼は11世紀築と時代が下るが、ラヴェンナ地域に残るもののうち最も優美という。下から1連窓が2層、2連窓が1層、3連窓が3層並ぶ凝った造りである】。
内部正面のモザイク。日本でこの存在を知った時、のどかな草原を思わせる色調とモチーフに一目惚れした。
教会建設に関わったパトロンや政治的・宗教的な権力者を前面に押し出す世俗性とは無縁で、また教会への来訪者を荘厳な表情で見つめるイエス・キリストや聖母マリアさえ排して、中央部にこんな素朴なモザイクを擁する教会が他にあるだろうか。少なくとも自分は見たことがない。
創建当時(6世紀前半)のモザイクが残るアプシスを拡大すると、こんな感じ。下から上へ見ていこう。
【大きな十字架の下で両手を広げ祈りを捧げているのが聖人アポリナーレ(アポリナリス)、その両脇の羊は十二使徒を表す。ユリやマーガレットの花、岩、鳥、糸杉・オリーブに松の木も。上半分は「キリストの変容」の場面で、99の星が輝く青空に浮かぶ大きな十字架はイエス・キリストを表す。その十字架の上にご注目あれ。天から神の手が伸びており、十字架を指し示している。十字架の右には預言者エリヤ、左にモーセ。十字架の斜め下の3匹の羊は、変容を見守ったと聖書に記されている弟子のペテロ・ヤコブ・ヨハネ】。
絶妙な象徴によって教義の一端を牧歌的な光景に仮託し、昇華してしまう・・・なんともはや 個人的には一番好きなモザイクである。
内部の全貌はこんな感じ(撮っていなかったため、この記事を書くにあたりポストカードを撮影)。実は、左右の身廊にほぼ装飾がないのだ。
身廊のアーチを横から撮ったもの【歴代司教を描いたフレスコ画は18世紀、ずいぶん後代の作らしい。もちろん、当初からこんな状態だったのではない。15世紀半ば以降、教会から色々と運び出され散逸してしまったという】。
側廊にはいくつも石棺が置かれていた【ラヴェンナの棺は四面に彫刻し、蓋は半円形が特徴。ちなみにローマのそれは壁に寄せて置くことを前提に、三面彫刻で平らな蓋という】。
素人目にも技術の巧拙が感じられ、制作年代も異なるであろう作品が混交していた。孔雀とシュロの木は不死を意味するという。死して永遠の命を得たということか
再びラヴェンナの中心部に戻った私たちは、最初にサンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂を訪れた【6世紀前半、東ゴート王のテオドリックが建立】。
こちらは先ほどのクラッセ聖堂と逆で、内部正面が8世紀の地震で破壊されてしまったが、左右の身廊壁面に創建当初のモザイクがびっしり残っている。
【モザイクは大きく3段に分かれている。最上段がイエスの生涯で、左(北)が若きイエスの13場面、右(南)がイエスの受難と復活の13場面。2段目(窓の間)には聖人と預言者。最下段は超横長の図像で、西(入口側)から東(祭壇部)に向かって進む人々の列が描かれている。左(北)は22人の殉教聖女が3人の東方の三博士に先導されて聖母子に向かっていく。右(南)は26人の殉教聖人がイエス・キリストに向かっていく】。
南壁面。この画像では、最下段端にいるイエス・キリストが左に見切れている 右端はテオドリック宮殿。
北壁面、東端に近い部分。右下が聖母子、左下が東方の三博士【博士たちの頭上は当初 冠だったが、のちフリギア帽に変えられたという】。
北壁面、西端部分。左下はクラッセ港で、3隻の船が浮かんでいる。
最上段にご注目を。画像左上、1つおきに聖書に記されたイエスの物語が示される。左から右に向かって、①中風を病んでいた男性がイエスの癒しで快復し、ベッドを担いで去る。②男性にとりついた悪魔を追い出すイエス。③中風患者が吊り上げられ屋内へ運ばれる。④羊とヤギを分けるイエス。⑤銀貨をさし出す貧しい寡婦。
ともあれ最上段のモザイクは遠すぎるので、ポストカードを撮影した画像をご覧あれ。なお、キリストの生涯を伝える大規模な図像シリーズとしては最古級の作品という。
イエスに召し出されて漁網を投げ捨てるペテロとアンデレ。イエスには髭がなく、若々しい。
ちなみに、これら2枚は南壁面最上段のモザイク(同様にポストカードを撮影したもの)。
最後の晩餐。メニューが魚2匹に簡略化されているのも面白いが、イエスの表情がなんとも印象的。迫り来る逮捕の時を噛みしめているのか・・・
ユダの接吻。この直後にイエスは逮捕される。
街を西へ進み、ネオニアーノ洗礼堂へ【ラヴェンナには有名な洗礼堂が2つある。こちらは5世紀半ば、西ローマ帝国時代の建造でかなり古い。後述するアリアーノ洗礼堂と区別して、正統派洗礼堂ともいう】。
天井の中央に、洗礼を受けるイエスのモザイク。水を利用してイエス様の下半身をカモフラージュ、上手いなぁ 右端は擬人化されたヨルダン川で、イエスを拭くための布を手にしている。本当はこの外側を十二使徒が囲んでいるのだが・・・撮った画像がどうにも大ボケで ちなみに、洗礼者ヨハネが持つ銀の器は近代に加えられたもので、元々は手をかざしているだけだったという。
なお、八角形・レンガ造りの外観と、漆喰装飾も駆使した豪華な内観は全く撮っていない・・・はぁ
ネオニアーノ洗礼堂の目の前はドゥオモ(現存するのは18世紀の建築)で、付属する司教博物館がある。その中のサンタンドレア小礼拝堂を紹介したい。
入口の天井は可愛い鳥たちのモザイク。鳩、孔雀、鴨、ニワトリetc・・・
アプシスの十字架が目立つ。
天井のモザイク。中央の円に書かれているのはIとXの文字で、イエス・キリストの頭文字=転じてイエス自身を表す。両手を伸ばしてそのイエスを支えるのは4人の天使。
その間には、4人の福音史家が象徴で描かれている。上から時計回りに、獅子=マルコ、鷲=ヨハネ、人間=マタイ、牛=ルカ。
昼食は前菜盛り合わせ、ニョッキ フォルマッジ、スパゲッティボロネーゼ、ワインを楽しんだようだが・・・これまた画像がなくて 1泊しながら、エミリア・ロマーニャ州のお料理画像をお目にかけることができず・・・残念至極
食後、サン・ヴィターレ教会へ【6世紀半ば、サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂とほぼ同時期に完成】。
アプシス周辺。窓の上、天井部中央には光輪を持つ神の子羊(=イエス・キリスト)がいて、それを支える4人の天使。先ほどのサンタンドレア小礼拝堂と同様の構図である。
窓の下、アプシスを拡大したのがこちら。水色の天球に座す若きイエス・キリスト、両脇には天使、左端は教会名の由来となった聖人ヴィターレ(イエスが右手で殉教を讃える冠を与えようとしている)。イエスの頭上には彩雲、足元には草花とよじって描かれた4つの川。手前のアーチ状の部分には、豊穣を表す角(2つずつ交差)が目立つ。
このアプシスに向かって左右斜め下の壁面のモザイクは、この教会を代表するモザイクとして知られている。
左側はユスティニアス帝と随臣たち。皇帝は黄金の聖体皿を持つ。皇帝に向かって右、十字架を持つのがマクシミアヌス【この教会が完成した時の司教】。皇帝の次に目立つように描かせているのが何とも小憎い。
これと向かい合っているのが、テオドラ妃と侍女たち。妃は皇帝に呼応するように黄金の聖杯を持つ。左端の廷臣はカーテンをまくり上げ、湧き出る泉を示している。
テオドラ妃のモザイクの隣がこちら。柱頭からあらゆる壁面に至るまで、隙間もないほど装飾で埋め尽くされている・・・圧巻
半円状の部分には旧約聖書の物語。左側、赤いマントのアベル(アダムとイブの次男)は大切にしていた子羊をいけにえとして捧げている【これに対しアベルの兄カインはそれほど大切でないものを捧げたため、アベルは神に愛される。嫉妬したカインはアベルを殺し、その罪により耕しても作物ができず、死ぬまで地上をさすらうハメになる】。右側のメルキセデスはパンとワインを奉納している【戦いに勝利したアブラハムを迎えて祝福したサレムの王・祭司】。全く時代の異なる物語が同じ画面に描かれているのが面白い 半円の外の部分について。アベルの左上は、燃える柴の中で履物の紐をほどいているモーセ【シナイ山に現れた神の使いを見たモーセだが、神の土地では履物を脱ぐようにと言われる】。メルキセデスの右上は預言者イザヤ。
側廊の床のモザイク。壺から伸びているのは生命の木か
こちらも壺と鳥のモチーフ。
聖母子を礼拝する東方の三博士が彫られた石棺。
サン・ヴィターレ教会の目と鼻の先にある、ガッラ・プラキディア廟【5世紀半ば、ホノリウス帝の妹プラキディアによる。先ほどのネオニアーノ洗礼堂と並んでラヴェンナ最古の建造物。浅いドームを持つ十字型】。
小さな建物なのだが、壁面上部は紺青を基調とするモザイクに全面覆われていて、思わず息をのむ美しき空間である。あぁ・・・本物の凄みを何分の一も写し撮れていなくて口惜しい
入口上部のモザイク「良き羊飼い」。
その正面のモザイク。十字架を担いだ聖ロレンツォが焼き網に向かっている【近年の研究で、ウィケンティウス説も出ている。いずれにせよ、火あぶりで殉教したスペイン出身の聖人】。左端は福音書の入った棚。手前のアーチ状天井のモザイクが美しい。白い花はマーガレットらしい。
中央のクーポラ(ドーム)はまさに夜空のよう。星々が散りばめられ、金の十字架が輝く。四隅には福音史家の象徴である牛、獅子、鷲、人間(先ほどのサンタンドレア小礼拝堂と同様)。
クーポラの下、四面には白い衣をまとった聖人が2人ずつ配される。足元には水辺にたわむれる白い鳩【永遠の平和を求める魂がイエスによって癒されることを意味する】。
聖人の間に設けられたアラバスター(雪花石膏とも。鉱物の一種)の窓がやわらかい光を取り込み、神秘的な雰囲気を醸し出している。
いよいよ折り返し。駅のある東方面へ向かっていると、雨が降り出した。途中から怪しい雲行きになってはいたが、まさか降られるとは。しかも、すぐにはやみそうにない激しいヤツ。
アリアーノ洗礼堂に飛び込む。こちらがもうひとつの洗礼堂【6世紀初め、東ゴート王テオドリックが建立。彼はアリウス派(キリストは神と異質である、と三位一体説を否定する。325年、ニケ―ア公会議で異端とされる)を信奉していたため、先行するネオニアーノ洗礼堂と区別して称されるようになった】。
ドームに輝くモザイク。お気づきの通り、ネオニアーノ洗礼堂の影響を強く受けていて、ヨハネから洗礼を施されるイエスの周りを十二弟子が囲む構図は同じ。洗礼者ヨハネと擬人化されたヨルダン川が左右逆になってはいるが(17枚上の画像と比べてみてください)。
雨は激しさを増し、屋根を叩きつける音が響きわたる。ずぶ濡れになりたくないので、ヘタに動かず時間をつぶすことにした。壁面の装飾は何も残っていないので、頭上に広がるモザイクを穴が開きそうなほど見つめる。世界遺産の中で雨宿り・・・なんて贅沢なひとときだろう
最後はサンジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂へ【ガッラ・プラキディアが5世紀前半に建てた由緒ある教会なのだが、中世に改築が繰り返されて原形をとどめていない。また、創建当初のモザイクは16世紀半ばに神父が撤去してしまった】。
14世紀作の教会の門(中央の半円部分)には、この教会にまつわる伝説が彫られている。この教会に聖人の遺品がないことを嘆いていたプラキディアの前に聖ジョヴァンニが現れ、司教のサンダルを渡す場面である。
教会に入って、左身廊にはかつて床にあったモザイクたち(13世紀)が飾られている。古い時代のモザイクとは画題も作風も相当異なっているが、これはまたこれで面白い
人魚。尾びれが二つ裂きになっている・・・ス〇ーバックスのロゴを彷彿とさせる。
キツネの葬式。鎖につながれた死体をニワトリが運んでいる。
香炉をくわえたアヒルがその後ろに続く・・・。と、死んだふりをしていたキツネが「生き返って」鳥たちを驚かせる、という寓話らしい。
これら2つは、第4次十字軍遠征とコンスタンティノープル奪回がテーマ。時事的な生々しさ漂うモザイクも珍しい。
発つ前に、ラヴェンナ駅にて。雨はすっかり止んでいる。
かなりの数のモザイクを目にした1日だった。Cちゃんに「どの教会のが一番印象に残った?」と質問された私は「来る前から気に入っていたサンタポリナーレ・イン・クラッセは除くとしたら」と前置きして、サンタポリナーレ・ヌオーヴォと答えた。イエスの生涯を表すモザイクが数多くあった点に魅かれたから・・・驚くことに、Cちゃんの意見も同じだった
今後ヌオーヴォ聖堂を訪れる方には、オペラグラスの持参をお勧めしたい。天井に近い場所にありサイズも小さいので拡大は必須、そしてくれぐれも首を痛めないでくださいね。
本格的に暗くなる前にフィレンツェに帰着。駅前にど~んとそびえるサンタ・マリア・ノヴェッラ教会。フィレンツェ滞在中、この横を何度も通り過ぎた。華々しい正面ファサードの写真(11枚下の画像)が一般的には流布しているが、後方はかなり質素な趣である。
町をふらつきながら、夕食をとるお店を物色。途中、ポンテ・ヴェッキオのたもとから西を望む。
かなりの時間歩きまわったものの、結局はパニーニとビール&ランブルスコ【エミリア・ロマーニャ州産のスパークリングワイン。基本的に赤の微発砲で、甘口から辛口まであり8~11%とアルコール軽め】を買って、部屋食に落ち着いた。やはり画像はない
1 フィレンツェ (⇒パリ)(2010年8月7日)
この日は19時前の飛行機でパリへ発つことになっていたので、フィレンツェ観光はラストスパート
駅の東側の地帯に初めて足を踏み入れ、サン・マルコ美術館へ【その昔はドミニコ会修道院だった場所で、修道僧の一人であったフラ・アンジェリコとその弟子によるフレスコ画のシリーズ等で知られている。最も有名な作品「受胎告知」がこちら(今回、ポストカードを撮影した)】。
Cちゃんのたっての希望でこちらを訪問。一人旅だったら思いつかなかっただろう。
今は美術館と称していても修道院の趣はそのままに、そこかしこにアンジェリコのフレスコ画が飾られている。それらを見てまわるうち、心底やられてしまった私。
柔らかな色づかいで穏やかな表情の人物達が描かれた絵を眺めていると、何ともいえない優しい気持ちになってくる。かつての僧坊・廊下・階段は温かみのあるベージュの石造り。華美な装飾はなく簡素で、世俗の喧騒から切り離された静謐な空間・・・ここで生活する中で生み出された作品なんだなぁとしみじみ思った。
「受胎告知」は2階へ向かう階段を上りきった正面に掛けられており、かなりインパクトがある。私のように全然興味ない人でも、訪れたなら心奪われずにはいられないだろう。絶賛オススメ
次に、2㎞南東のサンタンブロージオ市場へ向かった。市場内の食堂が安くて美味しいと事前に調べあげ、昼食をとることに決めていた。
画像右上の赤ワインから時計回りに、白いんげん豆のサラダ、パンツァネッラ【トスカーナ州で一般的な、夏の家庭料理。水などでやわらかくしたパンを、トマト・きゅうり・玉ねぎ・バジル・塩コショウ・オリーブオイル等で和える。固くなったパンをうまく消費する工夫として生まれたらしい】、ローストビーフ、冷製ペンネ(トマト・モッツァレラ・バジリコ)である。ローストビーフが€2、それ以外は€3.5と激安なうえに、どれも美味 そしてワインはVino da Tavola(いわゆるテーブルワイン。DOCGから始まる4ランクの一番下)なのだが、それまでに飲んだ中で一番おいしいと感じた 産地で飲むワインは 輸出時に添加される酸化防止剤(亜硫酸)フリーなので味が違う、と話に聞いたとおりだった。飲んだ量だけ支払う仕組みなのだが、2人で3分の1ℓ空けてたった€2 正真正銘うまくて安い。
満足したお腹を抱えて西へ、中心街へ歩を進める。ウフィツィ美術館とドゥオモに挟まれたエリアにある、オルサンミケーレ教会へ【かつては穀物倉庫 →商工会館だったが現在は教会。外壁には各職業の守護聖人の像が飾られている】。ガイドブック曰く持ち物で何の職業の聖人か判明するとのことだったが、自分にはさっぱり分からず
内部にて。パステルカラーのヴォールト天井が印象に残った。
備忘録によると、この後ジェラートを食べて土産物屋を見たようだが、一切画像がない
それにしても辛党の自分がジェラートに手を出すとは、恐るべしイタリアの魔力
バスに乗るべく駅へ向かう。その道中にパシャリ 突き当たりに垣間見ゆるはサンタ・マリア・ノヴェッラ教会。
ハイシーズンのため観光客でギッシリな通りの様子が少しでも伝わればうれしい。
バスで目指すはミケランジェロ広場【アルノ川の南、町の南東にある丘からフィレンツェが一望できる】。1997年の旅では訪れなかったので、是非にと自分がリクエストした。
遠望した画像はこちら。アルノ川で二分される町並みが眼前に広がる。
ズームするとこんな感じ。右にドゥオモと鐘楼、左にヴェッキオ宮が目立つ。
再びバスにて駅まで戻り、まだ時間があったので目の前のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会を訪れた。何度も横をスルーし、満を持しての入場。
が・・・どうしたことか1枚も画像を撮っていない 代わりに、通りすがりに撮った外観を載せておく(ファサードは前々日、側面部はこの日の朝に撮影)。
21時前、パリに到着。時間が時間だけに空港から市内へ向かうバスがなかなか来ず、かなり待たされた。
一日中歩きまわった後なので疲れは隠せなかったが、とにもかくにもオペラ座(パレ・ガルニエ)のほど近くのホテルに無事チェックイン
★ 中締め ★
旅の後半ではパリ市内のほか、1泊2日でモン・サン・ミシェルを訪れます。お楽しみに
本来の美しさ・良さをうまく伝えられないのではと危惧しながらも、ひとつの参考になればと思いお送りするものである。
パリで「ザビエルの足跡を追う旅」に絡めて、ヨーロッパを訪れることになった。きっかけはもう忘れてしまったが、その頃の自分はラヴェンナでモザイクを見たいと熱望していた。
大学時代の友人Cちゃんは初イタリア旅で、フィレンツェをリクエスト。こうしてイタリア3泊・フランス4泊の旅が始まったのだった。
自分にとっては3回目のイタリア・2回目のフランスとなるので、タイトルに(3)と(2)を付している。
旅の前半では下の地図中の➊➋を訪れた(正確を期すならば 前半の最後(夜)にパリへ到着するのだが、マーキングは割愛した)。なお、後の下線部の数字とも対応している。
1 (アムステルダム)⇒フィレンツェ (2010年8月4日)
昼の11時半に成田を発った飛行機は、11時間ほどでアムステルダムに到着。乗り継ぎ時間1時間半でイタリア行きに搭乗した。
アムステルダムでの乗り継ぎは2度目になるが、オランダを観光したことはない。今回、空港のショップでアムステルダムのポストカードを1枚買った。
前回スペインに発った時は夕暮れで、窓から見たアムステルダムの水路がオレンジ色に映えてとても印象的だった。その後「アンネの日記」を再読したこともあり、自分にとっていつか訪れてみたい都市になった。アムステルダムを旅することがあれば、今日買ったハガキを友人に送ってみよう、なんて思いながら。
21時20分、フィレンツェに到着。日本では真夜中・・・ホテルに着いたら、もちろんバタンキュー
1・2 フィレンツェ ⇒ラヴェンナ (2010年8月5日)
この日はフィレンツェをある程度観光した後、列車でラヴェンナへ移動・宿泊することになっていた。なお、1日置いて再び同じホテルに戻ってくるため大きな荷物はフロントに預かってもらい、1泊に必要最小限のモノだけショルダーバッグに詰めて出かけた。
まずはウフィツィ美術館へ向かう。今さらだが、Cちゃんはかなりの美術フリークである。
ホテルからの道中、通り過ぎたサンタ・トリニタ教会のファサード。
美術館内で作品は撮っていない。月並みな感想になるが、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」「春」が印象に残った。
こちらは美術館から眺めたポンテ・ヴェッキオ【第二次大戦で破壊を免れた、この町最古の橋。現在は橋の上の両側に宝石店・金細工店が並んでいるが、かつては肉屋・八百屋などがひしめき ゴミが投げ捨てられたアルノ川は異臭を放っていた。16世紀末、フェルディナンド1世の命令で市場が撤去され、今日の姿になったという】。
こちらは美術館に隣接するヴェッキオ宮。人だかりを避けて上部のみを撮影したため、変なアングル
昼食はガイドブックを頼りに、シニョリーア広場近くのレストランにて。備忘録によると、トルテッリーニ&ラヴィオリ、サラダ、カプレーゼに赤ワインを注文したようだが、画像がなくてごめんなさい
食後、ドゥオモ一帯へ赴く。ドゥオモのファサード。
ファサードの脇から望むクーポラ(撮影は翌々日)。
お次は、ドゥオモのそばにある付属美術館へ。
晩年のミケランジェロが制作を放棄したまま亡くなった、バンディーニのピエタ【イエス・キリストの死を嘆き悲しむ像】。中央でイエスを抱えているのがミケランジェロという。
目に留まった彫刻。神が男性の脇腹から女性を創る場面。
ワイン樽の傍らで寝そべる人。つい共感してパシャリ
ドゥオモの南東から眺めるジョットの鐘楼(撮影は翌々日)。
ドゥオモの西正面にある洗礼堂へ。
こちらは八角形の美しいフォルムなのだが、全貌を撮っていなくて残念
ブロンズの扉は人々が触れたため、今や金色に輝く(観光客の顔がたくさん写っていたため、下部にモザイクをかけた)。
扉の上の彫刻(ヨハネから洗礼を受けるイエス・キリストと、天使)、オリジナルは先ほどのドゥオモ付属美術館にあった。
洗礼堂の天井は最後の審判のモザイク。ほんの少しでも八角形を感じ取ってもらえたなら幸いである。
洗礼堂の周辺。ガイドブックに載っていないものも佇まいが美しい。
このフレスコ画の色あせ具合・・・ため息が出る
時計を気にしながら鉄道駅へ向かう途中。教会でも何でもない、街なかのふとした場所にて。
100㎞北東のラヴェンナへは、ボローニャとリミニ経由で2時間余り。車内での暇つぶしにビール【ワインが圧倒的人気でビールはあまり飲まれていないイタリアだが、ペローニはその中で1~2位を争う。1846年、ロンバルディア州で設立されたメーカー】。
夕食はピッツェリアにて生ハムのメロン乗せ、シェフお任せピザにワインを頼んだようだが、これまた撮っていない。
2・1 ラヴェンナ ⇒フィレンツェ (2010年8月6日)
ラヴェンナは、見どころも鉄道駅もポポロ広場から半径500m以内に収まっている。唯一の例外、サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂を除いては【5世紀初め、西ローマ帝国のホノリウス帝がミラノからラヴェンナに遷都した当初、B.C.1世紀のアウグストゥスに遡る歴史を持つ港クラッセのそばに教会が多く築かれた。しかしその後、5㎞北のラヴェンナのほうが栄えて司教座も移動、クラッセ周辺の教会はほとんど廃れた】。
この日の夜には再びフィレンツェに戻ることになっていたので、まずは離れているクラッセ聖堂へ向かうことにした。往復はバスを使うので2回券を購入、€2也。
旅をしていて常々思うのだが、土地勘のない場所でバスに乗るのは難易度が高い。うかうかしていると、降りる場所を通り過ぎてしまう。ガイドブック情報によると、ラヴェンナから乗って15分ほどで大きな教会が見えたら次の停留所で降りる、とのこと・・・風景を楽しむといった平和的なのとは真逆のスタンスで車窓を見つめる私たちであった
なんとか無事にバスを降り、クラッセ聖堂と対面。下は、ファサードの90度横方向から撮影した外観【ここは第二次大戦中に攻撃・破壊を免れたという。高さ37.5mの鐘楼は11世紀築と時代が下るが、ラヴェンナ地域に残るもののうち最も優美という。下から1連窓が2層、2連窓が1層、3連窓が3層並ぶ凝った造りである】。
内部正面のモザイク。日本でこの存在を知った時、のどかな草原を思わせる色調とモチーフに一目惚れした。
教会建設に関わったパトロンや政治的・宗教的な権力者を前面に押し出す世俗性とは無縁で、また教会への来訪者を荘厳な表情で見つめるイエス・キリストや聖母マリアさえ排して、中央部にこんな素朴なモザイクを擁する教会が他にあるだろうか。少なくとも自分は見たことがない。
創建当時(6世紀前半)のモザイクが残るアプシスを拡大すると、こんな感じ。下から上へ見ていこう。
【大きな十字架の下で両手を広げ祈りを捧げているのが聖人アポリナーレ(アポリナリス)、その両脇の羊は十二使徒を表す。ユリやマーガレットの花、岩、鳥、糸杉・オリーブに松の木も。上半分は「キリストの変容」の場面で、99の星が輝く青空に浮かぶ大きな十字架はイエス・キリストを表す。その十字架の上にご注目あれ。天から神の手が伸びており、十字架を指し示している。十字架の右には預言者エリヤ、左にモーセ。十字架の斜め下の3匹の羊は、変容を見守ったと聖書に記されている弟子のペテロ・ヤコブ・ヨハネ】。
絶妙な象徴によって教義の一端を牧歌的な光景に仮託し、昇華してしまう・・・なんともはや 個人的には一番好きなモザイクである。
内部の全貌はこんな感じ(撮っていなかったため、この記事を書くにあたりポストカードを撮影)。実は、左右の身廊にほぼ装飾がないのだ。
身廊のアーチを横から撮ったもの【歴代司教を描いたフレスコ画は18世紀、ずいぶん後代の作らしい。もちろん、当初からこんな状態だったのではない。15世紀半ば以降、教会から色々と運び出され散逸してしまったという】。
側廊にはいくつも石棺が置かれていた【ラヴェンナの棺は四面に彫刻し、蓋は半円形が特徴。ちなみにローマのそれは壁に寄せて置くことを前提に、三面彫刻で平らな蓋という】。
素人目にも技術の巧拙が感じられ、制作年代も異なるであろう作品が混交していた。孔雀とシュロの木は不死を意味するという。死して永遠の命を得たということか
再びラヴェンナの中心部に戻った私たちは、最初にサンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂を訪れた【6世紀前半、東ゴート王のテオドリックが建立】。
こちらは先ほどのクラッセ聖堂と逆で、内部正面が8世紀の地震で破壊されてしまったが、左右の身廊壁面に創建当初のモザイクがびっしり残っている。
【モザイクは大きく3段に分かれている。最上段がイエスの生涯で、左(北)が若きイエスの13場面、右(南)がイエスの受難と復活の13場面。2段目(窓の間)には聖人と預言者。最下段は超横長の図像で、西(入口側)から東(祭壇部)に向かって進む人々の列が描かれている。左(北)は22人の殉教聖女が3人の東方の三博士に先導されて聖母子に向かっていく。右(南)は26人の殉教聖人がイエス・キリストに向かっていく】。
南壁面。この画像では、最下段端にいるイエス・キリストが左に見切れている 右端はテオドリック宮殿。
北壁面、東端に近い部分。右下が聖母子、左下が東方の三博士【博士たちの頭上は当初 冠だったが、のちフリギア帽に変えられたという】。
北壁面、西端部分。左下はクラッセ港で、3隻の船が浮かんでいる。
最上段にご注目を。画像左上、1つおきに聖書に記されたイエスの物語が示される。左から右に向かって、①中風を病んでいた男性がイエスの癒しで快復し、ベッドを担いで去る。②男性にとりついた悪魔を追い出すイエス。③中風患者が吊り上げられ屋内へ運ばれる。④羊とヤギを分けるイエス。⑤銀貨をさし出す貧しい寡婦。
ともあれ最上段のモザイクは遠すぎるので、ポストカードを撮影した画像をご覧あれ。なお、キリストの生涯を伝える大規模な図像シリーズとしては最古級の作品という。
イエスに召し出されて漁網を投げ捨てるペテロとアンデレ。イエスには髭がなく、若々しい。
ちなみに、これら2枚は南壁面最上段のモザイク(同様にポストカードを撮影したもの)。
最後の晩餐。メニューが魚2匹に簡略化されているのも面白いが、イエスの表情がなんとも印象的。迫り来る逮捕の時を噛みしめているのか・・・
ユダの接吻。この直後にイエスは逮捕される。
街を西へ進み、ネオニアーノ洗礼堂へ【ラヴェンナには有名な洗礼堂が2つある。こちらは5世紀半ば、西ローマ帝国時代の建造でかなり古い。後述するアリアーノ洗礼堂と区別して、正統派洗礼堂ともいう】。
天井の中央に、洗礼を受けるイエスのモザイク。水を利用してイエス様の下半身をカモフラージュ、上手いなぁ 右端は擬人化されたヨルダン川で、イエスを拭くための布を手にしている。本当はこの外側を十二使徒が囲んでいるのだが・・・撮った画像がどうにも大ボケで ちなみに、洗礼者ヨハネが持つ銀の器は近代に加えられたもので、元々は手をかざしているだけだったという。
なお、八角形・レンガ造りの外観と、漆喰装飾も駆使した豪華な内観は全く撮っていない・・・はぁ
ネオニアーノ洗礼堂の目の前はドゥオモ(現存するのは18世紀の建築)で、付属する司教博物館がある。その中のサンタンドレア小礼拝堂を紹介したい。
入口の天井は可愛い鳥たちのモザイク。鳩、孔雀、鴨、ニワトリetc・・・
アプシスの十字架が目立つ。
天井のモザイク。中央の円に書かれているのはIとXの文字で、イエス・キリストの頭文字=転じてイエス自身を表す。両手を伸ばしてそのイエスを支えるのは4人の天使。
その間には、4人の福音史家が象徴で描かれている。上から時計回りに、獅子=マルコ、鷲=ヨハネ、人間=マタイ、牛=ルカ。
昼食は前菜盛り合わせ、ニョッキ フォルマッジ、スパゲッティボロネーゼ、ワインを楽しんだようだが・・・これまた画像がなくて 1泊しながら、エミリア・ロマーニャ州のお料理画像をお目にかけることができず・・・残念至極
食後、サン・ヴィターレ教会へ【6世紀半ば、サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂とほぼ同時期に完成】。
アプシス周辺。窓の上、天井部中央には光輪を持つ神の子羊(=イエス・キリスト)がいて、それを支える4人の天使。先ほどのサンタンドレア小礼拝堂と同様の構図である。
窓の下、アプシスを拡大したのがこちら。水色の天球に座す若きイエス・キリスト、両脇には天使、左端は教会名の由来となった聖人ヴィターレ(イエスが右手で殉教を讃える冠を与えようとしている)。イエスの頭上には彩雲、足元には草花とよじって描かれた4つの川。手前のアーチ状の部分には、豊穣を表す角(2つずつ交差)が目立つ。
このアプシスに向かって左右斜め下の壁面のモザイクは、この教会を代表するモザイクとして知られている。
左側はユスティニアス帝と随臣たち。皇帝は黄金の聖体皿を持つ。皇帝に向かって右、十字架を持つのがマクシミアヌス【この教会が完成した時の司教】。皇帝の次に目立つように描かせているのが何とも小憎い。
これと向かい合っているのが、テオドラ妃と侍女たち。妃は皇帝に呼応するように黄金の聖杯を持つ。左端の廷臣はカーテンをまくり上げ、湧き出る泉を示している。
テオドラ妃のモザイクの隣がこちら。柱頭からあらゆる壁面に至るまで、隙間もないほど装飾で埋め尽くされている・・・圧巻
半円状の部分には旧約聖書の物語。左側、赤いマントのアベル(アダムとイブの次男)は大切にしていた子羊をいけにえとして捧げている【これに対しアベルの兄カインはそれほど大切でないものを捧げたため、アベルは神に愛される。嫉妬したカインはアベルを殺し、その罪により耕しても作物ができず、死ぬまで地上をさすらうハメになる】。右側のメルキセデスはパンとワインを奉納している【戦いに勝利したアブラハムを迎えて祝福したサレムの王・祭司】。全く時代の異なる物語が同じ画面に描かれているのが面白い 半円の外の部分について。アベルの左上は、燃える柴の中で履物の紐をほどいているモーセ【シナイ山に現れた神の使いを見たモーセだが、神の土地では履物を脱ぐようにと言われる】。メルキセデスの右上は預言者イザヤ。
側廊の床のモザイク。壺から伸びているのは生命の木か
こちらも壺と鳥のモチーフ。
聖母子を礼拝する東方の三博士が彫られた石棺。
サン・ヴィターレ教会の目と鼻の先にある、ガッラ・プラキディア廟【5世紀半ば、ホノリウス帝の妹プラキディアによる。先ほどのネオニアーノ洗礼堂と並んでラヴェンナ最古の建造物。浅いドームを持つ十字型】。
小さな建物なのだが、壁面上部は紺青を基調とするモザイクに全面覆われていて、思わず息をのむ美しき空間である。あぁ・・・本物の凄みを何分の一も写し撮れていなくて口惜しい
入口上部のモザイク「良き羊飼い」。
その正面のモザイク。十字架を担いだ聖ロレンツォが焼き網に向かっている【近年の研究で、ウィケンティウス説も出ている。いずれにせよ、火あぶりで殉教したスペイン出身の聖人】。左端は福音書の入った棚。手前のアーチ状天井のモザイクが美しい。白い花はマーガレットらしい。
中央のクーポラ(ドーム)はまさに夜空のよう。星々が散りばめられ、金の十字架が輝く。四隅には福音史家の象徴である牛、獅子、鷲、人間(先ほどのサンタンドレア小礼拝堂と同様)。
クーポラの下、四面には白い衣をまとった聖人が2人ずつ配される。足元には水辺にたわむれる白い鳩【永遠の平和を求める魂がイエスによって癒されることを意味する】。
聖人の間に設けられたアラバスター(雪花石膏とも。鉱物の一種)の窓がやわらかい光を取り込み、神秘的な雰囲気を醸し出している。
いよいよ折り返し。駅のある東方面へ向かっていると、雨が降り出した。途中から怪しい雲行きになってはいたが、まさか降られるとは。しかも、すぐにはやみそうにない激しいヤツ。
アリアーノ洗礼堂に飛び込む。こちらがもうひとつの洗礼堂【6世紀初め、東ゴート王テオドリックが建立。彼はアリウス派(キリストは神と異質である、と三位一体説を否定する。325年、ニケ―ア公会議で異端とされる)を信奉していたため、先行するネオニアーノ洗礼堂と区別して称されるようになった】。
ドームに輝くモザイク。お気づきの通り、ネオニアーノ洗礼堂の影響を強く受けていて、ヨハネから洗礼を施されるイエスの周りを十二弟子が囲む構図は同じ。洗礼者ヨハネと擬人化されたヨルダン川が左右逆になってはいるが(17枚上の画像と比べてみてください)。
雨は激しさを増し、屋根を叩きつける音が響きわたる。ずぶ濡れになりたくないので、ヘタに動かず時間をつぶすことにした。壁面の装飾は何も残っていないので、頭上に広がるモザイクを穴が開きそうなほど見つめる。世界遺産の中で雨宿り・・・なんて贅沢なひとときだろう
最後はサンジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ聖堂へ【ガッラ・プラキディアが5世紀前半に建てた由緒ある教会なのだが、中世に改築が繰り返されて原形をとどめていない。また、創建当初のモザイクは16世紀半ばに神父が撤去してしまった】。
14世紀作の教会の門(中央の半円部分)には、この教会にまつわる伝説が彫られている。この教会に聖人の遺品がないことを嘆いていたプラキディアの前に聖ジョヴァンニが現れ、司教のサンダルを渡す場面である。
教会に入って、左身廊にはかつて床にあったモザイクたち(13世紀)が飾られている。古い時代のモザイクとは画題も作風も相当異なっているが、これはまたこれで面白い
人魚。尾びれが二つ裂きになっている・・・ス〇ーバックスのロゴを彷彿とさせる。
キツネの葬式。鎖につながれた死体をニワトリが運んでいる。
香炉をくわえたアヒルがその後ろに続く・・・。と、死んだふりをしていたキツネが「生き返って」鳥たちを驚かせる、という寓話らしい。
これら2つは、第4次十字軍遠征とコンスタンティノープル奪回がテーマ。時事的な生々しさ漂うモザイクも珍しい。
発つ前に、ラヴェンナ駅にて。雨はすっかり止んでいる。
かなりの数のモザイクを目にした1日だった。Cちゃんに「どの教会のが一番印象に残った?」と質問された私は「来る前から気に入っていたサンタポリナーレ・イン・クラッセは除くとしたら」と前置きして、サンタポリナーレ・ヌオーヴォと答えた。イエスの生涯を表すモザイクが数多くあった点に魅かれたから・・・驚くことに、Cちゃんの意見も同じだった
今後ヌオーヴォ聖堂を訪れる方には、オペラグラスの持参をお勧めしたい。天井に近い場所にありサイズも小さいので拡大は必須、そしてくれぐれも首を痛めないでくださいね。
本格的に暗くなる前にフィレンツェに帰着。駅前にど~んとそびえるサンタ・マリア・ノヴェッラ教会。フィレンツェ滞在中、この横を何度も通り過ぎた。華々しい正面ファサードの写真(11枚下の画像)が一般的には流布しているが、後方はかなり質素な趣である。
町をふらつきながら、夕食をとるお店を物色。途中、ポンテ・ヴェッキオのたもとから西を望む。
かなりの時間歩きまわったものの、結局はパニーニとビール&ランブルスコ【エミリア・ロマーニャ州産のスパークリングワイン。基本的に赤の微発砲で、甘口から辛口まであり8~11%とアルコール軽め】を買って、部屋食に落ち着いた。やはり画像はない
1 フィレンツェ (⇒パリ)(2010年8月7日)
この日は19時前の飛行機でパリへ発つことになっていたので、フィレンツェ観光はラストスパート
駅の東側の地帯に初めて足を踏み入れ、サン・マルコ美術館へ【その昔はドミニコ会修道院だった場所で、修道僧の一人であったフラ・アンジェリコとその弟子によるフレスコ画のシリーズ等で知られている。最も有名な作品「受胎告知」がこちら(今回、ポストカードを撮影した)】。
Cちゃんのたっての希望でこちらを訪問。一人旅だったら思いつかなかっただろう。
今は美術館と称していても修道院の趣はそのままに、そこかしこにアンジェリコのフレスコ画が飾られている。それらを見てまわるうち、心底やられてしまった私。
柔らかな色づかいで穏やかな表情の人物達が描かれた絵を眺めていると、何ともいえない優しい気持ちになってくる。かつての僧坊・廊下・階段は温かみのあるベージュの石造り。華美な装飾はなく簡素で、世俗の喧騒から切り離された静謐な空間・・・ここで生活する中で生み出された作品なんだなぁとしみじみ思った。
「受胎告知」は2階へ向かう階段を上りきった正面に掛けられており、かなりインパクトがある。私のように全然興味ない人でも、訪れたなら心奪われずにはいられないだろう。絶賛オススメ
次に、2㎞南東のサンタンブロージオ市場へ向かった。市場内の食堂が安くて美味しいと事前に調べあげ、昼食をとることに決めていた。
画像右上の赤ワインから時計回りに、白いんげん豆のサラダ、パンツァネッラ【トスカーナ州で一般的な、夏の家庭料理。水などでやわらかくしたパンを、トマト・きゅうり・玉ねぎ・バジル・塩コショウ・オリーブオイル等で和える。固くなったパンをうまく消費する工夫として生まれたらしい】、ローストビーフ、冷製ペンネ(トマト・モッツァレラ・バジリコ)である。ローストビーフが€2、それ以外は€3.5と激安なうえに、どれも美味 そしてワインはVino da Tavola(いわゆるテーブルワイン。DOCGから始まる4ランクの一番下)なのだが、それまでに飲んだ中で一番おいしいと感じた 産地で飲むワインは 輸出時に添加される酸化防止剤(亜硫酸)フリーなので味が違う、と話に聞いたとおりだった。飲んだ量だけ支払う仕組みなのだが、2人で3分の1ℓ空けてたった€2 正真正銘うまくて安い。
満足したお腹を抱えて西へ、中心街へ歩を進める。ウフィツィ美術館とドゥオモに挟まれたエリアにある、オルサンミケーレ教会へ【かつては穀物倉庫 →商工会館だったが現在は教会。外壁には各職業の守護聖人の像が飾られている】。ガイドブック曰く持ち物で何の職業の聖人か判明するとのことだったが、自分にはさっぱり分からず
内部にて。パステルカラーのヴォールト天井が印象に残った。
備忘録によると、この後ジェラートを食べて土産物屋を見たようだが、一切画像がない
それにしても辛党の自分がジェラートに手を出すとは、恐るべしイタリアの魔力
バスに乗るべく駅へ向かう。その道中にパシャリ 突き当たりに垣間見ゆるはサンタ・マリア・ノヴェッラ教会。
ハイシーズンのため観光客でギッシリな通りの様子が少しでも伝わればうれしい。
バスで目指すはミケランジェロ広場【アルノ川の南、町の南東にある丘からフィレンツェが一望できる】。1997年の旅では訪れなかったので、是非にと自分がリクエストした。
遠望した画像はこちら。アルノ川で二分される町並みが眼前に広がる。
ズームするとこんな感じ。右にドゥオモと鐘楼、左にヴェッキオ宮が目立つ。
再びバスにて駅まで戻り、まだ時間があったので目の前のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会を訪れた。何度も横をスルーし、満を持しての入場。
が・・・どうしたことか1枚も画像を撮っていない 代わりに、通りすがりに撮った外観を載せておく(ファサードは前々日、側面部はこの日の朝に撮影)。
21時前、パリに到着。時間が時間だけに空港から市内へ向かうバスがなかなか来ず、かなり待たされた。
一日中歩きまわった後なので疲れは隠せなかったが、とにもかくにもオペラ座(パレ・ガルニエ)のほど近くのホテルに無事チェックイン
★ 中締め ★
旅の後半ではパリ市内のほか、1泊2日でモン・サン・ミシェルを訪れます。お楽しみに