文字数がオーバーしたため、急きょ「その3」まで作成しました。旅の終盤には、下の地図の➌➏を訪れました。④⑤はその2で訪れた場所です。
3・6 アムステルダム ⇔ キンデルダイク (2010年12月31日)
夜中、廊下に響く人々の声で一瞬目を覚ました。New Year's Dayを迎える今夜はもっと騒がしくなるんだろーな・・・取りとめもないことを考えつつ、再び眠りに落ちた。
朝のライツェ広場でトラムに乗る。
なんとなく前日と同様に行動してアムステルダム中央駅へ向かったら、つかまえた列車は前日乗ったのと同じ9時29分発のVlissingen行きだった。何たる偶然
とりあえず、前日とは反対側の窓際に陣取る。車窓は延々と雪原が続く。アムステルダムでは小雨が残雪を溶かしていて気温も若干高いように感じたが、郊外はそうでもないらしい。この分だと、キンデルダイクは雪に埋もってるかなぁ・・・
列車はデン・ハーグを過ぎ、デルフトも通過していく。あぁ、もう少し時間があったなら寄ってみたかったよぉ・・・後ろ髪引かれながら運ばれていく自分
1時間10分でロッテルダムに到着。観光案内所は難なく見つかったが、キンデルダイク付近の地図は無いという。かくして、今日も当てずっぽうの旅が始まる・・・苦笑
行き方をたずねてみても、ガイドブックで得た情報と基本的に同じ。ふぅ
地下鉄D線に乗り換えてZuidplein駅に着くと、なんとも大きな駅でショッピングセンターと一体化していた。おかげで(?)1時間に1本のバスを数分の差で逃してしまう
下の画像は、帰路に撮影した駅の構内。
乗り継ぐべき90番のバス停はすぐに見つかった。ここもアムステルダムと同じく小雨が降り続いている。霧にかすむ風車群が自分を待っているはず
乗車して1時間余り、情報どおりバス停「Molenkade」で降りると、前方にゲートが見えて迷う余地はなかった。どうりで地図がないはずだわ【ただし、バス停「キンデルダイク」で下車してはいけないので、要注意】。
ただし、土産物屋は閉まってるし、オフシーズンの様相が濃厚。わずかながら人々が行き来しているのがせめてもの救いか。
風車はこんな感じで点在している。
もっと立体的な地図。上の画像と向きが異なるが、手前に入口を配置したこちらの地図のほうが実際の足取りに近い。
前に広がる道をひとまず進んで行くと、さっそく風車が視界に入ってきた。予想に違わず霧に煙っている。
シーズン中は風車の内部を見学することができるらしい。
こんな感じの道をずんずん歩く。左は運河。
ススキの向こうに風車が3基。
運河に渡された橋も雪に覆われている。
あの風車、変わった形だな~ 小屋よりも羽のほうが大きくてアンバランス。
曲がり角にやってきた。3基まで見渡せる。
ここからも3基見える。天気が良ければもっと遠くまで見渡せるのだろうが、このコンディションではせいぜい3基までが限界のようだ。
それにしても、この景色キレイだなぁ・・・ここに居た証に、自分が写った画像が欲しい。降って湧いた欲求を満たすためしばし待ち、やって来た30代くらいのお兄さんに撮影を頼んだら、快くO.Kしてくれた。わ~い
時計を気にしながら(←1時間に1本の帰りのバスを逃さないため)さらに奥へ踏み込み、入場から16基までは目で数えたような気がする、何しろ霞んでいるから自信はないけど 全19基のうち大方見られたから、よしとしよう。
出口へ向かいながらも、余念なくシャッターを切る。欄干にカモメたち。
水上にもカモメたち。
最後に、キンデルダイクの看板。
乗り継ぎ地のロッテルダムはかなり都会だった。今回 町を歩きまわる時間はなかったのだが、地下鉄(といいつつ地上区間も長い)の車窓から見る限り、高層ビルが建ち並んでいた。昔ながらの建て方を意識しているアムステルダムやライデンとは雰囲気が違う。首都をしのぐほどに近代化されている、さすがオランダ第二の都市と思った。が、後でよくよくガイドブックを読むと、第二次大戦中にドイツによる爆撃で徹底的に破壊された歴史があった。眼前のモダンな建物群は、紛うことなき戦後の復興の証だった・・・
下の画像は、ロッテルダム駅まで10分ほどの距離にあるRijnhaven駅にて撮影。
アムステルダムに戻ったら、とっぷり日が暮れていた。夜の風景を載せておく。
そして、ここからは予定外のことだらけ
翌日オランダを発つのでお土産購入タイムだったが、ムント広場のデルフト焼き店は17時半で閉まっていて、急きょダム広場のお土産物屋で買い込むことになった。
そして、ダム広場のアルバート・ハインで前日に目をつけていたオランダ産ワインとジェネヴァを買うつもりが・・・19時でこれも閉まっていた 空港に期待することにして、レストランへ急ぐ。ところがライツェ広場でトラムを降りる予定が、自分の近くの扉が開かず次の停留所まで乗り越すことになった。しかも1駅がかなり遠く、到底歩いて戻る気になれない距離だったため、仕方なくトラムを待つことにしたものの、夜間のせいかなかなか来ない。たぶん5分以上は待たされたはず。やっと来たトラムは満員で乗るのがやっと。片手にデルフト焼きの入ったかさばる袋を提げていたので、両手で胸元に抱えあげた。が、ふとイヤな感じがして手を下ろしてみると、自分の後に押すようにして乗り込んできた地元人らしき男の右手指が私のショルダーバッグの左外ポケットに伸びているではないか
外ポケットに貴重品を入れるはずもなく、そこには機内でもらった紙ナプキン(何かの時に拭くため用)やボールペンしか入っていないんだけど、そしてそれらは無事だったのだけど・・・
当てが外れたようで、彼らは次の停留所でサッと降りていったが、ヤツらの行為によってオランダの印象が思いっきり悪くなった
もちろん自分にもマズイ点はある。第一に大きな土産物を抱えて よそ者丸出しでウロウロしたこと、第二に(予定外だったとはいえ、トラムを待たされたことにより)暗い時間に人けの少ない場所に長時間居たこと。ふとした時にこーいう条件がそろうと、トラブルに遭うのだなとつくづく思った。幸い被害ゼロで済んだけど、やはりいい気分はしない
気を取り直して、オランダ最後のディナーへ向かう。これもガイドブックに載っているお店だったが、あっさりと入れてもらえた。殊にアムステルダムのレストランはハズレなしだった。異国人で一人客であっても嫌な顔ひとつせず至極当然に招き入れてくれた、笑顔付きで
さて、ここではインドネシア料理を食した。オランダでなぜと言うなかれ。かつて宗主国・植民地だった関係で、ライスターフェルというインドネシア小皿料理なるものを提供するお店があるのだ。
まずはハイネケンを注文。日本だとあり得ないサイズのジョッキにも慣れてきた、恐ろしいことに 突き出しがインドのスナックを思わせ、既にアジアっぽい。
まずはスープ(以下3つの画像は全てピンボケです。ごめんなさい)。
揚げ物3種。
一見バイキングに見える机上だが、個人のテーブルにこれらが運ばれてくる。なんて豪華
最後はデザート。
2006年にインドネシアを訪れたことがあるのだが、感想としては現地ほど辛くなくて、ヨーロッパ向けにアレンジしているなという印象。お店の方にspicyと言われた2皿のうち片方は、辛いのが得意でない自分でさえ平気だった。ご飯やサラダにかける用と紹介されたcoconuts powderが美味しかった。また、クミンが効いた料理が美味しく、アジアのスパイスがうまく活かされているなとしみじみ思った。そして、お腹いっぱいになった。小皿とはいえ14皿だもんなぁ・・・ビールのせいもあるけど
ホテルへは21時過ぎに戻った。日ごとにこの国に慣れて帰着が遅くなっていったな~
わが宿の近くにある有名チェーンホテル。小さなツリーを散りばめるイルミネーションが可愛くて、ついパシャリ
シャワーを浴びた後、テレビをBGMに日記を書く。外では花火をドンパチと連射している。まもなく23時半・・・これからますます騒がしくなるのだろう。
この国ではこれから新年を迎えるけど、日本では8時間前に年が明けてるんだよね・・・異国を旅している場合、どちらの年明けが適用されるんだろう 国籍のある国? それとも、その時にいる場所? 暇にまかせて、他愛もないことを考えてみる。
もし前者だったら、振り返ってみてロッテルダムの切符売り場で発車時刻を気にしながらやきもきし、窓口係員に向かって英語をまくしたてるフリしてた頃のはず。何とも気ぜわしい年になりそうな幕開けだ そして後者なら、テレビから偶然流れてきたアヴェ・マリアを耳にして心洗われた気分になり、屋根裏の窓越しに花火の音を聞くこれからということか。
そうこうしていると、テレビからオペラ『椿姫』が流れてきた。オランダのどこかでやっているカウントダウン・コンサートの中継らしい。新年まであと2分と表示されている。1分前からは秒を刻んでいき・・・新年になった。外から聞こえる花火(音だけ聞くと、もはや爆竹)は凄まじさを増していく。
しかし、人間眠ければどんな環境でも寝られるようだ。終わりそうもないお祭り騒ぎの中、いつのまにか眠りに落ちていた。
3 アムステルダム (⇒ロンドンへ出国) (2011年1月1日)
2時半過ぎ、廊下で話し声がして前夜と同様またも扉を間違われてノブがガチャガチャと回されたため、起こされてしまった。いい加減、自分の部屋の位置を覚えようよ~ てか、酔っ払いすぎだし ←他人様のこと言えるのか 外では散発的に花火がドンパチ続いている。一体何時までやるんだろうと思いつつ、すぐ眠りに落ちた。
次に気づいたら、5時半過ぎだった。余裕をもって空港へ行くには6時起床・7時出発を予定していたので、ちょうどよかった。
さすがに花火の音はしない。やはり夜明け前には止めるのだろう。しかし、いったい何時間花火をやるものなんだろう 少数派だけど気の早い人は12月30日の昼からやってたし、31日の18時前には派手に始まってたもんなぁ・・・トラムに乗ったらビール臭いし、道行く人々はハイテンションだし。旅人として傍観しているぶんには面白かったけど
パッキングして身支度を整え、7時少し前にフロントへ。チェックアウトはすぐに完了。そりゃそーだ、冷蔵庫ないから精算もないし。
「コーヒーでも飲む?」とフロントのおじちゃんが声をかけてくれたけど、怪しげな英語で「時間がないの」と伝える。十分時間あるけどなぁ・・・と言ってるのは理解できたけど、“早めに余裕を持っておきたい” と英語で表現できそうもなくて笑顔でごまかす。別れのあいさつになったので、「Dank u,Tot ziens.」と言ってみた。テキトーにアクセントをつけたオランダ語の"ありがとう、さよなら” は通じたようで、意外にもオランダ語を耳にしたという反応のおじちゃんは嬉しそうに「Tot ziens.」と返してくれた。
実は、ここまで色々な場面で片言のオランダ語を使ってみてもポカンとされることが多かった。英語で通じるのに、わざわざなんで?って反応。これほど母国語そっちのけで英語天国なのも、来てみて初めて知った。そんなわけでmy旅ポリシーがズタズタになってたんだけど、現地の言葉で相手が喜んでくれる瞬間がついに到来。やっぱり、こんなやり取りができるとたまらなく楽しい ホクホクしながら、外気いまだ冷たい戸外に出てライツェ広場を目指す。ところが・・・ここからがやや問題アリだったのだ。
ちょうど行き違いでトラムが発車したため、停留所でずいぶんと待たされるハメになった・・・そして思い起こされるのは前夜のこと。そう、大きな荷物を持って長時間姿をさらしているとロクなことがないのだ。案の定、後方を振り返ると怪しげな男が立っている。周囲にはカウントダウン明けのオールナイト組の男女の集団もいるから大丈夫とは思いつつ、気味が悪いので2m平行移動すると、まもなくヤツも平行移動してきた。これは狙われている・・・覚悟を決めて体中に緊張感をみなぎらせる。
2分くらい経って元の位置に平行移動すると、とりあえずターゲットからはずれたようで、今度はオールナイト組の集団を舐めまわすように見ていた。目を合わせないように盗み見たが、実に気味悪かった 振り返ってみるとトラムが来るまでに10分弱だったと思うのだが、非常に長く感じられた。
そして、トラムに乗ったら乗ったで別の変な小男がいて、乗客に次々と話しかけながら移動している。こっちに来るな~!!と心の中で叫んでも、どんどん近づいて来る。が、何もなく自分の横を通り過ぎて行った。こーいう時、目立たぬ風貌で実によかったと神に感謝するのであった その男は次の停留所で降りていった。この2日間の経験で知ったのは、怪しげな人は乗降客が少ないマイナーな停留所ですーっと降りていくの法則。
アムステルダム中央駅から空港へ向かう列車は乗客であふれていた。元旦のせいか、午前すいているの法則は無効だった。通路に立つことになり車窓を見ることができず、アムステルダムに目で別れを告げることはできなかった。
空港内をフラフラしてお酒専門のお店に入ったが、オランダ産のワインはないし、ジェネヴァは750㎖以上の大きいボトルしかない。2日前にアルバート・ハインで見かけながら買わなかったことをつくづく後悔 旅先では一期一会の気概で臨まなきゃいけないんだった・・・同じような失敗を何度もしでかしてるよなぁ
この後、ヒースローを経由して成田まで旅は続くのだが、以降は割愛する。
★ 終わりに ★
アムステルダムで多少ヒヤッとする事態に遭遇したことを率直に記した。文中にも書いたように、いくつかの条件が揃うと危険な目に遭うのだろう。オランダに限ったことではないが、旅慣れているといくら自負していても気を緩めると決して安全ではなくなるのだなと痛感した。
それでも、またオランダを訪れたいと思ってしまう。今回は時間の都合で泣く泣くあきらめたデン・ハーグとデルフトの他にも、アクセスが難しいクレラー・ミュラー美術館など・・・
それと、ついぞ口にすることがなかったオランダのワイン 後で調べてみたところ、生産量が少なくてほとんど国内で消費されてしまううえに、主要産地はドイツと接しているヘルダーラント州(オランダ東部)、ベルギーとドイツに挟まれているリンブルフ州(オランダ最南部)と知った。今回自分が足を踏み入れていない地域・・・おいそれと出合うはずもないわけだわ
母国語のオランダ語はどこへやら、英語が相当浸透しているオランダ。自分の英語力では正直厳しいのだが、にもかかわらず再訪したいと思わずにはいられない
3・6 アムステルダム ⇔ キンデルダイク (2010年12月31日)
夜中、廊下に響く人々の声で一瞬目を覚ました。New Year's Dayを迎える今夜はもっと騒がしくなるんだろーな・・・取りとめもないことを考えつつ、再び眠りに落ちた。
朝のライツェ広場でトラムに乗る。
なんとなく前日と同様に行動してアムステルダム中央駅へ向かったら、つかまえた列車は前日乗ったのと同じ9時29分発のVlissingen行きだった。何たる偶然
とりあえず、前日とは反対側の窓際に陣取る。車窓は延々と雪原が続く。アムステルダムでは小雨が残雪を溶かしていて気温も若干高いように感じたが、郊外はそうでもないらしい。この分だと、キンデルダイクは雪に埋もってるかなぁ・・・
列車はデン・ハーグを過ぎ、デルフトも通過していく。あぁ、もう少し時間があったなら寄ってみたかったよぉ・・・後ろ髪引かれながら運ばれていく自分
1時間10分でロッテルダムに到着。観光案内所は難なく見つかったが、キンデルダイク付近の地図は無いという。かくして、今日も当てずっぽうの旅が始まる・・・苦笑
行き方をたずねてみても、ガイドブックで得た情報と基本的に同じ。ふぅ
地下鉄D線に乗り換えてZuidplein駅に着くと、なんとも大きな駅でショッピングセンターと一体化していた。おかげで(?)1時間に1本のバスを数分の差で逃してしまう
下の画像は、帰路に撮影した駅の構内。
乗り継ぐべき90番のバス停はすぐに見つかった。ここもアムステルダムと同じく小雨が降り続いている。霧にかすむ風車群が自分を待っているはず
乗車して1時間余り、情報どおりバス停「Molenkade」で降りると、前方にゲートが見えて迷う余地はなかった。どうりで地図がないはずだわ【ただし、バス停「キンデルダイク」で下車してはいけないので、要注意】。
ただし、土産物屋は閉まってるし、オフシーズンの様相が濃厚。わずかながら人々が行き来しているのがせめてもの救いか。
風車はこんな感じで点在している。
もっと立体的な地図。上の画像と向きが異なるが、手前に入口を配置したこちらの地図のほうが実際の足取りに近い。
前に広がる道をひとまず進んで行くと、さっそく風車が視界に入ってきた。予想に違わず霧に煙っている。
シーズン中は風車の内部を見学することができるらしい。
こんな感じの道をずんずん歩く。左は運河。
ススキの向こうに風車が3基。
運河に渡された橋も雪に覆われている。
あの風車、変わった形だな~ 小屋よりも羽のほうが大きくてアンバランス。
曲がり角にやってきた。3基まで見渡せる。
ここからも3基見える。天気が良ければもっと遠くまで見渡せるのだろうが、このコンディションではせいぜい3基までが限界のようだ。
それにしても、この景色キレイだなぁ・・・ここに居た証に、自分が写った画像が欲しい。降って湧いた欲求を満たすためしばし待ち、やって来た30代くらいのお兄さんに撮影を頼んだら、快くO.Kしてくれた。わ~い
時計を気にしながら(←1時間に1本の帰りのバスを逃さないため)さらに奥へ踏み込み、入場から16基までは目で数えたような気がする、何しろ霞んでいるから自信はないけど 全19基のうち大方見られたから、よしとしよう。
出口へ向かいながらも、余念なくシャッターを切る。欄干にカモメたち。
水上にもカモメたち。
最後に、キンデルダイクの看板。
乗り継ぎ地のロッテルダムはかなり都会だった。今回 町を歩きまわる時間はなかったのだが、地下鉄(といいつつ地上区間も長い)の車窓から見る限り、高層ビルが建ち並んでいた。昔ながらの建て方を意識しているアムステルダムやライデンとは雰囲気が違う。首都をしのぐほどに近代化されている、さすがオランダ第二の都市と思った。が、後でよくよくガイドブックを読むと、第二次大戦中にドイツによる爆撃で徹底的に破壊された歴史があった。眼前のモダンな建物群は、紛うことなき戦後の復興の証だった・・・
下の画像は、ロッテルダム駅まで10分ほどの距離にあるRijnhaven駅にて撮影。
アムステルダムに戻ったら、とっぷり日が暮れていた。夜の風景を載せておく。
そして、ここからは予定外のことだらけ
翌日オランダを発つのでお土産購入タイムだったが、ムント広場のデルフト焼き店は17時半で閉まっていて、急きょダム広場のお土産物屋で買い込むことになった。
そして、ダム広場のアルバート・ハインで前日に目をつけていたオランダ産ワインとジェネヴァを買うつもりが・・・19時でこれも閉まっていた 空港に期待することにして、レストランへ急ぐ。ところがライツェ広場でトラムを降りる予定が、自分の近くの扉が開かず次の停留所まで乗り越すことになった。しかも1駅がかなり遠く、到底歩いて戻る気になれない距離だったため、仕方なくトラムを待つことにしたものの、夜間のせいかなかなか来ない。たぶん5分以上は待たされたはず。やっと来たトラムは満員で乗るのがやっと。片手にデルフト焼きの入ったかさばる袋を提げていたので、両手で胸元に抱えあげた。が、ふとイヤな感じがして手を下ろしてみると、自分の後に押すようにして乗り込んできた地元人らしき男の右手指が私のショルダーバッグの左外ポケットに伸びているではないか
外ポケットに貴重品を入れるはずもなく、そこには機内でもらった紙ナプキン(何かの時に拭くため用)やボールペンしか入っていないんだけど、そしてそれらは無事だったのだけど・・・
当てが外れたようで、彼らは次の停留所でサッと降りていったが、ヤツらの行為によってオランダの印象が思いっきり悪くなった
もちろん自分にもマズイ点はある。第一に大きな土産物を抱えて よそ者丸出しでウロウロしたこと、第二に(予定外だったとはいえ、トラムを待たされたことにより)暗い時間に人けの少ない場所に長時間居たこと。ふとした時にこーいう条件がそろうと、トラブルに遭うのだなとつくづく思った。幸い被害ゼロで済んだけど、やはりいい気分はしない
気を取り直して、オランダ最後のディナーへ向かう。これもガイドブックに載っているお店だったが、あっさりと入れてもらえた。殊にアムステルダムのレストランはハズレなしだった。異国人で一人客であっても嫌な顔ひとつせず至極当然に招き入れてくれた、笑顔付きで
さて、ここではインドネシア料理を食した。オランダでなぜと言うなかれ。かつて宗主国・植民地だった関係で、ライスターフェルというインドネシア小皿料理なるものを提供するお店があるのだ。
まずはハイネケンを注文。日本だとあり得ないサイズのジョッキにも慣れてきた、恐ろしいことに 突き出しがインドのスナックを思わせ、既にアジアっぽい。
まずはスープ(以下3つの画像は全てピンボケです。ごめんなさい)。
揚げ物3種。
一見バイキングに見える机上だが、個人のテーブルにこれらが運ばれてくる。なんて豪華
最後はデザート。
2006年にインドネシアを訪れたことがあるのだが、感想としては現地ほど辛くなくて、ヨーロッパ向けにアレンジしているなという印象。お店の方にspicyと言われた2皿のうち片方は、辛いのが得意でない自分でさえ平気だった。ご飯やサラダにかける用と紹介されたcoconuts powderが美味しかった。また、クミンが効いた料理が美味しく、アジアのスパイスがうまく活かされているなとしみじみ思った。そして、お腹いっぱいになった。小皿とはいえ14皿だもんなぁ・・・ビールのせいもあるけど
ホテルへは21時過ぎに戻った。日ごとにこの国に慣れて帰着が遅くなっていったな~
わが宿の近くにある有名チェーンホテル。小さなツリーを散りばめるイルミネーションが可愛くて、ついパシャリ
シャワーを浴びた後、テレビをBGMに日記を書く。外では花火をドンパチと連射している。まもなく23時半・・・これからますます騒がしくなるのだろう。
この国ではこれから新年を迎えるけど、日本では8時間前に年が明けてるんだよね・・・異国を旅している場合、どちらの年明けが適用されるんだろう 国籍のある国? それとも、その時にいる場所? 暇にまかせて、他愛もないことを考えてみる。
もし前者だったら、振り返ってみてロッテルダムの切符売り場で発車時刻を気にしながらやきもきし、窓口係員に向かって英語をまくしたてるフリしてた頃のはず。何とも気ぜわしい年になりそうな幕開けだ そして後者なら、テレビから偶然流れてきたアヴェ・マリアを耳にして心洗われた気分になり、屋根裏の窓越しに花火の音を聞くこれからということか。
そうこうしていると、テレビからオペラ『椿姫』が流れてきた。オランダのどこかでやっているカウントダウン・コンサートの中継らしい。新年まであと2分と表示されている。1分前からは秒を刻んでいき・・・新年になった。外から聞こえる花火(音だけ聞くと、もはや爆竹)は凄まじさを増していく。
しかし、人間眠ければどんな環境でも寝られるようだ。終わりそうもないお祭り騒ぎの中、いつのまにか眠りに落ちていた。
3 アムステルダム (⇒ロンドンへ出国) (2011年1月1日)
2時半過ぎ、廊下で話し声がして前夜と同様またも扉を間違われてノブがガチャガチャと回されたため、起こされてしまった。いい加減、自分の部屋の位置を覚えようよ~ てか、酔っ払いすぎだし ←他人様のこと言えるのか 外では散発的に花火がドンパチ続いている。一体何時までやるんだろうと思いつつ、すぐ眠りに落ちた。
次に気づいたら、5時半過ぎだった。余裕をもって空港へ行くには6時起床・7時出発を予定していたので、ちょうどよかった。
さすがに花火の音はしない。やはり夜明け前には止めるのだろう。しかし、いったい何時間花火をやるものなんだろう 少数派だけど気の早い人は12月30日の昼からやってたし、31日の18時前には派手に始まってたもんなぁ・・・トラムに乗ったらビール臭いし、道行く人々はハイテンションだし。旅人として傍観しているぶんには面白かったけど
パッキングして身支度を整え、7時少し前にフロントへ。チェックアウトはすぐに完了。そりゃそーだ、冷蔵庫ないから精算もないし。
「コーヒーでも飲む?」とフロントのおじちゃんが声をかけてくれたけど、怪しげな英語で「時間がないの」と伝える。十分時間あるけどなぁ・・・と言ってるのは理解できたけど、“早めに余裕を持っておきたい” と英語で表現できそうもなくて笑顔でごまかす。別れのあいさつになったので、「Dank u,Tot ziens.」と言ってみた。テキトーにアクセントをつけたオランダ語の"ありがとう、さよなら” は通じたようで、意外にもオランダ語を耳にしたという反応のおじちゃんは嬉しそうに「Tot ziens.」と返してくれた。
実は、ここまで色々な場面で片言のオランダ語を使ってみてもポカンとされることが多かった。英語で通じるのに、わざわざなんで?って反応。これほど母国語そっちのけで英語天国なのも、来てみて初めて知った。そんなわけでmy旅ポリシーがズタズタになってたんだけど、現地の言葉で相手が喜んでくれる瞬間がついに到来。やっぱり、こんなやり取りができるとたまらなく楽しい ホクホクしながら、外気いまだ冷たい戸外に出てライツェ広場を目指す。ところが・・・ここからがやや問題アリだったのだ。
ちょうど行き違いでトラムが発車したため、停留所でずいぶんと待たされるハメになった・・・そして思い起こされるのは前夜のこと。そう、大きな荷物を持って長時間姿をさらしているとロクなことがないのだ。案の定、後方を振り返ると怪しげな男が立っている。周囲にはカウントダウン明けのオールナイト組の男女の集団もいるから大丈夫とは思いつつ、気味が悪いので2m平行移動すると、まもなくヤツも平行移動してきた。これは狙われている・・・覚悟を決めて体中に緊張感をみなぎらせる。
2分くらい経って元の位置に平行移動すると、とりあえずターゲットからはずれたようで、今度はオールナイト組の集団を舐めまわすように見ていた。目を合わせないように盗み見たが、実に気味悪かった 振り返ってみるとトラムが来るまでに10分弱だったと思うのだが、非常に長く感じられた。
そして、トラムに乗ったら乗ったで別の変な小男がいて、乗客に次々と話しかけながら移動している。こっちに来るな~!!と心の中で叫んでも、どんどん近づいて来る。が、何もなく自分の横を通り過ぎて行った。こーいう時、目立たぬ風貌で実によかったと神に感謝するのであった その男は次の停留所で降りていった。この2日間の経験で知ったのは、怪しげな人は乗降客が少ないマイナーな停留所ですーっと降りていくの法則。
アムステルダム中央駅から空港へ向かう列車は乗客であふれていた。元旦のせいか、午前すいているの法則は無効だった。通路に立つことになり車窓を見ることができず、アムステルダムに目で別れを告げることはできなかった。
空港内をフラフラしてお酒専門のお店に入ったが、オランダ産のワインはないし、ジェネヴァは750㎖以上の大きいボトルしかない。2日前にアルバート・ハインで見かけながら買わなかったことをつくづく後悔 旅先では一期一会の気概で臨まなきゃいけないんだった・・・同じような失敗を何度もしでかしてるよなぁ
この後、ヒースローを経由して成田まで旅は続くのだが、以降は割愛する。
★ 終わりに ★
アムステルダムで多少ヒヤッとする事態に遭遇したことを率直に記した。文中にも書いたように、いくつかの条件が揃うと危険な目に遭うのだろう。オランダに限ったことではないが、旅慣れているといくら自負していても気を緩めると決して安全ではなくなるのだなと痛感した。
それでも、またオランダを訪れたいと思ってしまう。今回は時間の都合で泣く泣くあきらめたデン・ハーグとデルフトの他にも、アクセスが難しいクレラー・ミュラー美術館など・・・
それと、ついぞ口にすることがなかったオランダのワイン 後で調べてみたところ、生産量が少なくてほとんど国内で消費されてしまううえに、主要産地はドイツと接しているヘルダーラント州(オランダ東部)、ベルギーとドイツに挟まれているリンブルフ州(オランダ最南部)と知った。今回自分が足を踏み入れていない地域・・・おいそれと出合うはずもないわけだわ
母国語のオランダ語はどこへやら、英語が相当浸透しているオランダ。自分の英語力では正直厳しいのだが、にもかかわらず再訪したいと思わずにはいられない
おしまい