2018年3月 旅したアイルランドに忘れ物をしてきたことに気づいてしまったので、再び赴くことを決意。2回目の訪問になるので、(2)とする。
今回は下の地図の➊~➑を訪れた(ただし近いため、カールスダーモットとムーンは➌に、キラディアスとボア島は➎に集約している)。また、後の下線部の数字は地図上の都市に対応している。
1 (ドーハ経由) ⇒ダブリン (2018年12月26日)
往きの飛行機では席に恵まれた。Zone2の先頭は食事のサーブが最初だし、通路側を希望して中央のシマに配置されたのだが横に誰も来ない。よって、4人分の席をガッツリ使って眠ることができた カタール航空のサイトから直に航空券を買ったのがよかったのか、搭乗2か月半前という購入時期がよかったのか、勝因は謎だけど
成田発22時のドーハ便は乗客がスカスカなわけでもない。通路をはさんで窓側のシマにはサッカーやってると思われる中学生たちが座っていた。CAさんの流暢な英語に「Yes,Yes.」と答えた子に、「お前ぜったい分かってないだろー?!」と他の子が全力でツッコんでいて楽しそうだった。何処まで練習しに行くんだろう 聞いてみる図太さはないけど
ドーハ発の便はすいていた。やはりセンターパートの通路側を選んだのだが、隣りは無人。足を伸ばしたりウトウトしたり、3人分の席を自由に使った。ラッキー
さてさて日本を出て24時間、疲労もピークに達しようかというタイミングで、厳しき入国審査にぶつかる。前回もそうだったのに喉元過ぎれば何とやら、すっかり忘れていたところへ怒涛の攻撃を受ける。数ヶ月前のアイルランド入国スタンプが押されたページをしっかりと開いた審査官は、「アイルランドに知人・友人・家族はいるか?」 これに「No.」と答えたのがマズかったらしい。sightseeingと言っても、「この前来たばかりなのに、なぜまた」とくる これは面倒そうだぞと腹をくくり、前回の訪問場所を具体的に列挙し、旅して更に興味がわいたから再訪を決めた、今回訪れるのは・・・とこれまた具体的な場所を挙げつつ下手な英語で説明したところ、その点は切り抜けた、ふぅ が、更に質問攻めは続く「アブダビに住んでいるのか?」には即No!! いやいや、ドーハから来たんだが・・・カタールの首都を間違えてないか aloneかってしつこく聞かれたし、そういえば前回も同じ航空会社使ったんだった。イスラム系の国を経由して行くから、テロ対策絡みで審査が厳しいのかなぁ・・・航空券が安いから選んでるだけで、他意は全くないんだけどな ま、1年足らずで再訪観光するのはレアだよね、それはよ~く自覚している。
ともかく消耗するやり取りの果てに、晴れて無罪放免となった私。結果良ければ全てよしとしよう
バスAirlink747に乗れば目指すホテルの前に着くらしいが、乗り場を知らない。前回は空港でピックアップしてもらったので、当然の成り行き・・・目に入ったAirlinkのカウンターで尋ねると、あっさり判明。出てすぐ左に折れて、2番乗り場だった。しかもわりとすぐにバスがやって来た。
降りる停留所は8つ目。車内表示&アナウンスがあるので助かる。そうこうするうちに、バスはリフィ川に出た。ダブリン空港は市街地に近いな~
ホテルは正真正銘 停留所の目の前で、迷う暇もなかった。13時50分だったが、キーをもらって部屋に入ることができた。あぁ、シャワー浴びたい・・・が、街に出なければ。明日・明後日は地方都市泊まり、しあさっての夜戻って来て翌早朝に出立なので、ダブリンでの時間は少ない。ホント、2回来ても慌ただしいなぁ
15分後にはホテルを出て、オコンネル・ストリートへ。通り沿いの郵便局を横目で見ると、やはり休み。この日は聖スティーブンズ・デイとかいう祝日らしいのだ。たぶん国立考古学博物館も休みだろうなと思いつつ、橋を渡り南下する。前回泊まったホテルの界隈、トリニティー・カレッジからナッソー・ストリート付近のお店はほぼ閉まっているけど、懐かしい。右折してキルデア・ストリートに入り何の気なしに前方を見ると、エントランスから人が出てきた。3月の時は聖金曜日という祝日のため、門からして閉まってた・・・ということは
嬉しい誤算で、博物館はopenしていた 何事も “念のため” って大事だな。足を運んでみてよかった~
入館し、feeを払うのはどこ?とキョロキョロ ミュージアムショップに近づいてみるが、関係なさそう・・・しばし考えたのち、無償だからカウンターがないんだとようやく気づく。つい日本の常識で行動しちゃったわ、恥ずかしい限り
前回の訪問時、友人たちにハガキを送ろうと手に入れた切手が偶然にも国宝シリーズの意匠だったため、宝物に焦がれていた。1階から2階へと見学の順路に沿って、気になったものを紹介したい。まずは面白いフォルムの十字架。
磔刑。イエスの両脇を槍で突く・・・3月に見たハイクロスの多くに同様の場面が彫られていた。アイルランドではポピュラーな図像と思われる。
てか、衣の文様が渦巻きとか組み紐とか、いかにもケルトっぽい【ケルト人は輪廻転生の思想を持っており、永遠に循環する生命を組み紐や渦巻きで表現したという】
国宝その1、アーダの聖杯【南西部のリムリックで発見、8世紀の制作。ミサで聖体ワインを配るのに使用された銀杯で、11使徒とパウロの名が刻まれている】。
国宝その2、タラのブローチ【8世紀の制作。司教の衣を留めるのに使用したらしい。タラの丘から離れた海辺で発見されたが、同じミース県内にちなんで名付けられた】。
国宝その3、ブロイターカラー【B.C.1世紀制作、鉄器時代の金の首輪。北部デリー県のフォイル湖周辺で発見】。ま、まばゆい・・・
クロジエ【司教が使用した杖で、教会の権力を象徴した。11世紀制作のリズモア・クロジエは国宝なのだが、自分が気に入ったのは別のヤツ】。
持ち手の断面の彫刻。
動物の連続彫刻はまるで たてがみのよう。
杖身の部分にも細かな彫刻。
国宝その4、コングの十字架【12世紀制作。西部のマイヨー県で発見。イエスの処刑に使用された十字架片を覆うためにつくられたといわれるが、十字架片は行方不明】。
2階へ上がる。館内はこんな感じ。
2階から1階を見下ろす。
これは一体何なのか??
精緻な細工
珍しく木彫。聖母子の柔和な表情も独特な感じがする。
17時の閉館に合わせて、かなり駆け足でまわった。ひとつひとつ丁寧に見ていたら、1日では終わらないだろう。
2時間半滞在しているうちに、外はすっかり暗くなっていた。さすが冬、暮れるのが早いわ~
トリニティー・カレッジの正門にプロジェクションマッピング。美しいブルーに、冬だなぁとしみじみ。
遠景はこんな感じ。左手の白い建物はアイルランド銀行。
途中、最終日の空港へのアシを下見する。バス停の時刻表を眺めたところ、日曜なのが災いしてエアリンクもダブリンバスも本数が少ない。エアコーチは前日までにネット予約すれば大丈夫なようだが、一抹の不安が残る。早朝5時半にバスが来る来ないでワタワタしたくないな・・・ホテルでタクシー頼むのが確実かもなぁ。
3日後=ダブリン最後の夜はディナーしながらアイリッシュ・ダンスを観られるようにネット予約済みだった。
この日の夕食はどうしよう・・・機内食で胃もたれ気味だったので、テンプルバーのパブはパスして部屋食に決定。前回もお世話になったアストン・キーにあるスーパーへ。野菜と思ったが、かなり大きい総菜サラダのパックに尻込み。先は長いので、フルーツ(パイン&いちご)のみ買う。ただし、アルコールはちゃっかり確保。
前回このメーカーのred aleを飲んだが、こちらも気になっていたので
アイルランドはやはりスタウトでしょ、ってことで初めてビーミッシュにトライ。
最後はサイダーで締める
1・2・3・4 ダブリン ⇒グレンダーロッホ ⇒カールスダーモット ⇒ムーン ⇒ケルズ (2018年12月27日)
祝日夜の喧騒に寝返りを打ちつつ、目覚ましが鳴る1時間前に起きた。機内で思いのほか眠れたので、睡眠が足りていたのかもしれない。
約束の9時より少し前、ガイドのRさんがロビーにやって来た。前回のアイルランド訪問で足かけ2日間お世話になった方である。
トランクに荷物を積み、車は南へ進んで行く。この日最初の行き先グレンダーロッホは、アイルランドを再訪しようと決めた時まず最初に浮かんだ場所。日程の都合で前回やむなく割愛していたので【グレンダーロッホは、森の中にひっそりとたたずむ初期キリスト教会群。6世紀に聖職者ケヴィンが人里離れた地を求めて移り住んだ後、その名声が高まるにつれ後を追う者が増え、修道院が建てられた。12世紀まで聖地として繁栄】。
1時間余りで到着。ゲートウェイをくぐる前に、まずトリニティー教会へ。屋根は失われているが、石組みはしっかりと残っている。
ビジターセンターはクリスマス前後休暇でclosedだった。この地で発掘された古いハイクロスが展示されているのだが、無念至極 いやいや・・・分かっててこの時期に来たんだよね、と気を取り直す。
川越しに、ラウンドタワーや石造りの建物が見えてきた。
途中、岩には落書きのような十字架が書かれていた。
大聖堂はさすがに大きい。アーチの片鱗に技術の高さを偲ぶ。
正面奥、祭壇があったと思われる場所。
聖ケヴィンの十字架。
聖ケヴィン教会へ向かう。まるでラウンドタワーのような煙突が目をひく。
三角屋根を持つ大小2つの建物がくっついている。
中には入れないが、覗くことができた。しっかりとした外観に反して残っているものは多くなく、ちょっと寂しい感じがした。
車で先まわりするガイドRさんと別れ、1.5㎞西南西のアッパー・レイクまでハイキング シーズンオフとはいえ観光客がチラホラいて、つかず離れず・・・心強い道中だった。
色づいた草に季節を感じる。
0.5㎞ほどでロウアー・レイクに出た。鏡のように澄みきった湖面が木々をそっくり映し出している。
アッパー・レイクに到着。奥には仙人(あ、この国だと妖精か)でも住んでいるのかと思うような霧深い山々、手前は揺らぎひとつない湖面。おとぎ話の世界に迷い込んだような錯覚。ヒー〇テックのおかげで下半身は汗ばむほどで、用意していたマフラーも巻かずにいたが、湖水に手を浸すと5秒ともたないほど冷たい。触覚がこれは現実だよと呼び戻してくれた。
右手に目をやると、鴨たちが穏やかに浮かんでいた。
駐車場の売店でコーヒーを買い、ひとごこちついて40㎞西南西のカールスダーモットへ向かう。
そもそもこの国へ自分を引き寄せたのはハイ・クロスだった。前回は超メジャーなハイ・クロス(クロンマクノイズ及びモナスターボイス)を見たので、まわりきれなかった所へ今回行こうと考えた。とはいえ現存するだけで200基以上あるらしいので、到底コンプリートできないのだが【ハイ・クロスは円環十字架ともいう。一説によると アイルランドにキリスト教が広められる過程で、土着のケルト人の自然信仰(その中心は太陽)と十字架が融合して生み出されたとされる】
全体像はこんな感じ。
9世紀に建てられた教会はヴァィキングに2度襲撃され、その後火事にも遭ったという。鐘楼と、ロマネスク様式のアーチが再建されていた。
敷地内の墓地に9世紀のハイ・クロスが2基点在していた。
こちらはずんぐりとしたフォルム、台座の渦巻き模様がケルトらしい。
クロスの裏側・・・中央に定番の磔刑が彫られている。
もう一方のハイ・クロス。
その裏側は徹底的にケルト模様だった。
変わった形のクロス
ガイドのRさんによると、これらはホール・クロスというのだそうだ。う~ん・・・言われなかったら、十字架とは気づかないだろうなぁ私
こちらはスカンジナビア様式の墓石で、このタイプのものはアイルランド唯一という。
7㎞北のムーンへ向かう。
屋根で保護された場所に、スラリとしたハイ・クロスがそびえていた。やたら白いのも気になるわぁ~【6世紀にさかのぼる修道院とされるが、現存するのは14世紀初頭の建物。このクロスはかつて野ざらしで劣化が進んだため、20世紀末に解体してこの場所へ移し、あわせて石の表面を磨いたという。高さ7m、アイルランドで最も高いハイ・クロスという】
正面の台座には十二弟子。その上には磔刑・・・十字と円環の交差する中央部にこのモチーフが表されることが多いのだが、このクロスの場合は渦模様となっている(1つ上の画像をご覧ください)。
背面には7頭のライオンに囲まれる人物や、アダムとイブ。
側面には、6つの頭を持つ怪物など。
もうひとつの側面はパンと魚に、エジプト逃避。自分はこの部分が一番気に入った。モナスターボイスやクロンマクノイズを含めても これまで見かけなかった意匠で、ユニーク
他にも、ホール・クロスのかけらが展示されていた。いずれもケルト色強めの模様【実は動物の模様もケルトの特色のひとつで、自然への畏怖・崇拝の念を表現しているという】。
暮れかかった16時過ぎ、ケルズの教会に到着。closedの時間をまわっていたが、ガイドRさんの交渉により見学させてもらえた。実は日没までに間に合うよう、ランチ抜きで先を急いできたのだが、正しい判断だった
存在感がハンパない尖塔。由緒ある場所だからな~【スコットランドにケルト系キリスト教を伝えた聖コロンバ(コルムキルともいう)が560年に建てた修道院に始まる。804年、ヴァイキングの襲撃を避けてアイオナ島のコロンバ教団がケルズへ避難。以来、聖コロンバの遺物や名高き「ケルズの書」を保管してきた。1655年には廃墟となりクロムウェル軍が馬小屋として使用したが、まもなく復興。現存するのは18世紀後半の建物】
時間を惜しむように敷地内をズイズイ進む。
ラウンドタワー。
丸い瘤状の渦巻きが目立つハイ・クロス。
上部が失われているハイ・クロスも。
こちらに至っては、制作途中で放棄されてしまっている
17時頃、ホテルに到着。手持ちのガイドブックにはケルズの情報が皆無のうえ、とっぷり暮れてしまったので、外出せずホテル内のパブで夕食をとることにした。
地方都市の4つ星ホテルだけあって、パブは大盛況。数ヶ月前にゴールウェイの有名パブでそうだったように、挙動不審気味に暖炉前のテーブルに陣取ったが、従業員も客も温かかった。アイルランドで感じ悪い人に会ったことないな~ 東洋人にも優しい。かつて移民を多く出した国だから、垣根が低いのかなぁ・・・
メニューがたくさんあって迷ったすえ、オススメと教えてもらった料理にする。揚げた鶏胸肉に濃厚なソースがかかっていて美味 フライドポテトの味変も自在で、定番のケチャップやマスタードのほか、モルトビネガーも楽しんだけど、全部は食べきれなかった・・・だって、鶏肉の下に敷かれたマッシュポテト平らげた後だもんなぁ。いや、2パイントのギネスがいけないのかな
4・5・6・7 ケルズ ⇒キラディアス ⇒ボア島 ⇒カーンドナ ⇒ドネゴール (2018年12月28日)
アイルランド第2夜もグッスリとはいかなかった・・・
ケルズの街は夕暮れにはすでに静か、部屋は奥まった場所だったので、今夜はいいぞと思ったものの。夜中の2時過ぎに起こされてしまう。非常口のノブを開けようとガチャガチャする音と話し声。異国に一人旅だからか、扉が開きそうな音には反応してしまうから困りものである
この日も昼食抜きになるだろうことを見越し、朝食はガッツリしたセットメニューを選ぶ。
ホテルでピックアップしてもらい、まずは聖コロンバの家へ。ここは鍵の管理人に開けてもらう必要があり、ガイドのRさんはこの日の9時に来ると置き手紙をしてくれていたのだが、80歳くらいという管理人の老女は現れず・・・子孫がその役目を引き継ぐ様子もないと聞き、なんだか心配になってしまった 下の画像は門の外から撮影。
次は100㎞北西の下アーン湖を目指す。北アイルランドのファーマナー州に入る。
前回も北アイルランドを1日日帰り旅行したのだが、友人たちへのハガキは全てアイルランドから投函した。今回はダブリンを発って向かうイタリアからほとんどのハガキを送るつもりでいたが、友人のCちゃんには北アイルランドから送りたいと考えていた。ガイドのRさんに伝えたところ、エニスキレン近郊のスーパー内にあるpost officeに案内されて切手を入手。ダブリンへ戻る際に北アイルランドを通るらしいので、あとは投函するだけ。やったぁ 下の画像は、翌日の投函時に撮影した。
下アーン湖東岸のキラディアスにて、ビショップ・ストーンにまみえる。背中をまるめた司教らしいが、胴体はばっちりケルトな組み紐模様である。
同じ敷地内には、他にも不思議な石が。円の中央にうっすら十字架
そそり立つ石柱。
次は下アーン湖の北端に横たわるボア島へ。島といっても橋が架かっていて、アクセスは便利。
ここの目玉はジェイナス像【ジェイナスとは頭の前後に顔を持つ、ローマ神話の神。ケルト人がつくったものに後づけでネーミングしたらしい】。
横から見るとこんな感じ。
こちらが男性の顔。性器を手に持つとか。
こちらは女性の顔。舌を出している。
これまで他国で見てきたヒンドゥー教の石像たちが思い浮かぶ。人類の根源は近いのね、洋の東西超えて共通してるわ。
そばにはラスティー・マン(元気な男)像。これは顔がひとつだけだった。
この日の宿泊地ドネゴールは25㎞北西だったが、目もくれず100㎞北東のカーンドナへ向かう。アイルランドに留学しているらしい方のブログで紹介されていたのを見かけ、魅かれたのだった。たっぷり2時間以上かかって13時50分に到着【イニショーウェン半島に位置するこの地は初期キリスト教時代に栄えた場所といい、アイルランドにキリスト教をもたらした聖パトリックゆかりの地とされる】。教会の近くに聖パトリック・クロスと2本の石柱があった。中央の十字架は、円環を組み合わせた典型的なタイプではなく、シンプルな形状。
上部の組み紐模様の下には人物が刻まれている。ひときわ大きい人物がイエス・キリストらしい。最下層の3人横並びの表現、カールスダーモットやムーンのクロスに似てるなぁ・・・
裏側は全て組み紐模様【この十字架の年代は不明らしいが、7世紀作の「ダロウの書」に出てくる模様に酷似していることから、同時代のものと推定されている】。
次は両脇の石柱に注目。クロスに向かって右側(北)にあるのがこちら【剣が目立ち、戦士としてのダヴィデを表現しているという】。
裏側はハープを弾くダヴィデという。う~ん・・・顔もぼんやりしてるし、説明がなければハープとは気づかないだろうなぁ
そして、クロスの左側(南)にある石柱。素人目にも、この日過ぎてきたキラディアスやボア島のと作風がそっくりではないか【なお、司教杖・ハンドベル・本を持つ聖職者という】
その裏側。
側面。頭の上のが耳っぽくて動物に見えてしまうのは気のせいか・・・
教会の庭にも古い石柱があった【上部に磔刑(よ~く見ると、イエスの足元に行刑役が2人いる)、その下には組み紐で表現された十字架】。
その裏【マリーゴールドの花をかたどった団扇が彫られている。ただの団扇ではなく礼拝所に置かれる聖扇で、祭壇の埃を払うものらしい】。
見学後、近くのショッピングセンターでトイレを借りた。正直に告白すると、地図上から人もまばらな寂れた場所を勝手にイメージしていたのだが、カーンドナは想像以上に街だった。
一路ドネゴールへ向かう途中、かなり遅めの昼食をとる。場所は下の画像内 ピンクの線で囲んだ辺り。カーンドナから幹線道路を20㎞ほど南下し、フォイル湖に面した道端。思ったより栄えているといっても観光客向けのお店は見かけなかったし、何より先を急いでいたため お店に入っての食事ではなかった。付近にガイドのRさんおススメの露店コーヒー店があり、その脇に車を停めてクランベリーとレーズンのスコーンを頬張った。前日同様の強行軍になるだろうと予測、朝食の一部を持ち出していた。こーいう時、ボリューム満点のアイルランド式朝食はありがたい
車窓がにぎやかになりドネゴールの中心街が近づいてきたなと思った頃、「夕食はどうしますか、外に出るのですか?」とガイドのRさんに問われた。時刻は16時20分、道路が整備されているためか、道のり100㎞のわりに早い到着だった。いくら冬とはいえ、まだ明るい。前夜が否応なしに宿での食事だったので 今夜は出るつもりと答えると、一緒にどうかと声をかけてくれた。ダブリンまで3時間かかるそうで、今夜はこの付近に泊まるという。
想像もしていなかった提案に、正直とまどった。「私はありがたいけど、朝から晩まで仕事になってしまう、疲れるんじゃない?」本音で返したが、ツアー中は朝から晩までですと言うので、仕事にストイックなRさんの言葉に甘えることにした。
昼食ならぬ間食が遅かったこともあり、19時にホテルのロビーで待ち合わせることになった。その間、水を買いに近くのスーパーへ行ったり、洗濯をしたり。広場に面している自分の部屋の窓から見下ろすと、ひっきりなしに出入りする車・バスに行き交う人々・・・街並みを眺めながら日が暮れていった。
19時過ぎ、ホテルからさほど遠くないレストランに入った。自分が1日の終わりにアルコールを欲するのはいつものこと。念のため飲まないかとガイドRさんに水を向けてみたが、ツアー中なのでと断わられる。予想どおり・・・それではと自分だけビールを注文。選択肢はたくさんあったが、前夜がスタウトだったので目先を変えてラガーにした。
フードメニューも豊富で、かなり迷った。店の看板にはシーフードとステーキが併記されていたが、海辺なのでシーフードカクテルを注文。
こちらはガイドのRさんが注文したシーフードパスタ。ブログに載せたいからと撮影させてもらった。
昼間にさんざん観光の話をしているので、話題はなんとなくそれ以外に流れた。アイルランドのビールは美味しいけど ワイン党だから飲めないのが残念という話から、ワインエキスパートの資格を持っているという話に移っていった。シラフでは聞き役にまわることの多い自分だが、アルコールが入ると饒舌になるので・・・冗長だったに違いない
21時前に部屋へ戻り、夕食前にスーパーで買っておいたビールで晩酌。さすがビール党の国は種類豊富、2度目の訪問なのに初見の銘柄が山のようにある。てか、ワインより度数低いとはいえ、飲みすぎだよなぁ
7・8・1 ドネゴール ⇒グレンコルムキル ⇒ダブリン (2018年12月29日)
この日は野山を歩くので、早めに床に入った前夜。が、夜中の2時半にメールの着信音で起こされてしまった 日本との時差9時間でスマホの電源落とし忘れ、痛恨のミス ソッコーで二度寝しつつ体力が心配、息切れしないといいなぁ・・・
9時にホテルを出発し、26㎞西のグレンコルムキルへ向かう【グレン=谷、コルムキル=聖コロンバ(2日前のケルズの部分で既述)。563年にスコットランドへ渡る前、コロンバが活動した場所のひとつ。コロンバの祝日である6月9日の真夜中には信者がやって来て、父なる神・聖母マリアへの讃美を唱えながら十字架が刻まれた15本の石柱を巡礼、これをトゥラスという。下のmapは、ガイドのRさんが下見時に入手した観光案内ビラに載っていたものである。①からスタートして⑮がゴール。かつては東の⑪から始めたそうだが、近年は①からのスタートが定着しているという。個人的には⑥~⑧までがキツかった】。
10時30分に到着。コロンバが建てた修道院は失われており、その跡地とされる場所にアイルランド国教会が建っていた。その外にある①=第1標は柱というか、石が積み上げられている感じだな・・・
50m西の第2標。数本の線で描かれた十字架がくっきり【ちなみに、付近にはB.C.3000年代からの遺跡が点在しており、聖コロンバ信仰が高まった後世になって、古代から立てられていた石に十字架を刻んだという】。
道なりに西へ200m進むと、第3標。最初のと同じタイプのこれはcirn=石塚という。
300m北には第4標。苔むした灰色の石柱に、うっすら十字架が見てとれた。
30m進むと第5標。画像左奥の四角い石組みは聖コロンバのチャペル。その周りに3つの石塚が点在、うち2つは下の画像右奥に写っている。
石塚その1。
石塚その2。表面を彫るのではなく、それ自体が十字架の形をしている。カールスダーモットで見かけたのと同じ、縦軸が太めのフォルム(52枚上の画像をご覧あれ)。
石塚その3。苔に覆われた石柱にズームアップ。
さらに、チャペルのそばには聖コロンバのベッドといわれる岩あり。この上で寝ていたのなら、想像以上に清貧だわ・・・
第6標目指して、北の方角へ丘を登る。ガイドのRさんが小刻みに「大丈夫ですか?」と聞いてくるので、「踏みたくないものを避ける余裕はあるよ」と返す。ヒツジのなら平気とRさんは言うけど、私にしてみればどれも同じ、避けるに越したことはない
第6標は圧倒的に大きかった。遠景がこちら。
近づくと・・・右の薄い石像は聖コロンバ 石柱に刻まれた十字架よりもさらに後代のものっぽいなぁ・・・
画像の左下、暗い場所は聖コロンバの井戸。
近寄るとこんな感じ。巡礼者は口に含むことが許されているそうだ。
次の第7標へは、南東方向に500m丘をくだっていく。見下ろすと、かなりの高低差なのだ・・・【トゥラスのあいだ巡礼者は黙して歩まなければならないそうだが、この区間だけは喋ることを許されるという。気を紛らわせなければならないほど難所なのだろう、そもそも暗闇を進んでいるわけだし】
第7標。3つの石塚が東西一列に並んでいる。
上の画像中央奥の石柱。うっすらと円環、その中に十字架が刻まれている。
2つ上の画像左奥の石柱。右奥にご注目あれ、スタート地点の教会が視界に入ってきた。
大学時代、山に少々登っていたのだが下りが苦手だった。ガイドのRさんにそれを伝えてスピードを落としてもらったが、それでも派手に滑ってしまった 潔い尻もちというか、ズボンには泥がベッタリ。やりそうだと思ってたんだよな~ まぁいいか、どのみち着替えてダブリンへ戻るんだし
紫色の花が目を引いた。
第8標は穴が開いている。
反対側に、はっきりと円環十字架。和同開珎とか寛永通宝に見えてしまう自分は俗にまみれてるなぁ
遠くにスタート地点の教会が見える。なんと静謐で美しい風景なんだろう
第9標、付近は古代には墓地だったらしい。
400m進むと、第10標。あまりにも道端すぎる場所にあって仰天 てか、言われないと石塚って気づかずスルーしそう・・・
【ここで聖コロンバが悪魔を退治し、海へ追い払ったという】
たった4m先に第11標。
ここで方向転換し、来た道を8m引き返すと第12標。
第13標までは道なりに西へ800m。その途上、珍しいブチ模様のロバに遭遇。おとなしくつながれていた。
T字路に立つ第13標。線刻がえらくはっきりしているなと思ったらレプリカらしく、本物は民俗村に展示されているようだ。
この村を横切る川に架かる橋を越え、300m行くと第14標。
水面に顔を出している岩を踏み石に、再び川を越えて北上。最後の第15標は、スタートした教会の敷地内にあった。灯台下暗し
その石柱は2つに分解している(画像の中央手前と、左手前)。墓石に入り混じって立つそれをガイドのRさんが指した時、一陣の風が私の中を吹き抜けた。
前日にカーンドナで見たマリーゴールド・ストーンに似ている・・・ 「そう思わないか?」と尋ねると、Rさんもうなずく。
「これで終わりです」背後からRさんが告げた。「うん、終わりだね」振り返らずに返し、しばし立ちすくむ。
トゥラスが完了したことをRさんは伝えたのだろう。しかし、私にとってはそれ以上の意味を持っていた。異例の同一国近接旅シリーズが綺麗にまとまり、終焉した瞬間を見たのだった。
★ 終わりに ★
アイルランド初訪問後、ケルト文化を研究し現地を訪れてルポを出版しているT氏の本を読んだ。2度目のアイルランド訪問を決意した後 足を運びたい場所をリストアップし、初回の旅でお世話になった旅行社に連絡した。3日目に訪れたカーンドナについては、アレンジされた旅程表を見て遠すぎると判断、割愛することを伝えたのだが・・・旅の初日に会うなり、ガイドのRさんはボア島の後にスリーヴ・リーグあるいはカーンドナのどちらへ行く?と提案してくれた。スリーヴ・リーグは高さ600mの断崖、モハー(同200m)やドン・エンガス(同100m)といった名所を凌駕する有数の絶景であり、ドネゴールにもグレンコルムキルにもほど近く、無理のない行程になるだろう。が、即座にカーンドナを選んだ自分、予想通りとハンドルをさばくガイドのRさん。私のチョイスを見越して下見してくれていたのだった。カーンドナも4日目のトゥラスも客からリクエストされたのは初めてだったそうで、「挑戦状」と受け止めて準備したのだという。
オフシーズンで船が出ず行けなかったデヴェニッシュ島とホワイト島(いずれも下アーン湖周辺)は残念だったが、カーンドナまで足を伸ばしたことで下アーン湖周辺とグレンコルムキルが有機的に結び付き、濃密なケルトの空気を感じ取ることができた。リクエストに精一杯応えてくれたガイドのRさんには心から感謝している
2度目の訪問を先に延ばすことができなかったので、結局 ベストシーズンの夏に旅していない。アラン諸島やスケリッグ・マイケル、カロウモアなど・・・シーズンオフのために涙をのんだ場所もあり、紹介できなかったのは残念至極 しかし、自分の記事を見てアイルランドに行ってみたいと思ってくださる方が一人でもいらっしゃるなら、旅ブロガー冥利に尽きる
今回は下の地図の➊~➑を訪れた(ただし近いため、カールスダーモットとムーンは➌に、キラディアスとボア島は➎に集約している)。また、後の下線部の数字は地図上の都市に対応している。
1 (ドーハ経由) ⇒ダブリン (2018年12月26日)
往きの飛行機では席に恵まれた。Zone2の先頭は食事のサーブが最初だし、通路側を希望して中央のシマに配置されたのだが横に誰も来ない。よって、4人分の席をガッツリ使って眠ることができた カタール航空のサイトから直に航空券を買ったのがよかったのか、搭乗2か月半前という購入時期がよかったのか、勝因は謎だけど
成田発22時のドーハ便は乗客がスカスカなわけでもない。通路をはさんで窓側のシマにはサッカーやってると思われる中学生たちが座っていた。CAさんの流暢な英語に「Yes,Yes.」と答えた子に、「お前ぜったい分かってないだろー?!」と他の子が全力でツッコんでいて楽しそうだった。何処まで練習しに行くんだろう 聞いてみる図太さはないけど
ドーハ発の便はすいていた。やはりセンターパートの通路側を選んだのだが、隣りは無人。足を伸ばしたりウトウトしたり、3人分の席を自由に使った。ラッキー
さてさて日本を出て24時間、疲労もピークに達しようかというタイミングで、厳しき入国審査にぶつかる。前回もそうだったのに喉元過ぎれば何とやら、すっかり忘れていたところへ怒涛の攻撃を受ける。数ヶ月前のアイルランド入国スタンプが押されたページをしっかりと開いた審査官は、「アイルランドに知人・友人・家族はいるか?」 これに「No.」と答えたのがマズかったらしい。sightseeingと言っても、「この前来たばかりなのに、なぜまた」とくる これは面倒そうだぞと腹をくくり、前回の訪問場所を具体的に列挙し、旅して更に興味がわいたから再訪を決めた、今回訪れるのは・・・とこれまた具体的な場所を挙げつつ下手な英語で説明したところ、その点は切り抜けた、ふぅ が、更に質問攻めは続く「アブダビに住んでいるのか?」には即No!! いやいや、ドーハから来たんだが・・・カタールの首都を間違えてないか aloneかってしつこく聞かれたし、そういえば前回も同じ航空会社使ったんだった。イスラム系の国を経由して行くから、テロ対策絡みで審査が厳しいのかなぁ・・・航空券が安いから選んでるだけで、他意は全くないんだけどな ま、1年足らずで再訪観光するのはレアだよね、それはよ~く自覚している。
ともかく消耗するやり取りの果てに、晴れて無罪放免となった私。結果良ければ全てよしとしよう
バスAirlink747に乗れば目指すホテルの前に着くらしいが、乗り場を知らない。前回は空港でピックアップしてもらったので、当然の成り行き・・・目に入ったAirlinkのカウンターで尋ねると、あっさり判明。出てすぐ左に折れて、2番乗り場だった。しかもわりとすぐにバスがやって来た。
降りる停留所は8つ目。車内表示&アナウンスがあるので助かる。そうこうするうちに、バスはリフィ川に出た。ダブリン空港は市街地に近いな~
ホテルは正真正銘 停留所の目の前で、迷う暇もなかった。13時50分だったが、キーをもらって部屋に入ることができた。あぁ、シャワー浴びたい・・・が、街に出なければ。明日・明後日は地方都市泊まり、しあさっての夜戻って来て翌早朝に出立なので、ダブリンでの時間は少ない。ホント、2回来ても慌ただしいなぁ
15分後にはホテルを出て、オコンネル・ストリートへ。通り沿いの郵便局を横目で見ると、やはり休み。この日は聖スティーブンズ・デイとかいう祝日らしいのだ。たぶん国立考古学博物館も休みだろうなと思いつつ、橋を渡り南下する。前回泊まったホテルの界隈、トリニティー・カレッジからナッソー・ストリート付近のお店はほぼ閉まっているけど、懐かしい。右折してキルデア・ストリートに入り何の気なしに前方を見ると、エントランスから人が出てきた。3月の時は聖金曜日という祝日のため、門からして閉まってた・・・ということは
嬉しい誤算で、博物館はopenしていた 何事も “念のため” って大事だな。足を運んでみてよかった~
入館し、feeを払うのはどこ?とキョロキョロ ミュージアムショップに近づいてみるが、関係なさそう・・・しばし考えたのち、無償だからカウンターがないんだとようやく気づく。つい日本の常識で行動しちゃったわ、恥ずかしい限り
前回の訪問時、友人たちにハガキを送ろうと手に入れた切手が偶然にも国宝シリーズの意匠だったため、宝物に焦がれていた。1階から2階へと見学の順路に沿って、気になったものを紹介したい。まずは面白いフォルムの十字架。
磔刑。イエスの両脇を槍で突く・・・3月に見たハイクロスの多くに同様の場面が彫られていた。アイルランドではポピュラーな図像と思われる。
てか、衣の文様が渦巻きとか組み紐とか、いかにもケルトっぽい【ケルト人は輪廻転生の思想を持っており、永遠に循環する生命を組み紐や渦巻きで表現したという】
国宝その1、アーダの聖杯【南西部のリムリックで発見、8世紀の制作。ミサで聖体ワインを配るのに使用された銀杯で、11使徒とパウロの名が刻まれている】。
国宝その2、タラのブローチ【8世紀の制作。司教の衣を留めるのに使用したらしい。タラの丘から離れた海辺で発見されたが、同じミース県内にちなんで名付けられた】。
国宝その3、ブロイターカラー【B.C.1世紀制作、鉄器時代の金の首輪。北部デリー県のフォイル湖周辺で発見】。ま、まばゆい・・・
クロジエ【司教が使用した杖で、教会の権力を象徴した。11世紀制作のリズモア・クロジエは国宝なのだが、自分が気に入ったのは別のヤツ】。
持ち手の断面の彫刻。
動物の連続彫刻はまるで たてがみのよう。
杖身の部分にも細かな彫刻。
国宝その4、コングの十字架【12世紀制作。西部のマイヨー県で発見。イエスの処刑に使用された十字架片を覆うためにつくられたといわれるが、十字架片は行方不明】。
2階へ上がる。館内はこんな感じ。
2階から1階を見下ろす。
これは一体何なのか??
精緻な細工
珍しく木彫。聖母子の柔和な表情も独特な感じがする。
17時の閉館に合わせて、かなり駆け足でまわった。ひとつひとつ丁寧に見ていたら、1日では終わらないだろう。
2時間半滞在しているうちに、外はすっかり暗くなっていた。さすが冬、暮れるのが早いわ~
トリニティー・カレッジの正門にプロジェクションマッピング。美しいブルーに、冬だなぁとしみじみ。
遠景はこんな感じ。左手の白い建物はアイルランド銀行。
途中、最終日の空港へのアシを下見する。バス停の時刻表を眺めたところ、日曜なのが災いしてエアリンクもダブリンバスも本数が少ない。エアコーチは前日までにネット予約すれば大丈夫なようだが、一抹の不安が残る。早朝5時半にバスが来る来ないでワタワタしたくないな・・・ホテルでタクシー頼むのが確実かもなぁ。
3日後=ダブリン最後の夜はディナーしながらアイリッシュ・ダンスを観られるようにネット予約済みだった。
この日の夕食はどうしよう・・・機内食で胃もたれ気味だったので、テンプルバーのパブはパスして部屋食に決定。前回もお世話になったアストン・キーにあるスーパーへ。野菜と思ったが、かなり大きい総菜サラダのパックに尻込み。先は長いので、フルーツ(パイン&いちご)のみ買う。ただし、アルコールはちゃっかり確保。
前回このメーカーのred aleを飲んだが、こちらも気になっていたので
アイルランドはやはりスタウトでしょ、ってことで初めてビーミッシュにトライ。
最後はサイダーで締める
1・2・3・4 ダブリン ⇒グレンダーロッホ ⇒カールスダーモット ⇒ムーン ⇒ケルズ (2018年12月27日)
祝日夜の喧騒に寝返りを打ちつつ、目覚ましが鳴る1時間前に起きた。機内で思いのほか眠れたので、睡眠が足りていたのかもしれない。
約束の9時より少し前、ガイドのRさんがロビーにやって来た。前回のアイルランド訪問で足かけ2日間お世話になった方である。
トランクに荷物を積み、車は南へ進んで行く。この日最初の行き先グレンダーロッホは、アイルランドを再訪しようと決めた時まず最初に浮かんだ場所。日程の都合で前回やむなく割愛していたので【グレンダーロッホは、森の中にひっそりとたたずむ初期キリスト教会群。6世紀に聖職者ケヴィンが人里離れた地を求めて移り住んだ後、その名声が高まるにつれ後を追う者が増え、修道院が建てられた。12世紀まで聖地として繁栄】。
1時間余りで到着。ゲートウェイをくぐる前に、まずトリニティー教会へ。屋根は失われているが、石組みはしっかりと残っている。
ビジターセンターはクリスマス前後休暇でclosedだった。この地で発掘された古いハイクロスが展示されているのだが、無念至極 いやいや・・・分かっててこの時期に来たんだよね、と気を取り直す。
川越しに、ラウンドタワーや石造りの建物が見えてきた。
途中、岩には落書きのような十字架が書かれていた。
大聖堂はさすがに大きい。アーチの片鱗に技術の高さを偲ぶ。
正面奥、祭壇があったと思われる場所。
聖ケヴィンの十字架。
聖ケヴィン教会へ向かう。まるでラウンドタワーのような煙突が目をひく。
三角屋根を持つ大小2つの建物がくっついている。
中には入れないが、覗くことができた。しっかりとした外観に反して残っているものは多くなく、ちょっと寂しい感じがした。
車で先まわりするガイドRさんと別れ、1.5㎞西南西のアッパー・レイクまでハイキング シーズンオフとはいえ観光客がチラホラいて、つかず離れず・・・心強い道中だった。
色づいた草に季節を感じる。
0.5㎞ほどでロウアー・レイクに出た。鏡のように澄みきった湖面が木々をそっくり映し出している。
アッパー・レイクに到着。奥には仙人(あ、この国だと妖精か)でも住んでいるのかと思うような霧深い山々、手前は揺らぎひとつない湖面。おとぎ話の世界に迷い込んだような錯覚。ヒー〇テックのおかげで下半身は汗ばむほどで、用意していたマフラーも巻かずにいたが、湖水に手を浸すと5秒ともたないほど冷たい。触覚がこれは現実だよと呼び戻してくれた。
右手に目をやると、鴨たちが穏やかに浮かんでいた。
駐車場の売店でコーヒーを買い、ひとごこちついて40㎞西南西のカールスダーモットへ向かう。
そもそもこの国へ自分を引き寄せたのはハイ・クロスだった。前回は超メジャーなハイ・クロス(クロンマクノイズ及びモナスターボイス)を見たので、まわりきれなかった所へ今回行こうと考えた。とはいえ現存するだけで200基以上あるらしいので、到底コンプリートできないのだが【ハイ・クロスは円環十字架ともいう。一説によると アイルランドにキリスト教が広められる過程で、土着のケルト人の自然信仰(その中心は太陽)と十字架が融合して生み出されたとされる】
全体像はこんな感じ。
9世紀に建てられた教会はヴァィキングに2度襲撃され、その後火事にも遭ったという。鐘楼と、ロマネスク様式のアーチが再建されていた。
敷地内の墓地に9世紀のハイ・クロスが2基点在していた。
こちらはずんぐりとしたフォルム、台座の渦巻き模様がケルトらしい。
クロスの裏側・・・中央に定番の磔刑が彫られている。
もう一方のハイ・クロス。
その裏側は徹底的にケルト模様だった。
変わった形のクロス
ガイドのRさんによると、これらはホール・クロスというのだそうだ。う~ん・・・言われなかったら、十字架とは気づかないだろうなぁ私
こちらはスカンジナビア様式の墓石で、このタイプのものはアイルランド唯一という。
7㎞北のムーンへ向かう。
屋根で保護された場所に、スラリとしたハイ・クロスがそびえていた。やたら白いのも気になるわぁ~【6世紀にさかのぼる修道院とされるが、現存するのは14世紀初頭の建物。このクロスはかつて野ざらしで劣化が進んだため、20世紀末に解体してこの場所へ移し、あわせて石の表面を磨いたという。高さ7m、アイルランドで最も高いハイ・クロスという】
正面の台座には十二弟子。その上には磔刑・・・十字と円環の交差する中央部にこのモチーフが表されることが多いのだが、このクロスの場合は渦模様となっている(1つ上の画像をご覧ください)。
背面には7頭のライオンに囲まれる人物や、アダムとイブ。
側面には、6つの頭を持つ怪物など。
もうひとつの側面はパンと魚に、エジプト逃避。自分はこの部分が一番気に入った。モナスターボイスやクロンマクノイズを含めても これまで見かけなかった意匠で、ユニーク
他にも、ホール・クロスのかけらが展示されていた。いずれもケルト色強めの模様【実は動物の模様もケルトの特色のひとつで、自然への畏怖・崇拝の念を表現しているという】。
暮れかかった16時過ぎ、ケルズの教会に到着。closedの時間をまわっていたが、ガイドRさんの交渉により見学させてもらえた。実は日没までに間に合うよう、ランチ抜きで先を急いできたのだが、正しい判断だった
存在感がハンパない尖塔。由緒ある場所だからな~【スコットランドにケルト系キリスト教を伝えた聖コロンバ(コルムキルともいう)が560年に建てた修道院に始まる。804年、ヴァイキングの襲撃を避けてアイオナ島のコロンバ教団がケルズへ避難。以来、聖コロンバの遺物や名高き「ケルズの書」を保管してきた。1655年には廃墟となりクロムウェル軍が馬小屋として使用したが、まもなく復興。現存するのは18世紀後半の建物】
時間を惜しむように敷地内をズイズイ進む。
ラウンドタワー。
丸い瘤状の渦巻きが目立つハイ・クロス。
上部が失われているハイ・クロスも。
こちらに至っては、制作途中で放棄されてしまっている
17時頃、ホテルに到着。手持ちのガイドブックにはケルズの情報が皆無のうえ、とっぷり暮れてしまったので、外出せずホテル内のパブで夕食をとることにした。
地方都市の4つ星ホテルだけあって、パブは大盛況。数ヶ月前にゴールウェイの有名パブでそうだったように、挙動不審気味に暖炉前のテーブルに陣取ったが、従業員も客も温かかった。アイルランドで感じ悪い人に会ったことないな~ 東洋人にも優しい。かつて移民を多く出した国だから、垣根が低いのかなぁ・・・
メニューがたくさんあって迷ったすえ、オススメと教えてもらった料理にする。揚げた鶏胸肉に濃厚なソースがかかっていて美味 フライドポテトの味変も自在で、定番のケチャップやマスタードのほか、モルトビネガーも楽しんだけど、全部は食べきれなかった・・・だって、鶏肉の下に敷かれたマッシュポテト平らげた後だもんなぁ。いや、2パイントのギネスがいけないのかな
4・5・6・7 ケルズ ⇒キラディアス ⇒ボア島 ⇒カーンドナ ⇒ドネゴール (2018年12月28日)
アイルランド第2夜もグッスリとはいかなかった・・・
ケルズの街は夕暮れにはすでに静か、部屋は奥まった場所だったので、今夜はいいぞと思ったものの。夜中の2時過ぎに起こされてしまう。非常口のノブを開けようとガチャガチャする音と話し声。異国に一人旅だからか、扉が開きそうな音には反応してしまうから困りものである
この日も昼食抜きになるだろうことを見越し、朝食はガッツリしたセットメニューを選ぶ。
ホテルでピックアップしてもらい、まずは聖コロンバの家へ。ここは鍵の管理人に開けてもらう必要があり、ガイドのRさんはこの日の9時に来ると置き手紙をしてくれていたのだが、80歳くらいという管理人の老女は現れず・・・子孫がその役目を引き継ぐ様子もないと聞き、なんだか心配になってしまった 下の画像は門の外から撮影。
次は100㎞北西の下アーン湖を目指す。北アイルランドのファーマナー州に入る。
前回も北アイルランドを1日日帰り旅行したのだが、友人たちへのハガキは全てアイルランドから投函した。今回はダブリンを発って向かうイタリアからほとんどのハガキを送るつもりでいたが、友人のCちゃんには北アイルランドから送りたいと考えていた。ガイドのRさんに伝えたところ、エニスキレン近郊のスーパー内にあるpost officeに案内されて切手を入手。ダブリンへ戻る際に北アイルランドを通るらしいので、あとは投函するだけ。やったぁ 下の画像は、翌日の投函時に撮影した。
下アーン湖東岸のキラディアスにて、ビショップ・ストーンにまみえる。背中をまるめた司教らしいが、胴体はばっちりケルトな組み紐模様である。
同じ敷地内には、他にも不思議な石が。円の中央にうっすら十字架
そそり立つ石柱。
次は下アーン湖の北端に横たわるボア島へ。島といっても橋が架かっていて、アクセスは便利。
ここの目玉はジェイナス像【ジェイナスとは頭の前後に顔を持つ、ローマ神話の神。ケルト人がつくったものに後づけでネーミングしたらしい】。
横から見るとこんな感じ。
こちらが男性の顔。性器を手に持つとか。
こちらは女性の顔。舌を出している。
これまで他国で見てきたヒンドゥー教の石像たちが思い浮かぶ。人類の根源は近いのね、洋の東西超えて共通してるわ。
そばにはラスティー・マン(元気な男)像。これは顔がひとつだけだった。
この日の宿泊地ドネゴールは25㎞北西だったが、目もくれず100㎞北東のカーンドナへ向かう。アイルランドに留学しているらしい方のブログで紹介されていたのを見かけ、魅かれたのだった。たっぷり2時間以上かかって13時50分に到着【イニショーウェン半島に位置するこの地は初期キリスト教時代に栄えた場所といい、アイルランドにキリスト教をもたらした聖パトリックゆかりの地とされる】。教会の近くに聖パトリック・クロスと2本の石柱があった。中央の十字架は、円環を組み合わせた典型的なタイプではなく、シンプルな形状。
上部の組み紐模様の下には人物が刻まれている。ひときわ大きい人物がイエス・キリストらしい。最下層の3人横並びの表現、カールスダーモットやムーンのクロスに似てるなぁ・・・
裏側は全て組み紐模様【この十字架の年代は不明らしいが、7世紀作の「ダロウの書」に出てくる模様に酷似していることから、同時代のものと推定されている】。
次は両脇の石柱に注目。クロスに向かって右側(北)にあるのがこちら【剣が目立ち、戦士としてのダヴィデを表現しているという】。
裏側はハープを弾くダヴィデという。う~ん・・・顔もぼんやりしてるし、説明がなければハープとは気づかないだろうなぁ
そして、クロスの左側(南)にある石柱。素人目にも、この日過ぎてきたキラディアスやボア島のと作風がそっくりではないか【なお、司教杖・ハンドベル・本を持つ聖職者という】
その裏側。
側面。頭の上のが耳っぽくて動物に見えてしまうのは気のせいか・・・
教会の庭にも古い石柱があった【上部に磔刑(よ~く見ると、イエスの足元に行刑役が2人いる)、その下には組み紐で表現された十字架】。
その裏【マリーゴールドの花をかたどった団扇が彫られている。ただの団扇ではなく礼拝所に置かれる聖扇で、祭壇の埃を払うものらしい】。
見学後、近くのショッピングセンターでトイレを借りた。正直に告白すると、地図上から人もまばらな寂れた場所を勝手にイメージしていたのだが、カーンドナは想像以上に街だった。
一路ドネゴールへ向かう途中、かなり遅めの昼食をとる。場所は下の画像内 ピンクの線で囲んだ辺り。カーンドナから幹線道路を20㎞ほど南下し、フォイル湖に面した道端。思ったより栄えているといっても観光客向けのお店は見かけなかったし、何より先を急いでいたため お店に入っての食事ではなかった。付近にガイドのRさんおススメの露店コーヒー店があり、その脇に車を停めてクランベリーとレーズンのスコーンを頬張った。前日同様の強行軍になるだろうと予測、朝食の一部を持ち出していた。こーいう時、ボリューム満点のアイルランド式朝食はありがたい
車窓がにぎやかになりドネゴールの中心街が近づいてきたなと思った頃、「夕食はどうしますか、外に出るのですか?」とガイドのRさんに問われた。時刻は16時20分、道路が整備されているためか、道のり100㎞のわりに早い到着だった。いくら冬とはいえ、まだ明るい。前夜が否応なしに宿での食事だったので 今夜は出るつもりと答えると、一緒にどうかと声をかけてくれた。ダブリンまで3時間かかるそうで、今夜はこの付近に泊まるという。
想像もしていなかった提案に、正直とまどった。「私はありがたいけど、朝から晩まで仕事になってしまう、疲れるんじゃない?」本音で返したが、ツアー中は朝から晩までですと言うので、仕事にストイックなRさんの言葉に甘えることにした。
昼食ならぬ間食が遅かったこともあり、19時にホテルのロビーで待ち合わせることになった。その間、水を買いに近くのスーパーへ行ったり、洗濯をしたり。広場に面している自分の部屋の窓から見下ろすと、ひっきりなしに出入りする車・バスに行き交う人々・・・街並みを眺めながら日が暮れていった。
19時過ぎ、ホテルからさほど遠くないレストランに入った。自分が1日の終わりにアルコールを欲するのはいつものこと。念のため飲まないかとガイドRさんに水を向けてみたが、ツアー中なのでと断わられる。予想どおり・・・それではと自分だけビールを注文。選択肢はたくさんあったが、前夜がスタウトだったので目先を変えてラガーにした。
フードメニューも豊富で、かなり迷った。店の看板にはシーフードとステーキが併記されていたが、海辺なのでシーフードカクテルを注文。
こちらはガイドのRさんが注文したシーフードパスタ。ブログに載せたいからと撮影させてもらった。
昼間にさんざん観光の話をしているので、話題はなんとなくそれ以外に流れた。アイルランドのビールは美味しいけど ワイン党だから飲めないのが残念という話から、ワインエキスパートの資格を持っているという話に移っていった。シラフでは聞き役にまわることの多い自分だが、アルコールが入ると饒舌になるので・・・冗長だったに違いない
21時前に部屋へ戻り、夕食前にスーパーで買っておいたビールで晩酌。さすがビール党の国は種類豊富、2度目の訪問なのに初見の銘柄が山のようにある。てか、ワインより度数低いとはいえ、飲みすぎだよなぁ
7・8・1 ドネゴール ⇒グレンコルムキル ⇒ダブリン (2018年12月29日)
この日は野山を歩くので、早めに床に入った前夜。が、夜中の2時半にメールの着信音で起こされてしまった 日本との時差9時間でスマホの電源落とし忘れ、痛恨のミス ソッコーで二度寝しつつ体力が心配、息切れしないといいなぁ・・・
9時にホテルを出発し、26㎞西のグレンコルムキルへ向かう【グレン=谷、コルムキル=聖コロンバ(2日前のケルズの部分で既述)。563年にスコットランドへ渡る前、コロンバが活動した場所のひとつ。コロンバの祝日である6月9日の真夜中には信者がやって来て、父なる神・聖母マリアへの讃美を唱えながら十字架が刻まれた15本の石柱を巡礼、これをトゥラスという。下のmapは、ガイドのRさんが下見時に入手した観光案内ビラに載っていたものである。①からスタートして⑮がゴール。かつては東の⑪から始めたそうだが、近年は①からのスタートが定着しているという。個人的には⑥~⑧までがキツかった】。
10時30分に到着。コロンバが建てた修道院は失われており、その跡地とされる場所にアイルランド国教会が建っていた。その外にある①=第1標は柱というか、石が積み上げられている感じだな・・・
50m西の第2標。数本の線で描かれた十字架がくっきり【ちなみに、付近にはB.C.3000年代からの遺跡が点在しており、聖コロンバ信仰が高まった後世になって、古代から立てられていた石に十字架を刻んだという】。
道なりに西へ200m進むと、第3標。最初のと同じタイプのこれはcirn=石塚という。
300m北には第4標。苔むした灰色の石柱に、うっすら十字架が見てとれた。
30m進むと第5標。画像左奥の四角い石組みは聖コロンバのチャペル。その周りに3つの石塚が点在、うち2つは下の画像右奥に写っている。
石塚その1。
石塚その2。表面を彫るのではなく、それ自体が十字架の形をしている。カールスダーモットで見かけたのと同じ、縦軸が太めのフォルム(52枚上の画像をご覧あれ)。
石塚その3。苔に覆われた石柱にズームアップ。
さらに、チャペルのそばには聖コロンバのベッドといわれる岩あり。この上で寝ていたのなら、想像以上に清貧だわ・・・
第6標目指して、北の方角へ丘を登る。ガイドのRさんが小刻みに「大丈夫ですか?」と聞いてくるので、「踏みたくないものを避ける余裕はあるよ」と返す。ヒツジのなら平気とRさんは言うけど、私にしてみればどれも同じ、避けるに越したことはない
第6標は圧倒的に大きかった。遠景がこちら。
近づくと・・・右の薄い石像は聖コロンバ 石柱に刻まれた十字架よりもさらに後代のものっぽいなぁ・・・
画像の左下、暗い場所は聖コロンバの井戸。
近寄るとこんな感じ。巡礼者は口に含むことが許されているそうだ。
次の第7標へは、南東方向に500m丘をくだっていく。見下ろすと、かなりの高低差なのだ・・・【トゥラスのあいだ巡礼者は黙して歩まなければならないそうだが、この区間だけは喋ることを許されるという。気を紛らわせなければならないほど難所なのだろう、そもそも暗闇を進んでいるわけだし】
第7標。3つの石塚が東西一列に並んでいる。
上の画像中央奥の石柱。うっすらと円環、その中に十字架が刻まれている。
2つ上の画像左奥の石柱。右奥にご注目あれ、スタート地点の教会が視界に入ってきた。
大学時代、山に少々登っていたのだが下りが苦手だった。ガイドのRさんにそれを伝えてスピードを落としてもらったが、それでも派手に滑ってしまった 潔い尻もちというか、ズボンには泥がベッタリ。やりそうだと思ってたんだよな~ まぁいいか、どのみち着替えてダブリンへ戻るんだし
紫色の花が目を引いた。
第8標は穴が開いている。
反対側に、はっきりと円環十字架。和同開珎とか寛永通宝に見えてしまう自分は俗にまみれてるなぁ
遠くにスタート地点の教会が見える。なんと静謐で美しい風景なんだろう
第9標、付近は古代には墓地だったらしい。
400m進むと、第10標。あまりにも道端すぎる場所にあって仰天 てか、言われないと石塚って気づかずスルーしそう・・・
【ここで聖コロンバが悪魔を退治し、海へ追い払ったという】
たった4m先に第11標。
ここで方向転換し、来た道を8m引き返すと第12標。
第13標までは道なりに西へ800m。その途上、珍しいブチ模様のロバに遭遇。おとなしくつながれていた。
T字路に立つ第13標。線刻がえらくはっきりしているなと思ったらレプリカらしく、本物は民俗村に展示されているようだ。
この村を横切る川に架かる橋を越え、300m行くと第14標。
水面に顔を出している岩を踏み石に、再び川を越えて北上。最後の第15標は、スタートした教会の敷地内にあった。灯台下暗し
その石柱は2つに分解している(画像の中央手前と、左手前)。墓石に入り混じって立つそれをガイドのRさんが指した時、一陣の風が私の中を吹き抜けた。
前日にカーンドナで見たマリーゴールド・ストーンに似ている・・・ 「そう思わないか?」と尋ねると、Rさんもうなずく。
「これで終わりです」背後からRさんが告げた。「うん、終わりだね」振り返らずに返し、しばし立ちすくむ。
トゥラスが完了したことをRさんは伝えたのだろう。しかし、私にとってはそれ以上の意味を持っていた。異例の同一国近接旅シリーズが綺麗にまとまり、終焉した瞬間を見たのだった。
★ 終わりに ★
アイルランド初訪問後、ケルト文化を研究し現地を訪れてルポを出版しているT氏の本を読んだ。2度目のアイルランド訪問を決意した後 足を運びたい場所をリストアップし、初回の旅でお世話になった旅行社に連絡した。3日目に訪れたカーンドナについては、アレンジされた旅程表を見て遠すぎると判断、割愛することを伝えたのだが・・・旅の初日に会うなり、ガイドのRさんはボア島の後にスリーヴ・リーグあるいはカーンドナのどちらへ行く?と提案してくれた。スリーヴ・リーグは高さ600mの断崖、モハー(同200m)やドン・エンガス(同100m)といった名所を凌駕する有数の絶景であり、ドネゴールにもグレンコルムキルにもほど近く、無理のない行程になるだろう。が、即座にカーンドナを選んだ自分、予想通りとハンドルをさばくガイドのRさん。私のチョイスを見越して下見してくれていたのだった。カーンドナも4日目のトゥラスも客からリクエストされたのは初めてだったそうで、「挑戦状」と受け止めて準備したのだという。
オフシーズンで船が出ず行けなかったデヴェニッシュ島とホワイト島(いずれも下アーン湖周辺)は残念だったが、カーンドナまで足を伸ばしたことで下アーン湖周辺とグレンコルムキルが有機的に結び付き、濃密なケルトの空気を感じ取ることができた。リクエストに精一杯応えてくれたガイドのRさんには心から感謝している
2度目の訪問を先に延ばすことができなかったので、結局 ベストシーズンの夏に旅していない。アラン諸島やスケリッグ・マイケル、カロウモアなど・・・シーズンオフのために涙をのんだ場所もあり、紹介できなかったのは残念至極 しかし、自分の記事を見てアイルランドに行ってみたいと思ってくださる方が一人でもいらっしゃるなら、旅ブロガー冥利に尽きる
おしまい