poliahuの旅日記

これまでに世界42ヵ国をフラフラしてきました~ 思いつきで旅先を選んでて、系統性ゼロですが(^^;)

スリランカ篇 その1

2022年06月03日 | アジア
αちゃん(イギリス&オランダ篇その1に登場)と旅を計画しながら、未遂に終わったスリランカ。
久しぶりに灼熱の太陽のもと遺跡を巡りたいと思いつき、旅立つことにしたのだった。
11日間の旅を4つに分けてお送りします。旅の前半では、下の地図中の➊~➍を訪れました(ただし、ハバラナはその2以降の都合により省略)。
また、後の下線部の数字とも対応しています。


1 (マレ経由) ⇒ニゴンボ (2011年7月28日)

初めて乗ったスリランカ航空は食事が美味しく、アルコールのサービスも充実していてすっかり気に入ってしまった 3回もサーブにまわって来てくれたのだが、先々を考えて2回にとどめておいた 
飛行機は昆明めがけて中国を南下し、ミャンマーはマンダレーの北を通過、バングラデシュの上空をかすめてインドの東海岸沿いに南下。コモリン岬の上空を越えて、マレへと向かっていく。そう、直行便ではなくモルディブ経由なのだ。
いつか来るのかなぁ、コモリン岬・・・そう思って恐るおそる日除けを上げてみたら、真っ暗だった。夜だから当然か・・・はっ
てことは、楽しみにしていた上空からのモルディブの環礁も見られないのか・・・残念 復路は直行便だしなぁ。
(余談になるが、インド(2)篇で既報のとおり、この3年余り後にコモリン岬を訪れることになるのだった)

マレまでの8時間半、決定的に眠りに落ちることができず、ガイドブックを読み返してみたり、シンハラ語の挨拶をにわか仕込みで覚えようとしたりする。「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「さようなら」がひとつの言葉で済むみたい。これは便利・・・語学にモノグサな自分にはとても有難い。あとは「ありがとう」さえ覚えれば最低限イケるかも、とほくそ笑む。

飛行機は20時半前にマレ到着。その直前、「ご協力お願いします」とのアナウンスにひき続いて、機内に何がしかが隈なく散布された。気を抜いていてアナウンスの前半を聞き逃したため詳細は不明だが、消毒剤?? モルディブでは全ての飛行機に義務付けられているのだろうか? 疑問は尽きないが、まるで自分たちが害虫にでもなった気分だった。当然吸っても人体に有害じゃないモノなんでしょーね、と内心で毒づきつつ
そしてスリランカへの出発まで1時間、機内に缶詰めとなる。上陸する権利はないから仕方ないんだけども。
着陸・離陸の時、窓から見えた水上コテージと街の灯りに心慰められた。

実は日本出発が2時間半遅れたのだが、最終的には30分の遅れに収まった。長い距離を飛ぶと、2時間程度ならリカバーするのね。そもそもが23時前の着陸予定だったので時間を心配したけど、ガイド&ドライバーさんと無事に出会えて ホテルに送り届けてもらったら0時半だった。最小限のロスでよかった

1・2 ニゴンボ ⇒ダンブッラ (2011年7月29日)

一夜明け、ニゴンボで朝を迎えた。スリランカの国際空港に最も近い都市はコロンボと思いきや、ニゴンボらしい(コロンボは空港の30㎞南、ニゴンボは10㎞北西)。到着便が夜遅いうえにコロンボよりも安くあがるので、旅行会社が配慮してくれたようだ(今回の旅、スリランカに強い旅行会社に 訪れたい場所を伝えて手配してもらった)。
真っ暗だった前夜に気づくはずもなかったが、なんだかステキなコテージだった。

木の実が豪快に落ちている。さすが南国

思わず木を見上げる。


ドライバーのΦさんとガイドのΩさんが迎えに来てくれて、ダンブッラに向けて出発。
1996年から2年間日本に留学していたというガイドのΩさんは日本語がペラペラ。本職はエンジニアとコンサルタントらしいが、ガイド業もやるらしい。ドライバーのΦさんはおとなしそうなタイプの人で、基本的に私に話しかけてくることはなく、時折ガイドのΩさんと話すくらい。それでも、おしゃべり好きなΩさんのおかげで会話は途切れることがない。言語の壁がないっていいわぁ~ あっという間に馴染んでしまった
100㎞超の大移動となるため、途中のクルネーガラで休憩した。備忘録によると、カフェでミックスジュースを飲んだようだが、画像がない
なお、クルネーガラはエレファント・ロック・シティと呼ばれ、象の形をした岩山が特徴。貯水池の向こう、頂上付近に白い仏像が見えるのがそれである。


クルネーガラから北東に50㎞、ダンブッラに到着。観光の前にまずはランチ
ごらんのとおり、スリランカ料理は野菜たっぷりで自分好み ジンジャービールもいただく。ビールとは名ばかりのノンアルコール飲料である(嘘のようなホントですよ


ダンブッラは石窟寺院で有名である【その歴史は紀元前1世紀に遡り、タミル軍の侵攻によりアヌラーダプラを追い出されたシンハラ人の王(ワッタガーマニー・アバヤ)がここに身を隠した。約15年の時を経て、アヌラーダプラの奪回に成功した王が感謝して寺を建てたのに始まるという。第1窟~第5窟に分かれている】。
石窟のある岩山の麓には目印となる金ピカの仏像があった。上座部仏教特有の鮮やかなオレンジ色の袈裟衣をまとった僧侶たちが仏像に向かって列をなすジオラマは、まるでテーマパークのようである。

高さ180mの岩山まで15~20分かけてのぼっていく。
遠くにこれまた世界遺産のシーギリヤ・ロックが見える(画像中央の右)。距離は20㎞ほどで、視界が悪いと見えないこともあるらしいのでラッキー

入口で靴を脱ぐ。寺院内は聖域、土足厳禁なのである。あぁ、ミャンマーを思い出すわ~ ちなみにスリランカは靴下O.K。

入口から岩窟を眺める。意識して整備しているのだろう、黒い岩に白い壁がまぶしい。


第1窟が最も古い。14mもの涅槃仏がともかく圧巻。
足の裏が赤いことにお気づきだろうか。シャカがスリランカの赤土を踏んだ、すなわち仏教が伝来したことを意味するらしい。

ちなみに、足の甲は赤くない。

涅槃仏のお顔のアップ。フラッシュをたくとこんな感じ。なお、以前はフラッシュはおろか写真撮影も不可だったらしいが、自分が訪れた時にはO.Kだった。
ただし、仏像にお尻を向けての撮影は不可(失礼にあたるため)。

フラッシュなしだとやはり暗め。背後に壁画あり。ピンボケでごめんなさい

こちらも涅槃仏背後の壁画【なお、重なっているように見えるのは、何世紀にもわたって繰り返し壁画の修復がおこなわれたため。第2窟も同様だが、修復の際に前の絵どおりに描き直す場合と全く別のものを描くケースがあり、各壁画の制作年代は不明確だという】。


ダントツの出来栄えが第2窟【幅52m・奥行き25m、ダンブッラ最大の洞窟に56体の仏像がひしめく。天井から湧き水がしたたり落ちているのだが、そもそもダンブッラ=「水の湧き出る岩」の意味で、ネーミングの由来となった重要な洞窟である】。
仏の頭上、線状に濡れているのが湧き水。それを画像上部へたどってほしい。グレーの壁にうっすらと魚が描かれているのにお気づきだろうか。なんとユーモアある表現だろう 
そして仏の背後、蓮の花が幾何学的に描かれているのも面白い。

遠景はこんな感じ。洞窟の高さは入口が6mほどだが奥へ行くほど傾斜して低くなり、一層濃密な空間となる。仏像だけでなくストゥーパも空間を構成している。
なお、参拝者の便宜をはかって所々ライトアップされている。


何といっても、赤を基調とする天井壁画はまるで曼荼羅のように緻密・・・強烈な印象

こちらは、この第2窟をつくらせたワッタガーマニー・アバヤ王の像。上半身に何もまとっていないのは、暑い気候に合わせた衣装なのだろうか

涅槃像も第1窟とは作風が異なる。枕の装飾も凝っているし、背後の壁には小さなストゥーパがいくつも描かれている。

寺院の回廊。奥に白いストゥ―パがのぞく。

第3窟は18世紀後半につくられた。建立を命じたキルティ・スリ・ラージャーハー王の像。背後の壁画とともに、往時の衣装を伝える。

仏像のボディがかなり黄色い・・・そして幾本もの木が目立つ壁画。

立像はこぞって右腕を曲げ、指先を天井へ向けている。このスタイルはスリランカの仏像の特徴らしく、施無畏印の変形という【施無畏印とは、日本の作例でいうと東大寺の大仏の右手のように手のひらを前に向ける形で、煩悩や恐れを取り去る意味を持つ】。この国では何らかのきっかけで、90度左に回転しちゃったんだなぁ
なお、左に見切れているのは9mの涅槃仏の足。

第4窟は小さめ。

仏像の手の上、コースターは信者の方が手造りされたのだろうか。いつか日本で見かけた、手造りの前掛けをしたお地蔵様をふと思い出した。
そして、頭上の火炎状モチーフにご注目あれ。シラスパタといい、これもスリランカの仏像に多く見られる特徴という【シャカに備わる三十二相のひとつである、はかり知れない智慧のために頭頂部が盛り上がる「頂髻相」と、その根元から放たれる光を表現しているという】。


第5窟は1915年建立で、最も新しい。赤地に黄色い人物壁画が特徴のようだ。

植物の文様が目立つ。

見学し終えて出たところ(自分にモザイクをかけた)。画像奥が入口側にあたる。

帰り道で遭遇した猿。こんな間近で見るのは初めて


この日の宿はダンブッラにあるヘリタンス・カンダラマ。旅の前に読んだガイドブックでスリランカ人建築家ジェフリー・バワを知り、彼が設計した建物に泊まりたいとリクエストした。対岸からの遠望。

ズームすると、こんな感じ。手前の小山にあるグレーの物体なのだが・・・分かりにくいのもそのはず、年月の経過とともに緑に埋もれ、森へ帰っていくイメージで造られたという。
唯一、海辺を離れたバワの作品。

お部屋はこんな感じ。


バスルームからの眺め。森林浴さながらの設計。


2・3・4 ダンブッラ ⇒ミヒンタレー ⇒アヌラーダプラ ⇒ダンブッラ (2011年7月30日)

バワの世界観を堪能しながら朝食に向かう。朝のカンダラマ湖が遠望できる。

躍動的なフクロウの彫刻が印象的な階段。彫刻家ラキ・セナナヤケの作品はバワの建築に多く採用されているという。

いつか本当に還ってしまいそうな建築と森の一体化ぶり・・・

美しくしつらえられたお花が雰囲気をひきたてる。

お部屋のテーブルにも蓮の花。


この日はアヌラーダプラ観光がメインの日だった。まずは50㎞北北西のミヒンタレーへ向かう。
【ミヒンタレーは、この国に最初に仏教が伝えられたとされる聖地。紀元前247年6月、鹿狩りにやって来たアヌラーダプラの王(デーワーナンピヤ・ティッサ)はこの地でマヒンダ(インドのアショーカ王の子。布教のためスリランカを訪問)に会い、宗教問答のすえ仏教に帰依。王の家来や住民もこれにならい、短期間で多数の仏教徒が誕生した。この後スリランカ全土に仏教が広まっていく】
丘にのぼりながら、一帯に散らばる遺構を見学していく。まずはシンハ・ポクナ。ライオンが彫られた沐浴場跡である。

近づくとこんな感じ。後ろ足で立つライオンなんだそうだ。その口から噴き出す水をかつて僧たちが浴びたという。

付近に残る建物跡。

僧院の食堂跡。9世紀の記録によれば2,000人の僧が生活していたというから、かなり盛況だったろう。右奥の、青い腰巻の人の前にある細長~いのが石櫃。ここに米などを入れて提供したとされる。豪快ね

スリランカ最古の文字が刻まれた石碑(ピンボケでごめんなさい)。

石段をのぼっていく。険しくはないのだが、ひたすら続くな~と思ったら1,840段あるという。人気の聖地らしく、スリランカ人でいっぱいだった。

前日のダンブッラに続き、ここでも猿に遭遇。全然人間を恐れてないなぁ。

せっかく来たのだからと、インビテーション・ロックに登ることにした【マヒンダが瞑想していた岩とされる。毎年6~7月の仏教伝来記念日(ポソン・ポヤデー/満月の日のため、毎年変動する)には仏教徒が押しかけ、この岩にのぼって月を拝むという】。なんの変哲もない日に訪れたのだが、それでも行列して登らなければならなかった。下の画像は、途中で見上げた頂上部。

天然岩の道行きは易しくない。手すりにつかまっても足元がおぼつかない箇所があったので、つくづく素足でよかったと胸をなでおろした。前日のように靴下を履いていたら、滑ったに違いない。ひときわ大きく白いのはマハー・サーヤ大塔。

インビテーション・ロックから見下ろした風景。画像右上の仏像が目を引くが、ここミヒンタレーの中心スポットは画像手前の白いアムバスタレー大塔。マヒンダと王が出会った場所に建てられている。

マヒンダと王の出会いを再現したジオラマ。自分のデジカメの広角では1枚に収まりきらなかったので、2枚に分けてお届け。



お次は十数㎞西のアヌラーダプラへ【スリランカで最初に都が置かれた場所であり、その後何世紀にもわたって政治の中心だった古都。歴史は紀元前5世紀までさかのぼるといい、南北5㎞・東西2㎞の広大なエリアに遺跡が点在する】。私たちは遺跡の北側からまわった。
まずはクッタム・ポクナ。3世紀築、僧たちの沐浴場である。先ほどのミヒンタレーの沐浴場よりはるかに大きいが、あれは水浴び型、こちらは全身浸かる用でタイプが違うんだな。

沐浴場にあった彫刻【コブラはインドの神話に出てくる蛇神が仏教に取り入れられたものという】。雨を操るらしいので、水にまつわる縁で置かれたのだろうか

次に、1㎞西のマハーセナ・パレス(クイーンズ・パビリオンとも)へ。お目当ては、スリランカいち美しいといわれるムーンストーン【階段の下に置かれた半円状の石で、神聖な場所に入る前に身を清めるために設けられたといわれる。源流はインドにあるが、この国で著しく発達、スリランカ仏教建築の特徴のひとつ】。

角度を変えて彫刻の説明をしたい【同心円の一番外側は炎で、人間界とそこに渦巻く欲望を示す。その下には4種類の動物が繰り返し登場する。左からゾウ・馬・ライオン・牡牛で、仏教でいう人間一生の四相=生・老・病・死を表す。その下は花の輪。さらにその下は蓮の花をくわえたガチョウで、啓示を受けて家族を捨て修行の道に入ったシャカを表す。最後、中心にある蓮の花は天国を意味する。全体として、輪廻転生の世界観を表現している】。

ムーンストーンの上にある階段正面にほどこされた彫刻。ん?と思われたら、2枚上の画像を再度ご覧ください。
人というよりは・・・縁の下の力持ち的存在のようにも思える。

こちらも先ほどの縁の下の力持ちと同じような・・・金剛力士のように屈強なガードマン的存在
この記事を書くにあたり調べたところ、ドヴァーラパーラという門の守護神、正解のようだ

狛犬かと思ってしまいそう・・・でもライオンだろうなぁ。ガイドのΩさん曰く、シンハラ王家はライオンの子孫だという建国神話があり、スリランカではライオンびいきという。国旗に描くくらいだし【2012年の国勢調査によると、シンハラ人74.9%、タミル人15.3%、スリランカ・ムーア9.3%、その他 の民族構成である】。

付近のラトゥナ・プラサーダ(宮殿跡)へ。
このガードストーン、厳重に柵がしてある・・・貴重なものなのだろう【ガードストーンもスリランカ仏教建築の特徴のひとつ。階段の一番下に左右一対で置かれる】。
ガイドのΩさんが撮ってくれた自分の画像にモザイクをかけた。

上のガードストーンのアップがこちら。翌日に訪れたポロンナルワでも同じ意匠のガードストーンを数々目にしたが、確かにここのが最も修復の手が入っておらず美しかった。
この記事を書くにあたり調べたところ、8~9世紀に制作されたナーガラージャ像の傑作と判明【7枚上の画像のようなコブラ形の神が王の姿で人格化されたもの。三角錐の王冠、豪華な装身具に気をとられるが、しっかり7つ頭のコブラを背負っている。コブラ≒蛇は生息域の水辺を想起させ、そこから転じて豊穣や繁栄を意味するという。強靭な力を以て撃退するドヴァーラパーラ(金剛力士)とは異なるタイプの守護神のようだ】。

階段を横から見るとこんな感じ。火を噴くドラゴンが強烈
【2022.7.3追記; 「その2」の記事を書くにあたり調べていたところ、ドラゴンではなくマカラの可能性があると思い至った。マカラとは摩竭魚・摩伽羅魚と書き、インド神話に出てくるゾウのような頭を持つ海獣で、イルカ・ワニ・サメなどとして表現される。大洋神ヴァルナの乗り物。魔よけとして用いられる】

遺跡内で休憩。果物を枝ごと切り落として吊るしているのが面白かった。その方が日持ちするのだろう、合理的


遺跡の中ほどにある、トゥーパーラーマ・ダーガバ【マヒンダに出会い仏教徒になったデーワーナンピヤ・ティッサ王がシャカの右鎖骨を収めたといわれ、アヌラーダプラ最古の歴史を持つが、再建である。高さ19m。周囲の灰色の柱は、かつて塔を覆っていた建物の遺構】。通り過ぎたのみ。

さらに1㎞ほど遺跡内を南下し、スリー・マハー菩提樹へ【紀元前3世紀、サンガミッタ(インドのアショーカ王の娘)の命令により、その下でシャカが悟りを開いたブッダガヤの菩提樹の分け木が運ばれ、植樹された。生きている聖遺物であり、アヌラーダプラの精神的支柱である。白い建物に囲われたのは19世紀、野生動物から木を守るためとも、枝を切り取った不届き者がいたからともいわれる】。

建物が邪魔だなーというわけで、横にまわってみた。樹齢2000年を軽く超えているのに、意外と細い。幹が太くならない性質なんだろう。ちなみにガイドのΩさんによると、この菩提樹に妊娠7ヶ月で安産祈願に訪れ、生後3か月で再びお参りするという。たしかにお腹の大きい女性や、赤ん坊を連れた人々とすれ違ったのだった。

最後にルワンウェリ・サーヤ大塔を目指して北上する。その途次、治療用の浴槽を見かけた。人型にくりぬかれていることにお気づきだろう。毒蛇にかまれたり身体がマヒしたりした患者は、この浴槽に浸かり薬液が身体にしみこむのを待ったらしい。高価な薬液が無駄にならないように工夫された所以という。

ルワンウェリ・サーヤ大塔に到着【紀元前2世紀にドゥッタガーマニー王が建て始め息子の代に完成したが、南インドのチョーラ朝の侵攻(11世紀)により破壊され、再建。オリジナルは高さ100mあったとされ、現存はその半分ほどしかないが、それでも で~んとそびえて存在感大。いにしえはさぞや・・・アヌラーダプラの繁栄ぶりをかのローマ帝国も知るところだったというのも頷ける。ちなみにレンガ造り・・・キレイに白塗りされているので一見そうとは気づきにくいが】。

スリランカの仏塔の特徴のひとつに、四方にワーハルカダ(突出部)を持つ点が挙げられる。壁状で装飾が施されているのだが、こちらは中ほどにゾウの彫刻が見られる。

大塔のそばには、近年建てられたというお寺もあった。

大塔の周辺には彫刻が散見された。無造作に置かれているものもあるが・・・

ケースに入っているのは比較的古いものなのだろうか。


最後に、ここにもライオンの彫刻。

遺跡の北の方をまわっていた時は人もまばらだったが、菩提樹や大塔の辺りはお参りに来た白装束のスリランカ人でごった返していた。土曜だったせいもあるだろう、家族連れが多かった。前日のダンブッラから薄々感じてはいたが、ものすごくジロジロ見られる。東アジア人は珍しいのか? 自分の見立てでは、この日すれ違った東洋人は韓国人4名に中国人1名・・・確かに少ないかもな~

アヌラーダプラで遅めの昼食をとり、50㎞南東のハバラナへ向かった。というか、この国ではランチが13時を過ぎるのがフツーのようだ。ディナーが19時半~20時スタートと遅いせいだろうか
ハバラナは、ガイドΩさんおススメのアーユルヴェーダ・センターがあるとのことで、急きょ寄ることにしたのだ。旅立つ前に読んだガイドブックに、スリランカ人にとってアーユルヴェーダは生活の一部であり日常的に行う、誰しもにかかりつけのアーユルヴェーダ医がいる、と書いてあった通りだった【アーユルヴェーダ; WHOが認める世界最古の伝統医学で、インドで発祥し数千年を超える歴史を持つ。伝統医療省という政府機関を設け、国家資格を持つドクターを養成し、その知識・技術の伝承に尽力しているスリランカの方が本家よりも今や隆盛している】。
実は、旅の中盤に実質1泊2日でアーユルヴェーダの施術を予約していたのだが、無論そのことを知っているΩさんは、観光客相手に売り込んでいるのよりもっといい所があるよ、と紹介してくれたのだった。
外観はこんな感じ。左に立っておられるのが医師で、常連のΩさんは先生と呼んでいた。

自分の手がオイル等にまみれるため施術室ではあまり撮影できなかったのだが、唯一撮ったのがシロダーラの設備【ハーブやスパイスから抽出したオイルを温め、約1時間かけて額に垂らす施術。それによりチャクラ(サンスクリット語で「車輪」を意味し、エネルギーが出入りするスポット。全身に7つあるうち額のチャクラは「第三の目」といわれ、直感をつかさどる)を覚醒させる】。ピンクのモザイクの左に写っている桶から眉間にオイルが垂らされるのだ。

ヘッド・マッサージ→ボディ・マッサージ→スチームバス→スチームサウナ→シロダーラの流れで、2時間で1万円。日本ではありえない安さ、コスパ良し そして、施術後は全身がスッキリ&さっぱりとした。難を挙げるとすれば、シロダーラの油を流すシャワー室の水勢が弱かった点か。その辺はローカル仕様だから自ずと限界がある

ガイドのΩさん曰くハバラナはジープ・サファリの拠点にもなっているそうで、相当勧められたけど断った。暑さのため水を求めてゾウの大群が押し寄せ、観察するには絶好のシーズンらしいけども。子供のころから動物園あまり好きじゃなかったのよね・・・野生生物のウォッチングとか旅に組み込まないのは嗜好による。
なお、スリランカではライオンと同じくらいゾウのモチーフをやたらと目にした。スリランカ人はゾウが好きなの?とΩさんに聞いたら、「もちろん」だって。力持ちだから、幸福の象徴なんだそうだ。国によってイメージがあるものなのねぇ・・・

ディナー時、ガイドΩさんに勧められてスリランカ式にカトラリーを使わず手で食事した。食べ方を教えてもらったのだが、そこは不器用な自分のこと、親指で押し込むというのがいまひとつできず。ムリヤリ中指や薬指で押し込もうとしてボタボタ落としていたのだけど、食べ終わる頃になってふとした瞬間にできて、ちょっと目からウロコ なんだか得意気になって、できたよとΩさんにアピールしてしまった。この旅のあいだ、何度もトライしてみたい。いくつになっても、初めての体験って楽しいものだね むしろ齢を重ねてからの方が凄まじくテンション上がるみたい
なお、この夕食で撮った画像はこれだけだった【アーッパ; 米粉をココナッツミルクで溶いて発酵させた生地でつくるお椀型クレープ。外側はパリパリ、中はフカフカの食感が面白い。中に卵を割り入れるものもある。英語ではhopperという】


★ 中締め ★

旅の第2弾では、世界遺産に登録されている仏教遺跡ポロンナルワとシーギリヤを訪れます。お楽しみに






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