私が中学一年生の時に祖父が亡くなった 夏休み中でクラスが荒れていてクラス全員で川原に行き飯盒炊爨の楽しいイベントの予定が組まれていた。行けなくなった連絡をすると先生はとても残念な雰囲気であった。
祖父はいつも和服をきて長身で背筋を伸ばし凜としていた いつも誰かが訪ねてきて揉め事 心配ごとなどの相談にのっていた 又子供が生まれ名前をつけるなどが多かった 私たちの名前も祖父がつけた 若い頃は占いや祈祷などを行っていたようだ ある事件で警察の捜査で二三日取調べられたそうで何も問題がなかったが 祖母の話ではそれ以後祈祷はやめたそうだ 結婚相談で紹介した女性の縁でトントン拍子に男性が県会議員にまでなり大きな行事があるときにはいつも人力車が迎えに来ていたとのこである 小さい頃は兄弟でよく駅に迎えにいった お土産が目当てある 又ニコニコした顔は見たことがなく家族への会話がすくなかった 姉が東京に行きたいと騒いだ時には 父との相談していた記憶がある
そして半年ほど体調がわるなり床についた 入れ歯のために会話が聞き取れず いつも兄が口元に耳をつけ聞いていた
夜の八時五十二分永眠いたしましたとの医師の報告で72歳の幕を閉じた 家族はおお泣きした
祖父は京都の生まれで 近くに親族はいなく みんなをまつためダライアイスをたくさ葬式を伸ばしたのだ