昨年からJALとANAが時折不定期に超格安航空券を発売している。昨年は宮崎・長崎・高知へ行ってきた。
鹿児島へも行きたかったけどゲット出来ず行けなかった、今回運よくゲットできた。
1日目
今日の目玉は鹿児島中央駅~指宿間を走っている、特急観光電車「指宿のたまて箱」に乗車することだった。
鹿児島空港到着後、リムジンバスで鹿児島中央駅へ向かう車内で、鹿児島市街地を撮影。地方都市とは思えない
立派な道路、人・車・建物など全て大都会並みの景観だ。
鹿児島バスターミナルに到着、大観覧車が迎えてくれている。
向かいの黒い建物が鹿児島中央駅、地方の駅とは思えない豪華な駅舎だ。
指宿へ向かうためホームへ。丁度、宮崎行きの特急「きりしま」が出発前だった。
JR九州の特急列車は型式がそれぞれバラエティに富んでいて、見るだけでも楽しませてくれる。
指宿行の特急「指宿たまて箱」が入線。お客さんがシャッターを切っている。
『指宿のたまて箱』は、誰もが知る浦島太郎が登場する“竜宮伝説”がモチーフ。実は、指宿が伝説発祥の地といわれているとか。「黒髪だった浦島太郎が玉手箱を開けたら白髪になってしまった」というストーリーを表現して、車両の海側が“白”、山側が“黒”の、ユニークな外観をしています。
さあ、指宿に向かって出発。
なんといってもこの列車の特徴は、窓を向いたカウンター座席に座ると、目の前には一面の海景色が広がる。 1号車の車内には南九州産のスギ、2号車には客船やヨットにも用いられるチーク材が使用された、木材に包まれる空間が広がります。 ぬくもりと豪華さを兼ね備えたデザインが旅のわくわく感を強くしてくれます。
乗車時間約1時間弱で指宿駅に到着。それにしても、ゆりかごに乗っているようによく揺れました。
指宿駅前
駅前に南国指宿らしい「足湯」がありました。
乗車券・特急券合わせて2,780円でした。安いか高いか?。
この後、計画では「薩摩伝承館」を見学する予定でしたが、観光案内所で聞けば、何とこの日は休みだと云う。
少し早いがやむなく宿に向かうことに。
2日目
この日の目玉は、JR最南端の駅として人気のある「西大山駅」とJR南の始発駅であり終着駅でもある「枕崎駅」に行くことでした。
指宿枕崎線(鹿児島中央駅~枕崎駅)は鹿児島中央駅から途中の山川駅までは比較的本数がありますが、そこから枕崎駅までは一日数本しか通ってないので、時間表とタイムスケジュールをよくチェックしておく必要がある。
この日、先ず最初に最南端の駅「西大山駅」(山川駅の次の駅、秘境駅とも呼ばれている)に行くことに、電車の時間帯が悪く、致し方なくタクシーを使った。
宿を出る時から雲行がおかしかったが、案の定西大山駅に着くや否や降り出し、肝心の写真が上手く取れず残念でした。
山川駅
ここが「JR日本電信最南端の駅 西大山駅」
雨模様で背景の開聞岳に菜の花畑がハッキリ映らず残念。
西大山駅全体
西大山駅駐車場。多い日は観光バスでいっぱいになると云う。
インターネットでも紹介されている八百屋。インターネットで紹介されていた「マンゴージェラート」を食べた。
美味しかった。
これもインターネットでも紹介されている、幸せを届ける黄色いポスト。
枕崎行のの電車が入ってきました。
電車が到着。僅かな停車時間でしたが、たくさんの人がホームに降りて最南端の駅の標柱を撮影していました。
西大山駅で約1時間過ごし、この電車に乗って枕崎へ。折角の西大山駅、大半が雨で残念でした。
枕崎駅に到着。
枕崎駅舎。全国唯一市民の寄付によって建設された新駅舎。
山幸彦の像。駅舎の中に入ると、初代神武天皇の祖父だとされる山幸彦の像が置かれている。
駅前には「かつお節行商の像」が置かれている。
説明書によれば、明治28年の台風によってかつお船が遭難し、多くの犠牲者を出し、その遺族たちを救済するために
始めたのが「かつお節ばら売り行商だった」と記されている。
乗って来た電車が折返し指宿方面に出発して行きました。
駅前のハートの石。この石を見つけたら幸せになるとか。なかなか見つけられなかった。
旧駅舎の前に設置されていた、本土最南端の始発・終着駅枕崎」の灯台を模したモニュメント。
JR本土線路南の終点。
駅の直ぐ近くに結構広いスーパーがありました。
枕崎駅周辺を一通り散策、これからバスで鹿児島市内に向かう。
鹿児島市の中心、天文館商店街付近。街中を少し散策。
目抜き通りにはアーケードがあって、私が住んでいる街に比べて、はるかに立派な商店街でした。
2日目の行程もほぼ無事に終了し、宿に向かうことに。
宿の夜景。
3日目
早くも最終日。計画では、城山展望台・今和泉家本邸跡・仙厳園・桜島・などを廻る予定でしたが、天候や飛行機の出発時間などの関係で仙厳園と鹿児島港(桜島行きフェリー乗り場)のみとなった。
ホテルの庭から桜島を望む。頂上右側付近から噴煙が上がっている。
河津桜が満開。
篤姫の生家である今和泉家の本邸跡。屋敷自体はすでになく、当時を偲ばせる石垣が通りに面して残っています。
バスの車内から撮影
仙厳園に到着。
仙厳園は万治元年(1958年)19代光久によって築かれた島津家の別邸。
錦江湾や桜島をとりいれた雄大な景色が美しく島津家歴代に愛されてきた御殿は、迎賓館としての役割も果たしている、
日本の近代化をリードしてきた場所でもある。
一帯は「明治日本の産業革命遺産」として2015年に世界遺産の構成資産に登録された、鹿児島県を代表する観光地。
正門。明治になって開通した道路に合わせて、29代忠義が建てさせた正門。裏山の楠を使い、上部には丸十紋と桐紋が彫られています。
御殿入口。時間の関係もあって、中に入らず。
御殿は、江戸時代は別邸として、明治時代からは一時本邸として使用された御殿。現存する御殿は明治17年(1884)に改築された建物が主体となり、藩主の部屋はすべて節なしの屋久杉で当時の雰囲気を感じてとれる。
御殿外観。
錫門。仙巌園の中門として使われていました。
この門は屋根を錫で葺いていることからその名があります。錫は薩摩の特産品です。江戸時代は、藩主とその世子(長男)だけが通ることを許された正門でした。
庭園
獅子乗大石灯篭。獅子乗大石灯籠は、庭園の中で最も大きな灯籠で、笠石の大きさは8畳分もあるとか。
上に乗る獅子は空から飛び降りてきて、着地後に桜島の方を振り返った姿だそうです。
池越しに御殿を眺める。
桜島を望む。
反射炉跡。
島津斉彬は国を護るインフラ整備と新事業の工場群を「集成館」と名づけて力を注いだ。
日本初の近代的な工場群を仙巌園内に設けた薩摩藩主島津斉彬は、1851年、海からの外敵から護るための大砲や武器、軍船を自前で作る必要があると考え、材料の鉄を溶かす溶鉱炉や反射炉建造に着手。
必要な熱源には寺山で焼いた木炭を使い、水は関吉から仙巌園まで水道を通し、さらにはガラス工場、紡績、蒸気機関の研究所など次々に設け、それらの工場群を「集成館」と名づけ一気に事業化していきました。
世界に誇る日本人のモノづくり・文化発祥の地といっても過言ではない「集成館」。
ここから鹿児島港(フェリー乗り場)に向かう。
桜島に向けて出港するフェリー。
フェリー乗り場の売店で売っていました。桜島大根やはりひと回りでかい。
鹿児島中央駅に帰ってきました。
ちょっと変わった眺め、階段に椅子が置かれていた。
これで鹿児島ともお別れ、鹿児島空港へ向かう。
鹿児島空港で時間があったので屋上展望台に上がって見る。
ここから本土と沖縄・奄美大島などへの離島へ向かう中継基地にもなっているようで、結構頻繁に離発着していた。
最後になってアクシデント。羽田行きの当該機がエンジントラブル発生、整備中なので少々遅れるとのアナウンス。それから待てど待てど出発のアナウンスなし。挙句の果て、予備機を羽田から回送することになり、約5時間遅れでやっと出発、羽田に着いたのは午前0時前、とんだハプニングに出くわすことになった。
投稿者:やまちゃん
鹿児島へも行きたかったけどゲット出来ず行けなかった、今回運よくゲットできた。
1日目
今日の目玉は鹿児島中央駅~指宿間を走っている、特急観光電車「指宿のたまて箱」に乗車することだった。
鹿児島空港到着後、リムジンバスで鹿児島中央駅へ向かう車内で、鹿児島市街地を撮影。地方都市とは思えない
立派な道路、人・車・建物など全て大都会並みの景観だ。
鹿児島バスターミナルに到着、大観覧車が迎えてくれている。
向かいの黒い建物が鹿児島中央駅、地方の駅とは思えない豪華な駅舎だ。
指宿へ向かうためホームへ。丁度、宮崎行きの特急「きりしま」が出発前だった。
JR九州の特急列車は型式がそれぞれバラエティに富んでいて、見るだけでも楽しませてくれる。
指宿行の特急「指宿たまて箱」が入線。お客さんがシャッターを切っている。
『指宿のたまて箱』は、誰もが知る浦島太郎が登場する“竜宮伝説”がモチーフ。実は、指宿が伝説発祥の地といわれているとか。「黒髪だった浦島太郎が玉手箱を開けたら白髪になってしまった」というストーリーを表現して、車両の海側が“白”、山側が“黒”の、ユニークな外観をしています。
さあ、指宿に向かって出発。
なんといってもこの列車の特徴は、窓を向いたカウンター座席に座ると、目の前には一面の海景色が広がる。 1号車の車内には南九州産のスギ、2号車には客船やヨットにも用いられるチーク材が使用された、木材に包まれる空間が広がります。 ぬくもりと豪華さを兼ね備えたデザインが旅のわくわく感を強くしてくれます。
乗車時間約1時間弱で指宿駅に到着。それにしても、ゆりかごに乗っているようによく揺れました。
指宿駅前
駅前に南国指宿らしい「足湯」がありました。
乗車券・特急券合わせて2,780円でした。安いか高いか?。
この後、計画では「薩摩伝承館」を見学する予定でしたが、観光案内所で聞けば、何とこの日は休みだと云う。
少し早いがやむなく宿に向かうことに。
2日目
この日の目玉は、JR最南端の駅として人気のある「西大山駅」とJR南の始発駅であり終着駅でもある「枕崎駅」に行くことでした。
指宿枕崎線(鹿児島中央駅~枕崎駅)は鹿児島中央駅から途中の山川駅までは比較的本数がありますが、そこから枕崎駅までは一日数本しか通ってないので、時間表とタイムスケジュールをよくチェックしておく必要がある。
この日、先ず最初に最南端の駅「西大山駅」(山川駅の次の駅、秘境駅とも呼ばれている)に行くことに、電車の時間帯が悪く、致し方なくタクシーを使った。
宿を出る時から雲行がおかしかったが、案の定西大山駅に着くや否や降り出し、肝心の写真が上手く取れず残念でした。
山川駅
ここが「JR日本電信最南端の駅 西大山駅」
雨模様で背景の開聞岳に菜の花畑がハッキリ映らず残念。
西大山駅全体
西大山駅駐車場。多い日は観光バスでいっぱいになると云う。
インターネットでも紹介されている八百屋。インターネットで紹介されていた「マンゴージェラート」を食べた。
美味しかった。
これもインターネットでも紹介されている、幸せを届ける黄色いポスト。
枕崎行のの電車が入ってきました。
電車が到着。僅かな停車時間でしたが、たくさんの人がホームに降りて最南端の駅の標柱を撮影していました。
西大山駅で約1時間過ごし、この電車に乗って枕崎へ。折角の西大山駅、大半が雨で残念でした。
枕崎駅に到着。
枕崎駅舎。全国唯一市民の寄付によって建設された新駅舎。
山幸彦の像。駅舎の中に入ると、初代神武天皇の祖父だとされる山幸彦の像が置かれている。
駅前には「かつお節行商の像」が置かれている。
説明書によれば、明治28年の台風によってかつお船が遭難し、多くの犠牲者を出し、その遺族たちを救済するために
始めたのが「かつお節ばら売り行商だった」と記されている。
乗って来た電車が折返し指宿方面に出発して行きました。
駅前のハートの石。この石を見つけたら幸せになるとか。なかなか見つけられなかった。
旧駅舎の前に設置されていた、本土最南端の始発・終着駅枕崎」の灯台を模したモニュメント。
JR本土線路南の終点。
駅の直ぐ近くに結構広いスーパーがありました。
枕崎駅周辺を一通り散策、これからバスで鹿児島市内に向かう。
鹿児島市の中心、天文館商店街付近。街中を少し散策。
目抜き通りにはアーケードがあって、私が住んでいる街に比べて、はるかに立派な商店街でした。
2日目の行程もほぼ無事に終了し、宿に向かうことに。
宿の夜景。
3日目
早くも最終日。計画では、城山展望台・今和泉家本邸跡・仙厳園・桜島・などを廻る予定でしたが、天候や飛行機の出発時間などの関係で仙厳園と鹿児島港(桜島行きフェリー乗り場)のみとなった。
ホテルの庭から桜島を望む。頂上右側付近から噴煙が上がっている。
河津桜が満開。
篤姫の生家である今和泉家の本邸跡。屋敷自体はすでになく、当時を偲ばせる石垣が通りに面して残っています。
バスの車内から撮影
仙厳園に到着。
仙厳園は万治元年(1958年)19代光久によって築かれた島津家の別邸。
錦江湾や桜島をとりいれた雄大な景色が美しく島津家歴代に愛されてきた御殿は、迎賓館としての役割も果たしている、
日本の近代化をリードしてきた場所でもある。
一帯は「明治日本の産業革命遺産」として2015年に世界遺産の構成資産に登録された、鹿児島県を代表する観光地。
正門。明治になって開通した道路に合わせて、29代忠義が建てさせた正門。裏山の楠を使い、上部には丸十紋と桐紋が彫られています。
御殿入口。時間の関係もあって、中に入らず。
御殿は、江戸時代は別邸として、明治時代からは一時本邸として使用された御殿。現存する御殿は明治17年(1884)に改築された建物が主体となり、藩主の部屋はすべて節なしの屋久杉で当時の雰囲気を感じてとれる。
御殿外観。
錫門。仙巌園の中門として使われていました。
この門は屋根を錫で葺いていることからその名があります。錫は薩摩の特産品です。江戸時代は、藩主とその世子(長男)だけが通ることを許された正門でした。
庭園
獅子乗大石灯篭。獅子乗大石灯籠は、庭園の中で最も大きな灯籠で、笠石の大きさは8畳分もあるとか。
上に乗る獅子は空から飛び降りてきて、着地後に桜島の方を振り返った姿だそうです。
池越しに御殿を眺める。
桜島を望む。
反射炉跡。
島津斉彬は国を護るインフラ整備と新事業の工場群を「集成館」と名づけて力を注いだ。
日本初の近代的な工場群を仙巌園内に設けた薩摩藩主島津斉彬は、1851年、海からの外敵から護るための大砲や武器、軍船を自前で作る必要があると考え、材料の鉄を溶かす溶鉱炉や反射炉建造に着手。
必要な熱源には寺山で焼いた木炭を使い、水は関吉から仙巌園まで水道を通し、さらにはガラス工場、紡績、蒸気機関の研究所など次々に設け、それらの工場群を「集成館」と名づけ一気に事業化していきました。
世界に誇る日本人のモノづくり・文化発祥の地といっても過言ではない「集成館」。
ここから鹿児島港(フェリー乗り場)に向かう。
桜島に向けて出港するフェリー。
フェリー乗り場の売店で売っていました。桜島大根やはりひと回りでかい。
鹿児島中央駅に帰ってきました。
ちょっと変わった眺め、階段に椅子が置かれていた。
これで鹿児島ともお別れ、鹿児島空港へ向かう。
鹿児島空港で時間があったので屋上展望台に上がって見る。
ここから本土と沖縄・奄美大島などへの離島へ向かう中継基地にもなっているようで、結構頻繁に離発着していた。
最後になってアクシデント。羽田行きの当該機がエンジントラブル発生、整備中なので少々遅れるとのアナウンス。それから待てど待てど出発のアナウンスなし。挙句の果て、予備機を羽田から回送することになり、約5時間遅れでやっと出発、羽田に着いたのは午前0時前、とんだハプニングに出くわすことになった。
投稿者:やまちゃん