マリアはいつも私が聖体を受ける度に、その前日からちょうど初聖体の覚悟をさせておったとき、よく覚悟をさせてくれました。私はまたよく記憶しておりますが、マリアは苦しみについて話をし、天主様は私に対して苦しみの道を歩まされるのではなく、幼き子供のごとく愛し携えてくださるのであろう、と言い加えました。私はその翌日聖体を受けてからマリアの言葉を思い出したので、私は聖主のために苦しみ悩みに遭いたいという熱望が起こり、続いて多くの十字架が私を待っているという事を確かに感ずると同時に、これを受けたいという望みが起こりました。この時私の霊魂は一生涯に感じた事のないような大きな慰めと愉快を覚え、苦しみが私の心を惹くようになり、そして苦しみの中に何とも言えない愉快があるという事を感じましたが、まだ充分にその愉快を悟ることが出来ませんでした。
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