二、愛によってこそ起こる殉教
あらゆる悩みがこの小さい身体を襲った。けれどこの愛らしい病人は、苦しみと共に、徳を増して勇敢に振舞った。病苦を死は聖徳の偉大な試練である。苦しみの焔は、表面の完全をことごとく藁のごとく燃やし尽くして、ただ愛徳の「金」を他の混合物から全く分けてしまった。アンヌの聖徳は この稀有な苦痛に輝いた。彼女の霊魂が、いつも神と一致している事は、誰の目にも明らかであった。彼女の祈りは、一時(いっとき)も絶える事なく、一緒に誦えるから、傍で大きな聲で祈って欲しいと頼んだ。それは一人で祈れぬときでも、皆の祈りと合わせられるからであった。彼女はその日々を、ある特別な意向のために捧げていた。そして時々願っている人々の為に、自分の苦しみを捧げた。特に哀れな罪人の為に、最後まで苦しみの床で、自発的の小さな犠牲の花を、忠実に怠ることなく、イエズスに捧げていた。ずっと以前、母が木の絵を描いて渡した。これに犠牲を捧げる度に、自分で葉や花を付けていた事があったが、「あなたの木には本当に良く花が付いていた筈ですね。」というと、「そうでなくてはなりません。」と答えた。神に対し、人に対しての愛徳は、いま英雄的になった。発病の始め三日間、アンヌは非常に苦しみ、あたかも噛み裂かれる思いをした。一時、殊に苦痛の絶頂であった時は、アンヌの可愛らしい顔つきも全く変わり果て、苦悩にやつれて見えた。涙は静かに頬を伝って流れた。聖なる子供は酷い苦しみの中にも無言であった。周囲の者は、アンヌのこの苦しみを見て、涙無しにはいられなかった。むしろかように苦しむくらいなら、死んでくれたほうがましだと近親の者は考えた。少し落ち着いた時、母はアンヌの枕辺近くに寄り屈んで、「あなたは勇敢に良く苦しみを堪えしのぎましたよ。確かにイエズス様の聖心を慰め、罪人の改心に貢献しました。」と言うと、「ああ、ママ、何と私は嬉しいでしょう。それならもっと苦しみとうございます。」と、霊魂の奥底から確信をもって答えた。苦しみの強度を知っている者は、彼女の愛の熱度から出る豁達(かったつ 心の大きさ)に感嘆した。
彼女の願いは、病気の快復ではなく、ただいつまでも完全であり、愛と忠誠を一段と増したいというのであった。この恵みを得るために、アンヌに祈るよう勧める必要はなかった。忠実である様にという唯一の願いから、この霊魂の祈願は熱誠を込め、切に懇願した。充分に清くない事、苦しむのに勇気と忍耐の足りない事をいつも怖れていた。昏睡状態の説きでも、告白の祈りを誦え、祈りを充分に良く言わなかった事を、自ら咎め、痛悔の祈りを誦えた。「慈悲深き聖アンヌよ、我が罪を憐れみ給え。」と口ずさんでいた。
アンヌは小さいながらも、天主の聖旨に深く一致していた。母は幼い殉教者の上に寄り掛かって、優しい面持ちで、死の戦場で潔く戦うように勇気づけていた。「我が愛するイエズスよ、全て御旨を望み奉る。」と。熱心な母の声を聞くと、同じ事を、同じ信仰と強い愛をもって、アンヌは繰り返した。人々がこの苦しみの荘厳な有様に感嘆している中で、彼女は戦い、かつ勝利を得ながらも、いたく謙遜していた。
ある日、アンシイの童貞方がアンヌの為に祈っていると母が話すと、「ああ、それはもちろん皆さんが、お母様、あなたを愛していらっしゃるから。」と言った。「いいえ、童貞方はあなたを知っておられるし、善い子だから愛して下さるのですよ。」と言えば、「ママ、もし私が善い子なら、それはママが私を良く導いてくださったからでございます。」と答えるのであった。
死の二日前、母は「我が子よ、なにか私が、あなたを悲しませた事が有ったら許してください。」と言うと、「まあ、ママ、決して私を悲しませたりなさいませんでした。」とはっきり答えた。そして、「お前も決して決して私を悲しませんでした。」というと、「まあ良かった。嬉しいこと。」と微笑みを浮べて答えるのであった。
彼女は他家の人まで、自分の事を案じてくれるのに驚いた。クリスマス前、病気が少し納まったとき、様子を聞きに幼な友達が来た。そして少し快方に向かっていると話すと、皆が大喜びした事をアンヌに話して聞かせると、「どうして私の事など案じて下さるのでしょう、皆さんは、まあなんとご親切な方々でしょう。」と言った。その驚きには深い謙遜が漂っていた。
丈夫なときの従順は決して変わらず、病気になってから、いよいよ完全になったとさえ言える。この天使的幼児は、死ぬまで服従し給うたイエズスにそっくりであった。服従によって苦しみの黙想をするため、病床に退いたのである。頭痛に耐えきれず、家族の食卓を退いて、勉強部屋の前を通ると先生が、
「ネネット、貴女の取り除けて置いた果物を忘れてはいけませんよ。女中達のところに持って行って分けたらどうですか。」と聲を掛けた。すると「ママがそれは自分で食べたほうが善いと仰いましたから食べました。」と答えた。
食欲もなく、食事を始める力もなかったのに、より完全ならん為、服従したのであった。治療も大層苦しかったが、言われるままに素直に受けていた。医者は入浴を命じたが、それはアンヌには酷い呵責であった。ある日、この呵責の用意をしているのを見て思わず「ああ、ママ、到底今日は私には出来ません。」と言ってしまった。しかしすぐさま気を取り直して「もし天主の聖旨なら、苦しくとも堪える力を下さいますでしょう。」と言い変えた。床から抱き上げようととすると、痛みで身を裂かれる思いに、思わず叫んだので、また枕の上に寝かせてしまわねばならなかった。どんなに我慢してでも、命ぜられるままにしようとしていたのである。
彼女の一生懸命な努力についても、可愛らしい話がある。病人には誰でもが言うとおりに、「寝るように。」と苦しさに到底眠れない時が誰かが言った。するとすぐさままぶたを閉じて、「出来るだけの事をして、一生懸命に眠るように努めましょう。」と言った。しかし眠りは彼女ほど従順ではなかった。
聖霊はこの霊魂を、十字架に釘づけられ給うイエズスの如くに変化させた。増して行く苦痛の中で、己を忘れる事、他人に対する愛が、いよいよ増し加わるのが認められた。少しも優しさを失わず、誰にも親切であった。一番気にしていた事は、看取っている人々に、少しでも迷惑を掛けぬようにする事であった。ひどく苦しみ時は、一度断ったことを、また少し経ってから頼むような事もあって、その時は、何と言って気の変わった言い訳をして良いか分からぬほど、非常に気の毒そうにしていた。
ある晩、遅く目覚めて先生がすぐそこにいるのを見ると、「まあ、あなたはまだそこにいらっしゃったのですか、もしママがご覧になったら、きっと心配なさいますよ。そんなに遅くまで起きていらっしゃると、お疲れになりますから。」と。その言葉を打ち消して、大丈夫だと言うと、また咎めて、「貴方が御病気におなりになる事は、私が承知出来ませんもの。」と。自分は苦痛に喘ぎながらも、一分として周囲の者の事を考えていない時はなかったと言えよう。
また、先生が床近くの様子を見に来た時には、決まってその度に、他の人達はどうしているかと心配して、「皆は温和しく(おとなしく)していますか。」と可愛く訊き、きっと「それから貴女のお家の方はいかがですか、良い知らせがございましたか。」と付け加えるのを怠らなかった。衰弱しきっている時でさえも、「いいえ、私の為に人が早く起きたりしてはいけません。」と異議を申し立てているのを聞かされた。彼女は皆が食事時間にちゃんと食事をとるように気を配り、人がしてくれる事については、いつもして貰い過ぎる様に思った。苦しんでいる人がある事を知ると、その様子を尋ねたり、また傍にいる先生に、先生と共に大切に思っている病人の容態を、自分の事のように案じて、たびたび経過を聞いた。その病人の容態が快い(よい)方で、機嫌良くしているからと言うと、「私もそれを聞いて嬉しうございます。」と答えた。彼女は同病の三人の子供に、特別興味と同情を持っていた。毎日医者にその子供等の様子を尋ね、ある日医者が「あなたほど三人は温和しくありません。」と答えると、「それはきっと私よりも酷く苦しいんでしょう。または、私のように善いママを持っていないのでしょう。」とその子供等のために弁解した。
ある朝、アンヌは殊に苦しんでいた時だった。その三人の事を案じるので、全快したと告げると、自分の事は少しも考えず大変喜んだ。
自分の健康を願うことは一度もなく、祈る時にはきっと他の病人を治してくださいと付け加えた。彼女の愛は全てに及び、皆の事を考えた。ある日妹たちが公教要理を習いに行くのを思い出して、「ママ、妹等に誰も付けずにお出しになってはいけません。小さい子は皆が考えるひど、いつまでも温順しく(おとなしく)はございません。」と言った。また小さい弟妹の霊魂については絶えず案じ、「みんなは善い子にしていますか。」と可愛らしく尋ねた。
一月四日、マリネットがちょうど七歳になったので、お祝いのしるしに、抱いて贈り物をしたいと言った。絶え間なく皆に親切にする事は、どんなに骨が折れるか知れない。十二月二十五日のミサの間、先生は病床近くに付き添っていた。アンヌは自分の小さい手提げを取って貰って聖影を取り出し、
部屋付きの女中や、料理番に与えようかと思ったが、あまり苦痛が激しく、衰弱していたので、他の人の手を煩わさなければ、自分の望みが達せられなかったので、それをまた、大変恐縮していた。終にはもはやこの世で生きている間に、愛徳を行う期間が短いのを悟って、その愛しみを百倍した。ある日食事の間、付き添っていた部屋の女中を傍らに呼び寄せて、その女中が病床に屈むと、心を籠めて抱き付き、「私がした様に今度はあなたも私にしてください。」と言った。子供の守りをする女中も呼んで、愛しみの徴に、同様にする事を望んだ。アンヌを本当に敬い慕っていた忠実な召使たちは、この愛情の深い事に非常に感じた。
夜間看取っていた童貞に、たびたび気兼ねして繰り返し言った。「マ・スール、お疲れでございましょう、お腹がお空きになったでしょう。」と。そして無邪気に、「お宜しかったら、この角砂糖を一ツ召し上がってください。」と勧めた。
また、あまり些細な事にまで感謝するので、ついには、いちいちそんなにお礼を言ってはいけないと禁じられた。しかし、じき忘れてお礼を言ってから、困ったように自分の不従順を詫びた。
読んでくださってありがとうございます。yui
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