一、十字架上にて
不安は取り越し苦労ではなかった。一九一二年の十二月十九日の月曜日、頭と背中が非常に痛むと訴えた。その日一日中、先生の生家なるナアラシエルに行っていたのであった。苦痛あるにも拘らず、心深切で、よく気を配り、平然と見たところは異ならなかった。その最後の外出の思い出は、深く迎えた人々の脳裏に残っている。
「着いたとき、自動車から降りると、出迎えた私ども一同に、一々それは優しく、心よく挨拶し、母がカンヌに行っていて留守である事を残念がって話した。二人の妹の世話をして、羊のいる牧場の方に散歩に行った。オリーブの木の傍らを通ると、一ツの実を拾った。この実は大変に取り難いと前から聞いていたので、他の人にこの実を取らせ。喜ばせたいと思って、自分で拾ったのを木の幹の間に置いて、「是なら取りやすいでしょう。」と言ったりしていた。もう山を降りる様にと言われると、直ぐに言う事を聞いて、道が急なので妹の手を取って降りた。内に入ると家の者がビスケットを勧めたが、快く一ツ取り、接待する者をも喜ばすよう 勤めていた。帰る時には妹達の外套を手伝って着せ、車に乗るとき、『あなたのお母様に、お目にかかれなかった事を大変に残念に思いますと宜しく仰ってください。またお母様の為にも、貴女の為にも、沢山祈りますってね。』と言った。これが最後の別離の言葉となってしまったのである。自動車が動き出すと、ネネットは頭が痛いので、帽子を取ってしまった。これが生きたアンヌの見納めとなり、次の時は、もう動かぬ屍のなった彼女を見たのであった。」とこれは先生の家族の者の手記である。
その夜、食堂に下りて来る勇気はあったが、食事を皆と一緒に取る事は出来なかった。そして、それ限り家族の者と共に食卓に着く事はなかった。
「可哀想に、ネネットずいぶん苦しいでしょう。」と言うと、「はい、でも直ぐ治りましょう。」と気軽に答えた。とにかく初めから、病気はそんなに重くないと思い、最初の一週間は烈しい頭痛もあまり心配しなかった。アンヌはいつも親切な子供であったが、苦しいにも拘らず、平常のように面白そうにしていた。クリスマスに母に暗誦して聞かす詩を、母には内緒で選んで弟に教えたりした。そして病気も大した事ではないかのように平気を装い、他の人にあまり心配をかけないように努めながら、同時に死を怖れる色なく、彼女は希望に満ちているという事を、彼らにも良く悟らせようとしていた。最後の近い事を知って、このような詩を選んだのだろう。文意から推して、彼女の内心の考えを想像する事が出来る。文学的価値は別として、アンヌにはその音律と考えが気に入ったのである。それは戦争の事、母の悲しみ、淋しい留守宅、出征者を待ち焦がれる事などが書いてある詩であった。
「なぜ母上は毎晩毎夜、私が目蓋を閉じる頃から、悲しげに泣き、働き給うのであるか、私が眠っていると思っておられるが、私はちゃんと母上を見守っている、母上の泣かれるのを見ると私の心はいっぱいになる。」
これは良くこの小さい病人の心を表している。最後のクリスマスの夜、この不意打ちで母を楽しませた事は大変アンヌを慰めた。ほかの人を喜ばせる喜びで、自身も生き延びる様に見えた。しかし、その頃少し快方に向かうように見えたのは、一時に過ぎなかった。十二月二十七日の火曜日の朝、病気は再び重くなった。もう今にも死ぬかと思われた位で、麻痺が全身に廻り、頭と背の苦痛は堪え難かった。可愛らしい顔も青ざめ、絶え入るばかりに苦しげでった。
「ママ、私は何もいりません、何も見たくありません、なにとぞ私の傍にお寄りにならないで下さい。でも、なにとぞこの言葉を悪くお思いにならないで下さい。」と悲しそうに言った。殉教にも勝るとも劣らぬ彼女の苦しみに、見る者達の心は引き裂かれる思いであった。しかも呟きも、嘆きも、アンヌの唇からは一ツも洩れなかった。二十八日には熱心に告白した。司祭が「御主を貴女のところにお連れして欲しいですか。」と聞くと、「はい、是非。」と深く聖体を望んでいる様子であった。その聴罪司祭は後に、「まだ今でも私はそのときの彼女の様子に、深く感じさせられている。」と書いておられる。聖体を携えて病室を出ると、すぐアンヌは呼び戻して、ただ感謝の言葉を述べた。最後まで丁寧な、優しい心を持っていた。
司祭が聖体を奉持して戻った時、アンヌは身動きもせず、目を閉じたままであった。これはもはや死の麻痺が訪れたのではあるまいかと疑われた。司祭は身を屈めて、「我が小さきアンヌよ、御主はここに御出でになります、聖体拝領を望みますか。」と尋ねると、心の底から湧き起こるように、「はい。」と答えて小さい口を半分開き、天使のパンを受けようとした。無言であったが気は確かであった。拝領前後の彼女の深い沈思の状態を見た者は、感激せずにはおられなかった。その日、終油の秘蹟を受けるように勧められると、悪戯そうな笑みを含みながら、「神父さま、よく知っております。でも私はそれほど悪くございません。」と答えた。
少しも心配な様子なく、確かに自信を持っていうので、傍の者も思わずアンヌの確信に釣り込まれ、不安の念を消してしまった。しかし主任司祭は三十日に来て、終油の秘蹟をとにかく授けた。一月一日臨終の聖体拝領を自分から願った。「今日は何日でございますか。」もう衰弱し切っているのに、こう訊いた。「今日は一月元旦ですよ、ネネット。」
「まあ、私はちっとも存じませんでした。では新年おめでとうございます。」と自分の苦しみは忘れて見舞いに来た人々に一々可愛らしい微笑みさえ浮べて挨拶した。
次の日は一日中、アンヌの容態は大変良く見えた。落ち着いていたので、家の者は望みを起し、喜んでいた。しかし、この喜びも束の間で、ある朝医者は、アンヌの肺は少しも充血していないか、呼吸器の筋肉が酷く麻痺している事を発見した。可哀想にアンヌは瀕死人のように、絶えず窒息の苦しみに喘いでいた。この苦しみの間でも、決して嘆くことなく、たびたび驚くべき謙遜をもって、「私は勇気を出して、良く苦痛を堪えているでございましょうか。」と周囲の者に尋ねた。けれど時には、「ママ、私は消えそうです。もう私は終りです。」と口走った。またある日「我が幼きイエズスよ、私はこれでもうたくさんでございます。」と可愛く小声で囁いた。ある時は微笑みを顔に浮かべて、神の平和に満たされたように、「私は本当に嬉しうございます。」とも言った。ある晩、非常に苦しそうに見えた。右の眼は閉じて、目蓋を上げて見ると、眼の玉は少しも動かず、瞳孔は緩んでしまっていた。すなわち、もう麻痺していたのである。医者はもはや絶望の状態である事を隠さなかった。
読んでくださってありがとうございます。yui
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