この日、私の歓喜は大きく深く、とても小さき心の中にその歓喜を保ち抑える事が出来ませんでしたから、うれし涙にむせびました。ところが友達はみなこれを不審に思って、式が終って後、互いに囁きあって「テレジアはなぜ泣いていたのでしょうか、何か気にかかる事でもあったのでしょうか」とか、ある人は「いいえ、母親やポリナが側に居らなかったので泣いたのでしょう」などと申して、誰も私の涙の訳を悟りませんでした。即ち天の全ての喜びの基なる聖主の一の心の内に天降りてこの島流しに会い、かよわき死すべきものがとても感謝の涙を流さずにはおられません。初聖体の日にはどうして母や姉がいない為に泣きましょうか、天の喜びが我が心に天降り、聖主と共に天国に在す親愛なる母が私を訪問してくれました。またポリナがいないからといって、泣きません。彼女もちょうどこの日聖主に近づき私とは今までよりも一層親密になっておりましたら……私は再び繰り返しますが、この日私の心はいうに言われぬ深い喜びに満たされておりましたので涙を流して泣いたのであります。
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