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愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)  第五章  四 隣人の救助(たすけ)

2019-11-07 20:47:46 | アンヌ・ド・ギニエ

 四 隣人の救助(たすけ)

 全ての不幸悲しみは、この子供を動かし、全ての必要は彼女を働かせた。アンシイの家政学校には、可愛らしい兎(ウサギ)がいた。アンヌはジャックや妹達と童貞方を訪問の機会がある度に、その兎を見物に行くのを欠かさなかった。ところがある朝、悲しいかな、たくさんの兎が一匹残らず死んで居た。童貞方は兎がいなくなり、さぞ悲しいであろう。子供等はすっかり気を落として城に帰ってきた。この災難を取り戻さなくてはならない。ネネットは事慎重らしく、同志を集合して、この大問題につき、小さい頭を寄せて評議した。母の許可を得て、貯金箱を開こうという事に、一同の意見は一致した。喜ばしい事には許可が降った。小銭が銅貨、白銅、色々の紙幣を取り交ぜて、卓上に転がり出た。震える指、轟く胸で一銭ずつ数え始めた。皆堅くなって息を殺して待ち構えた。集まり高はどうだろう。この金額で兎が沢山買えるであろうか。それはなかなか高価なものである。フランが積もっていった。そして遂には小さい手が勢い良く叩かれて、一同大喜びである。二匹兎を買う事が出来るだけ有ったのである。小さい動物は大切に籠の中に隠され、みんなは一番小さいマリネットにそれを渡す役目を譲った。胸を躍らせて歓喜に満ちた使者は、驚かせる楽しみに目を輝かせて修院に到着した。実際、修院の人々の喜びは大なるものであった。しかし、子供等の好意はそれだけではなく、兎の好きな草を採らねばならぬ。皆さんは兎の好む草を知っていますか?「童貞様、手当たり次第で草を兎に与えてはいけません。兎はちぢよう菜が大好きでございます。もしお許し下さるなら、私達が取って参りましょう。」そしてまめな一隊は、大喜びで庭に走り出て、兎の好む菜を、スール達に教えながら沢山採って来た。
 いつもこの調子で、本当にアンヌは、他人の為に尽くす才を持っていた。暴風雨の時、近くの村に火事が起こった。罹災民の中に、四人の子供を抱えて困っている若い女があった。アンヌは特別の同情を寄せ、救い助けようと決心した。彼女は内緒で小さい手芸品を作った。大変裁縫が上手だったので、皆よく出来た。用意が出来あがると、母に慈善市(バザー)を開く許しを乞うた。藤棚の下に帳場が出来た。花で飾った、緑の枝で形づくった丸屋根の下で、茶菓が饗せられた。そっと食べずに貯えてあった生姜入りの菓子、野生の果実の砂糖漬け、桑や木苺、榛の森から拾ってきた榛子(はんのみ)、また食後のチョコレート等、用心深く貯蔵してあったものが種々並べられた。右側の店では近くの野から取ってきた鼻が高い値で売られた。左には手芸品が陳列されて、ネネットの手際と趣向に感服されるのであった。椎の実を刳り抜いた中に、揺籃が出来ていたり、栗の実を切り込んで作った籠、藺(い、イグサ)で編んだ裁縫の籠等、皆アンヌの考えついて作ったものであった。そして皆よく売れた。売り子たちは大層愛想よく振舞った。アンヌは大満足であった。売り上げは三十フランに達した。哀れな母親に、この贈り物を渡した時のアンヌの喜びは想像に難くない。与える事は彼女の非常な喜びで、大変器用なアンヌは、絶えずいろいろな人の為に何か小さい物を造っていた。針刺し、針入れ、また大人のためには写真の木枠、子供の為には玩具を厚紙で作った。
 多くの不幸な人々の中でも、特に貧民と罪人が彼女の心を引いた。愛徳は慈善業をさせるように彼女を促した。また物質的の援助の他に、霊的の施しを加える事を知っていた。哀れな貧しい人々を、アンヌは本当に慈しんだ。力の限り助け慰めようとした。彼女の受けた新年の贈り物は、何よりまず彼らの為に、中でも良いものが大抵取り除かれてしまった。欲を抑え、欲しくて堪らない物でも我慢して控え、与える事もあった。それも渋々与えるのではなく、喜ばしげに惜しげもなく与えて、自分の事は潔く忘れていた。何も買って貰えない子供等のためには、自分の大切な一番悪くなっていない玩具を犠牲にしてしまった。そして、「そうでなければ、犠牲になりませんもの。」と言った。言う事は容易でも、さてする事は、それほど容易に出来るものではない。
 不幸な人の苦しみは、彼女に涙を流させる程であった。冬、焚き物の無い時、貧しい人々はどうして暖まるであろうか。寒さに凍えているだけだと聞かされた時は、どうしてもじっとしていられなかった。それでアンヌはこの哀れむべき人々を、力の限り助けるために不断の努力を注いだ。心を籠めて靴下やシャツを作ったり、また良く出来ない時は、出来上がったものを惜しげもなく解いてやり直した。「いつでも何か良いものを哀れな人々に与えなければならない。これらの者は、御主の御苦しみの仲間である。」と教えられ、「不幸なイエズス。」を助ける為には、どんなにしても足りないほどに思った。また忍耐強い事、辛抱の良い事は驚くばかりであった、あるとき、渡す人が不注意からアンヌにたいそう虫に喰われた毛糸の玉を与えてしまった。不足も言わず、取り替えてくれとも言わず、その切れ切れの毛糸をみな繋ぎ合わせて編んでしまう程の、熱心と根気を持っていた。
 不幸な霊魂に対する献身的愛情は、最も感ずべきもので、彼女の心に聖霊の在す事によってのみ、この優れた熱心は理解できるのである。「罪人のことを話すと、アンヌの霊魂は全く悲嘆に暮れ、深い悲しみの淵に沈み、辛痛に心も圧迫されるように見えた。」と生前親しかった人が、その時の彼女の様子を感じて話している。不幸にも御主に背き奉った者が有る事を知ると、「おお、わが神よ、彼を赦し給え。」と祈る聲を聞かされた。そしてアンヌは天使のような表情で、目を天にあげるのであった。それは全く地上の顔つきとは思えなかった。そして自らその罪を償い、聖心を慰め奉ろうと努めた。人に背かれ給うイエズスの御苦しみそのものを、彼女も苦しんだ。その顔つきには、まるで自分の罪でもあるような表情が現れた。
 祈りばかりでなく、言葉や行いを以っても全ての霊魂を助けたいと望んだ彼女は、罪人を改心させようという大望を抱いて彼らを愛した。救霊のために彼女の選んだ一番良い方法は、祈りと犠牲であった。アンヌに誰かの改心のために祈りを頼むと、注意深く聞き取って、真面目に祈る約束をした。「私がどうにか致しましょう。」という調子には、さも全能の天主との間に秘密の手段を持っている様であった。彼女の祈るのは、一時的に気を散らしながら、口先だけで囁くのではなく、内心からの絶え間なき叫びで、愛の天主に向かい真情を発露するのであった。「彼女が惠を求める時には、また、特に改心を願うときには、彼女を止める事は不可能である。肉体的、精神的苦業を数知れず行い、弟妹や友達にも自分と同じくさせようとした。罪人を神に連れ戻り、霊魂を助ける事は彼女の理想で、この目的を達するには、どんな努力も大きすぎなかった。改心のためにある霊魂を任されることが大好きであった。」と先生が書いている。
 いつも誰かのために祈らねば気がすまず、アンシイの童貞方の世話をしている病人の中には、強情な罪人がいて、最後の悔悛もおぼつかなく思われると聞くと、その特別の意向の為に、祈りを任されることを願った。その頼み方も実に愛らしく,出過ぎないで、慎み深かった。「マ・スール(ma soeur 私の姉妹)。誰か罪人のために祈る事で、貴女方のお手伝いをさせて戴けれませんでしょうか。」そして先生の方を向いて、「ね、そうでございましょう先生、私たちにも哀れな霊魂のために祈って、童貞様方をいつも一人の罪人を定めて、祈りを委せて(まかせて)貰うように頼んだ。そしてこの仕事に決して失望しなかった。とても改心しそうにも見えない若い女があった。アンヌはそれを大変悲しんだが、落胆するどころか、祈りと共に苦業にいよいよ熱中した。願いが叶ったときの喜ぶ、内心の歓喜はどんなであったろう。
 またある時、サボイの人で、巌のように頑固なつむじ曲がりを、どうかして神様に連れ戻したいと思った。いつもアンヌはこの罪人の様子を尋ねた。そして段々頑固になるばかりであることを聞いて当惑した。しかし彼の抵抗は、いよいよアンヌの勇気を燃え立たせた。他の人にも、もっと熱心に祈るように頼んだ。そしてこの御恵みを無理にも得るためには、御主をお煩わせするほど、切に願う必要がある。「ママ、私はどうしても彼を悔悛させなければなりません。彼の為に、もっと祈らなければなりません。」と言って、もう一度教会に戻って祈りたいと言う事もあった。最後にこの人は司祭を招いた。小さき使徒が御恵みを勝ち得た時、長い間感謝の祈りに浸ったのは言うまでもない。この愛徳は最後に近づいて一段進歩した。いよいよ奉仕によって、それを現わした。人を喜ばそうという熱心は、時々、また人々により、尽くす注意はいちいち言い表せない。周囲の者の最も小さい要求にも気を配った。誰もろくに問題にしない様な些細な事にも、この心の愛の大なる事が現れた。自分の勉強の最中でも、机を並べている妹たちの世話をしようと勉め、吸い取り紙や、ペン等を渡したり、説明を気長に、丁寧にしてやったり、少しもうるさがったり、面倒くさがったりしなかった。かように幼いながらも、生き生きとした徳を現わし、慈悲深い性質をもって、超性的向上心を現わした。自分の満足よりも、他人の喜びを余計に求めた。この他人の利益を考える事が、いつも己を犠牲に供するようにさせたのであった。聖霊は完全に、素直なアンヌを同化し、最後には己を捨てる、絶えざる努力を怠らず、愛の手段、彼女の可愛らしい言葉をもって言うところの、「小さき方法。」を考え出させた。絶えず己を忘れる事は、最初は難しいが、愛徳の支配のもとに、己を捨てる業を進んで行う事を、度々繰り返すに従って、他人に譲り、または他人に仕える事に遂には喜びを見出し、己を捧げるのを何よりの楽しみとするようになった。思うだけ、みんなに尽くせぬ事が、彼女の唯一の悲しみであった。
 終わり近くになってからのアンヌの楽しみは、人の役に立ち、仕え、他人を幸福にしたいばかりに、何かと喜ばせる事であった。この愛徳がさかんになったのも、向上進歩も、祈りに依ってである。「貴方のために、『めでたし。』を誦えに参りましょう。」と幾たび私に囁いた事であったろう。単純な愛の言葉で、全ての人の為に、絶え間なく彼女の祈りは天に昇って行った。「自分らの為に、アンヌが祈ってくれた。」という事に少しの疑いも挟まぬ人が何人ある事であろう。この清く恵まれた子供の、隠れた使徒的の業は、世の人には知られなかったが、心の底までも見透し給う天主の御前には、非常な力を持っていた。

読んでくださってありがとうございます。 yui



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